タイトル:【虐】 繋いだ手
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初投稿日時:2007/03/22-23:04:12修正日時:2007/03/22-23:04:12
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繋いだ手


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「デヂヂ・・・ヂャヂャヂャ・・・」


みりみりと肉の裂ける音が響く。

植木鉢の中に敷き詰めた落ち葉と枯れ草の上で仔実装は赤く染まった両目から涙を流し、
苦悶の声を必死にかみ殺す。
大きな声をあげてはいけない・・・そうしたら御主人様に気づかれてしまう・・・。

時折に逃げ出してきた自分を探しているのか、御主人様らしきニンゲンがこの隠れ家の
ある草叢の周囲をうろつく事はあるが、まだ見つかってはいないようだ。
しかし、油断は出来ない。


「デヂヂ・・・デヂヂ・・・」


苦しいテチュ・・・死んじゃうテチュ・・・。

このまま自分は死んでしまうのではないか、苦痛の一色に染まってゆく意識の中で
仔実装は過去を思い出す。

あれからどの位経ったのだろうか?
公園に暮らしていた自分達家族を目の前で惨殺され、なす術も無く捕らえられた
仔実装を待っていたのは『御主人様』と名乗った男による虐待の日々だった。

庭の温室の中で繰り返された様々な行為は思い出したくも無い恐怖と苦痛を未だ
仔実装の中に刻み付けたままだ。


『よかったなぁ、オマエは妊娠したんだぞ』
『わかるか? ママになったんだよ』
『これからは親子共々、いつだって一緒に遊んでやるからな』


そう告げたあの時も男は嫌な笑いを浮かべていた。
目を細めた笑いの表情なのに、どこか不自然な偽物めいた笑顔。
そうして喉の奥で笑う様子が仔実装には何よりも嫌いだった。


「ヂャヂィィ・・・ヂャアアア・・・」


ママは負けないテチュ・・・絶対頑張るテチュ・・・。

ふと頭によぎった男の言葉に、仔実装は手放そうとしていた意識を再び取り戻す。
仔実装は身体を仰け反らせ、手を突っ張って力を込める。もう少しだ。

御主人様の手で足の間の大事な部分に痛い事を何度も繰り返された後、両目が緑となった
自分の姿を鏡で見せられて妊娠の事実を告げる御主人様の言葉は、生き残る事すら諦めて
いた仔実装に逃走を決意させた。

お腹の中にいるこの子を自分と同じ様に、御主人様を嫌な笑顔で笑わせる為だけに
苛められる存在として生まれさせる訳にはいかない。
自分と姉達を守る為に両手を広げ、どんなに殴られても蹴られても最後まで御主人様の
前に立ちはだかった母親が示してくれた様に、生命を賭けてでも生まれてくる子供を
守りたかった。

受胎告知から日に日に大きくなってゆく腹を庇いながら機会を窺っていた仔実装は
留め金の外れていたケージを抜け出し、開いたままのドアの隙間から外へ出ると高い
塀伝いにひたすらに逃げ続けた。
やがて辿り着いた深い草叢の中、打ち捨てられていた割れた植木鉢に隠れ住みながら、
仔実装は自分一人で子供を産み落とそうとしているのだった。


「ヂャアアア!!」


やがて、ばりり、と一際大きな肉の裂ける音と共に最も大きな激痛が走り、たまらず
仔実装は体内を逆流した血と悲鳴を吐いた。
同時に胎内から下半身を引き裂くように緑色の粘膜に包まれた子供が産まれ出でる。

ともすれば意識を失いかねない状況の中、仔実装は必死に意識を繋ぎとめると裂けて
動かない下半身を引きずるように這い、もぞもぞと動く我が子を弱々しくも抱きしめた。


「テチ・・・テテチ・・・」


頑張るテチュ・・・ママは頑張るテチュ・・・。

大量の血を失い、体力の消耗と痛みとで今にも死亡しかねぬ状況にも関わらず、仔実装は
懸命にその粘液を舌で舐めとり始める。

こびりついた緑色の粘液は胎内にいる時はその強力な消化酵素から胎児の身を守る役目を
成すが、産後は逆に子供の呼吸を遮る事となる。出産後数分はまだ肺呼吸に切り替わらぬ
為に猶予があるが、早急にこの粘膜を落として肺呼吸と皮膚呼吸を確保してやらねば、
窒息死や呼吸困難を原因とした発育障害を起こしかねない。


「レチィィ・・・レチュアアア・・・・」


母親に教えられた記憶に従い、まずは顔の辺りを舐め取ると子供は大きく息を吸い込み、
呼吸が肺に切り替わる痛みに弱々しく産声を上げる。

大きな頭とは不釣合いに小さな身体・・・産まれた子は親指実装の特徴を備えていた。
通常ならば仔実装と呼ばれる段階なのだが、その発育段階にある幼体を強制的に受精
させて生まれる特殊な幼体だ。


「テッ・・・テエエッ!」


ダメ、泣いちゃ駄目テチュ! ニンゲンに気づかれちゃうテチュ!

仔実装はかつて母や姉達に叱られた時のように我が子を諭そうとするが、生まれたてで
まだ自意識の定まらぬ親指実装には言葉など無意味な事だ。

抱き上げてあやそうにも子守唄を歌って眠らせようにも、今の死にかけた自分の身体では
そんな事が出来る筈もない。
何より身体に残る粘液を取り除いてやらねばその子は手足を使う事ができなくなり、一生を
這って過ごさなくてはいけなくなるのだ。


「・・・テチィ」


・・・許してテチュ、これはお前の為テチュ。

考えた仔実装は家の中に運び込んでおいた食料の中から、筒状になった植物の茎を取ると
親指の口にそれを捻じ込む。
親指は身体をのけぞらせ、げぇ、と喉の奥で鳴いた。

突然の事と滲み出る青臭い苦味に親指実装はそれを吐き出そうとするが、自分の口の
サイズとほぼ等しい太さを喉の近くまで押し入れられていては舌を動かした位では
どうにもならない。
息は出来るが、舌の動きを邪魔されては親指の甲高い泣き声は音にならなかった。


「テチュウ・・・テチュウ・・・」


我慢してテチュ、ママも頑張るから・・・もう少しの辛抱テチュ・・・。

茎の先から声にならぬ泣き声を上げて暴れる我が子の身体をしっかと押さえつけながら、
瀕死の仔実装はその身体の粘膜を舐め取り続けた。


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草叢の中に隠れ住む生活は決して楽ではなかった。

見つからぬように、気づかれぬように・・・と息を潜めるのが常だった。
そこには親子らしい会話や暖かな生活というものは無い。
何よりも御主人様に発見されあの温室に連れ戻される恐怖感と、母親として子供を
守り育てるという責任感、その二つが仔実装を支配していたのだ。

小声で最小限の言葉だけを交わし、それ以外はただ黙して暮らすのみ。
ここでは普通の母親達がそうしているように子供と歌ったりはしゃいだり、外で自由に
遊ばせるなんて事は望むべくもない。
会話も笑顔もないそんな乾いた生活の中、親子らしい触れ合いと言えば黙している間中、
仔実装は親指と手を繋いでいた事だった。

植木鉢の中で隠れている時も、食料を探しに行く時も、寄り添って眠る時も。

言葉がない代わりに、親子はしっかとその手を繋いでいた。
それが唯一の、親子らしい繋がりだったのかもしれない。


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「レッチュウ!」


ママ、あの緑のおいしそうレチュ!

ある日、食料を探しに行った先で親子はここにはありえない物を見つけた。
決まりを破って思わず声を上げてしまった親指を叱る事も忘れ、仔実装はそれを見るなり
身を強張らせて周囲を見回した。

なんでこんなものが・・・!
これはこんな場所に落ちてはいないものなのに!

それは銀色の皿に盛られた緑色をした小さなクッキーの山。
離れているのにここまで甘い臭いがふわんと漂ってくる・・・実装の食欲をそそる
香料がふんだんに使われた実装フードだ。
それも普段与えられる安物の不味さを際立たせるために男が仔実装に最初の食事として
与えた最高級のものである。


「レチュウゥゥ・・・」


おいしそうレチュ・・・。

親指が口元に垂れた涎を拭う。
頭の芯が痺れ、引き寄せられそうになる衝動を必死で我慢すると、ふらふらと近寄り
始めた親指の手を引いてその場を離れようとする。

あれは罠だ、御主人様が自分達を誘き出すために置いたのに違いない。


「レッチュ、レッチューン♪」


ママ、早くあれを食べるレチュ、きっとおいしいレチュ。

親指は半ば正気を失ったとろんとした目で実装フードに近づこうとする。
生まれてから今まで親指実装が口にしたものといえば仔実装の出す僅かばかりの母乳に
雑草を仔実装が噛んで柔らかくした苦い食べ物だけだ。あんなにおいしそうな匂いが
するものを鼻先に置かれてはとても我慢する事は出来ないだろう。


「テッチュ、テッチィィ!」
「レチュア、レチャチャアアー!!」


逃げるテチュ、ニンゲンに捕まっちゃうテチュ!
離すレチュ、おいしいの全部食べるレチュ!!

親指は身をよじり、母親の制止を振り切ってでも実装フードに近づこうとする。
罠である事を説明したとしてもこの状態ではとても無理だ、あの匂いで食欲ばかりが
大きくなってしまってまともに話を聞ける状態ではない。

何より今はこの場から逃げて身を隠すことが先決だ。
あの匂いから遠ざけて静かにさせなくては御主人様に気づかれてしまう。


「レチャァァァ!!」
「・・・テッ?」


離すレチィィィッ!!

その時、仔実装が小さく悲鳴を上げた。
小石に躓いてすべったはずみに、親指の手がするりと抜け出てゆく。
つんのめった仔実装の手が宙を掴み、実装フードに齧りつく事以外には考えられなく
なった親指はフードの山に突進すると頭から潜り込んだ。
まだ歯も生え揃わぬ口でその一つに齧りつくと半生の表面が舌の上で溶けて崩れ、
頭の中がどろどろになってしまいそうな甘味へと変わる。


「レッチューン♪ レッチューン♪」


おいしいレチュ! おいしいレチュ!

その瞬間、それまで親指実装を取り囲んでいた沈黙と隠遁で形作られていた無味乾燥の
世界が激変する。
初めて感じた感動は声と涙となってその小さな身体から溢れ出た。
その喜びを母親との生活では在る事すら忘れていた声と感情とで表現し、親指は実装
フードを何度も噛み締める。

食べるレチュ、舐めるレチュ、くちゃくちゃするレチュ!
おいしいレチュ、もっともっと食べたいレチュ!
気持ちいいレチュ! 気持ちいいレチュ!

手当たり次第にフードを一口齧っては捨て、また新しいものに手を出す。
親指は食欲を満たす快楽に酔い、ただひたすらに狂った。


「テチュウウウッ!」


逃げるテチューッッ!

その時、食べる行為以外の全てわからなくなる程の快感の中、親指は自分の腹の下で
鳴ったかちりという機械音に気が付かなかった。
倒れた拍子に頭を打ち、ほんの数秒だが気を失っていた仔実装が叫び、駆け寄った時
には既に遅かった。

実装フードが盛られた皿の底から噴き出した白い煙が親指をたちまちに昏倒させていた。
煙の発生は長くは続かなかったが、近づきすぎた仔実装にも効果を発していた。
吸い込んだ煙の効果で身体が痺れ、地面に転がったままで動く事も出来ない。
朦朧とする意識の中でなんとか我が子の元へ行こうと手足を動かすが、その先端は力なく
地面を掻くばかり。


「テ・・・テチ・・・テテテ・・・」


待ってるテチュ・・・ママが助けるテチュ・・・。

わずかに声は出たが、痺れた舌も顎も涎を垂らしてかくかくと動くばかりで形にはなら
ない。
仔実装の願いも空しく、親指は実装フードの山に突っ伏したままでぴくりともしない。
やがて親子の上に影が落ちると二本の手が伸ばされ、持ち上げられた。
それぞれに服の襟首を摘まれ、だらりとぶら下げられた仔実装と親指。


「久しぶりだな、まだこんな所でウロウロしてたのか」


そういって男が笑顔を浮かべた。
目を細めたにこやかな笑顔ながら、どこか貼り付けたような不自然さを感じるその
表情・・・見つかってはならない人間の手に落ちた事実に、仔実装は最後まで
離すまいとしていた意識を思わず手放した。


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「・・・レチィィィ、レチャアアア!!」


遠くで親指の泣く声が聞こえる。
泣いちゃ駄目テチュ、泣いたらニンゲンに気づかれちゃうテチュ。


「レェェェ、レチャアアア!!」
「テ・・・テチィィ・・・」


待ってるテチュ、ママが行くから待ってるテチュ。

暗闇の中、仔実装はもがいた。鉛のように鈍い手足をなんとか動かし、その泣き声の方へ
近づこうとした。
その度に全身に鈍痛が走るが構うことは無い、あの子の所へ行ってやらなければ・・・。

その時どこかで、ぱちん、と音がした。


「テビャアア!」
「レチィィィ!!」


仔実装の悲鳴に、親指も我が事のように悲鳴を上げる。
同時に背中に走った鋭い痛みに仔実装は一瞬で意識を取り戻し、全身を仰け反らせて
テーブルの上を転がりまわる。

飼い主である男に再び捕まった仔実装を待っていたのは『躾』と称する過酷な折檻
であった。
一時間余りに渡って長々と続いた折檻により、裸にされた仔実装の全身には傷や痣が
無数に散らばっている。
長い栗色の髪や緑の服は既に無い。
逃げ出した罰として飼い主である男によって無残に毟り取られ、跡形もなく焼かれて
しまったのだ。


「まだまだ元気のようだな・・・もう一度どうだ? ぱっちり目覚められるぞ」
「ヂャアアア・・・テヂィィィ・・・」


許してテチュ、『ぱちん』は許してテチュ御主人様・・・。

のたうつ仔実装に男が小さな金属の箱を再度近づけると仔実装はいやいやをしながら
後ろに下がってゆく。

「ぱちん」は仔実装にとっては唐突に訪れる恐怖の象徴そのものだった。
続く辛い日々に疲れ果て、泥の様に眠るしかない仔実装を男が虐めに来た際、起きて
いなければ否応無しにこのとびきり痛い「ぱちん」という音によって目覚めさせられて
きたのだ。

それは古いガスコンロに取り付けられていた電子着火装置である。
圧電素子に衝撃を与える事で瞬間的に電圧を発生させ、それを端子部分から火花として
放出する事で点火を行う部品で、かつてはライターに使われる小型の物がちくりとした
痺れを与える玩具として販売されていた時期もある。

ライターのものは静電気に触れた程度のわずかな痛みしかないが、ガスコンロに使われて
いたこれはその玩具の数倍の電圧を発生させる。

その威力は蜂に刺される痛みによく似ている。
ただ単純に刺されるというよりは、突き刺された痛みに痺れたその傷口を更にギザギザに
裂かれるような感覚、とでも形容するべきだろうか。


「レチャアアア、レチャアアーン!」


ごめんなさいレチュ、約束破ってごめんなさいレチュ、本当に悪い子だったレチュ!

背中をぶつけて止まった仔実装の背後、水槽の中で親指が目に涙を浮かべながらガラスを
叩いていた。
きっと長い事そうしていたのであろう、その両手が赤く腫れ上がっていても親指実装は
ガラスを叩く事を止めようとしなかった。


「レチャアアア、レチャアアーン!」
「テ、テチュウ、テチィィ!」


ごめんなさいレチュ、約束破ってごめんなさいレチュ、本当に悪い子だったレチュ!
だ、大丈夫テチュ、ママがすぐに助けるから・・・待ってるテチュ!

約束を破った上、母親の手を振り払ってしまった事を親指は後悔していた。
謝っても謝っても後悔しきれない。大好きなママはこんなに近くにいるのに、この透明な
ものに遮られていつものように手を繋ぐ事も出来ない。
離れ離れになってしまったのは自分のせいなのだ。
あの時にママの言う事を聞いて我慢してあの場所から離れていればこんな事にはならな
かったのに・・・。


「・・・テッ! ・・・テチッ! ・・・テッ、テチィ!」
「おいおい、そんなザマでどうやってそいつを助ける気だ?」


おぼつかない足取りでガラスを全力で押し、叩き、助走をつけての弱々しい体当たりを
繰り返す仔実装に男が訊ねた。

そんな事は分かっている。以前にこの男に捕まって閉じ込められた時、放り込まれたこの
場所から逃げ出そうと色々な事を試したのだ。
しかし、どの方法を何度繰り返した所で水槽からは自分一人の力では到底出る事も傷一つ
付ける事も出来なかった。
そんな事は骨身に染みて分かっているのに・・・。

どうしようもない現実の前に仔実装はぽろぽろと涙を零す。
もう少し時間が経って親指が大きくなったら、親子して安心して暮らせる場所を探しに
ここを出て行こうとしたがそれももう終わりだ。


「・・・テチャア、テチュアア!」


・・・どうして・・・どうして放っておいてくれないテチュ!

何度目かの体当たりの後、弾き返されてテーブルの上に転がった仔実装はよろよろと立ち
上がり、精一杯の勇気で男に問うた。

ワタシ達は親子で暮らしたいだけなのに。
騒いだりしないでずっと静かに隠れてるだけなのに。
御主人様にはなんにも迷惑かけたりしてないのに。

心の中にある疑問はすぐさま言葉になって吐き出される。
溢れてくる言葉はそれだけに留まらず、感情の高ぶりで饒舌となった仔実装の口から
次から次に溢れてくる。
それは抗い様の無い理不尽に対するせめてもの抵抗だったのかもしれない。


「なんとなくさ」


仔実装の言葉を断ち切るように男が言った。
繰り返される仔実装の言葉に、男が呆れたように漏らした溜息が返答そのものだった。

男はこの仔実装のこういう青臭くて小賢しい部分が嫌いだった。
逃げ出した仔実装が親指を産み、庭で必死になって母親ごっこをしている様子は、それに
気づいて仕掛けておいた監視カメラの映像から知っている。
それを今まで半月近く放っておいたのは単に男の気まぐれだ。
そしてわざわざ罠で捕らえたのも、こんな問答を許しているのも。


「そして、お前らの都合なんて俺にはどうでもいいって事だ」
「テチャアアアア!!」


男が手を伸ばしてくると仔実装は悲鳴を上げた。
それは男の手に掴まれる事への恐怖であったが、その叫びは途中から意味を変えた。
持ち上げられた男の手は仔実装ではなく、水槽の中の親指実装を摘み上げていた。


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「レチャアアア!! レビャアアア!!」
「テチュアアアアーッ!!」


今までの生活ではありえない高さに持ち上げられた親指は泣き叫びながら手足を振り
回し、男の指から逃れようとする。もし男の指先がすべる、あるいは気まぐれに開いたと
すれば親指の身体は落ちて叩き付けられる事になるというのに。

男の手が下がり、仔実装の頭上に移動した。
爪先立ちした所で必死に手を伸ばす親指の身体に触れるにはわずか足りない。
その距離を埋めるために飛び跳ねていた仔実装がバランスを崩して転倒すると、眼前に
まで迫っていた親指の身体は再び手出しの出来ない高さへと持ち上げられてゆく。

ほんのわずか、母親の元に戻れると期待していた親指は遠ざかってゆく仔実装に向かって
手を伸ばし、より激しく泣き喚いた。


「レェェェン、レヒャァァァン! レチャアアアン!!」
「・・・ママの所へ戻りたいかい?」


口元に薄ら笑いを貼り付けた男が囁いた。
途端に親指はぴたりと泣くのを止め、目をしばたかせると何度も頷いてみせる。


「テチィィィ、テチィィィィッ!!」


駄目テチュ、そのニンゲンの言う事を聞いちゃ駄目テチュ!

親指の様子に仔実装は叫びを上げる。
あの笑いをしている御主人様が普通にそんな事をしてくれる筈は無い。なにか酷い事を
企んでいるとしか思えないのだ。

だが、男が親指の背後にもう片方の手で指の輪を作って近づけると仔実装は黙らざるを
得ない。
あの形にした指の一撃を仔実装は何度も経験している。
お仕置きに使われるあれで叩かれると目の前にちかちかしたものが見えて簡単に気を
失ってしまう威力なのだ。
自分より小さな親指なら、あれで叩かれたら死んでしまうかもしれない。


「レチュッ、レチィッ!」


戻りたいレチュ、ママにギュッと抱っこして欲しいレチュ!

親指は男に必死に訴える。
自分に害意を抱いている人間の誘いに乗るという事、それがどれだけ危険かという事を
理解せずに自分の本心を晒してしまう。
幼きゆえの純粋さ単純さであった。


「なら簡単だ、これから何があっても頑張ってガマンするんだ。それが出来たらママの
 所に帰してやろう」
「・・・レチュッ!」


・・・約束レチ、またママに抱っこしてもらうレチュ!

親指が緊張した面持ちで頷く。
男は、ああ、と答えると親指の身体をテーブルの上に用意された作業台の上に下ろした。


「テヂャアアアアアア!!」


途端に叫びが仔実装の喉を衝いた。
親指がその上に乗せられた意味を理解した途端、仔実装は叫び声を上げながら作業台に
突進し、自分の身長ほどあるそれによじ登って親指を奪い返そうとする。

仔実装の脳裏に最も鮮明に、最も恐ろしかった記憶が甦る。
あの作業台の上に縛り付けられ、男が行った『手術』によって何度身体を滅茶苦茶に
されたか分からない。
あんな事をされたらあの子は間違いなく死んでしまうだろう。


「・・・ッッテチュウッッ!」
「レチュウウ!!」


・・・は、早くママと逃げるテチュ! 絶対に死んじゃうテチュ!
ママー!!

仔実装の両手が上半身を作業台に引き上げた所で男はその後頭部に近づけた着火装置の
ボタンを強く押し込んだ。


ぱちん。
「ヂャビャアア!」


触れ合う寸前の親子の手がお互いに宙を掻いた。
悲鳴を上げた仔実装の身体はびくりと身体を仰け反らせ、テーブルの上に転げ落ちる。


「レチャァァァァァー!」


親指もそれを追うように下を覗き込もうとするが、バランスの悪い体型ゆえに転落を
予測した男の指に遮られ、作業台の上に仰向けに転がされた。
それだけで親指実装は自力で起き上がる事が出来ず、行動不能となる。

感電と転落の痛みにのたうち回って尚、再度作業台に挑もうと這いずってゆく仔実装の
背中に着火装置を押し当てると男は続けてボタンを押した。


ぱちん、ぱちん。
「テビャア、テビィィィ!!」


神経に直接刺激を与える電撃の痛みに仔実装はその手足を痙攣させて身を仰け反らせる。
麻痺を起こした筋肉は仔実装の意思に逆らって誤動作を起こし、身体に備わる様々な穴
から体液や排泄物を垂れ流す。


「レェェェッ! レチィィィッ!!」
「テテ・・・テ・・・チィィ・・」


仔実装の様子を声のみでしか知れぬ親指が不安さから激しく母親を呼ぶ。
男は仔実装の身体を摘みあげると手近にあったガラス瓶に放り込み、それを道具を納めた
小さな引き出しの上に置いた。
男の正面に位置し、作業台を見下ろすような位置にある。


「お前はその特等席で見学してろ・・・おっと、応援だろうが悲鳴だろうが、いくら
 でも声は上げて構わんが、それ以外の妙な真似をするなよ」


そう言いながら男は引き出しから幾つかのケースを取り出すとその中身をトレイの上に
並べる。

それは無数の手術道具だった。それも先端の部分がやけに小さい。
男が仔実装を責める為にその小さな体型に合わせて作らせた特注品ばかりだ。
メスに始まり、様々な形状の道具が並ぶが、中には使用目的が見当もつかない形状の
ものも幾つか見受けられる。
それは常人には理解しがたい妄想の産物であろうか。

男の手がテーブルの端に取り付けらたスイングライトのスイッチに触れると眩しいばかり
の白い輝きが作業台の上の親指を照らした。


「おとなしくしてるんだ、これが終わったらちゃんとママの元へ返してやるからな」


これから始まる事への言いようのない不安からしきりに周囲を見回す親指に男は優しく
語り掛ける。
その震える身体にそっと片手を沿え、ピンセットで丁寧にそのミニチュアのような
緑の服を剥がして裸にすると作業台に横たえ、そこから無数に生えた細いゴムバンドで
その身体を大の字に固定する。


「・・・レチュウ、レチィィ・・・」


・・・ワタシは絶対我慢するレチュ、だからママも助けて欲しいレチュ・・・。

心の中にある罪悪感が親指にそんな言葉を語らせた。
捕まってしまったのは自分のせいだから、なんとかしなきゃならない。どんな事をされる
か判らないけれど、ママも助かる為ならそうしなきゃ・・・。


「ああ、いいともいいとも」


男は頷き、気軽に答えると手にした二本の針を無造作に親指の両肩に突き刺した。


「レチャアアアアア!!」
「ほら、我慢我慢・・・ママの所へ帰るんだろう?」


まるで子供に諭すような言葉に親指は必死になってその悲鳴を飲み込むと、その様子に
男はあの偽物めいた笑顔を浮かべた。
その針とコードで繋がった測定機器のスイッチを入れると、そのモニター画面は電子音と
共に親指のバイタルサインの表示を始める。

男は時計の修理などに用いられるアイルーペを取り出すとそれを片目に嵌め、トレーの
上からメスを取り上げた。


「いい子だ・・・ちゃんと出来たらママと一緒に外へ逃がしてやる、頑張れよ」
「レヒィィィ・・・」


照明を受けてぎらりとする刃の輝きに親指は引きつった声を漏らす。
初めて見る道具の持つ禍々しい様子に、親指はようやくこれから自分がどんな事を我慢
せねばならないかをおぼろげながらに理解したのだ。


「レチレチレチ・・・レレレ・・・」


親指は震えてかちかちと生えかけの歯を鳴らす。
何度も「ママ、助けて」と繰り返したが、うまく言葉にはならなかった。

怖くて逃げ出したい、でもママの為にも逃げられない。
小さな脳内を満たした相反する感情がぶつかり合い、なんと呼んでいいか分からないこの
複雑な感情に親指は混乱し・・・そして笑った。


「・・・レレレ、レッチュウウウン♪」


・・・ニンゲンさん、優しくして欲しいレチュ・・・。

親指にも自分が何を口走っているのかは理解できなかった。
自分でも感情の波を制御できず、涙を流しながらも精一杯に笑いを作ってみせた。
固定されて動かぬ首と右手が自由ならばきっと口元に手を当て、小首を傾げる仕草をして
みせた事だろう。

生死の境に立たされて尚、笑い、媚を作って人間にすがろうとする・・・それは実装石
としての性なのか。


「ああ、いいとも。優しくしてやろう」
「レッチュウン♪」


男の言葉に親指は一声鳴くと安堵の表情を浮かべた。
呆けたような、どこか焦点の合わない様子となった親指の身体からくたりと力が抜け、
宙を見上げたまま、調子外れなリズムで何事かを呟き始める。
眠る前に仔実装が小声で歌ってくれていた実装石に伝わる子守唄だった。


「ではスタートだ」


親指の願い通り、男はその身体に優しくメスを滑らせた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


仔実装は絶叫し続けた。

男の手が動く度、我が子の身体が徐々に破壊されてゆく。
その度に温室内に響き渡る甲高い悲鳴に耳を塞ぐ事も出来ず、ただその身を案じて
ガラス瓶の内壁を叩き、狂わんばかりに鳴き続けた。

男は室内に悲痛が満ちる様子に満足し、様々な道具を持ち替えながら己のイメージ
する『手術』を繰り返す。
この行為自体に目的はまったく無い。
内臓にある病巣を取り除く為でも、その身体構造を理解する為の解剖という訳でもない。
対象となった親指実装を思うままに切り裂き、その反応を観察するだけだ。

その為におぞましい用途に作られた手術道具の一撃がその小さな生命への致命傷とならぬ
よう、精密機械を扱うように片目に嵌めたアイルーペで覗き込みながら、慎重に丁寧に
身体を弄り、重要な臓器をきずつけぬように徐々に徐々に末端から破壊してゆく。

男は時折に、その様子を眺める目を切り替える。
傷口の悲鳴を見るアイルーペの側から、苦しむ仕草と表情を見る閉じていた片目に。

『手術』の生む苦痛に親指がその身を捩り絶叫し、身動きを封じている拘束から抜け
出してなんとか逃げ出そうと足掻く様を眺めながら・・・そして笑うのだ。
あの偽物の笑顔ではなく、本物の笑顔で。
まるで子供が悪戯に熱中しているかのような、そんな表情で。

数分に一度、親指に繋がった測定機器が耳障りなアラーム音を鳴らす。
同時に数値を赤く染めて警告を表示すると、男は迷う事無く注射器に満たされた金色の
液体を親指に注入する。それも頭部にある偽石に直接作用させる為、親指の赤い右目に
突き刺し、その奥深くで薬液をぶちまける。

そして顔を近づけて優しく、こう囁くのだ。


『ママの所へ帰るんだろう?』


それは薬液の効果なのか、母親への思慕なのか。
それだけで生命危険の値を示していたバイタルサインは数秒を経たずして急激に回復し、
弱々しくなっていた苦痛の叫びも肉体の反応もまた男の嗜虐心をくすぐるように大きな
ものへと復帰する。

その度に仔実装はただただ絶叫した。
親指が息を吹き返した事に感謝しながら、親指がもうこれ以上苦しまないようにと死を
望んた。
時折に男が顔を上げ、こちらに視線を向けられる度に仔実装は必死になって「自分が
身代わりになるから」とガラス瓶を揺らして叫んでみるが、男はまた何事もなく顔を
伏せて『手術』に没頭してしまい、相手にしてはくれない。

あの片耳についた機械でワタシ達の言葉が分かる筈なのに。
どうして・・・? ワタシの声が聞こえないの?

殊更大きな声を上げ、ガラス瓶を叩いても男はまるで反応しない。
仔実装は無力感を噛み締めながら、無駄な事だと理解しながらもそれを繰り返し続ける。
そうする以外には出来なかったからだ。

それからしばらくして。
男はメスをトレイの上に放り出すと大きく息を吐いて椅子の背もたれに深く身を投げ
出す。
ようやく『手術』が終了したのだ。

それは親指の身体に手術道具が触れていない箇所が無くなった・・・いや、男の手に
よって破壊されていない箇所が無くなったという事を意味していた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「テチィィィッ! テチャアアアアアッ!」
「・・・レチ・・・レチュ・・・」


ガラス瓶から解放された仔実装が我が子の身体を揺する。
同じ様に拘束具から解放され、無造作に作業台の上に転がされている親指に蒼白となって
呼び掛けるがその反応はあまりにも薄い。

服も髪も失った全身は傷だらけで、あちこちが不自然な程に歪んでいた。
欠け、えぐれ、穴が開き・・・四肢こそ残っているがおおよそ生きていられるような状況
ではなかった。
成体と比較してその脆弱さばかりが目立つ親指実装を殺さず、その小さな身体をここまで
切り裂き続けた男の偏執的な集中力は如何程のものなのか。

男はその約束どおりに耐え続け、生き残った親指実装を母親の元に戻した。
『手術』が成功し、それに満足して一種の虚脱状態に陥った男にとっては死にかけて反応の
薄くなった親指にも、煩いほどに泣き叫ぶ仔実装にも興味は薄れている。
紫煙をくゆらせながらその寸劇のような様子を気だるげに眺めているだけだ。


「・・・レチ・・・レッチ・・・」


ママ・・・どこレチ・・・寒いレチュ。

親指の手がゆるゆると宙を掻き、母親を求める。
注射針で潰された赤い目だけではなく、もう片方の緑の目もえぐり取られ、視力は既に
失われている。


「テッチュ、テッチュ」


ママはここにいるテチュ、もう心配ないテチュ。

仔実装が今にも落ちてしまいそうなその手をしっかと両手で挟み、安心させるように
呼びかけると親指は顔をこちらに向けた。
そのずたずたになった表情はどうやら笑っているようだった。

親指の血液の喪失は今も続いている。
まだ閉じぬ無数の傷から溢れる血と体液に塗れ、弱々しく鳴く親指の様子はいかに
生命力の強い実装石の幼体だったとしても余命はそう長くはあるまい。
それは仔実装にも分かっている筈だ。


「テッチュウ! テッチ、テッチュー!!」


お願いテチュ、御主人様!
さっきのおクスリをください、このままじゃこの子が死んじゃうテチュ!

もう声を掛けても身体をさすっても親指の反応が徐々に無くなってゆく様子に、どう
しようも無くなった仔実装は男に向かって叫んだ。
男があの筒に入った薬を押し込むだけで今にも死にそうだったあの子はたちまちに
元気になった。
きっとあれはすごく良く効く薬なのだ。

・・・だが、そんな事をしたら男を満足させるだけだ。
それを逆手に取られ、もっと苦しめられるのは分かっているが仕方が無い。


「・・・これか?」
「テチューッ、テチュウッ!!」


男が注射器を取り上げ、シリンダを軽く押すと中に残った薬液が弧を描いて飛び散る。
喉から手が出る程欲しい薬が無為に消費されてゆく様子に仔実装が悲鳴を上げると、男は
注射器を持った手を親指の上に持ってゆく。


「打ったらたぶん死ぬぞ」
「テッ・・・テエッ!?」
「これをもう一度打ったらそいつは死ぬかもしれない・・・それでも打つか?」


仔実装の表情に困惑と絶望の色が浮かぶ。
この薬品は治療薬ではなく、偽石の力を無理矢理に搾り出して実装石を蘇生させる賦活剤
なのだと説明した所でこの仔実装の知能では理解できまい。これを投与された実装石は急激に
生命力を高める事が出来るが、その代価に偽石を著しく劣化させる。
幼体用に濃度を薄めてあるとはいえ、連続使用で親指の小さな偽石は崩壊寸前なのだ。
あとは偽石に残っている力を使い果たせばそれで終わり・・・親指は死ぬだろう。


「もう諦めろ・・・約束通りに外に出してやる。そいつの事は忘れるんだな」


男が注射器をトレーの上に置くと立ち上がる。
後はこの仔実装を門の外に放り出し、後片付けをすれば終りだ。死にかけた親指なんて
庭の隅に放り出しておけば一日二日で虫や鳥が片付けてくれるだろう。
そんなのはいつもの事だ。


「テチィッ、テチィーッ!!」


ママは何があっても子供を守るテチュ! ここを出る時はこの子と一緒テチュ!

仔実装は男の言葉を拒むように、親指の身体に覆いかぶさっていやいやを繰り返す。
その様子に男の片眉がぴくりと動く。

せっかく子供が命懸けで作ったチャンスを無にしようというのか?
それも俺が好意で外へ出すと言っているというのに・・・。

男は吸いかけの煙草を手に移すといつも灰皿で火の始末をするように、髪を失った
仔実装の後頭部にその先端を捻りながら押し付ける。


「諦めろって」


じゅううう・・・。

押し付けられた煙草が仔実装の頭皮を焦がし、蛋白質の焼ける嫌な臭いを漂わせる。
約700度の高温は仔実装の皮膚に再生不能となる火傷を残すには余りある。周囲の皮膚
ごと再生させぬ限り、この火傷は今後消える事のない痕として残る事となるだろう。

しかし、それでも仔実装は悲鳴を上げなかった。
それはどんな事があっても子供を助けてみせるという仔実装の覚悟の現われだった。
両足を踏ん張り、歯を食いしばって涙を流しながらも、親指を庇うようにその身体に
覆いかぶさってじっと耐え・・・そのまま気を失った。


「中々の親子愛だな・・・いやいや待てよ、そう言えばこんな方法もあったな」


ふと男は何かを思い出す。
吸殻を放り出し、再び椅子にどっかと腰を下ろすと、引き出しの中からまた幾つかの
道具を取り出す。

それは男の気まぐれだった。
ふと思い出した延命法の一つを試したいと思い、それを試せる対象が目の前にいるのだ。
これを試さない法は無い・・・男の探究心がひどく疼いた。


「そんなにガキと一緒がいいならそうしてやるさ」


男は改めてメスを取り上げた。


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軋みを上げて木戸が開く。

時刻は既に夕刻を回っている。
空は残照に染まり、長く続く路地の向こうに赤く爛れた太陽が落ちてゆく最中だ。
全てがオレンジ色に染まった夕暮れの路地には誰の姿も無い。

男は地面近くでトレイを傾け、上に乗った小さな親子を地面に転がして落とすと
「じゃあな」と短く言い、木戸を閉めた。
約束はここまでだ、後はどうなろうとそれは男の関知する部分ではない。


「・・・テ、テッチュ」
「レレ・・・レチュウ・・・」


大丈夫テチュ?
へ、平気・・・レチュ・・・。

うつ伏せに倒れていた仔実装が起き上がると傷だらけの親指の身体を支えるようにして
立たせる。よろける親指の身体を両手で支えようともう一方の手を持ち上げようとした
途端、そちらに走った痛みと重さに仔実装が悲鳴を上げ、同じ様に親指も悲鳴を上げた。

並んで立つ親子の繋いだ手は結合していた。
掌にあたる皮膚を切り取られ、重ねられたお互いの手はライターの炎に炙られて完全に
癒着している。そればかりか外れないように瞬間接着剤で固められ、その中央を大きな
安全ピンに貫かれて固定されている。


『手が離れたらガキは死ぬ・・・覚えておけよ』


それは親子の手を繋ぎ合わせた後に男が残した言葉だ。
親子の肉体を結合させる事により、親指の劣化して弱くなった偽石の機能を仔実装の
偽石が補う事で親指の生命を永らえさせる・・・これが男が施した親指実装を延命
させる為の方法であった。


「テチュウ」


痛いだろうけど頑張るテチュ。

母親の言葉に親指が頷くと親子は互いを支えあってよろよろと歩き出す。
仔実装からの偽石の力の供給により親指の身体の傷は塞がり始めているが、まだ痛みが
消えた訳でも癒えた訳でもない。
えぐられた傷・・・特に潰された両目は未だ出血を続けている。

この子を少し休ませたいが、一刻も早くこの場所を離れて安心できる隠れ家を見つけ
なければならない。
気が変わった御主人様がまた捕まえに来るとも限らないからだ。

だが、1メートルも進まぬあたりで膝をついたのは仔実装の方だった。


「レ、レチュウ?」
「テ・・・テチィ」


ママ、どうしたレチュ?
なんでもないテチュ・・・ちょっと躓いちゃったテチ。

無論、この延命方法に無理が無い訳ではない。
本来一匹分のエネルギーしか生まない偽石を他者と共有するのだ。
壊れた偽石とはその底に穴の開いた器のようなもので、片方からいくらその力を注いでも
満たされずにその端から漏れてゆく。
その不足は実装石の生命力や再生力を著しく低下させ、強い負荷を偽石に与え続ける。
最後に待っているのは同じ様に偽石の劣化による衰弱死であろう。
それは同時に偽石を共有するものの死を意味する。

どのみちこの方法は一時的なものでしかないのだ。
劣化した偽石はどんな方法を使っても回復する事は無い。
生命維持をするだけならともかく、親指の深い傷の回復を行いながらとなると仔実装の
偽石劣化もそう遠い話ではあるまい。


「・・・テチュ、テチュウ・・・」


・・・見るテチ、夕日がとっても綺麗テチュ・・・。

ふと顔を上げた先に赤い夕日があった。
身体の不調を誤魔化すようにして立ち上がってから仔実装は思い出す。


「テチュー・・・」
「レチュウ」


ごめんテチュ、お前は目が・・・。
ううん・・・とっても綺麗レチュ。

生まれて初めて見るであろう夕日に、親指が洞になった両目を空に向けて壮絶な笑顔を
見せた後、親子は再びよろつきながら歩き出した。


「・・・レッチュ?」
「テチ、テチュウ」


・・・これからどこへ行くレチ?
安全なおウチを探しに行くテチュ、まずはこのまま夕日の向こうに行って見るテチュ。

親指の言葉に、仔実装はそう答えた。
まっすぐ続く路地の向こうには丸くて真っ赤な夕日がある。
根拠は何もないが、あの夕日の所まで行ければ親子二人が静かに暮らせる場所が見つかる
のではないか・・・そんな気がしたからだ。


「・・・レチュ」
「・・・テチュ」


・・・ママと一緒なら平気レチュ。
・・・ずっと一緒テチュ。

接合した部分で親指の手が動くと、仔実装もその手をそっと握り返す。
頑丈に繋がったこれはもはや自分達の意思だけで外せるものではなかった。
これでもう大好きな家族と離れ離れになる事は無いのだ。

やがて親子はどちらともなく調子外れのメロディを口ずさみ始めた。
ずっと昔から母親となった実装石が繰り返し子供達に伝えてきた子守唄を共に歌い
ながら、小さな親子は夕日へ向かって歩き続けた。


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1 Re: Name:匿名石 2019/03/25-22:29:37 No:00005816[申告]
ここまで行ったら明確にかつ無残に死んで欲しかった
2 Re: Name:匿名石 2019/03/27-08:04:57 No:00005823[申告]
好みは色々だよね
ぼかあこの余韻が好きです
3 Re: Name:匿名石 2023/10/29-04:02:40 No:00008177[申告]
心に残る終わり方
親子は虐待派に勝って自由を手にしたんだ
4 Re: Name:匿名石 2023/10/29-07:18:13 No:00008179[申告]
回復して幸せに生きてほしいが高望みか…
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