【取り戻したシアワセ】 「ママ、クリスマスプレゼントは仔実装が欲しい」 娘の愛依がクリスマスに実装石を欲しがった。 理由を聞くと、どうやら愛依のクラスで実装石を飼うのがちょっとしたブームなようだった。 「愛依は飽きっぽいから無理なんじゃない?」と意地悪く言うと、「ちゃんと世話するから!」とのこと。 当てにはならないが、そうまで言うなら買ってあげよう、クリスマスだしね。 私は実装ショップで適当な値段の仔実装を探して買い与えた。 サンタ服を着てたりはしない、ごく普通の仔実装。 クリスマスセールのために急生産された一山いくらの安物ではない、それなりに躾けられた個体だ。 愛依は仔実装にミドリと名付け、年末の間は一緒に遊んだりして可愛がっていたが、 年が明ける頃には飽きてきたのか、ミドリをほったらかして友人たちと遊ぶようになった。 ……まあ、こうなると思ったよ。 * * * * * 『テチューン、テチューン』 1月5日。 娘のいない家で、ミドリが寂しがって鳴きながら水槽の中から私の方を見上げている。 今日も愛依は朝食を食べるとすぐにクラスの友人と遊びに行ったので、ミドリは全く構ってもらっていない。 私がそんなミドリの水槽に近づくと、ミドリは遊んでもらえると思ったのか両手を挙げて笑顔を見せる。 「ほぅら、エサだよ」 私はミドリのすがるような悲しげな笑顔を無視して、数粒の実装フードを水槽に入れた。 愛依はミドリと遊んでやるどころかエサもやらずに遊びに行ったので、ミドリはお腹がすいているはずだ。 けど、今ミドリが求めているのはエサではなく、人間が構ってくれること。 それは解かっていたが、私はあえて気づかない振りをしてエサを与えた。 「まったくあの子は、ちゃんと面倒見るって言ったのにエサやるのも忘れて」 『テチュー、テチュー!』 「ん、ほら、早く食べな。まったく酷いご主人さまねぇ。もうお前のことなんか忘れちゃったのかな」 わざとらしくそう言って水槽から離れると、ミドリは涙を流して喚き始めた。 『テチャ、テッチャァァァァ!』 私はそれに構わず、水槽のある居間を後にする。 ミドリを買って以来、私はこの仔にエサを与えることはあっても遊んでやったことはない。 今日もそれは変わらない。 改めて現実を突きつけられたミドリは、居間に置かれた水槽の中、寂しく愛依の帰りを待つしかなかった。 『テチューン、テチューン……』 その日の昼間はずっとミドリの寂しそうな鳴き声が響いていたが、私は気にも留めなかった。 こっちも買い物したり在宅ワークで忙しいのだ。 * * * * * 翌日。 娘は今日も朝食を食べるとすぐ遊びに行こうとしていた。 『テェェ!テチューン、テチューン!』 その様子を察したミドリが、居間をばたばた駆け回りながら支度をしている愛依に、 水槽の中で必死に鳴いてアピールしているが、愛依は気にも留めていない。 「ママ、順子ちゃんたちと遊びに行ってくるね!」 「待ちなさい!」 私は愛依を呼び止めてその腕を掴むと、ミドリの水槽の前に引っ張ってきた。 水槽の中ではミドリが涙を流して鳴いていたが、愛依が近くに来たのに気づくと鳴くのを止め、 そして嬉しそうな顔で愛依を見上げた。 「なぁにママ、待ち合わせに遅れちゃうよ」 「あんたさぁ、実装石の世話ちゃんとするって言ったよね?」 「えー、言ったけどさぁ……」 愛依に小言を言いながらミドリの様子を伺うと、何やら期待に満ちた顔でこちらを見上げている。 たぶん、私が愛依に「もっと自分を構うように」言ってくれていると思ってるのだろう。 でも悪いね、そうじゃないんだ。 私は実装フードの袋を愛依に渡すと、水槽を指差して言った。 「エサくらい自分でやりなさい。なんでママが世話しないといけないの」 「わかったよぉ」 愛依は嬉しそうに見上げているミドリの真上から実装フードを3粒ほど落とした。 実装フードが顔に当たり、ミドリはフードを避けようと目をつぶって体をひねり……すっ転んだ。 『テチャ!』 「ママ、じゃあ行ってくるね」 「はい、いってらっしゃい」 ミドリが起き上がって周囲を見渡す頃には、もう居間には愛依の姿はなかった。 がっくりと肩を落としたミドリは、エサには目もくれずその場に突っ伏して泣いた。 『テェ……テェェェェン……』 ま、子供なんて飽きっぽいからね。仕方ないね。 叱りつけて無理やりにでも世話させるってのは、あまり好きではないし……。 ミドリの水槽を見下ろすと、隅に敷かれたトイレシートが目についた。 糞便で汚れているのはシートの上だけで、他の部分はほとんど汚れていない。 躾をちゃんと守る良い仔なんだろうな、この仔。 愛依がトイレシートを片付けなくなったので、そろそろシートの外にも糞便が溢れ出そうだが……。 でも、シートの交換まで私がしてやるのはねぇ……愛依が欲しがったから買ったんだし。 昨晩も愛依に注意してみたものの「だって臭いんだもん」の一言だけで、トイレシートを換える様子はなく。 私は水槽の中に実装臭専用の消臭スプレーを噴き掛けながら思った。 ……そろそろ新学期だし、潮時かな。 「……ミドリ」 私は無表情でミドリを見下ろしながら、声に感情を込めずに呼び掛けた。 水槽の床に突っ伏していたミドリが顔を上げて私を見たその表情は、少し嬉しそうだった。 理由は察することができる。 私が「ミドリ」と名前で呼び掛けたのは初めてだったから。 『テチュ?』 名前を呼ばれるのは嬉しいことだ。 だから、何か特別な、良いことが起こるのかもしれない。 恐らくミドリはそう思っただろう。 でも、そうじゃないんだな。 「このままだと、お前を処分しないといけない」 『……テッ、テェ!?』 突然のその言葉に、ミドリは信じられないといった顔で、両腕をイゴイゴさせて鳴いた。 そりゃそうだ、粗相をしたわけでもないのに何でそんな……と思うだろう。 私は構わず言葉を続ける。 「お前を飼っているのは、愛依が欲しがったからなの。 でも愛依はお前に飽きたみたいだし、私はお前の世話をするつもりはない。 だから、処分する」 『テチャ、テチャ!テッチャーーーン!』 私の言っていることがどの程度伝わったか分からないけど、このままだと捨てられると理解したらしい。 涙を流しながら、すがるような仕草で泣き始めた。 「明日までよ」 『テェ……!?』 「明日が終わるまでに、愛依がお前に興味を示さなかったら、その時は……」 * * * * * その日の夕方。 私が夕食の支度をしていると、愛依が帰宅して居間にやってきた。 例によってミドリの水槽には目もくれず、ソファに寝っ転がってスマホをいじっている。 『テチューン、テチューン!』 ミドリは愛依の気を惹こうと甘えた鳴き声をし、くねくねと体をくねらせてダンスのような動きをするが、 愛依は声を掛けることもなく、スマホを見続けている。 「あははっ」 時折、愛依が笑い声をあげると、ミドリはダンスを止めて水槽の壁に張り付いてじっと愛依の様子を伺う。 愛依が自分を見て笑ったのかどうか気になっているのだろう。 しかし愛依の視線はスマホに注がれていて、ミドリを気にも留めていないのは明らかだった。 『……テェェ……テチューン、テチュゥゥゥン!』 再び甘えた声でくねくねして踊り始めるミドリ。 結局、愛依は夕食を食べ終えて部屋に戻るまで、ミドリに構うことはなかった。 * * * * * 翌日。明日は新学期という日。 愛依は朝から慌てていた。 どうやら冬休みに宿題が出ていたようだが、まだ終わっていなかったらしい。 朝食を食べ終えると、すぐに部屋で机に向かい、宿題に取り掛かっていた。 『テェェ……』 愛依が久々に家にいるのに、自分に構ってくれない。 ミドリの寂しさとストレスはピークに達していたのだろう。 水槽の中のミドリは、家中に響くような大声で鳴き始めた。 『テッチュゥゥゥゥン、テッチュウウウウウウウン!』 私が自室で仕事をしていても、居間のミドリの鳴き声が聞こえてくる。 愛依はうるさくないのかなと思ったら、昼食の時間に顔を合わせた愛依はイヤホンで音楽を聴いていた。 あらら、あの状態ならミドリがいくら鳴いても聞こえないな……ミドリ残念! 一方のミドリは、夕方には鳴き疲れて仰向けに倒れていた。 ミドリがそのまま疲れて眠ってしまったので、私と愛依は静かな夕食を迎えることができた。 その後、疲れ果てたミドリは翌朝まで眠り続けた。 * * * * * 娘の冬休みが明けて、愛依は元気に登校していった。 宿題は無事に終わったらしい。 そして、期限内に愛依の気を惹くことができなかったミドリはと言うと……。 今、私は自室のモニターでミドリの様子を見ている。 赤外線カメラで撮られたその映像には、真っ暗闇の中でミドリが仰向けに転がって泣きながら、 手足をイゴイゴさせている様子が映っている。 『テェェェェン、テェェェェン!』 現在ミドリが置かれている状況は、瓶の中に閉じ込められ、さらに瓶をボロ布で包まれて箱詰めにされ、 その箱ごと物置の中に入れられている状態だ。 光がない、音もほぼない、構ってくれる存在は何もない闇の中。 瓶に仕掛けられた赤外線カメラには、ミドリの様子がくっきりと捉えられている。 目を覚ますとそんな状況に置かれていたミドリは、不安げにキョロキョロしていたが、 やがて糞便を漏らしてパンコンしながら泣き喚き始めた。 ……が、それも数分ほどで、すぐに誰に向かうでもなく媚びのポーズをし始める。 『テッチューン♪』 上を向いたり、下を向いたり、左右をキョロキョロしながら、ひたすら媚びる。 これがあの、躾のできていたミドリかと思うほどだ。 しかしそんな媚びも長くは続かず、1時間もすると次第に媚びた鳴き声は小さくなっていった。 『テチュゥゥン……テチュゥゥ……』 しばらく黙っていたミドリは、やがてその場に座り込んで『テチテチ』と鳴き始めた。 まるで誰かと話しているように、相槌を打ったりもしている。 『テチテチッ……テチュ、テチュテチュ……』 楽しそうな鳴き声を上げてはいるが、よく見るとその表情は虚ろで、口からはよだれが垂れている。 どうやら壊れかけているようだ。 暗闇にずっといると気が触れるそうだし、ましてミドリはずっと無視され続けていたので、 相手がいない寂しさにはもう耐えられなかったのかもしれないな。 それにしても先程までの泣き喚き様とは違い、声だけ聞いていれば実に楽しそうだ。 もしかしたら、妄想の中で愛依と話しているのかもしれない。 ミドリにしてみれば、愛依との短かったシアワセを取り戻せたと言ったところかも。 『……テチィ、テチュテチュ……チュッチュテチュ……』 まあ、あとはこのまましばらく放置しておいて、静かになったら実装ゴミに出そう。 ミドリがシアワセそうな声で鳴くモニターを点けたまま、私は仕事の続きに取り掛かった。 ちなみに私の在宅ワークは今日まで。 明日からは実装研究所に出勤しないといけない。 また実装石漬けの日々が始まる……。 せっかくの休みくらい実装石と関わらずに過ごしたかったけど、 まあペットとして飼うってのは研究とはまた別の趣きがあって良いものだわ。 余計な世話はしないで済んだしね。 『テチュッ、テッチュ、テー……テチッ……テー、テー……』 ミドリのシアワセそうな鳴き声は、日中しばらく私の部屋の中に響いていたが。 ————テー、テチュ……テー、テー……テー、テー…………テー……テ……………… 鳴き声は次第に単調になっていき、日が暮れる頃には静かになった。 終わり
1 Re: Name:匿名石 2025/01/10-00:25:20 No:00009464[申告] |
買われた先が違えばおそらく真っ当に幸福になっただろう実装が無為に死ぬの愉快すぎて好き |
2 Re: Name:匿名石 2025/01/10-05:28:32 No:00009465[申告] |
結果まで見越して無感傷で処理している所に色々な意味で実装慣れを感じるな
虐待目的で無いからか精神の逃避を許してはいるけど経過確認は一応するドライさは研究者故か つくづく実装は飼う方も飼われる方も博打だね |