実翠石との生活Ⅲ 良き隣人 -------------------------------------------------------------- とある日曜日の昼下り。 私は実翠石の若菜と共に、静かで穏やかな時を楽しんでいた。 ソファに身を沈め、文庫本とコーヒーを友に時を過ごす。 隣で猫の写真集を眺めていたはずの若菜は、いつの間にやら私の膝を枕にして寝息を立てている。 天使のような寝顔を横目で楽しみつつ文庫本を読み進めていると呼び鈴が鳴り、私を至福の時から現実へと引き戻した。 若菜を起こさぬようそっとソファに横たえてから玄関前に向かい、扉を開ける。 訪問者は親子連れだった。 共に三十代前後と思われる夫婦に、小学校低学年ぐらいと思しき女の子が一人。 隣に引っ越して来たので挨拶を、とのことでお土産をいただいた。 これはどうもご丁寧に、とこちらも頭を下げる。 お互い良き隣人になれればいいな、などと、この時の私は呑気に考えていた。 翌月曜日。 いつものようにテレワークに勤しんでいると、庭の手入れに精を出していたはずの若菜が寄ってきて、遠慮がちに聞いてきた。 「あの、お父さま。今日はお父さまのお隣に居てもいいです?」 「ん?ああ、別に構わないよ」 「ありがとうございます、です・・・」 安心したように小さく笑みを浮かべる若菜に、私は若干の違和感を感じたものの、まあそんな事もあるかと大して深くは考えなかった。 隣で私の仕事の邪魔にならぬよう、静かに花の写真集を眺めながら過ごす若菜。 仕事の合間を縫って若菜の様子を横目で見やると、視線が合った。 少し恥ずかしげに、でも嬉しそうに微笑を浮かべる若菜に、こちらもつられて笑みが零れる。 そんなどうということのないやり取りに、小さな幸せを感じる私だった。 時刻が十二時になったところで、仕事の合間を縫って洗濯物を取り込むことにする。 手伝おうと若菜が私の後に続くが、何か気になる事でもあるのか、庭に出たところでしきりに隣家の方に視線を向けていた。 隣家との境界には目隠しにフェンスが設置してあるため、フェンスの細い隙間からでないと様子は伺えない。 どうかしたのかと訝しんでいると、隣家の庭からデスデステチャテチャという不愉快極まる鳴き声が聞こえてきた。 「うぅっ・・・!」 若菜が身体をビクリと震わせるので、抱き寄せて頭を撫でてやる。 「大丈夫、大丈夫だよ。私がついてる」 「は、はいです・・・。ありがとうございますです、お父さま・・・」 以前、助けようとした仔蟲共に共喰いを見せつけられて以来、若菜は元々苦手だった糞蟲共がトラウマになってしまったらしく、 糞蟲共の姿や鳴き声に怯えるようになってしまった。 若菜を抱き締めながらも、私は忌々しさを禁じ得なかった。 たとえ飼いとはいえ、糞蟲共が近くに居るというだけでも面白くないのに、これでは若菜が怯えながら暮らす事になりかねない。 かといって、隣家に文句を言うのも躊躇われた。 客観的に見て、今のところ隣家には何ら落ち度がないからだ。 「あの、お父さま・・・」 眉間に皺を寄せる私に、若菜が抱き付く力を少しだけ強めながら言う。 「わたしは、大丈夫、です・・・。お父さまがそばに居てくれるから、大丈夫、です・・・」 若菜はそう言ってくれるが、私は渋面を抑えることが出来なかった。 飼い仔実装のマスカットは、家族と共に飼いで居られる事をシアワセだと思っていたが、それと同時にこのシアワセに危うさを感じてもいた。 マスカットの母実装であるメロンは、飼い主である少女の遊び相手としてペットショップで買われた、売れ残りの成体実装だった。 買われた当初はよくその期待に応えていたものの、仔を持ちたいという欲求に抗えず、少女の両親の言いつけを破って三匹の仔を産んだ。 かわいい仔を産めばご主人サマ達の気も変わるはずだ、という勝手な思い込みに基づいて。 メロンの予想に反して少女の両親にはきつく怒られたが、この時は少女が両親にお願いしてくれたおかげで事無きを得た。 産んだ仔は少女によって上から順にマスカット、キウイ、アボガドと名付けられた。 長女のマスカットは特に賢く、メロンにとっても妹の世話をよく見る自慢の娘だった。 最近では自分よりもご主人サマに可愛がられている様子に僅かに苛立ちを覚えることもあったが、娘相手に大人気ないと思い態度に表すことはなかった。 当のマスカットは家族と共に飼いで居られるシアワセを噛み締めつつ、そのシアワセの維持に日々心を砕いていた。 特に妹のキウイとアボガドは、最近ちらほらと糞蟲地味た言動を見せるようになっており、マスカットとしては気が気ではなかった。 今は昼食時。メロンがご主人サマにお願いしてお庭に出してもらい、そこで家族と共に昼食を摂っていたのだが・・・。 「また同じフードテチ。新しいお家になったんだからご飯ももっとおいしいものにしてほしいテチ」 「ワガママ言っちゃダメテチ。ご飯を貰えるだけで感謝しなくちゃテチ」 フードに文句をつける妹のキウイを、マスカットはやんわりと宥めた。 「ワガママじゃないテチ!これは飼いとして当然の権利テチ!」 アボガドがキウイに加勢するが、マスカットは淡々と言い返した。 「ワガママばっかり言ってると捨てられちゃうテチ。そうなったらワタチタチは生きていけないテチ。それでもいいテチ?」 「テェェェ、それはイヤテチ・・・」 「ワタチタチはご主人サマがいないと生きていけないテチ。ご主人サマに嫌われないよう、ワガママ言わずに感謝するテチ」 キウイとアボガドは渋々従うものの、やはり不満な様子だった。 マスカットは内心嘆息したが、あまり厳しく言って逆上されても困るので、それ以上言及はしなかった。 マスカットとしてはママからも言い聞かせて欲しかったのだが、どうやらママにその気は無いようだった。 実際のところ、口にこそ出さないもののメロンもキウイとアボガドに同意見だった。 それは仔にもっと良い生活をさせてやりたいという親心からのものだったが、ワガママであることに違いはなかった。 メロンとしては頭ではワガママだと分かっていたが、だからこそマスカットが口にする正論には疎ましさを覚えずにはいられなかった。 隣家に糞蟲共が居ると分かって以来、若菜は私の傍からあまり離れようとしなくなった。 それ自体は全く構わないのだが、だからといって何のケアもしないという訳にはいかないだろう。 あまりこのような状態が続くのは若菜の精神状態にも良くないと思い、私は週末を利用して、若菜を近場の植物公園へと連れ出すことにした。 「わあっ、すごいです!きれいです!」 季節に合わせた色とりどりの花が咲き誇る植物公園の装いに、若菜は瞳を輝かせた。 若菜の屈託のない笑顔に、私も頬が自然と緩む。 「お父さまっ、お父さまっ」 早く行こうと手を引く若菜に、私は元気になってくれて良かったと内心で安堵した。 パンフレットを片手に、これはどんな花で、あれはこんな花だと園内を散策していると、実蒼石が一匹歩いて来た。 公園管理事務所と銘打った腕章を左腕に巻いている。 「こんにちはです」 若菜が笑顔で手を振ると、実蒼石もペコリとお辞儀するので、私も会釈を返した。 「この公園では、実蒼石が植物の手入れを手伝ってくれているようだね」 「わあ、すごいです。こんなに手入れが行き届いているなんて、すごく頑張ってるです」 パンフレットに書かれている内容を若菜に教えてやると、若菜は感心して実蒼石を褒めた。 こうした公園では野良の糞蟲共が住みついて被害を出すことがしばしばあるのだが、この公園でそうした話を聞かないのは、 おそらくこの実蒼石達のおかげなのだろう。 実蒼石を恐れて野良の糞蟲共は近付けないだろうし、何かの拍子に入り込んでも駆除してくれる。 植物の手入れも得意としているようだし、公園の売りにもなるから、一石三鳥といったところだろうか。 「実蒼石か・・・。良いかもしれんな」 「お父さま?」 思わず漏れた呟きに、若菜が不思議そうな顔をする。 「いやなに、若菜のボディガードに実蒼石をお迎えするのもいいかなと思ってね」 何とはなしの思い付きだったのだが、若菜はそうは受け取らなかったようだ。 「わたしは、お父さまと二人きりがいいです・・・。お父さまのそばに居られれば、それだけで幸せ、です」 私の腕を抱き締めながらじっと私を見上げる若菜に、何というか、嬉しさが込み上げてくる。 こんなにも慕ってくれているというのは、素直に嬉しかった。 「・・・そうだね。私も、若菜が居てくれれば、それだけで幸せだよ」 鸚鵡返しのようになってしまったのを誤魔化すように、若菜の頭をそっと撫でると、若菜は嬉しそうに、くすぐったそうに目を細めた。 帰宅して我が家の(さして立派なものではないが)門扉を開けた時だった。 久々に屈託のない笑顔を浮かべる若菜に、少しは元気になってくれたかな、と思った矢先、隣家が家族連れで現れたのだ。 ペット用カートに乗せた、あの忌々しい糞蟲共と共に。 隣家の面々は笑顔でこちらに歩み寄ってきた。 糞蟲共を飼ってさえいなければ、本当に良き隣人なのだが、と内心で嘆息する。 「お父さま・・・」 小さく緊張した声を漏らす若菜を背に隠す。 ここはなるべく穏便に済ませたいな・・・。 「やあ、どうも、こんにちは」 「どうも」 隣家の旦那さんに会釈する。若菜もペコリとお辞儀するのが視界の端に映った。 「娘さんとお散歩ですか?」 「ええ、そんなところです。そちらもお散歩ですか?」 「越して来たばかりですからね。ご近所さんをあちこち見て回りたいと思いまして」 「ああ、それはいいですね」 当たり障りのない会話でやり過ごしたかったのだが、残念ながら私の努力は無に帰した。 子供らしい無邪気さで可愛いペットを自慢したかったのだろう。 隣家の少女がカートに乗せた糞蟲共を若菜の前に押し出してきた。 「こんにちは!」 「こ、こんにちはです・・・」 「ほら、メロン達もごあいさつして!」 カートの中ではしゃぐキウイとマスカットをあやしていたメロンは、ご主人サマが促すとおりに目の前の小さいニンゲンにお辞儀しようとして、 思わず固まってしまった。 こいつはニンゲンじゃない。瞳の色が違う。赤と緑のオッドアイ。 こいつはデキソコナイのヒトモドキ、忌まわしい実翠石だ。 「デギィィッ・・・!」 喉奥から唸り声が漏れる。 メロンは敵意を剥き出しにして若菜を睨み付け、更に腹を立てた。 実翠石の髪は、手入れが行き届いた綺麗でサラサラな亜麻色のロングヘアだった。 洗ってはいるが、メロン達の髪の毛にはパサツキが目立っている。 実翠石は、落ち着いた色合いながらも綺麗でお洒落な服を着ていた。 洗濯こそしているが、メロン達の服は生まれた時から変わり映えがない実装服だった。 そして何より、実翠石の左手薬指には、飼いの証であり、主人からの寵愛を受けている証拠でもある指輪が煌めきを見せていた。 自分達が飼いの証として付けている首輪は簡素な革製だった。無論、指輪のような煌めきなど有りはしない。 デキソコナイの分際で自分達よりも遥かに上の待遇を受けているだけでも我慢ならないのに、 このデキソコナイは更にメロンの神経を逆撫でする行為に出た。 飼い主の大きいニンゲンに身体を押し付け、メロン達に見せつけるようにメスを出して媚び始めたのだ。 実際のところ、若菜はメロンの唸り声と形相に怯えて主人に抱きついただけだったのだが、メロンの目にはそうは映らなかった。 「デジャアアアアアアアアアアッッッ!!」 堪忍袋の緒が切れたメロンは、歯を剥き出して大声で喚きまくった。 メロンに触発され、キウイとアボカドも若菜に向かって喚き始める。 三匹とも興奮のあまり糞を漏らし始めてすらいた。 『だ、だめテチィ!止めるテチィ!』 ただ一匹、マスカットだけが青い顔をしてメロン達を止めに入るが、 『うるさいデスッ!』 『テチャァッ!?』 逆にメロンに殴り飛ばされてしまった。 『自分だけイイ仔ぶるなテチ!』 『まずはお前からやっつけてやるテチ!』 そればかりか、キウイとアボガドにまで足蹴にされる始末である。 飼い主一家が叱りつけても喚き続けるメロン達に、若菜の主人はさっさと若菜を抱き上げて自宅へと引っ込んでしまった。 それでも怒りが収まらないメロン一家は、業を煮やした隣家の旦那に殴り飛ばされるまでずっと喚き散らしていた。 我が家の玄関の扉を閉めて、抱き上げていた若菜を下ろしてやる。 「もう大丈夫だよ」 糞蟲共への腹立たしさを何とか収めて、若菜を安心させようと意識してなるべく優しく声をかける。 トラウマを刺激されたのだろう。若菜は私にギュッと抱きついて離れようとしなかった。 若菜に抱きつかれたまま、私は背中や頭を撫でてやる。 「・・・ごめんな、若菜。せっかく楽しい一日だったのに、最後にこんな・・・」 糞蟲共への罵りが出そうになるのを何とか堪える私に、若菜は顔を上げて小さく笑みを浮かべた。 「お父さまのせいじゃないです。それに、お父さまと一緒にお出かけできて、とっても楽しかったです」 それに、と少しだけ頬を染めて若菜が続けた。 「こうしてお父さまに守ってもらえて、優しくしてもらえて、わたしはすごく、すごく幸せ、です・・・」 そう言って若菜は、私の身体に顔を埋めるように、抱き付く力を少しだけ強めた。 メロン、キウイ、アボガドの三匹は隣家に連れ帰られた後、ケージに入れられ、反省するまで食事抜きを言い渡された。 悪いのはあのデキソコナイだと抗弁したが、聞き入れられるはずもなく、メロン達は空腹を抱えて一夜を過ごす事となった。 一方のマスカットは、メロンから殴り飛ばされ妹達から蹴られ続けて全身痣だらけになっていたことから、三匹から離されて飼い主である少女の部屋に居た。 『ごめんなさいテチ!許しテチ!』 泣きながらペコペコ頭を下げて謝るマスカットに、飼い主の 少女はどうしたものかしらと思案する。 お隣の女の子、すごく可愛くて優しそうだったな。 お友達になりたかったな。 メロン達があんなことをしなければきっと仲良くなれたのに。 とりあえず、今日の事を謝りに行かなきゃ。 でも、もう遅いから明日にしないと。 「明日、お隣さんに一緒に謝りに行こうね」 そう告げる飼い主の少女に、マスカットはぶんぶんと首を縦に振る。 『許してもらえるように頑張ってたくさん謝るテチ!』 マスカットは必死だった。 飼い実装にとって、飼い主の不興を買うというのは身の破滅に直結しかねないからだ。 飼い主の庇護を失った飼い実装の末路は悲惨の一言に尽きる。 良くて捨て実装となり明日の命すらしれない野良生活、悪ければそのまま保健所送りとなって殺処分である。 家族皆で飼い実装として生きてゆきたいと願っているマスカットにとって、メロン達が起こした今日の騒動は、 自ら幸せをぶち壊しかねない愚行に他ならなかった。 現状の幸せを維持するため、マスカットは誠心誠意謝罪するつもりだった。 たとえ相手があの実翠石であったとしても。 翌日。 この日は日曜日だったが、昨日出掛けたこともあり、今日のところは家でゆっくり過ごす事とした。 といってもだらだら過ごしていたわけではなく、若菜と共にクッキー作りに挑戦していたところである。 クッキー生地を型抜きしたりイラストを描いてみたりとあれこれ若菜と嬉しんで、今はオーブンでの焼き上がりを待つばかりだ。 オーブンから漂う甘く香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。 焼き上がりが待ち遠しいのか、若菜はそわそわしながら何度もオーブンを覗き込んでいた。 来客があったのは、あと数分でクッキーが焼き上がろうかというときだった。 玄関の扉を開けると、そこには隣家の少女が立っていた。 その手のひらには、一輪の花を持った一匹の仔実装を乗せている。 眉間に皺が寄りそうになるのを何とかこらえつつ問うてみる。 「こんにちは、どうかしたのかな?」 「昨日のことを謝りたくて来ました!昨日はうちのメロン達が驚かせてしまってごめんなさい!」 少女が頭を下げると、手のひらの上の仔蟲も一緒に頭を下げる。 驚かせるどころか敵意を剥き出しにして威嚇してきたのだが、その点を少女に詰る訳にもいくまい。 さてどうしたものかと考えていると、少女は続けて言った。 「あの、女の子にも謝りたいです。お話できますか?」 今度は眉間に皺がよるのを抑えきれなかった。 正直言って若菜と仔蟲を会わせたくなどなかったが、少女の願いを無下に断るのも気が引けた。 「・・・少し、待っていなさい」 少女を玄関に留め置いて家の中に下がると、様子を伺っていた若菜に事のあらましを伝える。 「嫌なら断って構わないよ」 私の言葉に、若菜はふるふると首を横に振った。 「だ、大丈夫です。がんばってお話しますです」 私としてはむしろ断って欲しかったのだがやむを得まい。 ワタシは若菜の意思を尊重することにした。 ただし、仔蟲が何か良からぬ真似をしても対処できるよう、すぐ横に控えておくことにする。 「お待たせしました、です」 そう言って少女にお辞儀する若菜に、少女はテチテチ鳴く仔蟲共々、勢いよく頭を下げた。 「昨日はうちのメロン達が驚かせてしまってごめんなさい!」 「あの、わたしは大丈夫、です・・・。ちょっと怖かったけど、もう大丈夫、です」 「あの、この仔も、マスカットもごめんなさいって、仲直りしたいって言ってるの」 少女の手のひらの上で仔蟲がチーチー鳴きながら、持っていた花を若菜に差し出してきた。 「あ、ありがとう、です・・・」 ぎこちない笑顔を浮かべ、やや躊躇いがちに若菜が花を受け取ると、少女も仔蟲もホッとしたような表情を浮かべた。 「えっと、それなら・・・」 何を思ったのか、若菜は受け取った花で手早く輪っかを作ると、仔蟲の頭にそっと載せてやった。 「仲直りのしるし、です」 「わあ、ありがとう!」 少女が嬉しそうな声を上げ、仔蟲もテチュテチュとこれまた嬉しそうな鳴き声を上げた。 また今度遊ぼうね、と笑顔で帰ってゆく少女と仔蟲を見送った後。 「よく頑張ったね」 私が若菜の頭をそっと撫でると、若菜は勢いよく抱きついてきた。 「・・・すごくドキドキしましたです・・・!」 でも・・・、と私の顔を見上げて、笑みを浮かべながら若菜が続ける。 「お父さまが隣に居てくれたから、頑張れました、です」 傍から見れば取るに足らない出来事なのだろうが、そこはやはり親の贔屓目というやつだろうか、 若菜が勇気を出して事に臨んだことが、その成長を感じられて嬉しかった。 「お父さま、ちょっとかがんでほしいです」 言われるがままに腰を屈めて若菜と目線を合わせると、若菜はちゅっ、ちゅっ、と二度、私の頬にキスして、耳元で恥ずかしげに囁いた。 「感謝と、愛情のしるし、です」 そのまま抱きついて来るのを、そっと抱き締め返す。 オーブンがクッキーの焼き上がりを告げるまでの間、私達は互いの体温を感じ合っていた。 「良かったね、マスカット」 飼い主の少女の言葉に、マスカットはテチュテチュと同意の鳴き声を上げた。 許してもらえて本当に良かった。 ご主人サマ達、特にパパさんとママさんもきっと許してくれる。これからも飼い実装としてママ達と一緒に暮らしていける。 そうだ、ママ達にも早くこのことを教えてあげなくちゃ。 マスカットは飼い主の少女の手のひらから降ろしてもらうと、家族のいるケージへと向かった。 マスカットと別れた飼い主の少女は、隣家に謝りに行ったことを両親に報告しに向かった。 メロンは酷く苛ついていた。 原因は昨日遭遇したあの実翠石だ。 ただでさえ憎たらしい実翠石が、自分達よりも明らかに厚遇されていることに、メロンは腸が煮えくり返る思いだった。 それに加えてあのヒトモドキは、あろうことかメロン達の目の前でメスを出して飼い主に媚びてみせたのだ。 あれで怒るなという方が無理な相談である。 メロンにとって彼女が抱く怒りは正当なものだった。 今度遭ったら飼い主のニンゲン共々、ウンチまみれのドレイにして甚ぶり殺してやろうとさえ思っていた。 だが、ご主人サマ達はそう考えなかった。 パパさんに殴り飛ばされた後、メロン達は罰としてケージに閉じ込められ、反省するまで食事抜きとされた。 メロン達からすれば、あまりにも理不尽な仕打ちだった。 前々から密かに「もっと飼いに相応しい待遇をして欲しい」と思っていたメロン達にとって、正直言って我慢の限界に近かった。 『クソニンゲン!いい加減ご飯持って来いテチ!今ならスシとステーキで我慢してやるテチ!』 『ワタチタチは可愛くて高貴な飼い実装テチ!セレブに相応しい待遇をするテチ!』 娘のキウイとアボガドに至っては、ただでさえ薄弱な理性が実翠石への嫉妬と空腹感で完全に消し飛び、糞蟲地味た態度を隠そうともしない。 マスカットが家族の元へ戻ったのはそんな時だった。 テッチテッチと嬉しそうに家族へ駆け寄るマスカットを、メロン達は苛つきを隠そうともせず睨み付けた。 ワタシタチが理不尽に怒られて腹を空かせている間、こいつはどこで何をしていたのだ? ご主人サマの元で、一匹だけ餌を食っていたのではないか? 自分達がマスカットを痛めつけた事を都合よく棚に上げて、メロン達はマスカットに不信感たっぷりの視線を向ける。 だが、そんな事などお構い無しなのか、はたまた気付かないだけなのか、マスカットは笑顔でメロンに報告した。 『ママ、頑張って謝って許してもらったテチ!これできっとご主人サマ達も許してくれるテチ!』 『・・・お前は何を言ってるデス?誰が誰に謝る必要があるデス?』 マスカットが何を嬉しそうにしているのか、メロンには理解出来なかった。 『昨日会った実翠石テチ!ママ達の分も謝ってきたテチ!そうしたら仲直りにってお花の輪っかをくれテボォッ!?』 メロンの体重を乗せた重いパンチがマスカットの顔面を襲った。 文字通り殴り倒されて床に這ったマスカットにメロンは馬乗りになってさらに拳を叩き込んだ。 『ワタシタチは悪くないデス!土下座して許しを請うのはあのデキソコナイのほうデス!それをワタシタチの分まで謝ったデス!?ふざけんじゃねえデス!!』 『テヂィッ!?ヂギイイィ!?』 デギャデギャと盛大に唾を飛ばしながら、マスカットをこれでもかと殴り付けるメロン。 容赦のない打撃にマスカットの顔面は腫れ上がり、頭部が陥没し、眼球は両方とも破裂した。 『いつも自分だけイイ仔ちゃんぶって目障りだったテチ!とっととくたばれテチ!』 『糞蟲に媚びる奴は糞蟲テチ!ざまあみろテチ!』 キウイとアボガドは、悲鳴すら上げられなくなったマスカットを助けるどころか、口々に罵った。 『賢いと期待していたのにとんだ糞蟲だったデス!いい機会だから間引くデス!』 顔面を潰れたトマトのようになるまで殴られ、もはやピクリとも動かないマスカットを持ち上げると、メロンはその胴体に齧り付いた。 口中に広がる血と肉の味が空腹に染み渡る。 そのまま二口、三口と噛み進めるうちに、マスカットの身体が上半身と下半身に分断されてしまった。 パキンという乾いた音が響くが、グチャグチャという咀嚼音にかき消される。 『ママだけズルいテチ!ワタチタチもお腹空いてるテチ!』 『そうテチ!ワタチタチにも分けて欲しいテチ!』 マスカットの死を悲しむどころか分け前を寄越せと喚くキウイとアボガドに、メロンはマスカットの下半身を投げ与えた。 べシャリと湿った音を立てて血と内臓と糞が飛び散るが、そんな事はお構いなしにキウイとアボガドが食らいつく。 「もう、うるさいよ。ちゃんと反省してるの?」 騒がしいメロン達の様子を覗きに飼い主の少女が姿を見せるが、目の前に広がる凄惨な光景に思わず絶句する。 チププと不愉快な嘲笑を浮かべながら何かに食らいついているキウイとアボガド。 口元や前掛けは汚い赤と緑で染まっていた。 メロンも同様に何かを抱えて貪り食っている。 メロンの足元には、隣家の少女から仲直りのしるしとして贈られた花の輪っかが、血と糞で汚れ、踏みにじられた状態で転がっている。 メロンが抱きかかえて貪り食っているものがマスカットの上半身だと気付いてしまった少女は、家中に響き渡るほどの悲鳴を上げた。 少女の悲鳴を聞き付けて駆け付けた両親は、目の前の惨状に揃って顔をしかめたが、親としての務めを怠るような事はしなかった。 母親が少女をメロン達から遠ざけ、父親は厚かましくも待遇改善を要求してデスデステチテチ鳴き喚くメロン一家を、 ゴルフクラブで容赦無く叩きのめしてゴミ袋に詰め込んだ。 メロン一家は今更ながらに許しを請うが当然のように無視され、翌日朝に燃えるゴミとして回収されていった。 『ワタシが悪かったデス!許してデス!潰れるデス!潰れデギャアアアアッッ!?』 『お姉チャン食べちゃってごめんなさいテチ!もうワガママ云わないテチ!ママ、ママァァァァァァテヂギィィィ!?』 『助けテチ!死にたくないテチャァァァァッ!!』 他の家庭ゴミと共にゴミ収集車内で原形を留めない程に圧縮され、メロン一家は苦しみながら潰れて死んでいった。 娘の精神衛生上良くないと考えたのか、メロン一家が使用していたペット用品一式は両親の手により一切合財処分され、 メロン達が生きていた痕跡は跡形もなく消え去る事となった。 数日後。 私は仕事の合間を縫って若菜とのお茶の時間を楽しんでいた。 お茶請けは、先日隣家から飼い実装の粗相のお詫びにと戴いた焼き菓子だった。 隣家の旦那さん曰く、飼っていた糞蟲共は共喰いを始めて手に負えなくなったので処分したとのことだった。 私としては若菜が糞蟲共に怯えずに済むようになったので大変喜ばしい話だったが、 この話を若菜にそのまま伝えるのはいくらなんでも憚られた。 何か無難な理由付けが出来ないものかと考えていると・・・。 「お父さま?また難しいお顔をしてますです」 若菜が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。 「大丈夫、大したことではないよ」 安心させようと頭を撫でてやると、若菜は嬉しそうに、くすぐったそうに目を細める。 まあ、いい機会だ。若菜も趣味の庭いじりが出来ないとストレスが溜まるだろう。 「お隣の実装石だけどね、躾け直しのためにしばらくブリーダーさんのところに預けられることになったそうだよ」 流石に殺処分云々とは言えなかったので、嘘を織り交ぜることにはなったが。 「・・・わたしも、悪い子になったら、お父さまと離れ離れになっちゃうです・・・?」 不安気な表情でこちらをうかがう若菜に、私は内心で自身へ向けて舌打ちした。 馬鹿か私は。安心させるどころか不安にさせてどうする。 私は若菜をそっと抱き寄せた。 「わっ、あっ、お父さま・・・?」 「そんな心配はいらないよ。若菜は、私の大事な家族なんだから。私の傍で、いつまでも元気に笑っていておくれ・・・」 喪うのは一度でも多すぎる。二度目など真っ平ごめんだ。 背に回された若菜の腕に力が籠もるのを感じる。 「わたしも・・・ずっとずっと、お父さまと一緒に、二人きりでいたいです・・・」 若菜の抱き付く力が強くなる。 「大好きです、わたしだけの、お父さま・・・」 -- 高速メモ帳から送信
1 Re: Name:匿名石 2024/10/20-12:18:44 No:00009382[申告] |
マスカット…実翠石相手でもちゃんと身内の不始末を詫びられる良い仔だったのに可哀想
他の糞蟲はゴミ収集車で圧縮されて良かったな |
2 Re: Name:匿名石 2024/10/20-20:46:03 No:00009384[申告] |
売れ残りから飼いに引き上げてもらえた事を感謝せずに禁止された仔を産んだ上糞蟲化を看過し隣人に迷惑を掛け善良な仔を飼い主の前で喰い殺す
スリーアウトなんてレベルじゃ済まされず女の子のトラウマにならないか不安だし家族の悪行に腐心し惨殺されたマスカットは素質があっただけに余計に不憫だね |
3 Re: Name:匿名石 2024/10/23-19:55:21 No:00009388[申告] |
実装そのものがこの世界の少年少女の情操教育に本当に悪そう |