タイトル:【塩】 親指実装の楽園 後編
ファイル:親指実装の楽園 後編.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:547 レス数:1
初投稿日時:2006/01/14-00:00:00修正日時:2006/01/14-00:00:00
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親指実装の楽園後編 06/01/14(Sat),23:09:14 from uploader ようやく朝日が差し始めた。 「・・・レチッ・・・」 朝もやと冷たい空気の中、先頭を行く親指が片手を上げ、小さく鳴いて合図をする。 入り口の傍らでは仔実装は食い散らかした親指の残骸にまみれ、高鼾をかいている。 その様子を伺いながら、足音を忍ばせて壁際をじりじりと伝ってくる親指が数匹。 あれから一晩が経過しているが、彼らの飢えはもう限界だった。 身体の小さい親指実装は体内に栄養を蓄えておける容量よりも消費する量の方が大きく、 少量とはいえ半日に一度は食事をしないとたちまちに衰弱して死んでしまうのだ。 特に今のような冬場には寒さがそれに拍車をかける。 「・・・レヒィ!」 入り口まであと30センチ弱。 あとわずかな距離なのだが、仔実装に近づく恐怖感に耐えられなくなった一匹が突然に 弾かれたように走り出す。その驚きと恐怖はたちまちに伝播し、パニックと焦りに後押し される形となった親指達が入り口へ向かって一斉に走り出す。 だが、その短い歩幅ではいかに懸命に動こうとその速度は亀の歩みのようなものだ。 幸いにも満腹で眠り込んだ仔実装は親指達の気配で起きる様子は無い。 見つかってしまえば間違いなく捕まってしまった仲間達の後を追う事になるだろう。 「レ、レチュウ!?」 逃げられる!? 逃走の成功を確信した先頭の親指が入り口に飛び込もうとした瞬間、そこにあった何か に顔面からぶつかり、その反動で後ろへ弾き飛ばされる。 「チ゛エエッ!」 「「「チ゛ャアアアー!」」」」 続く後続たちもその様子に慌てて止まろうとするが間に合わず、転がった親指に躓いて 次々に転倒してゆく。 「・・・テチュウ・・・」 「「レエエエッ!」」 もそりと起き上がった仔実装が少しでも離れようともがく親指達を見下ろす。 親指達が自分が眠っている隙に逃げ出そうと動いている事は、軽いスポンジの床がその 動きを振動として伝えてきていた。 たとえ目が醒めなかったとしても、入り口には親指達の死体を詰めたエサ運びの箱を 置いておいたので、非力な親指には数匹がかりであってもこれを押し出して脱出する事 など出来よう筈もない。 「レヒィィー!」 「レチャアア!」 「チエエッ! チエエーッ!」 親指が立ち上がろうとすると、その傍らの親指が仲間の身体を押しのけてでも立ち上が ろうとし、お互いの足を引っ張り合う。 誰か一人を立ち上がらせ、相手に手を貸してやればすぐさま全員立ち上がる事は出来る のだろうが、他人を前に押し出して我先に逃げ出す事しか頭に無くなった今の状況では 到底無理な話だ。 「「「レヒ゜ィィィー!!」」」 仔実装が一歩踏み出すといよいよ迫った死の恐怖に親指達は金切り声を上げる。 ママ、やめて! 親指の一匹が叫ぶと、目の前まで伸ばされていた仔実装の手が戸惑うように止まる。 ワタシ、いい子になるから。 エサ運びもきちんとママを手伝うよ。 ちゃんとママの言う事を聞きます。 ここぞとばかり、ママであった事を思い出させる言葉を立て続けに並べる親指達。 しかし、それを口にする親指達には今まで自分達の為に働いてくれていた仔実装に 向けていた仕打ちや昨日の嘲りの数々など記憶にも留めてもいまい。 これが親指達の本心から言葉ではないのは言うまでもない。 『ママ』を絡めた内容の言葉が、仔実装を騙すことが出来る方法なのだと気づいた事 ので、咄嗟に思いつくその場限りの言葉を発しているだけに過ぎないのだ。 自分に利があるなら、それがどんなに恥知らずで醜悪な真似だとしてもやってのける 存在・・・それが実装石。 見かけこそは小さいが、その本質はやはり成体と大差は無いものなのだ。 「「「レチュー!」」」 ママー! 動きの止まった仔実装にこれでいけると判断したのだろう、親指達が涙を流し、両手を 伸ばして哀れそうにレチュレチュと鳴いてみせる。 なにせ大切な『ママ』なのだ、ここからいなくなってしまっては困る。 そうしたら自分達でエサを取りにいかなくてはならないし、何よりわざわざ『家』から 出て、寒くて危ない外へなんて行きたくない。 そんな事をする位ならママのご機嫌取りして仲間と遊んでいた方がマシだ。 一度止まった仔実装の手が戻り、次は両手で親指実装の一匹をそっと持ち上げた時、 彼らは自分達の演技で仔実装を騙す事が出来た事を確信し、内心ほくそ笑む。 「テヂィィィィッ!!」 「「フ゛ゥッ!」」 笑うなぁぁぁぁッッッ!! 次の瞬間、高く持ち上げられた親指は足元で甘え声を上げる仲間に力いっぱい叩き付け られ、お互いに頭を陥没させて絶命する。 にやついた表情のままでママ、ママと繰り返す親指達の様子が、あの時の同じ表情が 仔実装を激昂させた。 言葉と表情が伴わないとは、演技以前のとんだ三文芝居だ。 やめて、ママ! その怒りの矛先が自分達に向けられるに至り、残った親指達はようやく演技の表情と 言葉を捨て、恐怖で表情と声を一致させた。もはや声にならないかすれた悲鳴を上げ、 残る三匹の親指達は泳ぐように手足をばたつかせて逃げようとする。 親指実装は四つんばいの体勢では大きな頭が邪魔をして動く事もままならない。 かといって短い手足でひっかかりのないマットレスの床を掻いて這おうとしてみた所で ただもがくばかりで前に進んでいる様子は一向に無い。 最後尾の一匹が両手で捕まえられ、頭上まで持ち上げられると二匹へと叩きつけられる。 「チヘ゛ァッ!」 「チ゛ヒィィ!」 当たった角度が悪かったのか、叩きつけられた親指が妙な角度でバウンドし、顔を ありえない方向に向けて絶命する。 下敷きとなった二匹も片方は後頭部を、もう片方は胴体を潰され、身体中の穴から血を 噴いて痙攣し、全身で断末魔の様相を表現してみせる。 「「・・・レチィィ・・・レチィィィ・・・」」 許して・・・許して・・・。 うわ言の様に「許して」を繰り返すだけとなった親指を片手で一匹ずつその胸倉を掴み、 目の前まで持ち上げる。 そこには転んで泣く自分達を優しく抱き起こしてくれた仔実装の姿は既にない。 「「・・・レチュゥゥ・・・レチィアア・・・」」 ママ・・・あの頃の優しいママに戻って・・・。 その言葉に、仔実装は親実装と暮らした一週間を思い出す。 何か気に入らない事があればうるさいと叩かれ蹴り飛ばされ、乳はろくに与えて貰えず、 母親の気まぐれで食事に選ばれる毎日。 ママと呼ばれるようになってから、自分はあんなヤツにはなるまいと努力をしてきた つもりだったが、どうやらそれは違っていたようだ。 あれが正しい。 こんな生意気なチビ達の扱いはあのママがやっていた方法が正しかったのだ。 「・・・テチュウ・・・テッチュー・・・」 ワタシの知ってるママというのはね・・・どんなに泣いてもお願いしても、痛い事を 止めてはくれないものなの。 仔実装はその両腕を大きく広げた。 仲間の肉を食べるようになってから急に力が強くなった気がする。こんな事も簡単に 出来るのだ。 「テチィッ!」 「「チフ゛ッ!!」」 だからダメよ! 力を込め、目の前でその頭同士を勢いよく叩き付けると、ぽん、と小気味よい音がして 頭蓋が綺麗に破裂した。 親指達のその惨めったらしい死に様に、仔実装は思わず吹きだして笑い始めた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「テープゥ・・・」 いささか早い朝食だったが、4匹分の親指の肉を平らげて丸く膨らんだ腹をさすり、 仔実装はげっぷを漏らす。 「テプププ」 昨日から断続的に繰り返された脱走劇と親指達の必死な様子をふと思い出し、仔実装は 嘲るように笑いを漏らす。 何も考えずに入り口に向かって全力疾走。 弱った仲間を囮に。 改心したという寸劇で許しを乞う。 哀れな程に道化を演じた親指達は例外なく叩き潰されてエサとなった。 こんな簡単な事ならもっと早くやっておくべきだった。あいつらの仕打ちに黙って耐えて エサ運びをしなくても、時折にこうやってママの真似をして言う事を聞かない子を皆の 前でじわじわと齧り、脅して言う事を聞かせていればよかったのだ。 ああ・・・もっと早く本当のママになっておけばあんな惨めな思いはしなかったのに。 だが、先程の4匹が最後の生き残りだったようだ。 大声で脅しても何の反応もなく、わざわざ一回りして見回った所、ボロ布の下や物陰に 餓死した親指が2〜3匹転がっていただけだった。 どれも食料にしようと齧った形跡があるが、歯も生え揃っていない親指には肉を噛み 千切るのは無理だったらしい。 これも食事にしようと仔実装はその長い髪をまとめて掴み、引きずって寝室へ向かう。 「テエッ!?」 近づくと菓子の化粧箱の中からは、ぷん、と実装石特有の糞の異臭が漂ってくる。 仕返しとばかりに親指達はここで用を足していたのだ。 布団に使っていたお気に入りのハンカチは親指達の排泄物にまみれ、どんなに知能の 低い実装だったとしてもこれを被って眠ろうなどという気にはなるまい。 「テッチュウー!!」 自分の寝室を台無しにされた仔実装は菓子箱を蹴り飛ばす。 それだけでは怒りは収まらず、手にした親指の死体を何度も壁に叩き付けた。 我に返った時には親指実装の死体が食料にならない程にぐしゃぐしゃになっていた事に 後悔すると、粘塊と化したそれを寝室の糞の中に放り込む。 ひとしきり騒いだ後、急に眠気が襲ってきた。 日の出の頃から親指達の逃亡の気配に目を覚ましていたせいでひどく眠い。 あくびを一つすると仔実装は親指達が寝床に使っていた落ち葉を『家』の真ん中に集め、 その上でボロ布を被ってごろりと横になる。 「・・・プププ・・・」 つい笑いが漏れてしまう。 あまりに楽しい事なので押さえが利かず、ボロ布に包まった何度も左右に大きく転がり、 ついには大きな声ではしゃぐように笑い出す。 親指達がいなくなり、名実共に仔実装がこの『家』の主となったのだ。 これだけ大きく、安全で居心地のいい家を持っている野良の実装石は他にはいるまい。 今日からここは自分だけの『家』・・・いいや、立派で大きなお城だ。 そして自分はここの王様になったのだ。 あの入り口の大きさから大人達や犬猫は入って来られず、段ボール箱の脆い家と違って 雨風にも影響されない。ニンゲンもこの家に入り込もうとしたが、あの頑丈な扉は開け られず、がたがたと揺らすばかりで中に入ってはこられなかった。 何かあったらここに逃げ込めば、決して手出しの出来ない安全な場所だ。 これからはあのチビ達の世話をしなくてよくなった分だけ楽が出来る。 赤い実の枝はなくなってしまったが、自分一人の分のエサならなんとかなるだろう。 今までは怖くて出来なかったが、近くのニンゲンの家から奪ってくればいい。 見つかってもここへ逃げ込んでしまえば大丈夫だ。 「・・・テッチュウ・・・♪」 にやにやしながら、目の前に手を突き出してみる。 チビ達の肉を食べたおかげか、自分はかなり強くなった気がする。 肉を食べたから本気になった自分はあんなに簡単にチビ達を殴り殺す事が出来る程、 強くなったのだ。 入り口の方に目をやると、そこにはまだ親指実装達の死体が山のように残っている。 あれをたくさん食べればもっともっと強くなれるに違いない。 まずはあれを全部食べてもっと強くなって、それからニンゲンの所にいってエサを沢山 奪ってこよう。 その時はもしかしたらニンゲンよりも強くなっているかもしれない。 「テプププ・・・」 仔実装はこれからの楽しい生活を予想してまたにやにやと笑いながら眠りに付く。 現実ではその妄想がどれだけ厳しく、危険な事かも予想すらせずに。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− その夜、寒波の訪れと共に大雪が降った。 雪は翌朝まで降り続き、仔実装が目を覚ました頃には空き地はすっかりと白い雪に 覆われ、厚く積もった雪は『家』の入り口もすっかり埋めてしまっていた。 入り口を塞がれ、初めて見る雪に触れてその冷たさに身震いする仔実装は外へ出る事を 簡単に諦めると朝食用に親指の死体を両手に掴んで寝床へ潜り込む。 太陽が出て、しばらく経てば雪は消えるだろう。 仔実装の頭の中に最初からある知識はそう告げていた。 それから雪が解けて丸い入り口の向こうに外の景色が現われるまでの間、仔実装は 寝床でボロ布に包まって残った親指の肉を齧り、満腹になれば眠るだけの怠惰な生活 サイクルを繰り返した。 『家』の中に興味を引く様な娯楽になるモノもなく、かといって一人で遊ぼうにもこの 寒さでは億劫でたまらない。 必然的に落ち葉の寝床でボロ布をかぶったままでの生活となる。 本来は『家』の外にある側溝にしていた排泄も親指達の便所となってしまったかつての 寝室で済ませるようになり、飲み水も窓辺を伝って落ちてくる結露の水滴を舐めれば それで事足りた。 その単調で変化のない生活の所為で仔実装は自分の身に起こっているある変化に気が 付かぬまま、四日間の朝を迎える事となった。 「テチュウ? ・・・テチィイ!?」 出られない? ・・・なんで、出られないの!? 親指達をすっかりと喰い尽くした仔実装は新たなエサを求めて外に出ようとし、いつも のように四つんばいとなり、入り口を潜ろうとするとその縁に頭をぶつけた。 痛む頭をさすり、もう一度ゆっくりと進んでみてもやはり頭がぶつかる。 頭や額が傷だらけになる程繰り返し、頭がダメなら足からなら・・・と、爪先から身体を 押し込んでゆくと腰のあたりでつっかえてしまう。 「・・・テチュウ・・・♪」 肉を食べ過ぎてお腹がいっぱいだからなんだ! 仔実装は手を叩き、自分に言い聞かせるように努めて明るくを言うと便所に向かう。 パンツを下ろし、精一杯力んで腹の中に残った糞を全てひり出してから再度入り口へ 向かうが、それでもやはり無理な話だ。 「テエエエーン、ティエエエーン! テチュウ、テチィィアアアアー!!!」 出してー、ここから出してー! 誰かー!! ・・・ママー、ママァー! 無駄な行為と自覚しながら半泣きになって何度も何度も繰り返し、「ここから出よう」 という意欲よりも「ここから出られない」という現実と絶望感が心の中で大きくなった 時、蒼白となった仔実装はあらん限りの大声を上げて泣いた。 狂ったようにあたりを駆け回って壁を叩き、滅茶苦茶に騒いで飛び跳ねて物音を立て、 誰かに自分の存在を気づかせようとしたがその程度でコンクリートに四方を囲まれた 中の音が簡単に外に漏れよう筈がない。 最後には恐ろしくて逃げ出してきた母親の事さえも呼ぶようになった。 「テヒィィィ、テヒィィィィ!」 半狂乱となり、入り口に頭を押し付けている仔実装の体躯を見てみるといい。 その頭部や胴体の大きさは明らかにあの丸い穴よりも大きく成長している。 これでは外へ出られよう筈も無い。 この急激な成長の理由は極めて簡単な事である。 成長ホルモン、その源となる偽石を親指実装の肉と共に摂取していた為だ。 本来、構成を同じくする同族の肉とは理想的な栄養バランスを有するものである。 これを仔実装が必要とする栄養量を遥かに超えて飽食し、微量とはいえ成長ホルモンを 含有している偽石を短期間で大量に摂取した結果がこの急成長だ。 丸々と太り、身長も体重もこの空き地へ辿り着いたばかりの頃の二倍近くはあるだろう。 あの小さな痩せっぽっちの仔実装の面影はもうどこにもない。 「デッヂュ・・・デヂュウウ・・・」 声が枯れるまで叫び続けた後、仔実装は『家』の中でありもしない他の出口を探した。 ひび割れや欠けた部分から光が差している場所を見つけてはその周辺を全力で押し、 叩き、最後には鎖と錠前で閉じられた鉄扉に体当たりを繰り返す。 「・・・ッヂュッ! ・・・ッッヂュウッ!」 肉をたくさん食べてニンゲンよりも強くなった筈なのに! 距離を置き、助走をつけてぶつかるが体重の軽い仔実装では身体の弾力で反発し、 まるでボールのように弾き飛ばされて転がるのを繰り返す。 自分の全力でも一ミリたりとも動かない赤錆びた鉄扉、この明確なまでの現実の象徴に 拒まれ、仔実装の中の妄想は少しずつ音を立ててひび割れてゆく。 何度目かの体当たりの時、ぱきん、という軽い音と共に腕の骨がへし割れる。 仔実装の枯れた筈の喉がこれ以上ない程の悲鳴を搾り出した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『家』は確かに親指実装や仔実装にとって楽園であった。 この頑丈な『家』にいる限り、厳しい外界の環境や危険なものは隔絶され、内部の 住人達はそれらに脅かされる事無く生きる事が出来たのだ。 しかし、唯一の丸い入り口はこの楽園に入る資格の有る者を選別していた。 この小さな箱庭に入る事が許されるのは同じ様に小さな身体を持つ者だけであった。 ならば、この楽園に拒絶された者はどうなるのだろうか? 外の世界にいる者は幸いである。 ここを諦め、新たな楽園を探すために苦痛の多い外界を彷徨えばよいのだ。 だが、楽園の中に居るままに拒絶された者はどうなるのか? 外界の厳しい風雨や外敵を遮る為のコンクリート製の壁は、その役目を果たしながらも 瞬時にその意味を変えるだけだ。 野良実装には過分と言える城は、その瞬間から中の主を様々な危機から護ると同時に、 主を外へと出さずに幽閉し続ける牢獄と化したのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「タケ、やっぱちょっと待って、ストップ! ストォーップ!」 同僚の声に作業員はレバーを戻して小型重機のアームを止め、エンジンを切る。 「どーしたよ、ガス管でもあったん?」 「こん中で宝探しすんのよ、宝探し。あん時からなんか気になってんだよ」 作業員は手にした大型のワイヤーカッターで扉を塞いでいた鎖を切断すると軋むその扉に バールを差し込み、さび付いた蝶番を軋ませるように開いてゆく。 その途端に異臭が鼻をつく。 「うわ、臭っせえ!」 「うげぇぇぇ」 作業員は慌てて飛びのき、離れた場所で二人揃ってえずいた。 肉の腐敗臭と実装の糞の独特の臭いだ。 ここ数日の春のような気温で篭った臭気が一層強まったに違いない。 室内はガラクタやゴミが散乱し、遠目からでも荒れ果てた室内にはお世辞にもお宝と やらになりそうなものは見当たらない。 「本当にお宝なんてあんのココ・・・」 「うっせぇ・・・いいや、やっぱさっきのナシ。とっととブッ壊しちまうの決定な」 「自分で止めといてなんだよソレは・・・」 二人が自分の持ち場に戻り、重機のエンジンが再び唸りを上げた。 巨大なバケットはコンクリ製の壁を遠慮なく打ち倒し、鋼鉄の爪がたやすくそれを 砕いてゆく。 二時間程で小屋は形を失い、土台の基礎部分までも引き剥がされ、それがダンプに 乗せられて運び出された後にはこの空き地に小屋があったという跡形は抉られた地面 のみとなっていた。 「・・・・・・・・・テチー・・・・・・・・・・・」 草叢の中から小さくか細い声で何かが鳴いた。 もぞもぞと薄汚れた緑色の痩せた身体を震わせ、弱々しく芋虫のように這い始める。 四肢の先端を失い、垢と埃で薄汚れてはいるがそれは確かに仔実装であった。 あれから仔実装は生きる為に足掻き続けた。 『家』の中に残った親指のわずかな破片を拾い、便所に残った乾きかけた糞に吐き気を 憶えながら飲み込んでまで生き延びようとした。 最後には空腹が見せた親指実装の肉を味わう幻覚に負けて自分の四肢を再生しなくなる まで喰らい続け、文字通りに手も足も出なくなっていた所だった。 それが後は飢えて乾いて死を待つのみとなっていた所に今日の解体作業だ。 その最中、運良く小屋から外へはじき出され、九死に一生を得たのだから奇跡としか 言いようが無い。 「・・・・・・テチュー・・・・・・テチィ・・・・・・」 仔実装は手近にあった草に手当たり次第に齧りつき、長い事空腹だった胃の中に食物が 落ちる感覚に思わず涙を流した。 その時、ふと顔を上げた仔実装の視線の先に懐かしい赤い実が見えた。 全て切り落とされた筈の南天の枝が、隣家の柵の隙間からこちらの空き地側に垂れ 下がっている。雪の重みでこちらに押し出されたのだろう、まばゆいばかりの真っ赤な 実をたわわに実らせている。 「・・・テッチュウ・・・」 ごくりと唾を飲む。 薄れ掛けていた仔実装の記憶の中から、この空き地で初めて食べた南天の味が拾い 出される。 毎日食べてはいたが、おいしいという記憶はなかったが、記憶の中で美化された 思い出は仔実装をそこへ向かって進ませた。 「・・・テチ・・・テチ・・・」 頭の中は既に南天の実の事で一杯だった。 美化された赤い実の味に涎を垂らし、そこから視線を外さずに仔実装は慣れないながら も全身を使って尺取虫のように這い、少しずつ少しずつ前に進んでゆく。 「テチッ!? ・・・テチャャャャアアアアア・・・!!」 あと少し、あと少し・・・。 南天の枝が真上近くに見える様になった頃、仔実装の身体が急に横へ傾き、どこか 斜面をころころと転げ落ちてゆく。 一瞬の出来事に目を回し、数分後に意識を取り戻した仔実装は周囲を見回して驚きの 声を上げる。 そこは周囲を斜面に覆われた、広く平らな穴の底。 見上げればそこには目指していた南天の枝が風に揺れている。 小屋の土台を撤去した穴に落ちてしまったのだ。 這って上がろうにも固められていない斜面は脆く、アリジゴクの穴のようにざらざらと 崩れてゆくので這うしかない仔実装にはこれを上がってゆく事は出来そうにない。 「テチャアアア!!」 しかし、仔実装は穴から出ようともがく事を止めなかった。 草を齧り、再び食事をする事を思い出してしまった仔実装の脳裏には網膜に強く焼き ついた頭上の赤い実を食する以外の事は考えられなくなっていた。 それまで閉じ込められていた場所からようやく解放されたものの、形は違えど、再度 脱出できない同じ場所に閉じ込められてしまうとはなんと皮肉な事だろう。 いっその事、カラスか猫にでも気づいて貰えれば楽だったろうに。 「テチィィィ・・・テチィィィ・・・」 登る・・・すべり落ちる・・・登る・・・すべり落ちる・・・。 それでも尚、仔実装は赤い実を求めて斜面に挑み続けた。 脳裏に浮かぶ南天の実の味を想像し、それを味わえない悔しさから涙を流す仔実装。 西の空に血の色をした残照が消えてゆく。 まもなく暗く冷たい夜が始まろうととしていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 注釈. 及び後記. 06/05/12(日)23:00:00 作者コメント: 遅れましたが「親指実装の楽園」の後編、お届けします。 一週間開いちゃったし、せっかくだから追加追加・・・と、やって容量5割増量になり、 「中編と後編の間ってなんて表現すればいいんだろう」と本気で考えたりしたのは秘密です・・・orz *1:アップローダーにあがっていた作品を追加しました。 *2:仮題をつけている場合もあります。その際は作者からの題名ご報告よろしくお願いします。 *3:改行や誤字脱字の修正を加えた作品もあります。勝手ながらご了承下さい。 *4:作品の記載もれやご報告などがありましたら保管庫の掲示板によろしくお願いします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 戻る 親指実装の楽園後編 06/01/14(Sat),23:09:14 from uploader ようやく朝日が差し始めた。 「・・・レチッ・・・」 朝もやと冷たい空気の中、先頭を行く親指が片手を上げ、小さく鳴いて合図をする。 入り口の傍らでは仔実装は食い散らかした親指の残骸にまみれ、高鼾をかいている。 その様子を伺いながら、足音を忍ばせて壁際をじりじりと伝ってくる親指が数匹。 あれから一晩が経過しているが、彼らの飢えはもう限界だった。 身体の小さい親指実装は体内に栄養を蓄えておける容量よりも消費する量の方が大きく、 少量とはいえ半日に一度は食事をしないとたちまちに衰弱して死んでしまうのだ。 特に今のような冬場には寒さがそれに拍車をかける。 「・・・レヒィ!」 入り口まであと30センチ弱。 あとわずかな距離なのだが、仔実装に近づく恐怖感に耐えられなくなった一匹が突然に 弾かれたように走り出す。その驚きと恐怖はたちまちに伝播し、パニックと焦りに後押し される形となった親指達が入り口へ向かって一斉に走り出す。 だが、その短い歩幅ではいかに懸命に動こうとその速度は亀の歩みのようなものだ。 幸いにも満腹で眠り込んだ仔実装は親指達の気配で起きる様子は無い。 見つかってしまえば間違いなく捕まってしまった仲間達の後を追う事になるだろう。 「レ、レチュウ!?」 逃げられる!? 逃走の成功を確信した先頭の親指が入り口に飛び込もうとした瞬間、そこにあった何か に顔面からぶつかり、その反動で後ろへ弾き飛ばされる。 「チ゛エエッ!」 「「「チ゛ャアアアー!」」」」 続く後続たちもその様子に慌てて止まろうとするが間に合わず、転がった親指に躓いて 次々に転倒してゆく。 「・・・テチュウ・・・」 「「レエエエッ!」」 もそりと起き上がった仔実装が少しでも離れようともがく親指達を見下ろす。 親指達が自分が眠っている隙に逃げ出そうと動いている事は、軽いスポンジの床がその 動きを振動として伝えてきていた。 たとえ目が醒めなかったとしても、入り口には親指達の死体を詰めたエサ運びの箱を 置いておいたので、非力な親指には数匹がかりであってもこれを押し出して脱出する事 など出来よう筈もない。 「レヒィィー!」 「レチャアア!」 「チエエッ! チエエーッ!」 親指が立ち上がろうとすると、その傍らの親指が仲間の身体を押しのけてでも立ち上が ろうとし、お互いの足を引っ張り合う。 誰か一人を立ち上がらせ、相手に手を貸してやればすぐさま全員立ち上がる事は出来る のだろうが、他人を前に押し出して我先に逃げ出す事しか頭に無くなった今の状況では 到底無理な話だ。 「「「レヒ゜ィィィー!!」」」 仔実装が一歩踏み出すといよいよ迫った死の恐怖に親指達は金切り声を上げる。 ママ、やめて! 親指の一匹が叫ぶと、目の前まで伸ばされていた仔実装の手が戸惑うように止まる。 ワタシ、いい子になるから。 エサ運びもきちんとママを手伝うよ。 ちゃんとママの言う事を聞きます。 ここぞとばかり、ママであった事を思い出させる言葉を立て続けに並べる親指達。 しかし、それを口にする親指達には今まで自分達の為に働いてくれていた仔実装に 向けていた仕打ちや昨日の嘲りの数々など記憶にも留めてもいまい。 これが親指達の本心から言葉ではないのは言うまでもない。 『ママ』を絡めた内容の言葉が、仔実装を騙すことが出来る方法なのだと気づいた事 ので、咄嗟に思いつくその場限りの言葉を発しているだけに過ぎないのだ。 自分に利があるなら、それがどんなに恥知らずで醜悪な真似だとしてもやってのける 存在・・・それが実装石。 見かけこそは小さいが、その本質はやはり成体と大差は無いものなのだ。 「「「レチュー!」」」 ママー! 動きの止まった仔実装にこれでいけると判断したのだろう、親指達が涙を流し、両手を 伸ばして哀れそうにレチュレチュと鳴いてみせる。 なにせ大切な『ママ』なのだ、ここからいなくなってしまっては困る。 そうしたら自分達でエサを取りにいかなくてはならないし、何よりわざわざ『家』から 出て、寒くて危ない外へなんて行きたくない。 そんな事をする位ならママのご機嫌取りして仲間と遊んでいた方がマシだ。 一度止まった仔実装の手が戻り、次は両手で親指実装の一匹をそっと持ち上げた時、 彼らは自分達の演技で仔実装を騙す事が出来た事を確信し、内心ほくそ笑む。 「テヂィィィィッ!!」 「「フ゛ゥッ!」」 笑うなぁぁぁぁッッッ!! 次の瞬間、高く持ち上げられた親指は足元で甘え声を上げる仲間に力いっぱい叩き付け られ、お互いに頭を陥没させて絶命する。 にやついた表情のままでママ、ママと繰り返す親指達の様子が、あの時の同じ表情が 仔実装を激昂させた。 言葉と表情が伴わないとは、演技以前のとんだ三文芝居だ。 やめて、ママ! その怒りの矛先が自分達に向けられるに至り、残った親指達はようやく演技の表情と 言葉を捨て、恐怖で表情と声を一致させた。もはや声にならないかすれた悲鳴を上げ、 残る三匹の親指達は泳ぐように手足をばたつかせて逃げようとする。 親指実装は四つんばいの体勢では大きな頭が邪魔をして動く事もままならない。 かといって短い手足でひっかかりのないマットレスの床を掻いて這おうとしてみた所で ただもがくばかりで前に進んでいる様子は一向に無い。 最後尾の一匹が両手で捕まえられ、頭上まで持ち上げられると二匹へと叩きつけられる。 「チヘ゛ァッ!」 「チ゛ヒィィ!」 当たった角度が悪かったのか、叩きつけられた親指が妙な角度でバウンドし、顔を ありえない方向に向けて絶命する。 下敷きとなった二匹も片方は後頭部を、もう片方は胴体を潰され、身体中の穴から血を 噴いて痙攣し、全身で断末魔の様相を表現してみせる。 「「・・・レチィィ・・・レチィィィ・・・」」 許して・・・許して・・・。 うわ言の様に「許して」を繰り返すだけとなった親指を片手で一匹ずつその胸倉を掴み、 目の前まで持ち上げる。 そこには転んで泣く自分達を優しく抱き起こしてくれた仔実装の姿は既にない。 「「・・・レチュゥゥ・・・レチィアア・・・」」 ママ・・・あの頃の優しいママに戻って・・・。 その言葉に、仔実装は親実装と暮らした一週間を思い出す。 何か気に入らない事があればうるさいと叩かれ蹴り飛ばされ、乳はろくに与えて貰えず、 母親の気まぐれで食事に選ばれる毎日。 ママと呼ばれるようになってから、自分はあんなヤツにはなるまいと努力をしてきた つもりだったが、どうやらそれは違っていたようだ。 あれが正しい。 こんな生意気なチビ達の扱いはあのママがやっていた方法が正しかったのだ。 「・・・テチュウ・・・テッチュー・・・」 ワタシの知ってるママというのはね・・・どんなに泣いてもお願いしても、痛い事を 止めてはくれないものなの。 仔実装はその両腕を大きく広げた。 仲間の肉を食べるようになってから急に力が強くなった気がする。こんな事も簡単に 出来るのだ。 「テチィッ!」 「「チフ゛ッ!!」」 だからダメよ! 力を込め、目の前でその頭同士を勢いよく叩き付けると、ぽん、と小気味よい音がして 頭蓋が綺麗に破裂した。 親指達のその惨めったらしい死に様に、仔実装は思わず吹きだして笑い始めた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「テープゥ・・・」 いささか早い朝食だったが、4匹分の親指の肉を平らげて丸く膨らんだ腹をさすり、 仔実装はげっぷを漏らす。 「テプププ」 昨日から断続的に繰り返された脱走劇と親指達の必死な様子をふと思い出し、仔実装は 嘲るように笑いを漏らす。 何も考えずに入り口に向かって全力疾走。 弱った仲間を囮に。 改心したという寸劇で許しを乞う。 哀れな程に道化を演じた親指達は例外なく叩き潰されてエサとなった。 こんな簡単な事ならもっと早くやっておくべきだった。あいつらの仕打ちに黙って耐えて エサ運びをしなくても、時折にこうやってママの真似をして言う事を聞かない子を皆の 前でじわじわと齧り、脅して言う事を聞かせていればよかったのだ。 ああ・・・もっと早く本当のママになっておけばあんな惨めな思いはしなかったのに。 だが、先程の4匹が最後の生き残りだったようだ。 大声で脅しても何の反応もなく、わざわざ一回りして見回った所、ボロ布の下や物陰に 餓死した親指が2〜3匹転がっていただけだった。 どれも食料にしようと齧った形跡があるが、歯も生え揃っていない親指には肉を噛み 千切るのは無理だったらしい。 これも食事にしようと仔実装はその長い髪をまとめて掴み、引きずって寝室へ向かう。 「テエッ!?」 近づくと菓子の化粧箱の中からは、ぷん、と実装石特有の糞の異臭が漂ってくる。 仕返しとばかりに親指達はここで用を足していたのだ。 布団に使っていたお気に入りのハンカチは親指達の排泄物にまみれ、どんなに知能の 低い実装だったとしてもこれを被って眠ろうなどという気にはなるまい。 「テッチュウー!!」 自分の寝室を台無しにされた仔実装は菓子箱を蹴り飛ばす。 それだけでは怒りは収まらず、手にした親指の死体を何度も壁に叩き付けた。 我に返った時には親指実装の死体が食料にならない程にぐしゃぐしゃになっていた事に 後悔すると、粘塊と化したそれを寝室の糞の中に放り込む。 ひとしきり騒いだ後、急に眠気が襲ってきた。 日の出の頃から親指達の逃亡の気配に目を覚ましていたせいでひどく眠い。 あくびを一つすると仔実装は親指達が寝床に使っていた落ち葉を『家』の真ん中に集め、 その上でボロ布を被ってごろりと横になる。 「・・・プププ・・・」 つい笑いが漏れてしまう。 あまりに楽しい事なので押さえが利かず、ボロ布に包まった何度も左右に大きく転がり、 ついには大きな声ではしゃぐように笑い出す。 親指達がいなくなり、名実共に仔実装がこの『家』の主となったのだ。 これだけ大きく、安全で居心地のいい家を持っている野良の実装石は他にはいるまい。 今日からここは自分だけの『家』・・・いいや、立派で大きなお城だ。 そして自分はここの王様になったのだ。 あの入り口の大きさから大人達や犬猫は入って来られず、段ボール箱の脆い家と違って 雨風にも影響されない。ニンゲンもこの家に入り込もうとしたが、あの頑丈な扉は開け られず、がたがたと揺らすばかりで中に入ってはこられなかった。 何かあったらここに逃げ込めば、決して手出しの出来ない安全な場所だ。 これからはあのチビ達の世話をしなくてよくなった分だけ楽が出来る。 赤い実の枝はなくなってしまったが、自分一人の分のエサならなんとかなるだろう。 今までは怖くて出来なかったが、近くのニンゲンの家から奪ってくればいい。 見つかってもここへ逃げ込んでしまえば大丈夫だ。 「・・・テッチュウ・・・♪」 にやにやしながら、目の前に手を突き出してみる。 チビ達の肉を食べたおかげか、自分はかなり強くなった気がする。 肉を食べたから本気になった自分はあんなに簡単にチビ達を殴り殺す事が出来る程、 強くなったのだ。 入り口の方に目をやると、そこにはまだ親指実装達の死体が山のように残っている。 あれをたくさん食べればもっともっと強くなれるに違いない。 まずはあれを全部食べてもっと強くなって、それからニンゲンの所にいってエサを沢山 奪ってこよう。 その時はもしかしたらニンゲンよりも強くなっているかもしれない。 「テプププ・・・」 仔実装はこれからの楽しい生活を予想してまたにやにやと笑いながら眠りに付く。 現実ではその妄想がどれだけ厳しく、危険な事かも予想すらせずに。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− その夜、寒波の訪れと共に大雪が降った。 雪は翌朝まで降り続き、仔実装が目を覚ました頃には空き地はすっかりと白い雪に 覆われ、厚く積もった雪は『家』の入り口もすっかり埋めてしまっていた。 入り口を塞がれ、初めて見る雪に触れてその冷たさに身震いする仔実装は外へ出る事を 簡単に諦めると朝食用に親指の死体を両手に掴んで寝床へ潜り込む。 太陽が出て、しばらく経てば雪は消えるだろう。 仔実装の頭の中に最初からある知識はそう告げていた。 それから雪が解けて丸い入り口の向こうに外の景色が現われるまでの間、仔実装は 寝床でボロ布に包まって残った親指の肉を齧り、満腹になれば眠るだけの怠惰な生活 サイクルを繰り返した。 『家』の中に興味を引く様な娯楽になるモノもなく、かといって一人で遊ぼうにもこの 寒さでは億劫でたまらない。 必然的に落ち葉の寝床でボロ布をかぶったままでの生活となる。 本来は『家』の外にある側溝にしていた排泄も親指達の便所となってしまったかつての 寝室で済ませるようになり、飲み水も窓辺を伝って落ちてくる結露の水滴を舐めれば それで事足りた。 その単調で変化のない生活の所為で仔実装は自分の身に起こっているある変化に気が 付かぬまま、四日間の朝を迎える事となった。 「テチュウ? ・・・テチィイ!?」 出られない? ・・・なんで、出られないの!? 親指達をすっかりと喰い尽くした仔実装は新たなエサを求めて外に出ようとし、いつも のように四つんばいとなり、入り口を潜ろうとするとその縁に頭をぶつけた。 痛む頭をさすり、もう一度ゆっくりと進んでみてもやはり頭がぶつかる。 頭や額が傷だらけになる程繰り返し、頭がダメなら足からなら・・・と、爪先から身体を 押し込んでゆくと腰のあたりでつっかえてしまう。 「・・・テチュウ・・・♪」 肉を食べ過ぎてお腹がいっぱいだからなんだ! 仔実装は手を叩き、自分に言い聞かせるように努めて明るくを言うと便所に向かう。 パンツを下ろし、精一杯力んで腹の中に残った糞を全てひり出してから再度入り口へ 向かうが、それでもやはり無理な話だ。 「テエエエーン、ティエエエーン! テチュウ、テチィィアアアアー!!!」 出してー、ここから出してー! 誰かー!! ・・・ママー、ママァー! 無駄な行為と自覚しながら半泣きになって何度も何度も繰り返し、「ここから出よう」 という意欲よりも「ここから出られない」という現実と絶望感が心の中で大きくなった 時、蒼白となった仔実装はあらん限りの大声を上げて泣いた。 狂ったようにあたりを駆け回って壁を叩き、滅茶苦茶に騒いで飛び跳ねて物音を立て、 誰かに自分の存在を気づかせようとしたがその程度でコンクリートに四方を囲まれた 中の音が簡単に外に漏れよう筈がない。 最後には恐ろしくて逃げ出してきた母親の事さえも呼ぶようになった。 「テヒィィィ、テヒィィィィ!」 半狂乱となり、入り口に頭を押し付けている仔実装の体躯を見てみるといい。 その頭部や胴体の大きさは明らかにあの丸い穴よりも大きく成長している。 これでは外へ出られよう筈も無い。 この急激な成長の理由は極めて簡単な事である。 成長ホルモン、その源となる偽石を親指実装の肉と共に摂取していた為だ。 本来、構成を同じくする同族の肉とは理想的な栄養バランスを有するものである。 これを仔実装が必要とする栄養量を遥かに超えて飽食し、微量とはいえ成長ホルモンを 含有している偽石を短期間で大量に摂取した結果がこの急成長だ。 丸々と太り、身長も体重もこの空き地へ辿り着いたばかりの頃の二倍近くはあるだろう。 あの小さな痩せっぽっちの仔実装の面影はもうどこにもない。 「デッヂュ・・・デヂュウウ・・・」 声が枯れるまで叫び続けた後、仔実装は『家』の中でありもしない他の出口を探した。 ひび割れや欠けた部分から光が差している場所を見つけてはその周辺を全力で押し、 叩き、最後には鎖と錠前で閉じられた鉄扉に体当たりを繰り返す。 「・・・ッヂュッ! ・・・ッッヂュウッ!」 肉をたくさん食べてニンゲンよりも強くなった筈なのに! 距離を置き、助走をつけてぶつかるが体重の軽い仔実装では身体の弾力で反発し、 まるでボールのように弾き飛ばされて転がるのを繰り返す。 自分の全力でも一ミリたりとも動かない赤錆びた鉄扉、この明確なまでの現実の象徴に 拒まれ、仔実装の中の妄想は少しずつ音を立ててひび割れてゆく。 何度目かの体当たりの時、ぱきん、という軽い音と共に腕の骨がへし割れる。 仔実装の枯れた筈の喉がこれ以上ない程の悲鳴を搾り出した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『家』は確かに親指実装や仔実装にとって楽園であった。 この頑丈な『家』にいる限り、厳しい外界の環境や危険なものは隔絶され、内部の 住人達はそれらに脅かされる事無く生きる事が出来たのだ。 しかし、唯一の丸い入り口はこの楽園に入る資格の有る者を選別していた。 この小さな箱庭に入る事が許されるのは同じ様に小さな身体を持つ者だけであった。 ならば、この楽園に拒絶された者はどうなるのだろうか? 外の世界にいる者は幸いである。 ここを諦め、新たな楽園を探すために苦痛の多い外界を彷徨えばよいのだ。 だが、楽園の中に居るままに拒絶された者はどうなるのか? 外界の厳しい風雨や外敵を遮る為のコンクリート製の壁は、その役目を果たしながらも 瞬時にその意味を変えるだけだ。 野良実装には過分と言える城は、その瞬間から中の主を様々な危機から護ると同時に、 主を外へと出さずに幽閉し続ける牢獄と化したのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「タケ、やっぱちょっと待って、ストップ! ストォーップ!」 同僚の声に作業員はレバーを戻して小型重機のアームを止め、エンジンを切る。 「どーしたよ、ガス管でもあったん?」 「こん中で宝探しすんのよ、宝探し。あん時からなんか気になってんだよ」 作業員は手にした大型のワイヤーカッターで扉を塞いでいた鎖を切断すると軋むその扉に バールを差し込み、さび付いた蝶番を軋ませるように開いてゆく。 その途端に異臭が鼻をつく。 「うわ、臭っせえ!」 「うげぇぇぇ」 作業員は慌てて飛びのき、離れた場所で二人揃ってえずいた。 肉の腐敗臭と実装の糞の独特の臭いだ。 ここ数日の春のような気温で篭った臭気が一層強まったに違いない。 室内はガラクタやゴミが散乱し、遠目からでも荒れ果てた室内にはお世辞にもお宝と やらになりそうなものは見当たらない。 「本当にお宝なんてあんのココ・・・」 「うっせぇ・・・いいや、やっぱさっきのナシ。とっととブッ壊しちまうの決定な」 「自分で止めといてなんだよソレは・・・」 二人が自分の持ち場に戻り、重機のエンジンが再び唸りを上げた。 巨大なバケットはコンクリ製の壁を遠慮なく打ち倒し、鋼鉄の爪がたやすくそれを 砕いてゆく。 二時間程で小屋は形を失い、土台の基礎部分までも引き剥がされ、それがダンプに 乗せられて運び出された後にはこの空き地に小屋があったという跡形は抉られた地面 のみとなっていた。 「・・・・・・・・・テチー・・・・・・・・・・・」 草叢の中から小さくか細い声で何かが鳴いた。 もぞもぞと薄汚れた緑色の痩せた身体を震わせ、弱々しく芋虫のように這い始める。 四肢の先端を失い、垢と埃で薄汚れてはいるがそれは確かに仔実装であった。 あれから仔実装は生きる為に足掻き続けた。 『家』の中に残った親指のわずかな破片を拾い、便所に残った乾きかけた糞に吐き気を 憶えながら飲み込んでまで生き延びようとした。 最後には空腹が見せた親指実装の肉を味わう幻覚に負けて自分の四肢を再生しなくなる まで喰らい続け、文字通りに手も足も出なくなっていた所だった。 それが後は飢えて乾いて死を待つのみとなっていた所に今日の解体作業だ。 その最中、運良く小屋から外へはじき出され、九死に一生を得たのだから奇跡としか 言いようが無い。 「・・・・・・テチュー・・・・・・テチィ・・・・・・」 仔実装は手近にあった草に手当たり次第に齧りつき、長い事空腹だった胃の中に食物が 落ちる感覚に思わず涙を流した。 その時、ふと顔を上げた仔実装の視線の先に懐かしい赤い実が見えた。 全て切り落とされた筈の南天の枝が、隣家の柵の隙間からこちらの空き地側に垂れ 下がっている。雪の重みでこちらに押し出されたのだろう、まばゆいばかりの真っ赤な 実をたわわに実らせている。 「・・・テッチュウ・・・」 ごくりと唾を飲む。 薄れ掛けていた仔実装の記憶の中から、この空き地で初めて食べた南天の味が拾い 出される。 毎日食べてはいたが、おいしいという記憶はなかったが、記憶の中で美化された 思い出は仔実装をそこへ向かって進ませた。 「・・・テチ・・・テチ・・・」 頭の中は既に南天の実の事で一杯だった。 美化された赤い実の味に涎を垂らし、そこから視線を外さずに仔実装は慣れないながら も全身を使って尺取虫のように這い、少しずつ少しずつ前に進んでゆく。 「テチッ!? ・・・テチャャャャアアアアア・・・!!」 あと少し、あと少し・・・。 南天の枝が真上近くに見える様になった頃、仔実装の身体が急に横へ傾き、どこか 斜面をころころと転げ落ちてゆく。 一瞬の出来事に目を回し、数分後に意識を取り戻した仔実装は周囲を見回して驚きの 声を上げる。 そこは周囲を斜面に覆われた、広く平らな穴の底。 見上げればそこには目指していた南天の枝が風に揺れている。 小屋の土台を撤去した穴に落ちてしまったのだ。 這って上がろうにも固められていない斜面は脆く、アリジゴクの穴のようにざらざらと 崩れてゆくので這うしかない仔実装にはこれを上がってゆく事は出来そうにない。 「テチャアアア!!」 しかし、仔実装は穴から出ようともがく事を止めなかった。 草を齧り、再び食事をする事を思い出してしまった仔実装の脳裏には網膜に強く焼き ついた頭上の赤い実を食する以外の事は考えられなくなっていた。 それまで閉じ込められていた場所からようやく解放されたものの、形は違えど、再度 脱出できない同じ場所に閉じ込められてしまうとはなんと皮肉な事だろう。 いっその事、カラスか猫にでも気づいて貰えれば楽だったろうに。 「テチィィィ・・・テチィィィ・・・」 登る・・・すべり落ちる・・・登る・・・すべり落ちる・・・。 それでも尚、仔実装は赤い実を求めて斜面に挑み続けた。 脳裏に浮かぶ南天の実の味を想像し、それを味わえない悔しさから涙を流す仔実装。 西の空に血の色をした残照が消えてゆく。 まもなく暗く冷たい夜が始まろうととしていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 注釈. 及び後記. 06/05/12(日)23:00:00 作者コメント: 遅れましたが「親指実装の楽園」の後編、お届けします。 一週間開いちゃったし、せっかくだから追加追加・・・と、やって容量5割増量になり、 「中編と後編の間ってなんて表現すればいいんだろう」と本気で考えたりしたのは秘密です・・・orz *1:アップローダーにあがっていた作品を追加しました。 *2:仮題をつけている場合もあります。その際は作者からの題名ご報告よろしくお願いします。 *3:改行や誤字脱字の修正を加えた作品もあります。勝手ながらご了承下さい。 *4:作品の記載もれやご報告などがありましたら保管庫の掲示板によろしくお願いします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 戻る

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1 Re: Name:匿名石 2023/02/16-22:47:12 No:00006813[申告]
ダークなグリム童話みたいで好きです
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