実翠石との生活 ------------------------------ 手を合わせ、しばしの合間瞑目する。 自宅からさほど離れていない、さして交通量の多くない道路。 私の妻と生後半年にも満たない娘の死んだ場所だった。 散歩中の飼い実装が飼い主の手を振り払って急に道路に飛び出し、それを轢き潰してしまった対向車がハンドルを取られて妻の運転する車と正面衝突。 漏れ出たガソリンに引火し、ひしゃげた車内から脱出出来ずにいた妻と娘はそのまま焼け死ぬこととなった。 対向車に乗っていた夫婦も同様に死亡し、怒りのやり場すら失った私は、ただただ日々を無気力に過ごすだけになっていた。 今日は6度目の月命日。気付けばもう秋も終わりを告げようとしている。 せめて花や菓子の一つで供えてやりたかったのだが、近隣に住む方からの遠慮がちな注意がそれを躊躇わせた。 近所の公園に住み着く野良実装が、花は妊娠に使い、菓子は食い散らかしてゆくから、というのがその理由だ。 踵を返し、待つ者などいない家へと帰ろうとすると、電柱の影から野良と思しき成体実装が私を見上げていた。 冬籠りのための食料集めに精を出しているのか、それとも冬を安穏と過ごすために飼い実装にでもなろうというのか。 いずれにしろこんなに臭くて不潔で不愉快な存在とは関わりたくは無かった。無視して立ち去ろうとするが、 「デッス〜ン」 媚びた。不愉快極まるにやけ面が血圧を上昇させる。 妻と娘の理不尽な死、その原因の一端となった実装石。 餌でも恵んで貰おうとでもいうのか?私から最愛の妻と娘を奪っておいて。 思わず私は革靴の爪先を野良実装の胴体に叩き込んでいた。 「ガッ・・・デヒャッ・・・ゲヒッ・・・」 内臓が破裂し、折れた骨が内臓に突き刺さりでもしたのだろう。 悲鳴を上げることすらできずに、口からは血と吐瀉物を、総排泄孔からは糞を溢れさせてビクビクと痙攣している。 長く苦しむようトドメは刺さずに、私はその場を後にした。 商店街を通って、家路についている途中だった。 信号待ちをしていると、ふと視線を感じた。 クリスマス商戦を間近に控えた商店街、その一角に佇むペットショップのショーウインドウの中に、彼女は居た。 実翠石。 手入れの行き届いた、艷やかさと滑らかさを併せ持った髪。 ぱっちりと開いた瞳は、特徴的なオッドアイによりその魅力をさらに際立たせている。 整った小鼻。愛らしさと瑞々しさに溢れた唇。 上質な白磁を思わせる肌。 あの忌々しい実装石共の近縁種などとは信じられないほどに美しい容姿だった。 だが、その実翠石の表情には憂いと諦観が満ち満ちている。 彼女の首から下げられた「特価品」の札から、その理由は容易に察せられた。 買い手がつかないペットの末路は想像に難くない。 実翠石といえど、その例外ではないのかもしれない。 ショーウインドウの中、横座りして道行く人々に虚ろな視線を送る彼女の様子は、囚われの姫君を彷彿とさせた。 視線が合う。 縋るような、救いを求めるような瞳。 それでも笑おうとしているのだろう、唇がぎこちなく震えている。 ほんの数秒見つめ合ううちに、彼女の瞳から一条の雫が頬を伝い落ちる。 彼女に一つ頷くと、私はペットショップの入り口をくぐった。 今にして思えば、救いを求めていたのはむしろ私のほうだったのだろう。 店主と思しき恰幅の良い中年女性に、ショーウインドウの実翠石について訪ねる。 最初は冷やかしだと思われていたようだが、話をする内に見込みがあると思われたのだろう。いろいろと教えてくれた。 懇意にしているブリーダーから是非にもと頼まれて入荷したものの、店で取り扱っている躾済み実装に想像以上に悪影響があったこと。 上顧客の愛護派が飼い実装連れで来店した際に運悪く鉢合わせしてしまい、脱糞、投糞を繰り返す等店の中で暴れられた挙げ句、上顧客からいらぬ不興を買ってしまったこと。 今更ブリーダーに返品することもできずに困っていたこと。 かといって実装石を中心に取り扱っているこの店では、いつまでも置いておくことなど出来ないから、二束三文でもいいからとっとと売ってしまいたいと思っていたこと等々。 それこそ聞いていないことまでべらべらと教えてくれた。 そんな境遇にあっては、あのような暗い表情をしていたのも頷ける。 簡単な顔合わせということで、彼女がショーウインドウから連れてこられる。 店主の背に半ば隠れるように、彼女は現れた。 初対面の相手に対する恥ずかしさと、この境遇から救い出してくれるかもという期待が入り混じった表情を浮かべている。 「やあ、はじめまして」 「は、はじめまして、です」 ペコリと可愛らしくお辞儀する彼女に、思わず顔が緩む。 彼女も恥ずかしげに微笑み返してくれた。 店主を交えて他愛もない話をいくつか交わしたあとで、彼女はバックヤードへと戻された。 彼女が近くを通るたびに、陳列されている実装石が歯をむき出して威嚇し、彼女が怯える様子を見てはまた騒ぎ立てるといった様子が見られたが、今はまだ何もしてやれないのが少しばかり歯痒かった。 バックヤードの扉が閉まる際に、彼女がこちらに小さく手を振るのが見えた。こちらも手を振り返すと、嬉しげに小さく微笑む。 互いに顔が見えなくなるまで、そうしていた。 彼女のお迎えについては店として幾らかの準備を要するとのことで、店主の指定した日時に改めて来店する約束を交わす。 こちらとしても迎え入れる準備があるため、好都合ではあった。 ただ、彼女があの実装石共に不快な目に合されていないかどうかだけが気掛かりではあった。 店主の指定した日時に合わせて、ペットショップへと足を運ぶ。 店の入口をくぐった途端に店主に捕まり、実翠石をお迎えするにあたってのあれやこれやを吹き込まれる。 そのまま店の一角にあるちょっとしたスペースに連れて行かれると、実翠石の彼女がソワソワとした様子で待っていた。 「あっ・・・」 私に気付くと、嬉しそうに破顔する。 「ほら、ご主人様にご挨拶なさい」 店主に促され、再び緊張した面持ちとなる彼女。 両手でスカートの裾を摘み、腰を追って深々と頭を下げる。 「このたびは、お買い上げいただきありがとうございます、です。 ご主人さまに気に入っていただけるように、精一杯がんばります、です」 口上を述べ終え姿勢を正す彼女に、目線を合わせる。 「こちらこそ、よろしく」 はにかむ彼女に、店主から言い含められていたお迎えにあたっての手順を踏む。 「左手を出してくれるかな?」 言われるがままおずおずと左手を差し出す彼女の手を取り、左手薬指に飼いの証である指輪を嵌める。 驚きに目を見開く彼女に微笑み返してそっと手を離す。 「〜〜〜〜っ!!」 瞳を潤ませ、頬を赤く染めながら左手を胸に抱く彼女。 「喜んでもらえたのなら何よりだよ」 「はいです、嬉しいです!ずっと、ずっと大事にするですっ!」 何度も頷く彼女に、私は言葉を続けた。 「もう一つ、受け取って欲しいものがあるのだけれど、構わないかな?」 「?」 「君の名前だよ」 「なまえ・・・!はいです、お名前、つけてほしいです!」 「若菜、という名前でどうかな。春先の若々しくて綺麗な緑という意味だよ」 「・・・わかな・・・わかな・・・わかな・・・。 素敵なお名前です!ありがとうです、ご主人さま!」 視界の端に良くやったとばかりにうんうん頷く店主が入り込む。その横には、ハンカチで目頭を押さえるアルバイトと思しき若い女性店員の姿もあった。 実翠石改め若菜と店主達の反応を見る限り、上手い事やれたらしい。 どうにも芝居がかったやり取りのような気がしないでもないが、こういった事も必要なのだろうと深くは考えないようにした。 若菜がこんなにも喜んでくれている。それだけで充分だった。 若菜を伴い店を後にする。軒先まで見送ってくれた店主達に、若菜は深々と頭を下げて挨拶した。 「お世話になりましたです」 「お幸せにね」 笑顔で送り出してくれる店主達に私も会釈を返し、若菜を伴い家路に着く。 手を繋ごうと差し出した私の左手を、若菜はおずおずと握る。 娘相手にはついぞ叶わなかった、日常にありふれるはずだった光景。 若菜とならば、そうした失われてしまった諸々を取り戻せるのかもしれないという、淡い期待が芽生えていた。 -- 高速メモ帳から送信
1 Re: Name:匿名石 2024/04/09-20:29:24 No:00009000[申告] |
デシャアアア
高貴で美しい私を買えデシャアア |
2 Re: Name:匿名石 2024/04/10-05:00:35 No:00009001[申告] |
実装絡みの事故やトラブルって多そうだけど奴らに人生囚われると損というね
専門店なのに近い空間に共存させてたのは敢えてなんだろうが掃き溜いや糞溜めに何とやらだな、結果良き同居人となればよいが… |
3 Re: Name:匿名石 2024/04/10-06:44:02 No:00009002[申告] |
だが3日後恐るべき事態に——— |
4 Re: Name:匿名石 2024/04/10-09:15:28 No:00009003[申告] |
掘り下げられていく実翠石
不幸な事故の前触れとかじゃないよね…? |
5 Re: Name:匿名石 2024/04/10-19:58:39 No:00009005[申告] |
自然界だとカオス成分や何かの間違いで実装から実翠が生まれても
10秒以内に食い殺されそう |