タイトル:【哀】 実装石という種・微々改定
ファイル:実装石という種.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:18749 レス数:3
初投稿日時:2007/10/01-21:18:32修正日時:2007/10/01-21:18:32
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公園の隅の茂みの側。人目から逃れるように置かれたダンボールの家から一匹の成体実装が姿を現した。
まだ陽は昇り始めたばかり。枯葉が舞い散るこの季節では、人間といえど肌寒さを感じる時間帯だ。
そんな中で震える身体に活を入れ、実装石は同族の目が覚めないうちからゴミ漁りへ向かう。
最近では実装石への風当たりも強く、自治体も対策に力を入れている。
人間に見つからず、なおかつ漁った事を気付かれない様に細工するには、この時間でないと間に合わないのだ。
実装石の短し足で歩いて十分のゴミ捨て場まで、成体実装は懸命に歩く。

「おはようデス」
「こちらこそおはようデス。ニンゲンサンが来ない内に急ぐデス」

ゴミ捨て場について見れば、今日はもう同族が来ていたようだ。
落胆を隠しながら見張りに挨拶し、彼女自身もゴミ漁りに参加する。
人目を避けるために漁りの時間は決められている。出遅れればそれだけ探す時間が少なくなるのだ。

彼女らは知っていた。人間がゴミを出す日は決まっているが、それを守らず早く出す人間がいる事を。
そして時間がない事も。幾ら人気のない早朝だからといって、人に見つからない可能性がないわけではない。
そこに明確なルールはなく、漁る時間は初めに着いた者が決めている。
何故なら彼女らには時間が分からないうえに、遅れた同族を待つ余裕もないのだから。
そんな風に過ごしているからか、横の繋がりもほとんどない。ただお互いをゴミ漁りのライバルであり、互いの利益のために利用し合う関係。
何時の間にかできあがった厳しいルールをただ守り、破った者を処罰する。それが彼女らの繋がりだ。
だからここ以外の場で協力する事は滅多にない。誰だって生きる事に精一杯。そして考え方が各自で違うのだから、それも無理はないだろう。

お互い何か話す事もなく、黙々とゴミを漁る実装石の姿は異様だ。
成体実装がほとんどではあるが、中には仔実装まで連れて来ている者もいる。
だがそれに良い顔をする者は少ない。興奮して声を出して人間に見つかりそうになったり、何かに固執してゴミ捨て場を離れようとしなかったり。
精神的にも知能も未熟なためか、足を引っ張る事が多いのだ。そのため子連れの成体実装は隅の汚い物を漁る権利しか与えられていない。
それを知っていてなお仔実装を連れて来ていると言う事は、親離れの前に色々と教え込んでいるのだろう。

淡々と好き勝手ゴミを漁る実装石の集団。
目的の物は各自様々で、家の補修用にダンボールを確保する者もいれば、食料となる生ゴミを懸命に集める者もいる。
人間の衣服だって防寒具くらいにはなるし、生産性のない実装石たちにとってゴミ捨て場は宝の山なのだ。
最近では野犬やカラス、実装石対策にネットが被さっているが、彼女らの知能の前には、そんな物は意味を成さない。

そんな中で、後からやってきた成体実装ことミドリは、少ない生ゴミの中から更に選り好みをし、綺麗な野菜屑などを懸命に集める。
家はダンボールを何枚か重ねて雨と寒さへの対策は既にしてある。元々こんなゴミ漁りをする者なのだ、冬の到来焦るタイプでもない。

結局、ミドリがゴミ漁りに参加して十分ほど経ったところで撤退が行われる。
各自ゴミを元に戻していき、荒らした形跡を可能な限り失くし、最後にネットを被せて痕跡を消す。
この作業をなくせばもっと多くの物を得る事ができるかもしれない。しかし、事がバレて本格的な対策を取られたら意味がないのだ。
一匹の行動が全体の評価として返ってくる実装石の世界。だからこそ、彼女らは細部にまで気を回さねばならない。
この間も盲目愛護派の飼い実装に手を出した者おり、その愛護派が餌を撒く事が二度となくなった。
愚かな同族のツケを、彼女らまでも払わなくてはならないのだ。

そうして各自が見張りをしていた実装石に報酬として成果の一部を渡し、撤収の時間となる。
公園までの帰り道は各自バラける事が彼女らの決まり。
仔実装連れの者が一番遠回りをし、古参の者が早く近い道を通って帰る。
幾ら黙っているとはいえ、実装石が何匹も集まれば異臭がするのは防げない。
オマケにゴミ捨て場を漁っていたばかり。万が一発見された時のためのリスク分散だ。

ミドリが出発したのは三番組。コミュニティでもそれなりの地位にいる彼女は、比較的安全に帰路へと着く事ができる。
地位が上がっていったのは他でもない、上位の実装石が死んだからだ。
他に昇格の方法はない。あるとすれば、仔実装連れで来たために自ら地位を落とす事になった者がいる場合か。

そしてそこまで考えを回せる事が、彼女らがただの実装石でない事を示している。
元飼い実装。ペットショップで厳しい躾をされ、飼い主に尽くす様に育てられた固体。彼女らは、その集まりなのだ。
もっとも、そんな献身も報われず、飼い主側の都合で今では公園生活。
中では成体となってしまって可愛くなくなった、などというつまらない理由で捨てられた者もいるほどだ。
しかし、そんな中でもほとんどの固体は何時の日か再び主人の下へ戻る事ができると無根拠に信じている。
それは実装石特有の幸せ回路故か。ミドリも例外ではなく、愛する主人との再会を希望にし、飼い実装には厳しい公園で過ごしてきたのだ。

だからこそ野良生活の中でも誇りを持って過ごしている、
ゴミでも綺麗な物だけを選り好みして食べ、小まめな洗濯と水浴びによって身体を清潔に保つ。
そして道中で主人に会ってもいい様に、水面を鏡として髪型まで整えてきたが、今日もまた無駄に終わったようだ。

もう半年は主人とは会ってないだろうか。
それでも忘れる事ができず、未だに慕い続けている。
自分を育て、愛情を注いでくれた主人の事を。




「ただいまデス。良い子にしてたデスか?」
「ママ、おかりなさいテチ」

ダンボールの家で迎えてくれたのは愛する娘。まだ仔実装なのだが、厳しい躾によって少なくとも糞蟲ではない。
もう一匹は未だ就寝中。彼女を起こさぬように小声で話すあたり、何ともいじらしい事か。
捨てられたから公園で生んだ子だが、それなりには可愛いとミドリも思っている。

初めは九匹居た子も、今ではこの二匹しか残っていない。
他の同族に襲われたのでも、虐待派にやられたのでもない。全てミドリが処分したのだ。
生まれたてでも糞蟲と判別された子が三匹トイレに置き去りにされた。同族食いはしない。
臭いが付くのをミドリは嫌うし、絶対にしてはいけないとブリーダーに教えられたからだ。
そして二日後にはさらに二匹が減った。糞蟲ではないにしろ、知能が足りないと判断されたから。
残ったのは四匹。だが長女はミドリに元主人の事を忘れるように言ったので殺され、三女は洗濯までは覚えたものの、掃除を覚える事ができなかったので殺された。
今生き残っているのは次女のミドと八女のドリー。ミドリの眼鏡に適い、はじめて与えられた名だ。

彼女は子供が愛しいから育てているわけでもない。勿論、食料としても違う。
単純に寂しさを紛らわすためだ。実装石は元々孤独にストレスを感じる種。それに耐えるために、彼女は子を産んだのだ。
性格の良い飼い実装は子煩悩な者が多いが、彼女はそれに当てはまらなかったようだ。
何故なら彼女にとって世界の中心は元飼い主である男なのだ。それが手に入るのなら、他の何もいらないと思うほどに。
だからこそミドリは子供を捨てて元主人の下へ帰るか、それとも主人を諦めて娘たちと公園で暮らすか。そう問われたら迷うことなく前者を選ぶだろう。
こんな性格の彼女も糞蟲と呼ばれるのだろうか。豪華な食事を欲するわけでもなく、ただ主人を思い続ける彼女が。

「今日はあんまり取れなかったデス。でもその分は後でコンビニで買ってくるから我慢して欲しいデス」
「気にする事はないテチ。明日からは私も手伝うテチ」
「私のこれでおなか一杯レチ。ママも無理しなくていいレチ」

やがて親指実装のドリーが起き出し、三匹は食卓に着く。せっかく手に入れてきた野菜屑も、三匹で分ければ一食分にしかならないだろう。
そうなると昼は草木や虫を探して耐えるしかない。
だがミドリは紙幣概念を理解しているらしく、コンビニで食料を買う事を知っている。
以前主人に教えてもらったものだが野良に落ちてからも役立っており、生活に欠かせぬものだ。
と言っても、買う物は何時も決まっている。味が濃く癖になる駄菓子類ではなく、量が多くて安い最低ランクの実装フード。
一度美味しい物を食べてしまえば堕落してしまう。飼い実装になるべく施された躾は、今も彼女の中で生きている。

「ごちそうさまレチ」
「私もごちそうさまテチ。ママ、昼のご飯を探しに行こうテチ」
「そうデスね。一休みしたら、一緒に探しに行くデス」

そして子供たちもミドリの厳しい躾の甲斐もあり、親思いの良い子に育っていた。
流石に二匹のレベルは元飼い実装のミドリには劣るが、それでも十分飼い実装としてやっているレベルまでには向上させた。

賢く優しい娘たちとの暖かい家庭と、平和とも豊かとも言えないがそれなりに充実した生活。
後はそこにご主人様さえ居ればミドリの生活は完璧と、至上の幸福と呼べるものとなる。
だがそれは適わぬ夢。一度捨てた実装石を再び飼う人間はまずいない。

だからこそ、ミドリは今の生活に幸せなど微塵も感じていない。むしろ不幸だと思っている。
ミドリは気付かない。今の自分の生活が、実装石の中では幸福と呼んで差し支えない生活だということを。
世の中の実装石には餌を選り好みなどできず、ただ生きるのに必死だという事を彼女は知らない。
元飼い主を追い続ける限り、彼女が満たされる事は永遠にないのだ。
今の幸せに気付き、現状を受け入れなければ幸福を噛み締める事もできない。
これも実装石の性なのだろうか。現状に満足せず、更なる幸せを求め続ける事は。

「じゃあお昼ご飯を探しにいくデス。ドリーも良い子で待ってるデスよ」
「……行ってらっしゃいレチ」
「そんな顔しなくてもいいテチ。直ぐに帰ってくるテチから」

しばらくの間休んだら、次は昼食を探しに行く時間だ。
不服そうに視線を落とすドリーを宥めつつ、二匹はダンボールハウスから簡易的な扉を潜り外へと出て行く。

公園と言っても空き地に遊具を置いただけの小さな物ではなく、中央にある噴水が特徴のやや大き目の公園だ。
この公園の実装石の生息数は約二百匹前後。人のゴミを手に入れられるのはほんの一握りであり、大半が虫や草や落ち葉などで飢えを凌いでいる。
そしてその噴水を目当てに夏には多くの実装石が集まり、その度に実装石の駆除が行われていた。
公園に来たら噴水一面緑色だったという苦情が多いために噴水の撤去が囁かれているが、ここでは関係ないので省かせていただく。


意気揚々と出掛けていく二匹だが、彼女らが取れる餌など限られている。
人間が捨てる物は競争率もリスクも高いために除外。人間に媚びて餌を強請るのは、元飼い実装の彼女のプライドが許さない。
主人にも媚びる事をしなかった彼女だ。見も知らずの人間にそんな事ができるわけがない。

よって残される選択肢は少ない。
草木を食べて飢えを凌ぐか、それとも虫などを捕獲して食べるか。
だが生憎と季節は冬。付近に虫の姿など見当たりはしない。
よって落ち葉と雑草が彼女らのご馳走となる。
そして一口に落ち葉と言っても味が色々あるらしく、比較的味の良い物を求めて彼女らは彷徨うのだ。

「この辺のは味はイマイチデスけど、家に敷いたら暖かそうデスね」
「じゃあ私がこっちの美味しい方を持つテチから、ママはそっち持ってテチ」

どうやら遠出した甲斐があったようで、ある程度の収穫はあったようだ。
もっとも、ミドが言うようには行かないが。
彼女はまだ体長15cmほどの子実装。持てる量など、たかが知れている。
だからミドには内緒でミドリはミドの担当分の落ち葉を集めているのだが、ミドはそんな事を知る筈もない。
普段は優秀なのだが、母親の役に立っているという達成感からくる幸せ回路が彼女の思考を鈍らせているのだろう。
そうして、二匹は微笑み合って落ち葉を持つと帰路へと着く。長居は無用。家の外はあまりにも危険が多すぎるのだから。

「デデッ!? ミド、急いで隠れるデス!」
「ママー、怖いテチ!」

そんな幸せそうに歩く二匹の前を横切ったのは一人の少年。
歳は小学生中学年程度であろうが、それでも実装石にとって脅威となる。
慌てて近くの茂みに身を隠すが、姿を見られたかどうかは分からない。
青ざめた顔で震えるミドを宥めながら、ミドリは必死になって元主人へと祈った。

「あれ、おかしいな。緑の変な奴がいたと思ったんだけど、まあいいか」

首を傾げ、去っていく少年をよそに、二匹はそっと胸を撫で下ろす。
あの少年はある意味公園では有名な存在だ。自分たちを飼ってくれる下僕として。
少年は公園に来る度に、適当な野良を連れて帰っていった。だからこそ、野良たちは次は自分の番だと期待に胸を膨らます。

だがミドリはそうは思わない。本当に大切に育ててくれるのなら、そう何匹も拾っていかない筈だ。
おそらく虐待派なのか、無邪気故にふとした拍子で殺してしまっているのか。それとも遊び道具として使っているのか。
何れにせよ、元主人以外に飼われるつもりのないミドリには、虐待派と並んで絶対に捕まる事ができない相手だ。

「やっといったデス。ミド、大丈夫デスか?」
「怖かったテチ……あのニンゲンさんは私たちを攫っていくテチ。攫われたら、ママやドリーと一緒にいられないテチ……」

ミドの血涙を拭いてやり、その小さな頭を撫でてやる。
彼女の教育が間違っていたのか、どうやらミドは人間を怖いものとしか認識していないようだ。
いや、正確には幼い頃に虐殺現場に遭遇してしまったのがトラウマとなっているのだろう。
頭の悪い者なら直ぐに忘れてしまっただろうが、それなりの記憶力を誇るミドには無理な話であった。
流石に教育の甲斐あってパンコンはしていないが、こうも怖がるのは困りものだ。

「あっ、ママ! お金が落ちてるテチ!」
「さっきのニンゲンさんが落としてたようデスね……」

そうしていると、泣き止んだミドが道路に横たわる銀色の物体を発見しようで、興奮したように叫び出す。
間違いない。100と書かれた文字が、ミドリにもハッキリと分かった。
ミドリは周囲を窺い、先ほどの子供や烏が居ない事を確認する。

「急いで持って帰るデス! 行くデスよ!」

落ちていたのは百円玉。体長40cmほどのミドリならば簡単に持ち上げられる物。
それ一つではあまり自由に物を買えないが、組み合わせ次第では結構な物に手が届く。
落ち葉の上に硬貨を乗せ、ミドを急かす様にして家へと急ぐ。

ミドリは学んでいた。自分たちを襲うカラスもこういった硬貨を集めている事を。
そして人間もまた、硬貨の価値を知っている事を。もっとも、人間が作った物なのでそれは当然なのだが。
カラスや人間と取り合いになれば間違いなく負ける。だからこそ、取られぬためには急ぐしかない。
慌てて追ってくるミドを尻目に、ミドリは一目散に家へと走った。

「これでまた少し貯金ができたデス。これで安心して冬を越せそうデスね」
「お姉ちゃん大丈夫レチ? 顔真っ青レチ」
「————」

簡易的な貯金箱を眺めて嬉しそう歌を歌うミドリを尻目に、全力疾走は応えたのか、顔を真っ青にするミドの背中をドリーが撫でている。
ミドリは働いているわけでもないため、収入は拾うという完全に運任せとなる。
だからこそ少ないチャンスは確実にものにしなければならない。ミドには少し可哀相だが、ミドのためにもなるのだ。

それから全員で葉っぱを齧り、取って来た葉に包まって昼寝をする。
餌取りも終わった事で、彼女らは他の実装と違って比較的余裕があるのだ。
外に出て無駄に危険に身を晒したり、体力を消耗する事はしない。
遊び盛りであるミドもドリーも誘惑に耐え、大人しくそれに従う。
何故なら彼女らにとって母であるミドリが絶対であり、彼女に従う事が生への道だと理解しているからだ。





「水浴びの時間デス。見つからないうちに急ぐデスよ」
「ママ、私入りたくないテチ。今入ったら凍えちゃうテチ」
「……分かったデス。入るのはママだけデスけど、ミドとドリーも一緒に来るデス」

午後八時半。野良の実装石の大半が寝静まる時間であり、ミドリたちが再び活動を開始する時間だ。
ダンボールハウスから雑巾の切れ端を持ち出し、ミドリは周囲を警戒しながら噴水を目指す。
水浴びと洗濯は同じに行われる。もっとも冬の今では流石に水は冷たく、水に入りたがる実装石は少ないが。

ミドリは噴水にたどり着くと服を脱いでミドに預け、冷水に身を浸らせる。
冬の水場はミドリの想像以上に冷たく、実装石でなくとも体を入れるのは躊躇われるだろう。
だが、ミドリには水浴びをしなければいけない理由があるのだ。

「ママ、大丈夫レチ?」
「ママは大丈夫デス。ご主人様のために、何時も綺麗でなければいけないのデス」

そう言って笑うミドリを、ミドは冷ややかな目で見ている。
ミドにとってミドリは恐ろしいが、それ以上に優しくて頼りになる母親だ。
そんな母がもういない人間の事を思い、こんな事までやっている理由が分からない。
煩い野良がミドリの事を『捨てられた糞蟲』と呼んでいた事をミドは覚えていた。
だからこそ、自分や野良よりも頭の良い母が、未だそれを理解していない事が気に入らない。

ミドリの首元に未だ残る首輪。それは彼女が元飼い実装であった事を示す動かぬ証拠。
これがあれば飼い実装になれると勘違いした野良から命を掛けて守り抜いた物だ。
その甲斐と捨てられた他の飼い実装の多さからか、今では嘲笑の対象となっているが。

ミドは理解している。母はとっくの昔に人間に捨てられ、もう二度とその人間に飼われる事はないと。
だが口に出すことはない。口に出した長女の末路がどういうものだったかを、彼女は覚えているから。
躾の時も冷徹に淡々と教えるミドリが豹変するところをその目で見ていたのだ。
息が荒れ、普段は言わぬ下品な言葉を吐き散らし、原型を留めないほどに娘を痛めつけて殺したミドリの姿を。

水場で雑巾の切れ端で淡々と体を拭くミドリを、ミドは黙って見つめていた。





「それじゃあママはコンビニに行って来るデス。二人とも夜更かししないで早く寝るデスよ」
「いってらっしゃいテチ」

水浴びを終え、次にミドリはコンビニへと向かう。
朝良いものが取れなかったために、そのお詫びとして実装フードを買うのだ。
本来なら限りある硬貨は大事に使いたいところだが、思わぬ臨時収入があったのでこれくらいはいいだろう。


ミドリは電柱の影に隠れるようにしながらコンビニへと急ぐ。
車や人通りが少なくとも、周囲の警戒は忘れない。道路は公園以上に危険が一杯。気を抜けば即死が訪れる世界なうえに、身を隠せる場所も少ない。

そうして時間を掛けてコンビニへとたどり着いたが、駐車場には所々に赤緑の染みが出来ていた。
おそらく同族が託児をしようとしたり、客に餌を強請った結果だろう。

それを見てミドリを顔を歪めた。人間に害を成す行動は実装石全体に返ってくるというのに、なんと馬鹿な事をしてくれたのか。
そんな同族の無謀な行動に腹を立てつつ、ミドリは自動ドアの前に立った。

「あら、今夜もお買い物? ふふっ、いらっしゃい」

そんな彼女を見つけたポニーテールの女性店員が自動ドアを開け、ミドリを中へと通す。
本来は野良実装を店内に入れるのは禁止されているし、飼い実装とて飼い主同伴ではではないと入れてはいけないのだが。

「何時もありがとうデス」
「どういたしまして。貴方も一人で買い物できて偉いわねえ」

ミドリの言葉はリンガルを通して女性店員へと伝わり、店員は嬉しそうに微笑んでいる。
首輪も残っている事もあり、どうやら彼女はミドリの事を飼い実装だと誤解しているらしい。
もっとも、ミドリが野良だと知ったところで彼女の対応は変わらないだろうが。

「そうだ、今日は何かオマケしてあげようか」

その言葉にミドリの瞳が輝く。
だがそれも一瞬。ミドリは悲しそうに首を横に振り、店員の好意を拒絶した。

「遠慮するデス。ご主人様から他人に物を貰っちゃいけないって言われてるデス」
「あっ、やっぱりご主人様に怒られちゃうかな? うーん、残念。でも良い人に飼われてるみたいだし、私が何かしなくても幸せそうだしいいか」

主人以外から物を受け取ってはいけない。元の飼い主が虐待派からミドリを守るために言い付けた言葉だが、野良となった今も彼女はそれを守っている。
残念そうに苦笑しながら頭を撫でてくれる女性店員に感謝しつつ、ミドリは何時もの場所で何時もの物を持ち、レジへと運んだ。

店員の勘違いに心を痛めながらミドリは内心で幸せではないデス、と呟いた。
豊富な餌、実装石とは思えぬ知能、可愛いく賢い娘たち。これだけ揃っても、主人がいない限り彼女は満たされない。

それに、ミドリは知っていた。目の前の優しい店員も糞蟲には容赦がない事を。
以前淡々と同胞の死骸を片付けながら、いらっしゃいと微笑んだ姿は忘れる事はできない。

「はい、それじゃあまた来てね」
「優しくしてくれてありがとうデス」

そう言ってミドリは店員に頭を下げ、身体と同じほどの大きさの実装フードの袋を抱えて店から出て行く。
それは大変な重労働だが、娘の喜ぶ顔と自身のプライドが守れる事を考えれば安い物だ。
ちなみにミドリは釣りは受け取らない。十円や一円玉を彼女は必要としないし、店側への迷惑料の意味合いもある。

それほどまでに賢いミドリが、未だに自分を捨てた飼い主が迎えに来てくれる事を信じている。
何とアンバランスな事か。もう少し馬鹿で愛情を持たなければこんな事にはならなかっただろうに。

そうしてえっちらおっちら夜道ミドリ歩いていると、後方からの煩わしい足音が彼女の耳まで届く。
何事かとミドリが振り返れば、そこに真っ赤な目をして走ってくる男が一人。
その血走った目は尋常ではない。ミドリはとっさに危険を感じ、全力でその場から逃げ出した。

しかし、所詮は実装石。しかも重石を抱えている状態では速度などたかが知れている。
どれくらいの距離が離れているか確認しようとミドリが振り向いた瞬間、冷たい感覚がミドリの顔を貫いた。

痛いどころではない。男のつま先蹴りを食らった箇所からは血が溢れ出し、頭がもげなかった事が幸運だったと思うほどだ。
何故? そんな言葉を口に出す暇も与えずに、ミドリの目の前のアスファルトにビニール袋が叩き付けられる。

「テメェか、俺の袋に仔実装を入れやがったのは!」

広がった赤緑の染みと、頭の割れた仔実装の死骸と糞の塊。
そこに至ってミドリはようやく理解した。要するに、彼女は間違えられたのだ。愚かにも託児を試みた同族と。

「ずうずうしく付いて来なかったのは実装フード貰ったからか。何処の愛護派か知らないが、こんなゴミを可愛がる連中の気が知らねえぜ!」

おそらくは怒り狂って引き返してきた男と、この仔実装の本当の親は行き違いになったのだろう。
そして男の怒りは、コンビニ近くを歩いていたミドリへと向けられる。
男は愛護派でもなければ虐待派でもない。だが食べ物の恨みは恐ろしいのだ。

「クソッ、俺の晩飯はどうしてくれるんだよ! やっと残業終わって帰ってきたらこれだと、人間様を舐めやがって!」

弁解する間もミドリには与えられない。理不尽だ、彼女には罪はないというのに。
人間の迷惑にならないようゴミを漁り、貨幣を用いるまでに至った知能を駆使したというのに。
間抜けな同族の行いのツケを、彼女が払う事になっている。

男の容赦のない蹴りが脇腹に突き刺さり、吐血と共に両目から血の涙を流す。
失った食べ物のためか、鬱憤を晴らしているためなのか、あるいはその両方か。男の暴力には加減などなく、鈍い音と共にもがれた両腕がアスファルトに転がった。

だがミドリもまたここでは死ねない。その脳裏に浮かぶのは二匹の娘の方ではなく、愛する元主人の顔。
何時か必ず来てくれると信じているが故に、こんなところで死ねはしない。

だが現実は非情だ。男の暴力は止まる事なく、既に四肢を失ったミドリに更なる暴力を振るう。
怒りで頭に血が昇っているために、彼女がしているボロボロの首輪など見えていないのだろう。

意識が朦朧としていくなかで、彼女は考える。こんな醜くなっては、ご主人様に会えないと。
再生が終わるまではご主人様に会わないようにしなければ。血で汚れてしまった服を早く洗濯しなければ。
そうしなければ、ご主人様に嫌われてしまう。

捨てられてなお主人を思い続ける彼女は、一体何が悪かったのだろうか。
主人に異常なまでに固執した事か。実装石とは思えぬほどの知恵を回した事か。夜中にコンビニに来た事か。
それとも、愚かな同族が託児という浅ましい行為のせいだろうか。コンビニの駐車場にあった真新しい染み。
何時もの事であるのでミドリは気にも止めていなかったが、こんな形で自分に帰ってくる事になるとは。

「デ……ス……」

最早まとまな言葉すら発せないほどの傷。幾ら再生力に優れた実装石とはいっても、偽石に掛かる負担は大きい。
もしミドリが今も主人を思っていなかったら。もしも今日コンビニに出向かなかったら。もしも、他の実装石が託児を行っていなければ。
しかしそれは無意味な仮定。今現在こうして死に掛けている事が全てだ。

同族が良い事をしても悪い事をもしても、それらは固体にではなく種族に帰ってくる。
毛色や種で見分ける事のできる猫や犬と違い、人間では固体の差が分からない実装石だからだ。
幾ら善良な実装石がいようと、幾ら真面目に生きていようと、彼女らの命は理不尽に奪われる事が多い。
それが実装石という種の宿命なのだろう。どんなに賢くとも、決して逃れられぬ血の鎖。

苦しげに呻き声を上げたその時に、ミドリの偽石が音を立てて砕けた。
肉に食い込む男の蹴りが、運悪く彼女の偽石に触れてしまったからだ。

そんな報われない最後だというのに、ミドリの脳裏に浮かぶのは愛する主人の顔。
最後にご主人様が迎えに来る幻覚すら見ることができなかったミドリは、苦悩の表情すら分からぬほどグチャグチャになった顔のまま息絶えた。

絶望を思うこともないまま、最後まで主人の事を思いながら。
今の幸せに気付かず、貪欲に更なる幸せを求めた彼女は、やはり実装石だったのだろう。
従来の実装石が何処までも付け上がるように……彼女もまた、実装石だったのだ。



昔書いた奴のデキがあんまりだったので書き直してみました
見直したつもりですがやっぱり誤字脱字があるかも……
とりあえず言われたところは修正した筈
昔っからテストの時とかに見直してこれで完璧とか思ってると絶対凡ミスする子でした

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1 Re: Name:匿名石 2024/11/30-05:35:49 No:00009418[申告]
生きている限りずっと人間に愛されたいけどそれが叶わない
そんな実装石の悲哀が好きです
2 Re: Name:匿名石 2024/12/02-00:21:40 No:00009419[申告]
初めて見たけどこれは力作だ
不運だったが生きていても報われる事は無かったんだろうな
幸せを目指しても決してそこに到達できないのが実装石の美しさだ
3 Re: Name:匿名石 2024/12/02-04:48:39 No:00009420[申告]
元飼い主を想い執着する事を侮蔑されていたミドリだが彼女が賢く振る舞えていたのは縋るモノがある故の気高さだったのかも知れない
慰み物として産まれた仔も疑問をそっと腹に抱える賢さはその母由来だし結局はミドリに頼らないと生きてはいけない
そんな歪んだ依存の連鎖もあっさり潰える実装達の儚さが魅力的な作品だった
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