一杯人酒を飲み、二杯酒酒を飲み、三杯酒人を飲む 酔態を良くとらえた言葉である。はじめは酒を楽しんでいるものの、しだいに酔いがまわ り、やがて酒の味も周りの雰囲気も分からなくなり、ついには酒が酒を呼ぶようになると いうことである。適量にとどめて飲む大切さをいう。 リビングの床に並べられた日本酒の一升瓶が三本。空の一升瓶が一本転がっている。家 主さんがどこかの知合いから貰ったものらしい。本が売れたお祝いと聞いているが、細か いことはよく分からなかった。 紫電はリビングの窓辺に座って、家主さんを眺めていた。 「酔ッパラッテイル……」 リビングの中央に卓袱台を置き、上にカセットコンロを置いて、鍋で野菜や肉を煮てい る。それを摘みにして酒を飲んでいた。既に一升瓶を一本空にして、今は二本目を飲んで いる。完全に出来上がっていて、顔も赤く染まっていた。 「やっぱ、これはやらせだよねー、うんうん。構成力が足りないぃ。もう少し頑張って作 ってほしいもんだよー。視聴者としてはぁ」 テレビで流れている心霊番組を長めながら、誰へと無く話しかけている。家主さんは普 段はあまり口数の多い方ではないが、酔っ払うと饒舌になるようだった。 「そう思うだろー? 紫電」 「カワイソウ……」 一応頷いておく。 リンガルは無いので言葉は伝わっていないが、紫電が頷いたことで家主さんは満足した ようだった。したり顔で首を縦に動かしながら、 「そうだよなー。最近のテレビ番組はつまらん! というわけで、えーと何だ……? あ れだ、あれ……。あー。はははははー。まいいいや」 ごくりと、コップの中身を飲み干してから、空になったコップに新しい日本酒を注ぐ。 鍋から適当に取り出した野菜を、口に入れていた。 「大変そうネ。本読ミちゃん」 「!」 背後から聞こえてきた声。 紫電は慌てて振り返った。 窓ガラスに白い実装の姿が映っている。薔薇実装に似た姿だが、身体も髪の毛も服も全 てが白い。右目は眼窩から直接薔薇が生えていて、左目は金色。他の実装種とも違う、異 様な空気をその身に纏っていた。 「雪華実装……! 何デコンナ所ニ……」 「驚かなくテもいイ。私はただ、近くヲ通りかかっただけだカラ。ちょっとあなたノ様子 を見に来タだけ。あなたタちに干渉するつもりハない」 ガラスに映った雪華実装は、そう答える。 「ソウ……」 紫電は肩の力を抜いた。 雪華実装に関わるということは、実装種でも人間でも危険である。何が起こるか分から ないからだ。基本意味不明な結果になることが多いという初期型実装石とも違い、雪華実 装に関われば命を失うこともありうる。他の実装種よりも戦闘能力の高い薔薇実装でも、 進んで関わるようなことはしない。 「おやぁ、どちらサマでしょうかぁ?」 振り向くと、すぐそこに家主さんが立っていた。赤く染まった顔といまいち焦点の合っ ていない瞳で、ガラスに映った雪華実装を見つめている。 「紫電のお友達でしょーか?」 言いながら、ガラス戸を開けた。 しかし、庭に雪華実装はいない。元々ガラスの表面に現れていただけなのだ。庭に立っ ていたわけではない。 「あれェ、いない?」 訝しげに庭を眺める家主さんを横目に、雪華実装はガラス表面から霧のように抜け出し、 リビングへとその姿を実体化させる。金色の瞳で家主さんを見つめた。 「私は雪華実装……」 その言葉に家主さんは振り返って、雪華実装を見つめる。 「き、らぁ……? んー」 それを未知の言葉のように口にしてから、左手で額を押さえ眉間にしわをよせた。自分 の記憶を辿るように。実装に関わる者が雪華実装を知らないわけがない。だが、上手く思 い出せないようである。 数秒してから、一人納得したように頷いてから、にっこりと笑ってみせた。 「あー、吉良さんですかー。いや、初めましてー」 ぺこりと一礼してから、警戒心も無く雪華実装を両手で抱え上げる。まともな精神状態 ならば、そんな危険なことはしないだろう。だが、酔いせいで正常な思考が出来なくなっ ているようだった。 「オ酒ッテ、凄イ……」 「……?」 雪華実装もいきなり抱え上げられたことに戸惑っている。人間には例外なく恐怖される 雪華実装。それが無警戒に抱えられたのはこれが初めてだろう。 家主さんは雪華実装を自分が座っていた座布団へと下ろし、よたよたと千鳥足で台所へ と歩いていった。片手にガラスのコップを持って戻ってくる。 コップを雪華実装の前に置き、そこに日本酒を注いだ。 「とりあえず、一杯どうぞー。あー、お酒飲めますゥ?」 雪華実装は無言のままコップを両手で持ち、中身の日本酒を飲み干した。 小さく吐息する。 「どうっすか、吉良さん? 結構いー酒らしいですけど」 「美味シい」 雪華実装は一言、そう答えた。 「コレハ何ダロウ……? トッテモ不思議ナ光景……」 紫電は窓辺に座ったまま、独りごちる。 リビングで繰り広げられる混沌とした光景。酔っ払った人間と一緒にお酒を飲んでいる 雪華実装という、世にも珍しい存在。床に転がった空の一升瓶が一本増えていた。雪華実 装と家主さんで飲んでしまったのである。 家主さんは近くから引っ張ってきた座布団にあぐらをかいたまま、 「なるほどー。吉良さんは旅をしてるんですかー」 「旅とハ少し違う……。集めルものを集めテいるだけ……」 座布団に座った雪華実装が、首を横に動かした。ほんのりと頬が赤く染まっている。少 し酔っているらしい。両手で日本酒の入ったコップを抱えている。 神妙な面持ちで腕組みをしつつ、家主さんマイペースに続けた。 「いやー、うちの紫電も俺の所にー来る前は、あちこち放浪してたようで、ヒク……。今 でも時々勝手にどこか出掛けてしまうんですけどねー。一応、うちの飼い薔薇実装って登 録してあるから、無断外出は控えて欲しいんですー」 その言葉を聞き流しつつ、雪華実装はコップのお酒を飲み干し、卓袱台の上の鍋を見つ めた。しかし、家主さんと雪華実装で食べてしまったため、汁しか残っていない。 「お鍋、空っポ……」 「あららー」 家主さんが空の鍋を見て、カセットコンロの火を消した。コップに残っていた自分の日 本酒を飲み干してから、ぼりぼりと頭をかく。 「ツマミ無くなっちゃったなー。どうしよーぅ?」 紫電はふっと視線を動かした。 同じく、雪華実装も視線を動かす。 「美味しそうな匂いがするデスゥ!」 「ニンゲン、ワタチたちにも食べさせるテチ!」 窓の外に実装石がいた。成体実装石と仔実装石五匹の親子。 餌探しか何かで近くを歩いていたのだろう。窓を開けていたので、料理の匂いに釣られ てやって来たようである。不用心と言えば不用心だった。 「そこのニンゲン! お裾分けになってやるデスから、ワタシたちにもそのウマウマを食 べさせるデス。当然デザートはケーキがいいデス。コンペイトウも忘れるなデス。あと、 暖かいお風呂とふかふかの布団も欲しいデスン!」 身勝手なことを言いつつ、親実装はサッシに手を掛けていた。上がり込む気らしい。庭 からリビングまでは四十センチほどの高さがあるため、上手く登れないでいる。 「ママー、頑張るテチー」 「ワタチたちも飼い実装になるテチー!」 後ろでは仔実装が親実装を応援していた。 間の悪い所にやってくるのは、実装石の宿命かもしれない。 「カワイソウ……」 紫電は右手に水晶針を作り出す。追い払っておいた方がいいだろう。 「飛んで火にいルなんとやら……。クスクス。これは、調度いいオつまみネ」 だが、行動は雪華実装の方が速い。ぞろりと雪華実装の足元から現れた無数の白茨が、 触手のように伸びて実装石親子を絡め取った。 「デギャ!」 「テチァー!」 そのまま親子をリビングへと引き入れる。細い茨が一瞬にして網状に編み上げられ、実 装石親子を閉じこめるカゴへと変化した。大きさは中型水槽くらいだろう。棘部分は柔ら かいらしく、実装石の皮膚や服に傷は付いていない。 パチパチパチ。 「おー。吉良さん、なかなか手際よいですねー」 家主さんが拍手をしながら、脳天気に感心している。明からに尋常ならざる事が起こっ ているというのに、不思議がっている様子は微塵も無かった。酔いのせいで疑問に思うと いう思考が欠落しているのかもしれない。 雪華実装も右手を上げて応じている。 知らぬが仏、という言葉が紫電の頭に浮かんで消えた。 ひとまず用意した水晶針を納める。 「デェ……」 目を白黒させている親子に、家主さんはぽんと手を打った。何かを思い出したようであ る。蓋の開いた一升瓶から日本酒をラッパ飲みしてから、その場に立ち上がった。だが酔 いが回っているせいで、足取りは頼りない。 「あ、そーだ。うん、とりあえず、じっそー石は糞抜きしないとなー。えっと、ゲロリー はどこ置いたっけーなぁ? あれー、思い出せん?」 「大丈夫、そういう手間はかけサせなイ」 雪華実装が右手を持ち上げた。空中から実装石を縛めていた白茨よりも太い茨が現れ、 親実装石と仔実装石の口へと容赦なく潜り込む。 「デゲゲガガガアァァァ」 「ヂゥゥテァァ」 色付き涙を流しながら暴れる実装石たちを無視し、太い茨はさらに体内深く潜り込んで いた。茨が生き物のように脈打ち、胃の内容物や糞を吸い出している。吸い出したものが どこへ消えているかは紫電にも分からなかった。 全て吸いきったのか、太い茨が口から抜けどこへとなく消える。 「テチュゥゥ……。何でこんなコトになるテチ……」 「美味しいもの食べられるはずだったのにテチィ」 「デェ、苦しかったデスゥ……」 茨のカゴの中で荒い呼吸を繰り返している親子。 「ほぅ、吉良さんは面白い技術をお持ちで」 腰を下ろし、顎に手を当てたまま、家主さんが興味深げに雪華実装を見ている。 雪華実装がするりと白い茨を伸ばした。仔実装の一匹を掴み上げ、手元まで引き寄せる。 白い手で仔実装を掴み、その小さな身体を見下ろした。 「テチィィ……。何テチ、白いお姉チャ……?」 仔実装が雪華実装を見上げる。不安げに。 「美味しそウな仔……」 雪華実装の金色の瞳が大きく見開かれる。と同時に、赤い口が不気味な三日月型の笑み へと変化していった。獲物を前にした雪華実装の笑み。 「テェェ……!」 その不気味さに、仔実装は腰を抜かしながら色付き涙を流した。腹の中を吸い取ってい なければ、失禁していただろう。遠目にも分かるほど震えている。恐怖で暴れることもで きないようだった。暴れたとしても、雪華実装の手から逃れることはできない。 絶体絶命の危機に仔実装が取れる手段はひとつ。 右手を口元に添えて、小首を傾げる。 「テチュ♪」 媚びだった。 無論……無意味である。 雪華実装は無造作に仔実装の下半身を口に入れた。 「テチィィィィ、ママァァァァ! 助けてテチィィィ!」 「三女チャァァァン!」 娘の危機に気づいた親実装が、両手でカゴを叩いている。が、無駄だった。他の仔実装 は怯えてお互いに抱き合って震えている。無力な仔実装では他にできることもない。 「テッ、テ……吸われるテチ……! 何か吸われる……テ、チィ……!」 両手を動かし、何とか逃れようとする仔実装。 その身体が見る間に萎れていった。健康的だった皮膚にはシワが刻まれ、色も肌色から 土気色に変わり、干涸らびていく。風化したように端から崩れていく実装服。茶色だった 髪の毛も白く色が抜け、カサカサに縮れて抜け落ちた。 「助け、て……テ、チィ……」 干涸らびた手を動かし、助けを求める仔実装。 その身体は、急激に老化していた。雪華実装によって命を吸われている。 「やめるデスウウゥゥウ! ワタシの仔を返すデスゥゥ! ワタシたちはただ美味しいも のを食べたかっただけデス! 何でそんなことするデスゥ!」 親実装石の声は届かなかった。 仔実装が命を吸い尽くされるまで、一分も掛らない。 「ごちソウさま」 雪華実装が仔実装を吐き出す。 紙クズのように白茨のカゴの手前に落ちた仔実装。落下の衝撃で右手と左足があっさり ともげたが、傷口からは血の一滴も出ない。禿裸で皮膚はシワだらけ。命のほとんどを吸 い取られた姿だった。文字通り骨と皮だけのミイラである。 それでも、微かに残った力を振り絞って、親実装に助けを求めた。 「マ……マ……」 そこで、力尽きる。 パキッ、と偽石の割れる音が聞こえた。 「三女チャァァァン!」 仔実装の残りカスを目にして、親実装が色付き涙を流しながら茨を食い千切ろうとして いる。柔らかいようで強い弾力を持つ雪華実装の白茨。実装石程度の力で千切れるような 代物でもない。実蒼石のハサミでもまず切れないだろう。 「カワイソウ……哀レナ姿……」 紫電は他人事のように親実装の奮闘を眺めていた。 親実装を無視して、日本酒を飲んでいる雪華実装。 「ほーう」 家主さんの声に、振り向く。 「いやー、仔実装の踊り食いですかー。珍しいですなぁ、うんうん。なるほど……ヒクッ、 うー。俺も実装関係で色々変な知合いがいますけどねー、いやはや……吉良さんは噂に聞 く鍋派ですかー。俺、鍋派は初めて見ましたよー。はっはっはー」 「鍋派ハ、多分違うと思ウけど……」 消極的に反論しているが、家主さんは聞いていない。もしかしたら、自分が何を言われ ているのか、理解していないのかもしれない。 「カワイソウ……」 否定する理由も無いと判断し、紫電はリビングを横切りソファに腰を下ろした。第三者 である自分は大人しくしているべきだろう。 「このクソニンゲン! あと、そこのクソシロとクソムラサキ、さっさとワタシの子を生 き返らせるデス! 出来ないなら、ワタシたちを飼い実装石にして一生ワタシたちの奴隷 として生きるデス」 「そうテチ、ママの言う通りテチ!」 「悪いことしたら償いをするのが道理テチ!」 実装石親子が見当違いな抗議をしているが、聞いている者はいない。 「にしても……」 焦点のいまいちあっていない眼差しで、家主さんは雪華実装を凝視する。アルコールの 影響で真っ赤に染まった顔。空になった雪華実装のコップに日本酒を注ぎつつ、 「仔実装の一気食いって旨いんすかーぁ?」 「まあマあ」 「ほー」 納得したように頷いてから、家主さんが立ち上がった。 よたよたと台所に歩いて行ってから、しばらくして戻ってくる。両手で抱えたまな板の 上にフライパンや皿、醤油などの調味料と包丁を乗せていた。千鳥足ながら、まな板の上 は奇妙に安定している。 「よっこらせーっと」 まな板を卓袱台に置いて、上のフライパンや調理器具を横にどかしてから、家主さんは 包丁を持って白茨のカゴに近づいた。 「さっ、美味しくなろうねー。実装ちゃん♪」 「デェ、何する気デス、クソニンゲン……! その物騒なものをしまうデス」 不穏な気配に、親実装が仔を守るように立ちはだかる。 しかし家主さんは気にも留めず……そもそも気づいていないだろう。右手に包丁を持っ たまま、嗜虐の笑みを浮かべて左手をカゴへと伸ばす。 「デシャアァァ! この仔たちには手は出させないデスゥゥゥ!」 仔実装を後ろに隠し、親実装が三角口を大きく開けて威嚇していた。しかし、威嚇が通 じるはずもない。それでも、親実装が何を考えているかは伝わったようである。 「用があるのはお前だから。ちょーっと失礼な?」 言うが早いか、親実装の右手と右足を包丁で切り落とした。 「デギャァッ! 痛い、痛いデスゥゥ! ワタシの手と足が切られたデスゥゥッ!」 「ママァァァ」 残った左手で腕の傷口を押さえる親実装と、親実装に縋り付く仔実装四匹。 家主さんは腕に残った袖と足に残っていた靴を適当に破り捨て、両者を卓袱台の上のま な板に乗せた。ストレッチするように両手を動かし、座布団に腰を下ろす。 雪華実装が何をするのかとそれを眺めていた。 日本酒を一口二口飲んでから、家主さんは滑らかな動きで親実装の腕と足に包丁を入れ ていく。刺身を作るように。実際刺身を作っているのだろう。酔いのせいで動きはぎこち ないのに、包丁捌きは普段と変わらない。 「おまたせー」 薄く切った腕と足を、大きい皿に盛りつけてから、それを雪華実装の前に差し出す。小 皿に醤油を入れて、大皿の横へと並べた。 家主さんは得意げに胸を張り、 「どうっすかァ、吉良さん。親実装の手足の刺身、新鮮なうちにどーぞ」 「いただキます」 雪華実装は箸で実装石の刺身を摘み、醤油に浸けてから口に運ぶ。左目を天井に向けな がら、もごもごと咀嚼して呑み込んだ。 一度首を縦に動かしてから、残りの刺身も瞬く間に平らげる。 「これはなかナか、見事ナお手前。美味しカった」 その感想に、家主さんは後ろ頭を掻きながら、照れ笑いをしていた。 「やー、ははー。そう言って貰えると嬉しいなー。でも、こういうのも面白いっスよー」 カセットコンロに乗っていた鍋を下ろし、代わりにフライパンを乗せる。火を付けてか ら、バターを放り込んで、包丁を再び手に取り立ち上がった。 「さー、じっそーチャン、もう片方の手足も貰いますねー」 「やめるデス、ニンゲン! やめるデス、痛いの嫌デ……デギャアァァァァ!」 「ママァァァ!」 抵抗する親実装の左手と左足を瞬く間に切り落とす。酔っ払っているのにその辺りの事 が器用にできるのは、虐待派だからだろうか。両手足を失いだるまになった親実装と、そ れに縋り付いて泣いている仔実装たち。 さきほどと同じように、袖と靴を捨てて、まな板の前へと座る。 手早く薄切りにしてから、切った手足をフライパンの上に乗せた。コンロの火によって フライパンは熱せられ、バターも溶けている。 ジュー……。 肉の焼ける音と生臭い匂いがリビングに広がった。 一升瓶から酒を飲んでから、家主さんは醤油をフライパンへと垂らす。醤油の焼ける音 と、香ばしい匂い。菜箸で肉をひっくり返しながら、 「うーん、やっぱり実装肉は生臭いですねー。こういうのがいいって言う人もいるみたい ですけど、俺は苦手ですなー。あはははー」 底抜けに暢気な笑い声。笑い上戸でもあるようだった。 「美味しそうな匂いデスゥ……」 「ウマウマテチィ……」 「ワタチも食べたいテチ……」 実装石親子が匂いに反応して、涎を垂らしながらフライパンを凝視している。 両手両足を失った親実装は傷のことを思考から放り出し、四匹の仔実装は親のことを思 考から放り出し、バター醤油で焼かれる肉の匂いに鼻をひくひくと動かしていた。 「うーん? こんくらいかなー?」 ほどよく焼けた肉を皿に移す。 カセットコンロの火を止めてから、 「実装石の手足のバター醤油炒め、かんせーい」 「いただキます」 言うが早いか、雪華実装が箸で焼き肉を摘み、口に放り込んでいく。微かに口元を緩ま せているところを見ると、味は気に入ったようだった。 「デェェ……」 両目を限界まで見開き、口から涎を垂らしている実装石親子。 視線に気づいて雪華実装はそちらを一瞥した。一度箸を止めてから少し考えると、にん まりと口元に笑みを貼り付け、親子に見せつけるように肉を食べ始める。 「デェェ……!」 さらに眼を見開き、それを凝視する実装石親子。 最後の一切れを箸で摘んでから、雪華実装はふと笑みを消し親子に顔を向けた。 「欲シい?」 その問いに、我に返る実装石。 「欲しいデス、当たり前デス! さっさと寄越すデス! それはワタシの手足デス! そ のお肉を食べる権利はワタシにあるデス! お前が食うのは間違いデッスッ!」 「そうテチ! ウマウマー、寄越すテチ!」 「食べさせるテチー! 独り占めよくないテチー!」 親子揃って元気に声を上げていた。仔実装はぽふぽふとカゴを叩いている。 雪華実装は何も言わずに箸で摘んだ肉を放り投げた。緩い放物線を描きながら、宙を舞 い、白茨のカゴへと落ちていく肉。なぜか不自然なまでにゆっくりと見える。 「デェェェ……」 「テェェェ……」 実装石親子が赤と緑の目を剥き、落ちてくる肉を凝視していた。 肉がカゴへと落ちる。 直前に—— 白い茨が肉を貫き、一瞬で引き戻した。 口を開けたまま固まっている親子を眺めながら、雪華実装は肉を口に入れ、ゆっくりと 咀嚼し、呑み込む。ケフと小さく息を吐いてから、コップの日本酒を飲み干した。 「ごちそうサマでした」 「デェtrdfyスゥぐkぃx!」 意味不明な絶叫を迸らせる親子は無視。 一方満面の笑顔を見せている家主さん。 「吉良さんは実に美味しそうに食べますなー。鍋派じゃない俺も食いたくなっちゃうくら いですよー。あははは。こういう素敵な食べっぷりしてもらえると、作ってる方も嬉しー いですねー。じゃあ、お兄さん頑張っちゃうぞー」 空のコップに日本酒を注いでから、家主さんは一升瓶の残りを一気に飲み干した。次の 一升瓶を手元に引き寄せてから栓を開ける。 それから、その場に立ち上がり、よたよたと白茨のカゴに近づいていった。 「さて、次に美味しくなりたいものは立候補してくださーい? 立候補しなくてもこっち から選んじゃいますけどー」 にやにやと笑いながら、カゴを見下ろす。 「来るなデシャァァァ! もう食べられたくないデシャアア!」 「助けてテチィィ! 食べるのはいいけど、食べられるのは嫌テチュゥ!」 「美味しくなるの嫌テチィィ」 だるま状態のまま必死に威嚇する親実装と、狭いカゴの中を必死に逃げ回る仔実装。し かし、逃げる場所も隠れる場所も無い。 「どれにしよーかなぁー。よし、君に決めた!」 「嫌テチィィ!」 「ごめんなさいテチィ!」 家主さんが二匹の仔実装を掴み上げ、まな板の前まで戻る。仔実装は手から逃げようと 暴れたり手に噛み付いたりしているが、その程度で逃れることはできない。 「………」 日本酒を飲みながらその様子を見ている雪華実装。 二匹をまな板に下ろす家主さん。 「テ、テチュ♪ ニ、ニンゲンさん……ワタチとイイ事するテチュ〜ン……♪」 「チィィィィ! このクソニンゲン、さっさとワタチたちを開放するテチィィィ!」 媚びる一匹と、対照的に暴れる一匹。絶望的状況から助かろうと死に物狂いだ。その努 力も虚しく、軽いデコピンを喰らってそれぞれ大人しくなる。 「実装石って色々痛めつけると旨み成分が増すらしーいですよー。吉良さん、知ってます かぁ? って、鍋派なら常識でーすよねー。あははは、こりゃまた失礼」 笑いながら仔実装二匹を禿裸に剥き、キッチンナイフで腹に穴を開け、偽石を取り出し ていた。ふたつの偽石を、小さなコップに入れ、そこにお酒を注ぐ。それらの動きに乱れ や遅滞はない。酔いは回っているはずだというのに。 「さー。覚悟はいいかなー。仔実装ちゃん? これは痛いよー」 ナイフの先端で、仔実装の身体にいくつもの傷を付けていく。 「チッ、テェ! 痛いチィィ!」 「痛い、痛いテチュゥゥッ! ニンゲン、やめるテチュアァァ!」 「デエエン! ワタシの子供を虐めるのは止めるデスゥゥゥ!」 「はーっはっはー。何言ってるか全ッ然ン、分かんねー」 仔実装の身体にナイフの先で傷を付けながら、家主さんは脳天気に笑っていた。いつも 持っている万能リンガルは手元に無いため、実装石が何を言っているかは分からない。た だの鳴き声にしか聞こえない。 「ヂ、ヂィ……」 「酷いテチ……」 全身傷だらけになった仔実装二匹。 それをまな板に放置したまま、家主さんはボウルに直接醤油を注いだ。そこに日本酒と 味の素と砂糖を放り込み、さらに刻みニンニクと七味唐辛子を適当に入れ、少量の酢を注 ぎ、菜箸でかき混ぜる。醤油ダレらしい。 「では、投入!」 仔実装二匹をタレの中に落とし、まな板で蓋をした。 「ヂュアァァアアァァァ!」 「ヂイイィィイィィィ!」 凄まじい絶叫とともに、ボウルが微かに揺れている。ぱしゃぱしゃと液体の跳ねる音が 聞こえた。全身の傷に染る激痛に暴れまくっているが、まな板で蓋をされ人間の力で押さ えられては無意味な抵抗である。 「長女オオォォ、四女オォォォ!」 手足が無く動くこともできず、親実装はただ泣き叫ぶだけだった。 家主さんがカセットコンロの火を付け、フライパンにバターを多めに乗せる。 雪華実装はコップのお酒を飲みながら、淡々とそれを眺めていた。 仔実装が大人しくなったのを確認してから、家主さんはまな板をどかす。 「痛い……テ、チ……」 弱々しく泣く仔実装二匹を菜箸でつまみ上げた。全身の傷から醤油タレが染み込んで茶 色くなっている。痛みと疲労で動く力も無くなっていた。 「………」 金色の瞳でそれを見つめる雪華実装。 家主さんは摘み上げた二匹を、迷うことなくフライパンの上に落とした。バターが簡単 に解けるほどの熱を帯びた鉄板の上。 「チュァァァァ!」 「熱い、熱いテチィィィ!」 今までの弱々しい態度は一変。二匹同時に跳び上がってから、フライパンから逃げよう となけなしの体力を振り絞って走り出す。しかし、フライパンの縁を掴んだ所で、あっさ りと菜箸で中へと戻されていた。 それでも諦めず、命懸けの逃走を試みる仔実装二匹。 「どっちかが下になれば熱くないぞー?」 家主さんの悪魔の囁きに、ぴたりと二匹の動きが止まった。 そして。 「助かるのはワタチテチィイィ!」 「お前が下になるテチャァァァ!」 ぽかぽかとフライパンの上で殴り合いを始める。小さな身体と弱い力、丸いウレタンボ ディでの殴り合い。状況が状況でなければ、姉妹でじゃれあっているようにも見えるかも しれない。しかし、当人たちにとっては文字通り生死を駆けた死闘である。 ついでに、殴り合いに罵倒が入り始めた。 「この不細工が、前から気に入らなかったテチィ!」 「何言ってるテチ! 長女だからって偉ぶるなテチ!」 「お前の頭が悪いからテチ! 賢いワタチが威張って何が悪いテチ!」 「うるさいテチ! お前の頭の悪さはみんな知って——チベッ」 長女のラッキーパンチが顎に入り、四女が仰向けにひっくり返る。脳震盪を起こしたよ うで、背中から熱い鉄板に倒れたまま、動けないでいた。 「ヂィィィ……」 背中を焼く高熱に、弱々しい呻きを上げている。 その腹の上に飛び乗る長女。 「チプププ……。お前はワタチの下敷きになるのが落ち合いテチ。さあニンゲン、勝負に 勝った賢くて可愛いワタチを飼うテチ!」 家主さんに向かって両手を振り上げる。姉妹ケンカに勝ったら飼い実装になれると勘違 いしているようだった。極限状況で幸せ回路が発動したらしい。 「ほい」 家主さんは菜箸で長女の首を挟み、器用に首の骨をへし折った。 ぽてり、と四女の横にうつ伏せで倒れる長女。 「何で、デヂィ……?」 身体の前面を焼かれながら、理不尽な結果に抗議の声を上げる。だが、その言葉を聞き 入れる者はおらず、助けが入ることもない。 姉妹二匹は鉄板の上で焼かれていった。 「デェェェン……」 親実装の弱々しい鳴き声。 雪華実装が箸でコップの縁を叩いて遊んでいる。 「カワイソウ……。カワイソウナ、ワタシ……?」 紫電はソファに座ったまま、完全なカヤの外の気分を味わっていた。酒と実装臭が漂う 混沌としたリビングの空気。酔っ払った家主さんと雪華実装が、匂いに釣られてやって来 た実装石を捕まえて文字通りの意味で料理している。 「さーって、こんなもんですかなー?」 ほどよく焼けた仔実装を、皿に取り出す家主さん。 カセットコンロの火を止める。 「テェ……」 「ヂィ……」 全身を焼かれながらも、二匹はまだ生きていた。偽石が酒に浸してあるおかげである。 ただ、全身に火傷を負い、肉も内蔵もあらかた焼けてしまっている。五感も全滅に近いだ ろう。たとえ奇跡が起きてここから助かっても、再生の余地はない。 「どうぞー、吉良さん」 家主さんが仔実装の丸焼きを雪華実装の前に差し出す。 髪も服も、まともな身体も、感覚も。未来の全てを失った仔実装にとっては、もはや楽 な死しか救いは残っていない。本人の意志は別にあるだろうが、助からないという客観的 な事実は覆しようがなかった。 だが、その救いすら雪華実装は許さない。 「とってモ素敵なお料理……。ここで食べてシまうのはもったいない」 そう言うなり、箸で二匹を摘み上げ丸呑みにしてしまう。 「って、おもいっきり食べてるやんけー!」 ビシッ! と右手を振り、似非関西弁でツッコミを入れる家主さん。 ツッコミは気にせず、雪華実装は白茨を伸ばして偽石入りのコップを引き寄せた。一度 口元に不気味な笑みを浮かべ、中身のお酒ごと偽石を口の奥へと流し込む。 コトリ、とコップが置かれた。 「カワイソウ……」 仔実装の行方を考え、紫電は呟く。 あの二匹は雪華実装の腹の中でしばらく生き続けるだろう。数日か数週間か、はたまた 数ヵ月か、偽石が砕け散るその時まで。その苦痛と絶望を食べられ続けるのだ。雪華実装 が口にした台詞は、そのような意味である。 薔薇実装である紫電が仔実装を哀れむこともないのだが。 「これは、夢デス……。ワタシは悪い夢を見てるんデス……」 「テチーテチー……」 「テチュ〜ン♪」 過酷な現実に半分壊れかけている親実装と、同じく半分壊れている残った仔実装二匹。 一匹は明後日の方を向いて無意味な鳴き声を上げ、もう一匹は意味もなく媚びている。 家主さんは半眼で親子を眺めながら、首を捻っていた。 「うーむー。残り三匹かー。さて、どーしたもんかねー? んまー、リリース用に親と仔 一匹は残しておきたいからなー。あー、あれやってみるかー」 親実装の頭を掴み持ち上げる。手足があれば振り回していただろうが、四肢は家主さん んに切られていたため、もぞもぞと身体を動かすだけだった。 「デギャアアア……! ワタシを食べるのは——ぎゅべっ」 家主さんの右手が親実装の喉を握りつぶす。 「デスデスとうるさいからなー。ちーっと静かにしててくれい。安心しろー。お前は禿裸 で放り出す必要あるから、殺さないからなー」 言いながら、髪と服を毟っていく。三秒もたたず禿裸手足無しになった親実装。 一度親実装をまな板に置いてから、フライパンが乗ったままのコンロの火を付けた。そ こに適当に酒瓶から日本酒を流し込む。 「まずは、下味付けーと」 親実装の顎を掴み口を開けさせ、漏斗を力任せに口へと突き刺した。ポキリと顎の骨の 砕ける音が聞こえたが、気づいていない。気づいていても気にしないだろう。 「ェ……ェ……」 親実装だけが、色付き涙を流しながら、声にならない悲鳴を上げている。 「投入!」 元気よく宣言してから、家主さんは一升瓶の日本酒をそのまま漏斗に流し込んだ。拒否 することもできず、胃へと流し込まれる透明な液体。 続いて一升瓶を横に置いてから、さきほど仔実装を浸した醤油ダレの入ったボウルを掴 み、それを漏斗に流し込む。黒い液体が再び胃へと無理矢理送り込まれた。 普通ならば、これらはデタラメな胃で消化され、栄養になってしまうだろう。 「続いて、食紅だー!」 家主さんは左手で首を掴んだ親実装をフライパンの上に移し、緑色の眼に食紅を落とし た。両目が赤くなったことにより、意志とは関係なく強制出産状態へと移行する。もぞも ぞと酒と醤油ダレで膨れた腹が蠢き、総排泄孔から未熟児があふれ出した。 「レッフー♪」 「テッテレー♪」 「レッフレフー♪」 「レッチュウー♪」 親指や蛆実装がぽちゃぽちゃとフライパンに満たされた酒の上へと落ちていく。落下の 衝撃で死ぬ仔もいたが、落下距離が短いことに加え下がお酒というクッションもというこ ともあり、大半が生きているようだった。 ただ、普通の実装石よりも肌の色が茶色い。 「レチュ〜?」 「レフ〜レヒャ!」 「レッチュ…レチッ!」 しかも、全ての仔が例外なく酔っ払っている。醤油ダレと酒で満ちた胃袋内で急激に作 られたため、全員が醤油ダレと酒を体組織に取り込んでいるのだ。既に下味付の状態で生 まれた親指や蛆実装たち。 「これくらいかな〜?」 キッチンナイフを親実装の眼に突き刺し、強制出産を止める家主さん。 フライパンには数十匹の親指と蛆が蠢いている。未熟児で知能も足りない状況で、既に 酔っ払っているため、もはや思考と呼べるものはない。半分お酒に浸かったまま、ただ不 規則に動いているだけだった。 干物寸前になった親を放り捨ててから、家主さんはバターの残りを掴んだ。フライパン の中で蠢いている親指たちの中央に適当な隙間を作ってから、バターを置く。軽く胡椒を 振ってから、蓋をした。 「下拵え済未熟親指&蛆実装の醤油バター酒蒸しッ!」 ポーズと共に宣言する家主さんに、雪華実装が小さく拍手を送っている。 「では、食中酒でも用意しますかなー? うっく」 その場に立ち上がってから、千鳥足で台所へと歩いていった。足取りがおぼつかないら しく、椅子に躓いて転んでいる。運動力も普段の二割程度まで低下しているようだ。 「いてて〜」 ぶつけた肩をさすりながら、家主さんが起き上がっている。 「レチィー!」 「レフレフー!」 「レヒャー!」 蓋のされたフライパンから聞こえる親指と蛆実装の悲鳴。煮立つほどではないが、内部 の温度はかなり高くなっている。逃げ場のないフライパンの中、まともに働かない思考を フル暴走させ、パニックのまま動いているようだった。 どのみち、助かる見込みは皆無である。 「おまたせ〜」 戻ってきた家主さんの手には酒瓶が一本握られていた。中には蛇が一匹浸けてある。 「沖縄名物ハブ酒! ひくっ、こいつは効きますよー!」 卓袱台にハブ酒を乗せ、そのまま白茨のカゴへと近づいていった。 「テチテチー……?」 「テチュ♪ テェ〜ン♪」 相変わらず、思考が壊れてしまった仔実装。 家主さんは据わった目付きで二匹を見つめ、 「こっちが壊れた振りか」 「チ……!」 明後日の方向に向かって鳴いていた仔実装の頭を掴んだ。途端、鳴くのを止めて、身体 を恐怖に震わせ始める。自分が料理される番だと思ったのだろう。 「嫌テチィ……。食べられるのは……嫌テチ……!」 弱々しく首を振る。 だが、家主さんは正気の仔から手を放し、媚びている仔を持ち上げた。 「助けてくれるテチ?」 「ははは。お前はリリース要員だから、殺しはしないよー?」 「テチィ……」 安心している仔実装だが、状況を考えるならここで死んだ方が楽かもしれない。 「テチュ、テチュ〜ン♪」 家主さんは媚びている仔実装を掴んで戻ってきた。 どっかと床に座ってから、コップの真上で仔実装を逆さまにして、その首を毟り取る。 悲鳴はなかった。頭を置いてから、仔実装の胴体を軽く握りしめ赤と緑の血を首からグラ スに絞り出す。 「………」 仔実装の頭が色付き涙を流して、自分の身体を見つめていた。首をもがれたショックで 正気に戻ったのかもしれない。単に意味のない涙かもしれない。 数秒で血が全てグラスに注がれた。 血の抜けた胴体を置いてから、そこにハブ酒を注ぎ、雪華実装の前へと差し出す。 「ブラッドハブ酒です。どうぞー」 「これは……こレは……」 興味深げにそのエグい色の酒を眺めてから、雪華実装はコップの中身を一気に口に流し 込んだ。何度か咳き込んでから、心持ち驚いたように呟く。 「こレは、効く……!」 「でしょー? そろそろ、こっちも出来上がってるかなー?」 家主さんがコンロの火を止めて、フライパンの蓋を持ち上げた。 湯気とともに広がるバター醤油とお酒の匂い。中では数十匹の親指と蛆が熱さで息絶え ていた。灼熱のフライパンの中で蒸し殺されたため、みな苦悶の表情を貼り付けていた。 未熟親指と蛆のバター醤油酒蒸し。 一升瓶の中身をコップに注ぎながら、 「吉良さんは先に食べてて下さいねー。俺は、ちょっと後始末してきますんで〜」 酒蒸しから小さな蛆を一匹摘んで、小皿に乗せてから、千鳥足でカゴの方へと近づいて いく。蛆一匹の乗った小皿をカゴの中に下ろした。 「食っていいぞー」 「テチュゥゥ……」 最後に残った仔実装が、涎を垂らしながら酒蒸し蛆実装に近づいていく。ご馳走を前に して正気を失った目付きで、その身体に噛み付く。 「美味しいテチュ〜ン♪」 口に広がるおいしさに、思わず甘い鳴き声を上げていた。 両手で酒蒸し蛆を抱えたまま、一心不乱にその肉を食べている。 その間に、家主さんは仔実装を持ち上げ、実装服一式と髪を全てむしり取った。だが、 仔実装は酒蒸し蛆を食べるのに夢中でそれに気づいていない。 家主さんがカゴに仔実装を下ろすのと、蛆実装を食べ終わるのは同時だった。 「おい、ニンゲン! ウマウマもっと寄越すテチュ!」 「さーってと」 家主さんは床に落ちていた親実装の元まで移動した。 禿裸で手足もない。右目を潰され、声帯も潰され、顎も外されている。強制出産によっ て、身体は随分と細くなっていた。手足や眼や声はしばらくすれば再生するだろうが、禿 裸までは治らない。 「チュァァァ! ワタチのきれいな髪がー! 大事なお服がー! 何でテチィ! 全部無 くなってるテチィィ! 何で、誰がやったテチィィィ!」 今頃になって自分の姿に気づいた仔実装。 雪華実装は親指と蛆の酒蒸しをツマミに、マイペースに日本酒を飲んでいる。 「ェ……ェ……」 家主さんに持ち上げられ、嫌々するように身体をよじるが、無視される。というか、そ もそも気づいてさえいない。 「えっと、これとこれとー」 親実装の顎を無理矢理こじ開け、仔実装のミイラや破り捨てた実装服や髪、首をもいだ 仔実装の死体を喉の奥へと押し込んでいく。 ゴミ袋代わりにしているらしい。 あらかた実装関係のゴミを押し込み終わると、親実装の口に再び漏斗を突き刺し、鍋に 残っていた汁を流し込む。 「よっし、おしまい。っと」 最後に、ポケットから取り出した百円ライターで親実装の左腕の傷口をあぶった。再生 しないように。禿裸だけでなく、片腕というハンデまで与えている。 「いやー、ははははー。どこの実装石だか知らんけど、今日はなかなか楽しませて貰った ねー。ありがとうよー。一応こんだけ食わせれば勝手に再生するーだろ? まあ、今回の コトは頑張って広めてくれたまえ。はーははははー」 親実装を右手に持ったまま、禿裸の仔実装を左手に掴み上げ、家主さんは窓へと歩いて いった。開けっぱなしにしてあった窓から、二匹を庭へと軽く放り捨てる。 ゴミのように転がる親子。 「酷いテチ……こんなの嘘テチ……」 「デェ……ェ……」 「酔い夜を〜♪」 涙を流している二匹に笑顔で手を振ってから、家主さんはガラス戸をしめた。ついでに カーテンも閉める。それで、実装石親子のことは終わったようである。千鳥足で戻ってき てから、卓袱台の横に腰を下ろした。 「美味しいですかー、吉良さん?」 「美味シい」 お酒と酒蒸しを交互に口にしながら、雪華実装は答えた。 家主さんは一升瓶の蓋を開けてから、近くにあった食卓塩を掴む。 「さて、俺もまだまだ飲めるぞー! いい日本酒は塩だけで飲めるッ、てなわけで宴はま だまだこれからだぜ、ヒャッハー!」 夜十一時過ぎ。 「………」 一升瓶を抱えた家主さんが、ソファに仰向けになって死んでいる。死んではいないが、 死んだように眠っていた。 明日は二日酔いの地獄なのだろう。 「ちょっと様子を見るダけだったはずなのニ、随分と長居をしてしまった……」 雪華実装がふわりと浮き上がり、部屋の中程まで移動する。一升瓶二本ほどを飲んでい た計算になる。頬は赤く染まっていて、目も心持ち惚けていた。 だが、前後不覚になるほど酔ってはいないようである。 「けふ……」 小さな息を吐き出してから、部屋を見回した。 その身体から触手のように伸びた無数の白い茨が、部屋中を舐めるように蠢く。部屋に 付いた実装石の匂いや血糊を嘗め取っているようだった。 一分ほどで部屋から実装石の痕跡が跡形もなく消え去った。 雪華実装が金色の瞳で紫電を見つめる。 「さようなら、本読みチゃん。また、機会があったら会いマしょう?」 そして、霞のように消え去った。 「デス?」 「何でモない……」 初期型実装石の声に、雪華実装はそれだけ応えた。 青い空に雄大積雲が浮かんでいる。風が吹いている無人の屋上。 「ぅ……」 貯水タンクに背を預けたまま、雪華実装は生まれて初めての二日酔いを味わっていた。 酒を飲むのも初めてだったが、二日酔いも初めてである。凄まじい頭痛と吐き気と目眩と 倦怠感。話に聞いていた以上の苦しさだ。 それでも、可能な限り平静を装って答える。 「ちょっト飲み過ぎただけ……」 「デスー」 初期型実装石が雪華実装に背を向け、足音も立てずにどこへとなく歩いていく。混沌の 現出たる初期型が何を考えているのかは知るよしもない。ただ、しばらく放っておいて欲 しいということは理解してくれたようである。 目を戻すと、初期型実装石は消えていた。 「う……」 胸の奥の疼きに、雪華実装は口元を押さえる。 END