タイトル:【塩】 かすみそう(一期一会より転載)
ファイル:塩保管スク[jsc0092.txt]
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1366 レス数:2
初投稿日時:2006/09/10-23:57:16修正日時:2006/09/10-23:57:16
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このスクは[実装石虐待補完庫(塩保)]に保管されていたものです。
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【かすみそう】 最近、ご主人様の態度が急に冷たくなったと、 「かすみ」と名づけられた実装石は感じていた。 何をしても無視された。 思い当たる節はあった。 自分に子供が産まれたのだ。 「確かに子供たちは小さくて可愛いデスゥ。でも……」 それで愛情が頭数で割られてしまうのは悲しいことだ。 それならばいっそのこと──。 かぶりを振って、恐ろしい考えを頭から追い出した。                  ※ かすみがこの世に生を享けたのは、春と呼ぶにはまだ肌寒い、 三月のはじめだった。 公園の和式トイレの冷たい水で心臓が縮まる思いをし、直後、 親実装の臭い舌で粘膜を舐め取られた。 その時に感じた体温が、母親から与えられた最初で最後の温もりだった。 マラ実装にレイプされた挙句の望まぬ妊娠だったからか、 親実装は仔実装に殆ど愛情を注がなかった。 代わりに妹たちの面倒をみたのが、四姉妹の長女である、かすみだった。 家の周りで昆虫を捕まえ、それを餌にした。 人間や他の野良実装に見つからないよう、無駄鳴きをさせないようにし、 同じ理由から排便を決められた場所でするよう躾けた。 それらは親実装に教わったのではなく、本能が自分を律した行為を、 姉の威厳で妹に真似させただけのことである。 ともすれば絶望の深淵に落ち込みそうになる妹たちを、かすみは励ました。 妹たちをゆっくりと、駒のようにくるくる回して遊んだ。 目が回ってふらふらになるのが楽しいのか、妹たちは笑い転げた。 かすみは、これが得意だった。 バレリーナのように、爪先立ちで何回転でもくるくる回る。 遠心力で、スカートがふわりと持ち上がる。 それを見て、妹たちは感嘆の声を上げた。 自然、かすみは妹たちの尊敬を集めた。 それが親実装には面白くなかった。 母性の発露ではなく、ただかすみへの嫌がらせで、 親実装は餌を持ち帰るようになった。 「お前はお姉ちゃんなんだから我慢するデス」と、 芽生えかけたかすみの母性を巧みに利用して、餌は妹たちにのみ与えられた。 妹たちは図に乗って、 「こんなに美味しいものを食べられないなんて不幸テチ」と、 それまで散々世話を焼いてくれたかすみを嘲った。 これで、この家の力関係が決まった。 即ち、親実装はかすみへの当てつけで妹たちを溺愛し、 妹たちは親実装に無視されるかすみを軽んじたのである。 姉妹たちの間で明るい笑いは消え、代わりに嘲笑がはびこった。 かすみがくるくる回ってみせても、もはや罵声が飛ぶだけだった。 かすみは、賢くはなかった。 それ故に、悲しみを笑って忘れることができた。 餌が取れなかったからと親実装に殴られても、 今日は人間に追いかけられたと親実装に蹴られても、 かすみは笑ってその痛みをやり過ごすのだった。 そうすることで、みんなが幸せでいられるなら、と。 中実装ほどのサイズになると、親に代わってかすみが餌を探し始めた。 そして、「ご主人様」に出会った。                  ※ その男は、暇になると公園へやってきた。 餌を撒き、野良実装が群れるのを眺める。 餌を持っている限り、という条件がつくが、野良実装相手でも、 自分という存在が必要とされていることを確かめられるのは嬉しかった。 それほどに、希薄な人間関係しか持っていなかったのである。 いつも群れからはじき出され、餌にありつけない中実装の存在に、 男は気づいていた。 何事にも貪欲な周囲の人間から浮いた、自分を映す鏡のように感じられた。 他人を押しのけるくらいの気概があれば、楽になれるのにと、 中実装に向けたのか、自分に向けたのか、わからない言葉を呟いた。 餌を食い尽くした野良実装は、感謝の気持ちを表すでもなく、 どこかへ消え去ってしまう。 その後で中実装がやってきて、残りかすがないかを調べる。 それが不憫に思えて、男は売店でポップコーンを買い与えた。 中実装は喜んで、くるりくるりと回ってみせた。 そんなことが何度が続いたある日曜日、その日は朝から雨が降っていた。 さすがに実装石はいないだろうが、 部屋の中で陰鬱に一日を過ごすのは避けたいと、男は雨に煙る公園を歩いた。 水溜りに一匹の中実装が倒れているのを見つけた。 あの中実装である。 男には知る由もなかったが、この日も、 親実装はかすみに餌を取ってくるように命じていた。 朝から雨に打たれ、かすみはすっかり体温を奪われていた。 発熱でふらふらになり、道端に倒れこんだのである。 そこを、男に見つけられた。 保護しなければならない。 男は後先のことを考えず、トレーナーが汚れるのも気にせず、 冷え切った中実装の痩せた体を抱いてやった。                  ※ しかし男と中実装の生活は、順風満帆の船出とはいかなかった。 まず、目を覚ました中実装がパニックを起こした。 親実装がしかるべき教育を施していれば、 実装石にとって人間に拾われることがどういう意味を持っているのか、 中実装は承知していた筈である。 その知識がなかったため、突然の環境の変化に戸惑い、失態を晒した。 ベッドから起き出すと、「テェーン、テェーン」と無駄鳴きし、 所構わず粗相した。 これに男は怒った。 まず怒声を浴びせ、それで鎮まらないので平手で打つ。 中実装はさらに怯えて失禁する。 それはただ男の怒りを募らせるだけで、ついには煙草の火で「やいと」された。 熱さと痛みで、中実装は気絶した。 この試練を乗り越え、 中実装はようやくここが自分の新たな生活空間であると認識し、 男を新しい家族、自分が仕えるべき主人であると理解した。 そして、「かすみ」という名前が与えられた。 男はと言えば、あまりに面倒なので、途中でかすみを公園に戻そうと考えた。 しかし、いざ手元に実装石を置くと、なかなか手放すことができない。 たとえ馬鹿な野良実装でも、家の中に誰かがいてくれるというだけで、 不思議と気持ちが落ち着いたのだった。 しかし、それにしてもかすみは物覚えが悪かった。 粗相こそしなくなったものの、何度教えられても後片づけができず、 洗濯のやり方も覚えられなかった。 風呂に入るたび、石鹸やシャンプーの使い方を教えなければならなかった。 驚異的な再生能力を持つ実装石を、暴力で躾けるのは珍しいことではない。 男も殴り、蹴り、煙草の火を当ててかすみを躾けた。 日常的な暴力は、男の嗜虐性を高め、自制心を麻痺させた。 いつからか、躾のための暴力が、暴力のための暴力へと変化した。 仕事がうまくいかないといっては殴り、 人間関係に疲れたといっては蹴った。 かすみは、これに耐えた。 自分が苦痛に耐えさえすれば、今の関係が維持されることを、 経験で知っていたからである。 苦痛に懸命に耐えるかすみを見て、男の中に疑念が湧いた。 自分はどうしてかすみを拾ったのか、と。 実装石を虐待したかったからか? 違う。 ストレス発散の道具が欲しかったのか? 違う。 雨に打たれてかわいそうだったからか? それもある、が、それだけではない。 自分は早くに両親を亡くし、 義務教育を終えるまでは親戚の間をたらい回しにされた。 希薄な血縁関係は、わずかでも期待を抱いてしまうため、 時に赤の他人より残酷だった。 自分には誰も手を差し延べてくれなかった。 だから──。 にもかかわらず、自分はかすみに暴力を振るっている。 無理なのだ。 家族の愛情を知らないで育った自分が誰かと一緒に暮らすなど、 土台、無理な話なのだ。 男はかすみと一緒に、あの公園へ出かけた。 できる範囲で、精一杯のおめかしをしてやった。 慣れない手つきで、後ろ髪にそれぞれリボンを結わえてやる。 百円ショップで買った子供用のポシェットを肩から提げさせる。 中には、かすみの好きなかりんとうを詰めて。 かすみは大喜びでくるくる回った。 最初は自分の後姿を確認するために、次に男に喜びを伝えるために。 スカートがふわりと持ち上がる。 芝生の隅でボール遊びをし、砂場で遊んだ。 山を作り、トンネルを掘るのに夢中になっているかすみを置いて、 男は一人、公園を出ようとした。 そのほうがいい。 自分と一緒にいると、かすみは不幸になる。 しかし、未練はあった。 決して振り返るまいと思っていたが、つい後ろを向いてしまう。 涙を溢れさせ、鼻水を垂らし、全力でこちらに向かってくるかすみがいた。 この調子なら、脱糞もしている筈だ。 男の足に抱きつくと、決して離すまいと、かすみは力を込めた。 涙と鼻水と、その他の体液で、ジーパンの裾はどろどろになった。 「帰って、一緒に洗濯しような」 男もまた、試練を乗り越えたのだ。                  ※ 「それなのに、ご主人様はひどいデッスン」 自分の子供をあやす男を、距離を置いて見つめるかすみ。 男は不慣れな手つきで、四匹の仔実装のおしめを交換していた。 「あー、もう、お前らは、ブリブリブリブリと。 少しは遠慮ってものを知らないのか。まったく、母親似だなあ」 男の言葉がぐさりと突き刺さる。 確かに自分はゆるいほうだったが、あの日以来、粗相はしていない筈だった。 「ワタシはトイレをすぐに覚えましたデス」 そう言ったところで、まるで無視だ。 仔実装の世話に夢中になっている。 おしめを交換された仔実装は、順番に立ち上がり、 テチャテチャ鳴きながら部屋中を歩き回っている。 自分がこの家に来た時にこんなに騒いでいたら、ぶっ飛ばされていた筈だ。 「お前たち、もっと静かにするデス。近所迷惑デス」 仔実装はなかなか言うことを聞いてくれない。 すると男は、プルバック式のゼンマイで走るミニカーを取り出した。 カチカチと音を立てて後退させて、手を離す。 ミニカーがダッシュで走る。 仔実装たちがそれを追いかける。 「テチャー!」 壁にぶつかるミニカー。 一匹の仔実装も勢い余って、頭を壁にぶつけてしまった。 「あらあら、この子は」 かすみより先に、男が仔実装を抱きかかえてあやす。 その姿はまるで、若いお父さんといった具合だ。 かすみは悲しそうに、差し出した手を下に下ろした。 長女が、かすみのほうを見て、「テチャア」と笑う。 笑いながら、近寄る。 「ん、どうした?」 男が長女のほうを見る。 長女はかすみを指差し、「テッチャア」と鳴いた。 「本当にお前たちは不思議だよな」 男は言った。 「時々何もない壁をじっと見つめて。 それともお前たち実装石だけには、何か特別なものが見えるのか?」 「デェッ!?」 男の言葉に、かすみは驚いた。 男の目に、自分は映っていない? 確かに変だった。 いつの間にか、男の言葉が理解できるようになっていた。 自分はどうなってしまったのか? ああ、そうでしたデス。 ワタシは本当に物覚えが悪くて困るデスゥ。 「ワタシは殺されたんデス」                  ※ 両の目が緑色になり、かすみは妊娠の兆候を示していた。 男は、素直に喜んだ。 暮らし向きを考えると、これ以上、扶養家族が増えるのは厳しかった。 しかし、それ以上に家族が増えることに喜びを感じていたのである。 言葉は通じなくても、男が自分の妊娠を喜んでいることが伝わった。 かすみは男に公園へ行くことをせがんだ。 母親に、自分も母親になることを報せるためである。 男の部屋を自分の家だと感じるようになってからも、 実母と妹たちのことを忘れたことはなかった。 ばかりか、会えなくなった時間に比例して、思いが募っていった。 どれほど嫌なことを忘れられると言っても、 家族と一緒に過ごした時間が不幸せだったという思い出は残っている。 それでも、血を分けた肉親である。 一目顔を見ておきたかった。 こんな感情に押し流されてしまうのも、 親実装の教育が不十分だったからである。 それは、野良生活を送る実装にとって「甘え」に他ならなかった。 かすみに案内されるまま、男は公園の奥へと歩を進めた。 臨月を迎え、腹部ははちきれんばかりに大きい。 茂みの奥に段ボール箱、そしてその中に薄汚れた親実装がいた。 十分な距離がある筈なのに、悪臭が追いかけてくる。 段ボール箱の底にへばりついた髪の毛と小さな骨に気づいていれば、 この後の惨劇を防げたかもしれなかった。 男は、親子の対面を邪魔したくないと、かすみの手を離した。 かすみは一匹で段ボール箱へ向かう。 「ママ」の呼びかけに、背中を向けていた親実装が振り向いた。 別れて数カ月だというのに、親実装はすっかり老け込んでいた。 「お前、今頃何しに戻ってきたデス?」 「妹たちは? 餌取りデス?」 「その格好!」 親実装は、かすみの問いに答えずに言った。 「はん、自分は拾われて飼い実装になったデス? それでワタシたちを蔑みに来たデス?」 「そんなことはないデスゥ!」 「お前がいなくなって餌も取れなくなって、妹たちは死んだデス」 自分が食い殺した、とは言わない。 かすみは衝撃を受けた。 自分のせいで、妹たちが死んだ? 「そうデス、お前が妹たちを殺したデス!」 親実装は段ボール箱から抜け出すと、かすみの前に立った。 男には、感動の親子の対面に見えた。 しかし、一瞬の後に悲劇が訪れた。 「だから姉のお前もワタシに食われるデス!」 呆然と立ち尽くしていたかすみを、親実装が頭からかぶりついた。 自分の子供をはじめ、同族殺しの経験豊富な親実装は、 一撃でかすみの偽石を噛み砕いた。 男は一瞬、何が起きたのかわからなかった。 脱兎の勢いで駆け出すと、両手にかすみを取り戻し、親実装を蹴り飛ばした。 こいつを殺すことはいつでもできる、今は急いで病院へ連れて行かなければ。 しかし、偽石を割られたかすみが息を吹き返すことはなかった。 獣医は「お腹の中の子をどうするか」と尋ねてきた。 見たところ野良実装だし、親なしで育てるのは楽ではない。 処分するのも選択肢の一つである。 それは今の男にとって、この上ない愚問だった。                  ※ 「ちょっと待ってろ、すぐ飯にするから」 「テチャー」「テェーン」と、空腹をアピールする仔実装たちに男が答える。 人肌に温めた牛乳に浸したパンの耳を、離乳食代わりに与える。 「テチューン」と、喜びの声が上がる。 男がきっちりと母親の代わりを果たしてくれていることに、かすみは安堵した。 と同時に、それは自分が死んでしまったからだと、強く認識させられた。 そうだ、ワタシは死んだのデス。 「ワタシは馬鹿な実装石でしたが、 死んだらこの世にいられなくなるくらいはわかっているデス。 死んだことにいつまでも気づかなければ良かったデス」 でも、自分が死んだことを忘れていたと知られたら、 きっとご主人様に馬鹿にされるデス。 もうお母さんになったんだから、いつまでも馬鹿なままじゃいられないデス。 矛盾する思いに、かすみは葛藤した。 かすみの姿は消えかかっていたが、長女にはまだ、母親の姿が見えた。 「テチー」と鳴いて近寄ってくる。 「そうデス!」と、かすみは最後に閃いた。 長女を真っ直ぐに立たせ、くるくると駒のように回した。 「テッチュー」と大喜びする長女。 バランスを崩さず、爪先立ちでくるくる回る。 スカートがふわりと浮き上がり、その下のオムツが現れる。 「お、お前……」 男はそれを見て、食べかけのパンを落とす。 まるでかすみが生き返ったみたいじゃないか。 「そうデス、そうデス」 現世から消え去ろうとする、かすみが頷く。 ワタシはこのまま消えてしまうデス。 でもワタシのことはいつまでも忘れないで欲しいデス。 だから、この子の名前は……。 「お前のママはな、出会った時は中実装だったから、春頃に産まれたんだ。 だから、春の花にちなんで『かすみ』って名づけた」 男が花に詳しいのは、母親譲りだった。 伝わらないのを承知で、男は長女に話しかけた。 かすみのことが嫌でも思い出され、誰かに話さずにはいられなかった。 「かすみそうの花言葉は、『清い心』。 お前のママは馬鹿だったけど、心は清らかだったと思うよ、多分。 だから、あんな目に遭ったわけだけど」 うんうん、だからその子の名前は……。 「だから、『かすみ』って名前は縁起が悪いな」 そんな、あんまりデスゥ。 思い立ったが吉日、今のうちに名前を決めてしまおう。 男は母の形見の『花図鑑』をぱらぱらとめくって、名前を探す。 花粉で子供を作る実装石には、花の名前が一番ふさわしいと考えていた。 「バーベナ、はなてまり──よし、お前は『マリ』だ。 花言葉は……」 「デェ、それを聞いてから消えたいデスゥ」 かすみの願いも空しく、ふっと意識が消えた。 完全に現世と別れを告げた。 「花言葉は『家族の和合』。うん、我ながら良いセンスだ。 お前はお姉ちゃんなんだから、しっかり頼むぞ。 失業保険が切れるまでには、一人前になってもらわないと」 そう言って、男はマリと名づけられた仔実装の頭を撫でた。 「テッチー」と、何を言われたのか知ってか知らずか、 マリは両手を挙げて答えた。 自分の食事そっちのけで残る三匹の名づけを悩む男に、 たんすの上に置かれた写真の中のかすみが視線を送っていた。 それは、別れを覚悟した日に撮った写真だった。 その写真立てには、リボンが巻かれていた。 あの時と同じように、不器用な形で。 【終】【かすみそう】 最近、ご主人様の態度が急に冷たくなったと、 「かすみ」と名づけられた実装石は感じていた。 何をしても無視された。 思い当たる節はあった。 自分に子供が産まれたのだ。 「確かに子供たちは小さくて可愛いデスゥ。でも……」 それで愛情が頭数で割られてしまうのは悲しいことだ。 それならばいっそのこと──。 かぶりを振って、恐ろしい考えを頭から追い出した。                  ※ かすみがこの世に生を享けたのは、春と呼ぶにはまだ肌寒い、 三月のはじめだった。 公園の和式トイレの冷たい水で心臓が縮まる思いをし、直後、 親実装の臭い舌で粘膜を舐め取られた。 その時に感じた体温が、母親から与えられた最初で最後の温もりだった。 マラ実装にレイプされた挙句の望まぬ妊娠だったからか、 親実装は仔実装に殆ど愛情を注がなかった。 代わりに妹たちの面倒をみたのが、四姉妹の長女である、かすみだった。 家の周りで昆虫を捕まえ、それを餌にした。 人間や他の野良実装に見つからないよう、無駄鳴きをさせないようにし、 同じ理由から排便を決められた場所でするよう躾けた。 それらは親実装に教わったのではなく、本能が自分を律した行為を、 姉の威厳で妹に真似させただけのことである。 ともすれば絶望の深淵に落ち込みそうになる妹たちを、かすみは励ました。 妹たちをゆっくりと、駒のようにくるくる回して遊んだ。 目が回ってふらふらになるのが楽しいのか、妹たちは笑い転げた。 かすみは、これが得意だった。 バレリーナのように、爪先立ちで何回転でもくるくる回る。 遠心力で、スカートがふわりと持ち上がる。 それを見て、妹たちは感嘆の声を上げた。 自然、かすみは妹たちの尊敬を集めた。 それが親実装には面白くなかった。 母性の発露ではなく、ただかすみへの嫌がらせで、 親実装は餌を持ち帰るようになった。 「お前はお姉ちゃんなんだから我慢するデス」と、 芽生えかけたかすみの母性を巧みに利用して、餌は妹たちにのみ与えられた。 妹たちは図に乗って、 「こんなに美味しいものを食べられないなんて不幸テチ」と、 それまで散々世話を焼いてくれたかすみを嘲った。 これで、この家の力関係が決まった。 即ち、親実装はかすみへの当てつけで妹たちを溺愛し、 妹たちは親実装に無視されるかすみを軽んじたのである。 姉妹たちの間で明るい笑いは消え、代わりに嘲笑がはびこった。 かすみがくるくる回ってみせても、もはや罵声が飛ぶだけだった。 かすみは、賢くはなかった。 それ故に、悲しみを笑って忘れることができた。 餌が取れなかったからと親実装に殴られても、 今日は人間に追いかけられたと親実装に蹴られても、 かすみは笑ってその痛みをやり過ごすのだった。 そうすることで、みんなが幸せでいられるなら、と。 中実装ほどのサイズになると、親に代わってかすみが餌を探し始めた。 そして、「ご主人様」に出会った。                  ※ その男は、暇になると公園へやってきた。 餌を撒き、野良実装が群れるのを眺める。 餌を持っている限り、という条件がつくが、野良実装相手でも、 自分という存在が必要とされていることを確かめられるのは嬉しかった。 それほどに、希薄な人間関係しか持っていなかったのである。 いつも群れからはじき出され、餌にありつけない中実装の存在に、 男は気づいていた。 何事にも貪欲な周囲の人間から浮いた、自分を映す鏡のように感じられた。 他人を押しのけるくらいの気概があれば、楽になれるのにと、 中実装に向けたのか、自分に向けたのか、わからない言葉を呟いた。 餌を食い尽くした野良実装は、感謝の気持ちを表すでもなく、 どこかへ消え去ってしまう。 その後で中実装がやってきて、残りかすがないかを調べる。 それが不憫に思えて、男は売店でポップコーンを買い与えた。 中実装は喜んで、くるりくるりと回ってみせた。 そんなことが何度が続いたある日曜日、その日は朝から雨が降っていた。 さすがに実装石はいないだろうが、 部屋の中で陰鬱に一日を過ごすのは避けたいと、男は雨に煙る公園を歩いた。 水溜りに一匹の中実装が倒れているのを見つけた。 あの中実装である。 男には知る由もなかったが、この日も、 親実装はかすみに餌を取ってくるように命じていた。 朝から雨に打たれ、かすみはすっかり体温を奪われていた。 発熱でふらふらになり、道端に倒れこんだのである。 そこを、男に見つけられた。 保護しなければならない。 男は後先のことを考えず、トレーナーが汚れるのも気にせず、 冷え切った中実装の痩せた体を抱いてやった。                  ※ しかし男と中実装の生活は、順風満帆の船出とはいかなかった。 まず、目を覚ました中実装がパニックを起こした。 親実装がしかるべき教育を施していれば、 実装石にとって人間に拾われることがどういう意味を持っているのか、 中実装は承知していた筈である。 その知識がなかったため、突然の環境の変化に戸惑い、失態を晒した。 ベッドから起き出すと、「テェーン、テェーン」と無駄鳴きし、 所構わず粗相した。 これに男は怒った。 まず怒声を浴びせ、それで鎮まらないので平手で打つ。 中実装はさらに怯えて失禁する。 それはただ男の怒りを募らせるだけで、ついには煙草の火で「やいと」された。 熱さと痛みで、中実装は気絶した。 この試練を乗り越え、 中実装はようやくここが自分の新たな生活空間であると認識し、 男を新しい家族、自分が仕えるべき主人であると理解した。 そして、「かすみ」という名前が与えられた。 男はと言えば、あまりに面倒なので、途中でかすみを公園に戻そうと考えた。 しかし、いざ手元に実装石を置くと、なかなか手放すことができない。 たとえ馬鹿な野良実装でも、家の中に誰かがいてくれるというだけで、 不思議と気持ちが落ち着いたのだった。 しかし、それにしてもかすみは物覚えが悪かった。 粗相こそしなくなったものの、何度教えられても後片づけができず、 洗濯のやり方も覚えられなかった。 風呂に入るたび、石鹸やシャンプーの使い方を教えなければならなかった。 驚異的な再生能力を持つ実装石を、暴力で躾けるのは珍しいことではない。 男も殴り、蹴り、煙草の火を当ててかすみを躾けた。 日常的な暴力は、男の嗜虐性を高め、自制心を麻痺させた。 いつからか、躾のための暴力が、暴力のための暴力へと変化した。 仕事がうまくいかないといっては殴り、 人間関係に疲れたといっては蹴った。 かすみは、これに耐えた。 自分が苦痛に耐えさえすれば、今の関係が維持されることを、 経験で知っていたからである。 苦痛に懸命に耐えるかすみを見て、男の中に疑念が湧いた。 自分はどうしてかすみを拾ったのか、と。 実装石を虐待したかったからか? 違う。 ストレス発散の道具が欲しかったのか? 違う。 雨に打たれてかわいそうだったからか? それもある、が、それだけではない。 自分は早くに両親を亡くし、 義務教育を終えるまでは親戚の間をたらい回しにされた。 希薄な血縁関係は、わずかでも期待を抱いてしまうため、 時に赤の他人より残酷だった。 自分には誰も手を差し延べてくれなかった。 だから──。 にもかかわらず、自分はかすみに暴力を振るっている。 無理なのだ。 家族の愛情を知らないで育った自分が誰かと一緒に暮らすなど、 土台、無理な話なのだ。 男はかすみと一緒に、あの公園へ出かけた。 できる範囲で、精一杯のおめかしをしてやった。 慣れない手つきで、後ろ髪にそれぞれリボンを結わえてやる。 百円ショップで買った子供用のポシェットを肩から提げさせる。 中には、かすみの好きなかりんとうを詰めて。 かすみは大喜びでくるくる回った。 最初は自分の後姿を確認するために、次に男に喜びを伝えるために。 スカートがふわりと持ち上がる。 芝生の隅でボール遊びをし、砂場で遊んだ。 山を作り、トンネルを掘るのに夢中になっているかすみを置いて、 男は一人、公園を出ようとした。 そのほうがいい。 自分と一緒にいると、かすみは不幸になる。 しかし、未練はあった。 決して振り返るまいと思っていたが、つい後ろを向いてしまう。 涙を溢れさせ、鼻水を垂らし、全力でこちらに向かってくるかすみがいた。 この調子なら、脱糞もしている筈だ。 男の足に抱きつくと、決して離すまいと、かすみは力を込めた。 涙と鼻水と、その他の体液で、ジーパンの裾はどろどろになった。 「帰って、一緒に洗濯しような」 男もまた、試練を乗り越えたのだ。                  ※ 「それなのに、ご主人様はひどいデッスン」 自分の子供をあやす男を、距離を置いて見つめるかすみ。 男は不慣れな手つきで、四匹の仔実装のおしめを交換していた。 「あー、もう、お前らは、ブリブリブリブリと。 少しは遠慮ってものを知らないのか。まったく、母親似だなあ」 男の言葉がぐさりと突き刺さる。 確かに自分はゆるいほうだったが、あの日以来、粗相はしていない筈だった。 「ワタシはトイレをすぐに覚えましたデス」 そう言ったところで、まるで無視だ。 仔実装の世話に夢中になっている。 おしめを交換された仔実装は、順番に立ち上がり、 テチャテチャ鳴きながら部屋中を歩き回っている。 自分がこの家に来た時にこんなに騒いでいたら、ぶっ飛ばされていた筈だ。 「お前たち、もっと静かにするデス。近所迷惑デス」 仔実装はなかなか言うことを聞いてくれない。 すると男は、プルバック式のゼンマイで走るミニカーを取り出した。 カチカチと音を立てて後退させて、手を離す。 ミニカーがダッシュで走る。 仔実装たちがそれを追いかける。 「テチャー!」 壁にぶつかるミニカー。 一匹の仔実装も勢い余って、頭を壁にぶつけてしまった。 「あらあら、この子は」 かすみより先に、男が仔実装を抱きかかえてあやす。 その姿はまるで、若いお父さんといった具合だ。 かすみは悲しそうに、差し出した手を下に下ろした。 長女が、かすみのほうを見て、「テチャア」と笑う。 笑いながら、近寄る。 「ん、どうした?」 男が長女のほうを見る。 長女はかすみを指差し、「テッチャア」と鳴いた。 「本当にお前たちは不思議だよな」 男は言った。 「時々何もない壁をじっと見つめて。 それともお前たち実装石だけには、何か特別なものが見えるのか?」 「デェッ!?」 男の言葉に、かすみは驚いた。 男の目に、自分は映っていない? 確かに変だった。 いつの間にか、男の言葉が理解できるようになっていた。 自分はどうなってしまったのか? ああ、そうでしたデス。 ワタシは本当に物覚えが悪くて困るデスゥ。 「ワタシは殺されたんデス」                  ※ 両の目が緑色になり、かすみは妊娠の兆候を示していた。 男は、素直に喜んだ。 暮らし向きを考えると、これ以上、扶養家族が増えるのは厳しかった。 しかし、それ以上に家族が増えることに喜びを感じていたのである。 言葉は通じなくても、男が自分の妊娠を喜んでいることが伝わった。 かすみは男に公園へ行くことをせがんだ。 母親に、自分も母親になることを報せるためである。 男の部屋を自分の家だと感じるようになってからも、 実母と妹たちのことを忘れたことはなかった。 ばかりか、会えなくなった時間に比例して、思いが募っていった。 どれほど嫌なことを忘れられると言っても、 家族と一緒に過ごした時間が不幸せだったという思い出は残っている。 それでも、血を分けた肉親である。 一目顔を見ておきたかった。 こんな感情に押し流されてしまうのも、 親実装の教育が不十分だったからである。 それは、野良生活を送る実装にとって「甘え」に他ならなかった。 かすみに案内されるまま、男は公園の奥へと歩を進めた。 臨月を迎え、腹部ははちきれんばかりに大きい。 茂みの奥に段ボール箱、そしてその中に薄汚れた親実装がいた。 十分な距離がある筈なのに、悪臭が追いかけてくる。 段ボール箱の底にへばりついた髪の毛と小さな骨に気づいていれば、 この後の惨劇を防げたかもしれなかった。 男は、親子の対面を邪魔したくないと、かすみの手を離した。 かすみは一匹で段ボール箱へ向かう。 「ママ」の呼びかけに、背中を向けていた親実装が振り向いた。 別れて数カ月だというのに、親実装はすっかり老け込んでいた。 「お前、今頃何しに戻ってきたデス?」 「妹たちは? 餌取りデス?」 「その格好!」 親実装は、かすみの問いに答えずに言った。 「はん、自分は拾われて飼い実装になったデス? それでワタシたちを蔑みに来たデス?」 「そんなことはないデスゥ!」 「お前がいなくなって餌も取れなくなって、妹たちは死んだデス」 自分が食い殺した、とは言わない。 かすみは衝撃を受けた。 自分のせいで、妹たちが死んだ? 「そうデス、お前が妹たちを殺したデス!」 親実装は段ボール箱から抜け出すと、かすみの前に立った。 男には、感動の親子の対面に見えた。 しかし、一瞬の後に悲劇が訪れた。 「だから姉のお前もワタシに食われるデス!」 呆然と立ち尽くしていたかすみを、親実装が頭からかぶりついた。 自分の子供をはじめ、同族殺しの経験豊富な親実装は、 一撃でかすみの偽石を噛み砕いた。 男は一瞬、何が起きたのかわからなかった。 脱兎の勢いで駆け出すと、両手にかすみを取り戻し、親実装を蹴り飛ばした。 こいつを殺すことはいつでもできる、今は急いで病院へ連れて行かなければ。 しかし、偽石を割られたかすみが息を吹き返すことはなかった。 獣医は「お腹の中の子をどうするか」と尋ねてきた。 見たところ野良実装だし、親なしで育てるのは楽ではない。 処分するのも選択肢の一つである。 それは今の男にとって、この上ない愚問だった。                  ※ 「ちょっと待ってろ、すぐ飯にするから」 「テチャー」「テェーン」と、空腹をアピールする仔実装たちに男が答える。 人肌に温めた牛乳に浸したパンの耳を、離乳食代わりに与える。 「テチューン」と、喜びの声が上がる。 男がきっちりと母親の代わりを果たしてくれていることに、かすみは安堵した。 と同時に、それは自分が死んでしまったからだと、強く認識させられた。 そうだ、ワタシは死んだのデス。 「ワタシは馬鹿な実装石でしたが、 死んだらこの世にいられなくなるくらいはわかっているデス。 死んだことにいつまでも気づかなければ良かったデス」 でも、自分が死んだことを忘れていたと知られたら、 きっとご主人様に馬鹿にされるデス。 もうお母さんになったんだから、いつまでも馬鹿なままじゃいられないデス。 矛盾する思いに、かすみは葛藤した。 かすみの姿は消えかかっていたが、長女にはまだ、母親の姿が見えた。 「テチー」と鳴いて近寄ってくる。 「そうデス!」と、かすみは最後に閃いた。 長女を真っ直ぐに立たせ、くるくると駒のように回した。 「テッチュー」と大喜びする長女。 バランスを崩さず、爪先立ちでくるくる回る。 スカートがふわりと浮き上がり、その下のオムツが現れる。 「お、お前……」 男はそれを見て、食べかけのパンを落とす。 まるでかすみが生き返ったみたいじゃないか。 「そうデス、そうデス」 現世から消え去ろうとする、かすみが頷く。 ワタシはこのまま消えてしまうデス。 でもワタシのことはいつまでも忘れないで欲しいデス。 だから、この子の名前は……。 「お前のママはな、出会った時は中実装だったから、春頃に産まれたんだ。 だから、春の花にちなんで『かすみ』って名づけた」 男が花に詳しいのは、母親譲りだった。 伝わらないのを承知で、男は長女に話しかけた。 かすみのことが嫌でも思い出され、誰かに話さずにはいられなかった。 「かすみそうの花言葉は、『清い心』。 お前のママは馬鹿だったけど、心は清らかだったと思うよ、多分。 だから、あんな目に遭ったわけだけど」 うんうん、だからその子の名前は……。 「だから、『かすみ』って名前は縁起が悪いな」 そんな、あんまりデスゥ。 思い立ったが吉日、今のうちに名前を決めてしまおう。 男は母の形見の『花図鑑』をぱらぱらとめくって、名前を探す。 花粉で子供を作る実装石には、花の名前が一番ふさわしいと考えていた。 「バーベナ、はなてまり──よし、お前は『マリ』だ。 花言葉は……」 「デェ、それを聞いてから消えたいデスゥ」 かすみの願いも空しく、ふっと意識が消えた。 完全に現世と別れを告げた。 「花言葉は『家族の和合』。うん、我ながら良いセンスだ。 お前はお姉ちゃんなんだから、しっかり頼むぞ。 失業保険が切れるまでには、一人前になってもらわないと」 そう言って、男はマリと名づけられた仔実装の頭を撫でた。 「テッチー」と、何を言われたのか知ってか知らずか、 マリは両手を挙げて答えた。 自分の食事そっちのけで残る三匹の名づけを悩む男に、 たんすの上に置かれた写真の中のかすみが視線を送っていた。 それは、別れを覚悟した日に撮った写真だった。 その写真立てには、リボンが巻かれていた。 あの時と同じように、不器用な形で。 【終】

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1 Re: Name:匿名石 2018/10/06-16:36:01 No:00005609[申告]
失業保険が切れるまでには、一人前になってもらわないと → これが何の意味でしょうか?
2 Re: Name:匿名石 2018/10/06-21:02:43 No:00005610[申告]
単に男の状況と仔実装に成長してほしい期間を示す言葉だと思う
ただ、失業保険が切れる頃には男自身も何かしら仕事を得る予定なのであれば経済状況は上向くから実装に成長を求めなくても余裕は今より増すはずだが…
と思ったけど仕事が得られるなら日中家には居られなくなるな
だからそれまでに仔実装たちに半日放置されても大丈夫になってほしいという意味だと推理した
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