タイトル:【塩】 家路
ファイル:エ.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1685 レス数:1
初投稿日時:2006/05/28-22:14:54修正日時:2006/05/28-22:14:54
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晴れ渡った空の下、その公園は今日も実装石達のデスデスという喧騒に満ちていた。 かつてはツツジの名所として知られていた広い公園であったが、10年程前から実装石の大繁殖に呑み込まれて以来 近隣住民があまり寄り付かない場所になっていた。 すでにツツジの花は盛りを過ぎていたが、わずかに残った花の蜜を目当てに公園中の実装石達が繰り出してきている。 その中に一組の親仔実装石が居た。 親は先程から同じ花を口でチュウチュウ吸いながら、成体実装でしか取れない高さの花を探しだしては、むしり取って足元の仔実装達に 落としている。  『もう、ほとんど花が残ってないデス。 二、三日前までだったら まだたくさんあったのに。』『もっと早くこんな甘いもの があると知ってたらワタシと仔供達だけで全部平らげる事が出来たのに、まったく他の実装石どもは食い意地が張った奴らデッス。』 飼実装では数年生きることもあるが、野良実装石では よほどの幸運と知恵に恵まれなければ1年以上生きている個体はあまり 居ない。 この公園ではここ数年、そのような運の良い実装石を輩出していなかった。 したがって、ツツジの蜜の味は親から仔に伝承される事無く 実装石達は毎年ごとにツツジの味を偶然発見していた。 大抵の場合、腹をすかせて何でも口に入れる仔実装が花ごとムシャムシャ食べて、甘い甘いと大騒ぎして公園中の実装石に噂が広まる。 すると実装石達が一斉にツツジの植え込みに押しかける。無数に咲き誇っていたツツジの花は仔実装の手の届く下のほうから 無くなっていき、最後は成体実装石の手の届かない高さの花のみを残してツツジの季節が終わる。  この間はわずかに二、三日。 これが毎年のパターンだった。 親実装の足元では9匹の仔実装が『テッチューン♪』『ママ 早く取ってテチ!!』『オナカへったテチュ!』『ママ!! オネエチャンがワタチのツツジ横取りしたテチュ!!』 と騒いでいる。 ツツジの花はなかなか仔実装のところに落ちてこない。 本当に親実装の手の届くところには残っていないのだ。 親実装の吸っている花だって、もう味などしないのだが未練がましく咥えているだけなのだ。 いい加減探すのも面倒になってきた。 横に居る他の家族を見ると、親実装が自分の仔をツツジの上に放り投げて花をとらせようとしている。 自分も真似しようかと見ていたが、放り投げられた仔実装が枝に突き刺さり、親実装は泣きながら仔を回収しようと飛び跳ねている。 あっ、仔実装の身体が裂けた。 ありゃダメだ。 昼に近くなり日差しが強くなってきた、今日も暑くなりそうだ。 足元の仔供達を見ると汗をかいて騒いでいる。大きな頭をずっと上に向けていたので血流が悪くなり『気持ち悪いテチー』とうなされながら ひっくり返っている仔も居る。  名残惜しいが、取れる花は全部取り付くした。ここらで木陰の我が家に引き上げないと身体を悪く しそうだ。 『さあ、今日は終わりデッスー。 オウチに帰るデッスー!!』 親実装は仔実装に宣言する。 『ママ! ワタチにはツツジ来なかったテチ!!』『オナカ一杯にしたいテチュ!』『マダ 上にあるテチュ-!』仔実装らは一斉に抗議するが、 『はいはい、また明日デッス。 ささ、オウチ オウチデッスー。 ついてこない仔は置いてくデッスー。』 もう花は取れない事、 明日来てもどうにもならない事を説明しても 話がこじれそうなだけだし、9匹も相手にするのは考えただけでもうんざりするので 親実装は抗議に耳を貸さずにスタスタと先に歩き出した。 『ママ! 待ってテチ!!』『置いてかないでテチ−!!』 親から離れた仔実装がどんなに危険か、教わらなくても本能で仔実装は 知っている。 仔実装は慌てて親実装の後に付いて行く。 遥か上のツツジの花を最後まで未練がましく見ていた仔実装は、自分の周りに姉妹が残っていないことに気づき、半泣きで追いかけ はじめた。『ママ! ママ−!!』 そして歩道脇の排水溝蓋を斜めに駆け抜けようとした。 その排水溝蓋は細長い金属板を40枚ほど縦に格子状に溶接したもので、板と板の間は3センチ間隔で離れていた。 半泣きの仔実装はここで、まず右足を踏み外してバランスを崩し左足も踏み外して格子板に股間を打ちつけた。 板に引っかかって排水溝には落ちなかったものの、とにかく痛かった。 普段ならここで大泣きするところであるが、 頼みの親実装は随分先をスタスタと歩いている。 置いていかれてはたまらないと右足、左足と格子から引き抜いたが、右の靴が その拍子に脱げて排水溝に落ちていった。  『ママ−!! 待ってテチ− オマタ痛いテチ−! オクツ取ってテチ−! ママ! ママ−!!』 片方裸足の仔実装は泣きながら親実装を 追いかけてヒョコヒョコと走っていった。       実装石親子のダンボールハウスは木の下にあった。 形状としてはダンボール箱の開口部を上に向けただけの もっとも簡単な家で、多少の雨なら木の葉が屋根代わりになるが、大雨では水びだしになり 夕方は西日が直接差し込んで 暑いというデメリットがある反面、仔供が勝手に外に出れないという利点があった。 9匹の仔を抱えて大変な親実装には この点が何よりもありがたかった。 家に着くと、まず親実装は最初に自分が家に入り 上半身を乗り出して仔供を1匹ずつ抱えて入れることにしていた。 『ママ! ワタチをオウチに入れてテチ!!』『次は ワタチ!! ワタチ!!』 9匹の仔を家に入れるとなると結構な作業だが、親実装は黙々とこなしていた。 『デッ?』 仔を抱え上げた親実装の手が止まった。 今抱えている仔、なにか違和感がある。 ジーッとなめるように仔を見つめる。     靴が片方無い・・・。  やっと親の注意が自分に向けられたので、仔実装は少し満足して『ママ オクツが無いテチ』とまるで自慢のような口調で 自分の状況を言い放った。 『靴・・ どうしたデス?』 親実装が尋ねる。 仔実装はつたない口調で排水溝に靴を落とした顛末を話した。 『ママ オクツ取ってテチ!!』 『デ〜 ・・・ 』低い声で鳴きながら、親実装は仔実装をじっと眺めたまましばらく考え込んでいた。 やがて親実装はポンとその仔実装を家の外に置いて、次の仔を抱えて家に入れ始めた。 靴の無い子実装は地べたに座り込んだまま、その光景を眺めている。  その仔実装は親実装を信頼しきっていた。 ママは残りの姉妹をオウチに入れたら、きっと一緒にオクツを取りに行ってくれる。 待っている間 仔実装は『ママ オクツ取ってテチ〜♪ オクツ取ってテチ〜 アト オマタもマダ少し痛いテチ〜♪ 』と 楽しそうに小さな声でハミングしている。 残りの仔を家に入れた後、親実装は靴の無い子実装を向き やや長めに息を吸い込んでから 『お母さんは教えた筈デス。 あなた達の身体や服はお母さんが与えたものデス。もう2度と同じものは与えることは 出来ませんデッス。 だからあなた達は身体や服を大事にしなさいと言ったデス。』 『靴を失くすような仔はワタシの仔では無いデッス!!  どこかに行ってしまえデッス!!!』 と冷たく言った。 突然の勘当宣言に唖然とする靴の無い子実装。 しばらくは口をパクパクしていたが、やがて涙が溢れ出し  『ママ−!! ママ−! イヤテチ−!  ダッコシテ テチ−! オクツ取ってテチ−! ママ! オウチ入れてテチ ママ−!!』  『 ティェェェェ−ン! ママ−!!』 ひっくり返って足をばたつかせて大声で泣き出す。 まだこの時点では仔実装は親実装を心の奥では信じていた。 こうして暴れればきっとママは手を差し伸べてくれるだろう。 いつものように優しく頭を撫でてくれるだろうと。  ペタ    仔実装の頭になにかが当たった。 母親の手に違いないと期待した仔実装は、当たった物を手に取って確認して 思考が固まってしまった。 糞だった。 親実装の方を見ると、ダンボールハウスから親が半身を乗り出し、ダンボールハウスの一角に溜まっていた 姉妹の糞をさらに投げつけようとしている。 『家の近くで大声だすなデッスッ!!! さっさと消えろデッス!! このグズ!!』 鬼の形相だった。 優しかったママに嫌われた。 外敵から守ってくれて、食事をくれて、子守唄を歌ってあやして くれた聖母のようなママに存在を全否定された。  ブリッ ブリリッ  仔実装は激しくパンコンした。 感情の抑制が出来ず気持ちが悪くなり テエエエエとその場で吐く。  ペタ! ペチャ! 糞は容赦なく当たり続ける。   仔実装は『ママ−!!』と母に哀願しようとしたが、顔面にもろに糞が命中しまたひっくり返る。 『ティェェェェン!』仔実装は走り出した。 ここには居られない、ここには居たくない。  仔実装は家に背を向けて走り続けた。 親実装は仔実装の姿が見えなくなるまで見送って、溜息をつきながらダンボールハウスの中に腰を落とした。 実は、服や髪が無いのに比べれば靴が無いことはそれほどのハンデにはならない。公園にいる他の実装石でも靴無しは 時々見かける。   あの仔は仔供のうちで一番成長が遅く出来も悪かった。 生きていくのに必要な知恵を教えたのに覚えない。  何かやらせても、いつでも遅れる。 ダンボールハウスの中で所かまわず最後まで糞を撒き散らしていたのも あの仔だった。  あの排水溝に靴を落としてしまったら成体実装でも取ることは不可能だ。一生あの仔は靴無しで 生きる事になるだろう。 そう、この親実装は先ほど「選別」という名の間引きを行ったのだ。 9匹も仔を抱えていては出来の悪い仔も混じる 食料の調達も大変だ。そして何より出来の悪い仔の軽率な行動は家族全員を危険にさらしかねない。 そろそろ選別をしなくてはならないと思っていたときに、靴を失くすというイベントが発生したのだ。 丁度いいチャンスだった。 他の仔供への教育にもなる。 ただ、通常は選別した仔はその親が殺すのだが、この親実装は選別対象を選ぶことは出来ても、自分の仔に直接手を下す 度胸がまだ無かった。 仔実装を追い出すことで他の実装石に殺させる事を選んだのだ。 『選別なんて簡単デス。』 親は独り言をいうと、また溜息をついた。 ダンボールハウスの中では8匹の仔実装が、ダンボールの壁の向こうで靴を失くした妹に何が起こったか知りたがっていたが、 親の顔色を見て言い出せないでいた。 仔実装達の不安そうな顔を見た親実装は 『おまえたち、服を大事にしないとあの仔のように一人で遠いところにいってもらうデッス。 わかったデス?  さ、今日も暑くなるデッス。 夕方 涼しくなるまでお昼寝デッス!』と声を掛けた。 遠いところとはどこなのか、仔実装達は聞きたかったが、今の母親にはそれを尋ねられない威圧感があった。 騒いで母の機嫌を損ねるよりは、おとなしく従ったほうがよさそうだったので、仔実装達は黙って親実装と同じく 横になり目を閉じた。  『ティェェェェン!』仔実装は走っていた。 走りながら混乱した頭で考えていた。 ママに嫌われた。 靴を失くしたから嫌われた。 嫌われたのはあの靴が無いからだ。 靴が落ちたのはあの靴が悪いから。 悪い靴を取り戻せばママは許してくれる。 靴があればオウチに帰れる。 靴があろうと無かろうと捨てられた仔が家に帰れる筈は無いのだが、仔実装の頭の中では論点が摩り替わっていた。 目標地点は定まった。 目指すは靴を落とした排水溝蓋。 親から離れた仔実装は、他の実装石に見つかり次第 餌食になってしまうのだが、この場合は事情が違っていた。 仔実装の頭は親から投げつけられた糞にまみれており、前の方は吐瀉物まみれだった。 公園の実装石は走っている仔実装に目を留めるが、走る汚物を食べようという気にはならないらしい。 指して嘲笑している。 皮肉なことに 親が仔実装を他の実装石に始末させるために投げつけた糞が、今は仔実装を守っているのだ。 靴を落とした排水溝蓋に着くと仔実装は腹ばいになり排水溝の中に目を凝らす。 暗い。 排水溝のどこかで 詰まっているのか水がよどんで溜まっている。  目をキョロキョロと動かすと見慣れた翠色が目に飛び込んでくる。 あった! 水に浮かぶ丸まった紙くずの上に靴が落ちている。  排水溝蓋から紙くずまでは20センチ。 身長10センチそこそこの仔実装ではどうにもならない高さだが、 混乱した子実装の頭の中ではすぐ手の届く高さに見えていた。 排水溝蓋の板と板の間から手を伸ばす。 届かないので肩まで入れて手を伸ばす。 それでも足りないので 頭もねじ込むようにして手を伸ばす。 そのときだった。 糞まみれの頭が3センチあまりの板と板の隙間にニュルリと嵌ってしまった。 仔実装の頭の直径は 3センチ以上あったが、仔実装の骨がやわらかい事と糞が潤滑剤代わりになって体重がかかった弾みに嵌ってしまったのだ。 いくら骨が柔らかいといっても、やはり骨がひしゃげてはとても痛い。  『テチー!?! イタイテチ−  ママ−! 助けてテチー!! ティェェェェン! ママ−!!』 逆立ち状態で足をバタバタさせて仔実装はもがき苦しむ。 足をバタつかせる仔実装の後ろで、危機が迫っていた。 広場に今やって来た成体実装石が仔実装を見つけたのだ。  『デッスーン!♪ 今日のオヤツ発見デッスーン。  親は近くにいない様デッス。 今日はついてるデッス! 早速いただくデッスーン♪』 成体実装の位置からは仔実装が糞まみれ吐瀉物まみれなのが分からない。 奇妙な仔実装が逆立ちして遊んでいるように しか見えない。  成体実装は思わぬ幸運にはしゃぎすぎていた。出来もしないスキップで近寄り、仔実装を捕まえようと身体を屈めた拍子に 重過ぎる頭が邪魔になり仔実装の上に倒れこんだ。  『テ!? テチ−!   ティェェェェン!』 上から押された仔実装は格子板に左腕の肉をごっそり削られたが、格子を くぐりぬけて下の紙くずに落ちバウンドしてから水に落ちた。   『ティェェェェン! 溺れる! 溺れるテッチー!! 』水の中で暴れていた仔実装だったが、足が底に着く事に気づくと少し落ち着きを 取り戻した。水は胸ぐらいの高さまでしかない。 浮いている紙くずの端をつかんで身体を休めると上を見上げた。 格子蓋の上では顔に何本もミミズ腫れを作った実装石が悔しそうに仔実装を睨みつけている。 成体実装の大きさでは格子の間は手の先ですら通せない。悔し紛れに小石を何個か蹴りいれると、成体実装は 『デププ どうせそこからは出られないデッス!』と嘲笑して立ち去っていった。 何が起こったのか仔実装はわからなかった、どうやら目的地に着いたらしいことは理解できた。 靴、靴はどこ? と紙くずの上を見ると、まだそこに靴が乗っかっている。 手を伸ばして取ろうとした時、左手の骨が 見えている事に子実装はやっと気が付いた。 『ティ ティェェェェェェン! 痛いテチ!! テが! オテテが!!』 今日何度めの大泣きであろうか。 また仔実装は泣き出した。 何時間か経った。 涙も枯れ果てた。 腕は痛むものの、薄い皮膚が再生されはじめて傷を塞いでいる。 服を着たまま 身体についた糞や吐瀉物を水で洗い流すと、紙くずによじ登り靴を取り戻して仔実装は出口を探し始めた。 20センチ真上には排水溝の格子蓋。そこから明かりが差し込んでいる。 這い上がる足場など無い。 左右は暗いトンネル。 両方とも10メートルほど先には上が明るくなっているところがあるので、胸まで水につかりながら 行ってみたがそこも格子蓋があるだけで状況は同じだった。 閉じ込められたことは明白だった。 最初の格子蓋の所に戻って紙くずによじ登り   『ママ−!! ママ−! 助けてテチ−!   オクツ取り戻したテチ−! ママ! ママ−!! 出してテチ-!!  オウチ帰りたいテチー!!』と声の限り 涙声で叫んでも、格子蓋の上には何の反応も無かった。 広場には仔実装の叫びが僅かに届いていたが、どこから聞こえるのかわからず、排水溝の中を覗き込む物好きな実装石など居なかった。 声が枯れたのは夜も更けてからだった。 それから2日経った。 仔実装は紙くずの上でノびていた。 『オナカ ヘッタテチー  ママ早くキテ テチー・・・』 今日もまた、母が迎えに来た幻影を見た。   『ママ−!!  オクツ取り戻したテチ−! ダッコシテ テチ−! ママ−!!』 幻影の母は優しく仔実装を抱きかかえると   『良くやったデス。 お前はワタシの自慢の仔デッス! 一緒にオウチに帰ってゴハンを食べるデッス。』とささやく。その後ろでは 姉妹達がにこやかに仔実装を迎えようとしていた。 さらに甘えようとして足を踏み出しては、仔実装は何度も水に転落していた。  気が付けばいつも一人だった。 格子蓋の近くで何か動く気配がすれば、気力を振り絞って  『助けてテチ−! テチ−! ママ−!!』と鳴いていたが昨日も今日も無駄だった。 陽が傾き夕日が排水溝に長く差し込んだころ、格子蓋の近くでなにか大きな音がした。 仔実装は『チ−! テチ−!!!』と騒ぎ出す。 突然、格子蓋の上に蓋の半分ぐらいある大きな顔が現れ、中を覗き込む。 仔実装は腰を抜かしてへたり込んだ。 覗き込んだ男は、市の依頼を受けて公園の茂みの手入れに来た剪定業者の一人だった。 その初老の男は今日の作業をあと1時間ぐらいで終えようかと考えているときに、仔実装の鳴き声に気づいたのだった。 男は実装リンガルなど持ってはいないが、子実装の声に哀願する響きを感じていた。 剪定業者は草木の手入れが仕事で、実装石を相手にする仕事ではない。 今年もツツジの花をゴッソリやられたのは残念だったが 一応満開後であったし、こんな小さい仔実装にその責めを負わせても仕方のない事と考えていた。 『どっから入ったんだ、このチビ助。  まったく子供ってのは、どこでも入り込んじまうものなんだなぁ。』 ヨッコラセと排水蓋を持ち上げるとゴミはさみで仔実装の後ろ髪をつかみ、怪我しないように優しく歩道に置いてやる。 『ほれ どっか行け、チビ助。』 数日前、初孫に恵まれたこの男は 小さい命を助けたことで優しい気持ちにひたっていた。 『テチッ?』  歩道に置かれた仔実装はまたしても訳がわからずに座り込んでいたが、とにかく暗い排水溝から助かった事だけは確かなようだった。 周りを見回すと排水溝とは違った広い景色。 めまいを感じて倒れそうになる。 ニンゲンの方を見ると腰をかがめて排水蓋を嵌め直している。 逃げるなら今だ。 あんな自分の十何倍もある大きな生き物とは 関わりあいたく無い。  夕焼けの中 ヨロヨロテチテチと走り出す。  目指すは我が家。 懐かしいダンボールハウスにたどりつくと家の前で声を振り絞って   『ママ−!! ママ−! 帰って来たテチ−!   オクツ取り戻したテチ−!  ママ−!! オウチ入れてテチー!!』と叫び出した。 この時間なら母は昼寝から目覚めるころだろう、大きな声で呼んで起こさなければ。 すぐにもママは目を覚ますだろう。 いっぱい甘えたい。 おなかもすいたから、いっぱいゴハンももらいたい。  『ママ−!! 起きてテチ−! オナカすいたテチ−!   まだ怒ってるテチー?! オクツなら取ってきたテチ−! 』 仔実装は我慢できずに壁に向かってへたり込み、足をバタバタしなががら叫び続ける。 絶食して腕に大怪我までしたのに、 よくここまで体力が湧き出るものである。  ジャリ  スニーカーが土を踏む音がかすかに響く。 大声を出す仔実装の後ろに若い男が近づく。 仔実装はいつも親から家の近くで大声を出すなと教えられていたのに、それさえも忘れて大騒ぎをした挙句、最大の敵「人間」を 家に呼び寄せてしまったのだ。 仔実装の真後ろに男が立っても、騒いでいる仔実装は気づかない。 男はこの光景をしばらく眺めた後、ポケットから実装リンガルを取り出しディスプレイを見つめる。  『ママ−!! 』『オウチ入れてテチー!!』『帰って来たテチ−!』と無数の叫びが表示されている。 男は『その望み 叶えてやるよ。』とつぶやくと仔実装をヒョイと摘み上げて、ダンボールハウスの隅に入れて立ち去った。 仔実装は呆然としていた。 確か家の前にいたはずなのに、突然ダンボールの床の上に座って家の中からダンボールの壁を眺めている。  間違いない此処は家の中だ。 仔実装は本当に男に気づいていなかった。そして、これはきっとママが抱き上げて入れてくれたに違いないと考えた。 ママ!いっぱい甘えたい。 オナカもすいた。  ママの胸に飛び込もうと、仔実装は家の中で振り返った。 家族はそこに居た。 皆 静かに死んでいた。 母の目は白濁し眼窩に落ち込みかけていた。舌をだらしなく垂らした口からは蝿が何匹も出入りしている。 苦しんでのた打ち回ったのであろうか、姉妹の何匹は母の身体の下で押しつぶされている。 姉はいまわの際に苦しみ紛れに脱糞したのであろう、下半身を糞にうずめて死んでいる。 水皿では2匹の仔実装が水に顔を突っ込んだままこときれていた。 仔実装が追い出された次の日、市の依頼を受けた駆除業者が公園内に遅効性の実装コロリを多数ばら撒いたのだ。 他の実装石が落ちていた金平糖を平気でポリポリ食べてなんとも無い様子なので、親実装は安心して山盛り家に持ち帰り8匹の仔らと 分けて食べた。悲劇は夜中に起こった。仔実装が苦しみだし、月明かりのなか親実装がオロオロして介抱しているうちに 親実装にも毒が回り苦しんで死んだ。 公園中のほかのダンボールハウスで、植え込みの中で、公衆トイレで同じような悲劇がおきていた。 靴を失くした仔実装の耳には、この夜 公園内でおこった悲鳴と嗚咽は届かなかった。 排水溝の紙くずの上でくたびれきって 寝ていたから。 もしこの仔実装が注意深い性格だったら、排水溝から出て家にたどりつくまでに他の実装石を見かけなかった事に 気づいていただろう。 公園のあちらこちらから聞こえる筈の、デスデスという同類の声が聞こえない事を不審に思っただろう。 仔実装はあまりの情景に、泣く事も忘れて震えながらその場にへたり込んでいた。 排水溝の中にいた仔実装の望みは家に帰ること。家族に再び会うことだった。 その望みは今叶えられた。 この仔実装は残された短い余生を、懐かしい我が家で愛する家族と共に過ごすだろう。 静寂に満ちた夜の闇が、公園を包もうとしていた。 晴れ渡った空の下、その公園は今日も実装石達のデスデスという喧騒に満ちていた。 かつてはツツジの名所として知られていた広い公園であったが、10年程前から実装石の大繁殖に呑み込まれて以来 近隣住民があまり寄り付かない場所になっていた。 すでにツツジの花は盛りを過ぎていたが、わずかに残った花の蜜を目当てに公園中の実装石達が繰り出してきている。 その中に一組の親仔実装石が居た。 親は先程から同じ花を口でチュウチュウ吸いながら、成体実装でしか取れない高さの花を探しだしては、むしり取って足元の仔実装達に 落としている。  『もう、ほとんど花が残ってないデス。 二、三日前までだったら まだたくさんあったのに。』『もっと早くこんな甘いもの があると知ってたらワタシと仔供達だけで全部平らげる事が出来たのに、まったく他の実装石どもは食い意地が張った奴らデッス。』 飼実装では数年生きることもあるが、野良実装石では よほどの幸運と知恵に恵まれなければ1年以上生きている個体はあまり 居ない。 この公園ではここ数年、そのような運の良い実装石を輩出していなかった。 したがって、ツツジの蜜の味は親から仔に伝承される事無く 実装石達は毎年ごとにツツジの味を偶然発見していた。 大抵の場合、腹をすかせて何でも口に入れる仔実装が花ごとムシャムシャ食べて、甘い甘いと大騒ぎして公園中の実装石に噂が広まる。 すると実装石達が一斉にツツジの植え込みに押しかける。無数に咲き誇っていたツツジの花は仔実装の手の届く下のほうから 無くなっていき、最後は成体実装石の手の届かない高さの花のみを残してツツジの季節が終わる。  この間はわずかに二、三日。 これが毎年のパターンだった。 親実装の足元では9匹の仔実装が『テッチューン♪』『ママ 早く取ってテチ!!』『オナカへったテチュ!』『ママ!! オネエチャンがワタチのツツジ横取りしたテチュ!!』 と騒いでいる。 ツツジの花はなかなか仔実装のところに落ちてこない。 本当に親実装の手の届くところには残っていないのだ。 親実装の吸っている花だって、もう味などしないのだが未練がましく咥えているだけなのだ。 いい加減探すのも面倒になってきた。 横に居る他の家族を見ると、親実装が自分の仔をツツジの上に放り投げて花をとらせようとしている。 自分も真似しようかと見ていたが、放り投げられた仔実装が枝に突き刺さり、親実装は泣きながら仔を回収しようと飛び跳ねている。 あっ、仔実装の身体が裂けた。 ありゃダメだ。 昼に近くなり日差しが強くなってきた、今日も暑くなりそうだ。 足元の仔供達を見ると汗をかいて騒いでいる。大きな頭をずっと上に向けていたので血流が悪くなり『気持ち悪いテチー』とうなされながら ひっくり返っている仔も居る。  名残惜しいが、取れる花は全部取り付くした。ここらで木陰の我が家に引き上げないと身体を悪く しそうだ。 『さあ、今日は終わりデッスー。 オウチに帰るデッスー!!』 親実装は仔実装に宣言する。 『ママ! ワタチにはツツジ来なかったテチ!!』『オナカ一杯にしたいテチュ!』『マダ 上にあるテチュ-!』仔実装らは一斉に抗議するが、 『はいはい、また明日デッス。 ささ、オウチ オウチデッスー。 ついてこない仔は置いてくデッスー。』 もう花は取れない事、 明日来てもどうにもならない事を説明しても 話がこじれそうなだけだし、9匹も相手にするのは考えただけでもうんざりするので 親実装は抗議に耳を貸さずにスタスタと先に歩き出した。 『ママ! 待ってテチ!!』『置いてかないでテチ−!!』 親から離れた仔実装がどんなに危険か、教わらなくても本能で仔実装は 知っている。 仔実装は慌てて親実装の後に付いて行く。 遥か上のツツジの花を最後まで未練がましく見ていた仔実装は、自分の周りに姉妹が残っていないことに気づき、半泣きで追いかけ はじめた。『ママ! ママ−!!』 そして歩道脇の排水溝蓋を斜めに駆け抜けようとした。 その排水溝蓋は細長い金属板を40枚ほど縦に格子状に溶接したもので、板と板の間は3センチ間隔で離れていた。 半泣きの仔実装はここで、まず右足を踏み外してバランスを崩し左足も踏み外して格子板に股間を打ちつけた。 板に引っかかって排水溝には落ちなかったものの、とにかく痛かった。 普段ならここで大泣きするところであるが、 頼みの親実装は随分先をスタスタと歩いている。 置いていかれてはたまらないと右足、左足と格子から引き抜いたが、右の靴が その拍子に脱げて排水溝に落ちていった。  『ママ−!! 待ってテチ− オマタ痛いテチ−! オクツ取ってテチ−! ママ! ママ−!!』 片方裸足の仔実装は泣きながら親実装を 追いかけてヒョコヒョコと走っていった。       実装石親子のダンボールハウスは木の下にあった。 形状としてはダンボール箱の開口部を上に向けただけの もっとも簡単な家で、多少の雨なら木の葉が屋根代わりになるが、大雨では水びだしになり 夕方は西日が直接差し込んで 暑いというデメリットがある反面、仔供が勝手に外に出れないという利点があった。 9匹の仔を抱えて大変な親実装には この点が何よりもありがたかった。 家に着くと、まず親実装は最初に自分が家に入り 上半身を乗り出して仔供を1匹ずつ抱えて入れることにしていた。 『ママ! ワタチをオウチに入れてテチ!!』『次は ワタチ!! ワタチ!!』 9匹の仔を家に入れるとなると結構な作業だが、親実装は黙々とこなしていた。 『デッ?』 仔を抱え上げた親実装の手が止まった。 今抱えている仔、なにか違和感がある。 ジーッとなめるように仔を見つめる。     靴が片方無い・・・。  やっと親の注意が自分に向けられたので、仔実装は少し満足して『ママ オクツが無いテチ』とまるで自慢のような口調で 自分の状況を言い放った。 『靴・・ どうしたデス?』 親実装が尋ねる。 仔実装はつたない口調で排水溝に靴を落とした顛末を話した。 『ママ オクツ取ってテチ!!』 『デ〜 ・・・ 』低い声で鳴きながら、親実装は仔実装をじっと眺めたまましばらく考え込んでいた。 やがて親実装はポンとその仔実装を家の外に置いて、次の仔を抱えて家に入れ始めた。 靴の無い子実装は地べたに座り込んだまま、その光景を眺めている。  その仔実装は親実装を信頼しきっていた。 ママは残りの姉妹をオウチに入れたら、きっと一緒にオクツを取りに行ってくれる。 待っている間 仔実装は『ママ オクツ取ってテチ〜♪ オクツ取ってテチ〜 アト オマタもマダ少し痛いテチ〜♪ 』と 楽しそうに小さな声でハミングしている。 残りの仔を家に入れた後、親実装は靴の無い子実装を向き やや長めに息を吸い込んでから 『お母さんは教えた筈デス。 あなた達の身体や服はお母さんが与えたものデス。もう2度と同じものは与えることは 出来ませんデッス。 だからあなた達は身体や服を大事にしなさいと言ったデス。』 『靴を失くすような仔はワタシの仔では無いデッス!!  どこかに行ってしまえデッス!!!』 と冷たく言った。 突然の勘当宣言に唖然とする靴の無い子実装。 しばらくは口をパクパクしていたが、やがて涙が溢れ出し  『ママ−!! ママ−! イヤテチ−!  ダッコシテ テチ−! オクツ取ってテチ−! ママ! オウチ入れてテチ ママ−!!』  『 ティェェェェ−ン! ママ−!!』 ひっくり返って足をばたつかせて大声で泣き出す。 まだこの時点では仔実装は親実装を心の奥では信じていた。 こうして暴れればきっとママは手を差し伸べてくれるだろう。 いつものように優しく頭を撫でてくれるだろうと。  ペタ    仔実装の頭になにかが当たった。 母親の手に違いないと期待した仔実装は、当たった物を手に取って確認して 思考が固まってしまった。 糞だった。 親実装の方を見ると、ダンボールハウスから親が半身を乗り出し、ダンボールハウスの一角に溜まっていた 姉妹の糞をさらに投げつけようとしている。 『家の近くで大声だすなデッスッ!!! さっさと消えろデッス!! このグズ!!』 鬼の形相だった。 優しかったママに嫌われた。 外敵から守ってくれて、食事をくれて、子守唄を歌ってあやして くれた聖母のようなママに存在を全否定された。  ブリッ ブリリッ  仔実装は激しくパンコンした。 感情の抑制が出来ず気持ちが悪くなり テエエエエとその場で吐く。  ペタ! ペチャ! 糞は容赦なく当たり続ける。   仔実装は『ママ−!!』と母に哀願しようとしたが、顔面にもろに糞が命中しまたひっくり返る。 『ティェェェェン!』仔実装は走り出した。 ここには居られない、ここには居たくない。  仔実装は家に背を向けて走り続けた。 親実装は仔実装の姿が見えなくなるまで見送って、溜息をつきながらダンボールハウスの中に腰を落とした。 実は、服や髪が無いのに比べれば靴が無いことはそれほどのハンデにはならない。公園にいる他の実装石でも靴無しは 時々見かける。   あの仔は仔供のうちで一番成長が遅く出来も悪かった。 生きていくのに必要な知恵を教えたのに覚えない。  何かやらせても、いつでも遅れる。 ダンボールハウスの中で所かまわず最後まで糞を撒き散らしていたのも あの仔だった。  あの排水溝に靴を落としてしまったら成体実装でも取ることは不可能だ。一生あの仔は靴無しで 生きる事になるだろう。 そう、この親実装は先ほど「選別」という名の間引きを行ったのだ。 9匹も仔を抱えていては出来の悪い仔も混じる 食料の調達も大変だ。そして何より出来の悪い仔の軽率な行動は家族全員を危険にさらしかねない。 そろそろ選別をしなくてはならないと思っていたときに、靴を失くすというイベントが発生したのだ。 丁度いいチャンスだった。 他の仔供への教育にもなる。 ただ、通常は選別した仔はその親が殺すのだが、この親実装は選別対象を選ぶことは出来ても、自分の仔に直接手を下す 度胸がまだ無かった。 仔実装を追い出すことで他の実装石に殺させる事を選んだのだ。 『選別なんて簡単デス。』 親は独り言をいうと、また溜息をついた。 ダンボールハウスの中では8匹の仔実装が、ダンボールの壁の向こうで靴を失くした妹に何が起こったか知りたがっていたが、 親の顔色を見て言い出せないでいた。 仔実装達の不安そうな顔を見た親実装は 『おまえたち、服を大事にしないとあの仔のように一人で遠いところにいってもらうデッス。 わかったデス?  さ、今日も暑くなるデッス。 夕方 涼しくなるまでお昼寝デッス!』と声を掛けた。 遠いところとはどこなのか、仔実装達は聞きたかったが、今の母親にはそれを尋ねられない威圧感があった。 騒いで母の機嫌を損ねるよりは、おとなしく従ったほうがよさそうだったので、仔実装達は黙って親実装と同じく 横になり目を閉じた。  『ティェェェェン!』仔実装は走っていた。 走りながら混乱した頭で考えていた。 ママに嫌われた。 靴を失くしたから嫌われた。 嫌われたのはあの靴が無いからだ。 靴が落ちたのはあの靴が悪いから。 悪い靴を取り戻せばママは許してくれる。 靴があればオウチに帰れる。 靴があろうと無かろうと捨てられた仔が家に帰れる筈は無いのだが、仔実装の頭の中では論点が摩り替わっていた。 目標地点は定まった。 目指すは靴を落とした排水溝蓋。 親から離れた仔実装は、他の実装石に見つかり次第 餌食になってしまうのだが、この場合は事情が違っていた。 仔実装の頭は親から投げつけられた糞にまみれており、前の方は吐瀉物まみれだった。 公園の実装石は走っている仔実装に目を留めるが、走る汚物を食べようという気にはならないらしい。 指して嘲笑している。 皮肉なことに 親が仔実装を他の実装石に始末させるために投げつけた糞が、今は仔実装を守っているのだ。 靴を落とした排水溝蓋に着くと仔実装は腹ばいになり排水溝の中に目を凝らす。 暗い。 排水溝のどこかで 詰まっているのか水がよどんで溜まっている。  目をキョロキョロと動かすと見慣れた翠色が目に飛び込んでくる。 あった! 水に浮かぶ丸まった紙くずの上に靴が落ちている。  排水溝蓋から紙くずまでは20センチ。 身長10センチそこそこの仔実装ではどうにもならない高さだが、 混乱した子実装の頭の中ではすぐ手の届く高さに見えていた。 排水溝蓋の板と板の間から手を伸ばす。 届かないので肩まで入れて手を伸ばす。 それでも足りないので 頭もねじ込むようにして手を伸ばす。 そのときだった。 糞まみれの頭が3センチあまりの板と板の隙間にニュルリと嵌ってしまった。 仔実装の頭の直径は 3センチ以上あったが、仔実装の骨がやわらかい事と糞が潤滑剤代わりになって体重がかかった弾みに嵌ってしまったのだ。 いくら骨が柔らかいといっても、やはり骨がひしゃげてはとても痛い。  『テチー!?! イタイテチ−  ママ−! 助けてテチー!! ティェェェェン! ママ−!!』 逆立ち状態で足をバタバタさせて仔実装はもがき苦しむ。 足をバタつかせる仔実装の後ろで、危機が迫っていた。 広場に今やって来た成体実装石が仔実装を見つけたのだ。  『デッスーン!♪ 今日のオヤツ発見デッスーン。  親は近くにいない様デッス。 今日はついてるデッス! 早速いただくデッスーン♪』 成体実装の位置からは仔実装が糞まみれ吐瀉物まみれなのが分からない。 奇妙な仔実装が逆立ちして遊んでいるように しか見えない。  成体実装は思わぬ幸運にはしゃぎすぎていた。出来もしないスキップで近寄り、仔実装を捕まえようと身体を屈めた拍子に 重過ぎる頭が邪魔になり仔実装の上に倒れこんだ。  『テ!? テチ−!   ティェェェェン!』 上から押された仔実装は格子板に左腕の肉をごっそり削られたが、格子を くぐりぬけて下の紙くずに落ちバウンドしてから水に落ちた。   『ティェェェェン! 溺れる! 溺れるテッチー!! 』水の中で暴れていた仔実装だったが、足が底に着く事に気づくと少し落ち着きを 取り戻した。水は胸ぐらいの高さまでしかない。 浮いている紙くずの端をつかんで身体を休めると上を見上げた。 格子蓋の上では顔に何本もミミズ腫れを作った実装石が悔しそうに仔実装を睨みつけている。 成体実装の大きさでは格子の間は手の先ですら通せない。悔し紛れに小石を何個か蹴りいれると、成体実装は 『デププ どうせそこからは出られないデッス!』と嘲笑して立ち去っていった。 何が起こったのか仔実装はわからなかった、どうやら目的地に着いたらしいことは理解できた。 靴、靴はどこ? と紙くずの上を見ると、まだそこに靴が乗っかっている。 手を伸ばして取ろうとした時、左手の骨が 見えている事に子実装はやっと気が付いた。 『ティ ティェェェェェェン! 痛いテチ!! テが! オテテが!!』 今日何度めの大泣きであろうか。 また仔実装は泣き出した。 何時間か経った。 涙も枯れ果てた。 腕は痛むものの、薄い皮膚が再生されはじめて傷を塞いでいる。 服を着たまま 身体についた糞や吐瀉物を水で洗い流すと、紙くずによじ登り靴を取り戻して仔実装は出口を探し始めた。 20センチ真上には排水溝の格子蓋。そこから明かりが差し込んでいる。 這い上がる足場など無い。 左右は暗いトンネル。 両方とも10メートルほど先には上が明るくなっているところがあるので、胸まで水につかりながら 行ってみたがそこも格子蓋があるだけで状況は同じだった。 閉じ込められたことは明白だった。 最初の格子蓋の所に戻って紙くずによじ登り   『ママ−!! ママ−! 助けてテチ−!   オクツ取り戻したテチ−! ママ! ママ−!! 出してテチ-!!  オウチ帰りたいテチー!!』と声の限り 涙声で叫んでも、格子蓋の上には何の反応も無かった。 広場には仔実装の叫びが僅かに届いていたが、どこから聞こえるのかわからず、排水溝の中を覗き込む物好きな実装石など居なかった。 声が枯れたのは夜も更けてからだった。 それから2日経った。 仔実装は紙くずの上でノびていた。 『オナカ ヘッタテチー  ママ早くキテ テチー・・・』 今日もまた、母が迎えに来た幻影を見た。   『ママ−!!  オクツ取り戻したテチ−! ダッコシテ テチ−! ママ−!!』 幻影の母は優しく仔実装を抱きかかえると   『良くやったデス。 お前はワタシの自慢の仔デッス! 一緒にオウチに帰ってゴハンを食べるデッス。』とささやく。その後ろでは 姉妹達がにこやかに仔実装を迎えようとしていた。 さらに甘えようとして足を踏み出しては、仔実装は何度も水に転落していた。  気が付けばいつも一人だった。 格子蓋の近くで何か動く気配がすれば、気力を振り絞って  『助けてテチ−! テチ−! ママ−!!』と鳴いていたが昨日も今日も無駄だった。 陽が傾き夕日が排水溝に長く差し込んだころ、格子蓋の近くでなにか大きな音がした。 仔実装は『チ−! テチ−!!!』と騒ぎ出す。 突然、格子蓋の上に蓋の半分ぐらいある大きな顔が現れ、中を覗き込む。 仔実装は腰を抜かしてへたり込んだ。 覗き込んだ男は、市の依頼を受けて公園の茂みの手入れに来た剪定業者の一人だった。 その初老の男は今日の作業をあと1時間ぐらいで終えようかと考えているときに、仔実装の鳴き声に気づいたのだった。 男は実装リンガルなど持ってはいないが、子実装の声に哀願する響きを感じていた。 剪定業者は草木の手入れが仕事で、実装石を相手にする仕事ではない。 今年もツツジの花をゴッソリやられたのは残念だったが 一応満開後であったし、こんな小さい仔実装にその責めを負わせても仕方のない事と考えていた。 『どっから入ったんだ、このチビ助。  まったく子供ってのは、どこでも入り込んじまうものなんだなぁ。』 ヨッコラセと排水蓋を持ち上げるとゴミはさみで仔実装の後ろ髪をつかみ、怪我しないように優しく歩道に置いてやる。 『ほれ どっか行け、チビ助。』 数日前、初孫に恵まれたこの男は 小さい命を助けたことで優しい気持ちにひたっていた。 『テチッ?』  歩道に置かれた仔実装はまたしても訳がわからずに座り込んでいたが、とにかく暗い排水溝から助かった事だけは確かなようだった。 周りを見回すと排水溝とは違った広い景色。 めまいを感じて倒れそうになる。 ニンゲンの方を見ると腰をかがめて排水蓋を嵌め直している。 逃げるなら今だ。 あんな自分の十何倍もある大きな生き物とは 関わりあいたく無い。  夕焼けの中 ヨロヨロテチテチと走り出す。  目指すは我が家。 懐かしいダンボールハウスにたどりつくと家の前で声を振り絞って   『ママ−!! ママ−! 帰って来たテチ−!   オクツ取り戻したテチ−!  ママ−!! オウチ入れてテチー!!』と叫び出した。 この時間なら母は昼寝から目覚めるころだろう、大きな声で呼んで起こさなければ。 すぐにもママは目を覚ますだろう。 いっぱい甘えたい。 おなかもすいたから、いっぱいゴハンももらいたい。  『ママ−!! 起きてテチ−! オナカすいたテチ−!   まだ怒ってるテチー?! オクツなら取ってきたテチ−! 』 仔実装は我慢できずに壁に向かってへたり込み、足をバタバタしなががら叫び続ける。 絶食して腕に大怪我までしたのに、 よくここまで体力が湧き出るものである。  ジャリ  スニーカーが土を踏む音がかすかに響く。 大声を出す仔実装の後ろに若い男が近づく。 仔実装はいつも親から家の近くで大声を出すなと教えられていたのに、それさえも忘れて大騒ぎをした挙句、最大の敵「人間」を 家に呼び寄せてしまったのだ。 仔実装の真後ろに男が立っても、騒いでいる仔実装は気づかない。 男はこの光景をしばらく眺めた後、ポケットから実装リンガルを取り出しディスプレイを見つめる。  『ママ−!! 』『オウチ入れてテチー!!』『帰って来たテチ−!』と無数の叫びが表示されている。 男は『その望み 叶えてやるよ。』とつぶやくと仔実装をヒョイと摘み上げて、ダンボールハウスの隅に入れて立ち去った。 仔実装は呆然としていた。 確か家の前にいたはずなのに、突然ダンボールの床の上に座って家の中からダンボールの壁を眺めている。  間違いない此処は家の中だ。 仔実装は本当に男に気づいていなかった。そして、これはきっとママが抱き上げて入れてくれたに違いないと考えた。 ママ!いっぱい甘えたい。 オナカもすいた。  ママの胸に飛び込もうと、仔実装は家の中で振り返った。 家族はそこに居た。 皆 静かに死んでいた。 母の目は白濁し眼窩に落ち込みかけていた。舌をだらしなく垂らした口からは蝿が何匹も出入りしている。 苦しんでのた打ち回ったのであろうか、姉妹の何匹は母の身体の下で押しつぶされている。 姉はいまわの際に苦しみ紛れに脱糞したのであろう、下半身を糞にうずめて死んでいる。 水皿では2匹の仔実装が水に顔を突っ込んだままこときれていた。 仔実装が追い出された次の日、市の依頼を受けた駆除業者が公園内に遅効性の実装コロリを多数ばら撒いたのだ。 他の実装石が落ちていた金平糖を平気でポリポリ食べてなんとも無い様子なので、親実装は安心して山盛り家に持ち帰り8匹の仔らと 分けて食べた。悲劇は夜中に起こった。仔実装が苦しみだし、月明かりのなか親実装がオロオロして介抱しているうちに 親実装にも毒が回り苦しんで死んだ。 公園中のほかのダンボールハウスで、植え込みの中で、公衆トイレで同じような悲劇がおきていた。 靴を失くした仔実装の耳には、この夜 公園内でおこった悲鳴と嗚咽は届かなかった。 排水溝の紙くずの上でくたびれきって 寝ていたから。 もしこの仔実装が注意深い性格だったら、排水溝から出て家にたどりつくまでに他の実装石を見かけなかった事に 気づいていただろう。 公園のあちらこちらから聞こえる筈の、デスデスという同類の声が聞こえない事を不審に思っただろう。 仔実装はあまりの情景に、泣く事も忘れて震えながらその場にへたり込んでいた。 排水溝の中にいた仔実装の望みは家に帰ること。家族に再び会うことだった。 その望みは今叶えられた。 この仔実装は残された短い余生を、懐かしい我が家で愛する家族と共に過ごすだろう。 静寂に満ちた夜の闇が、公園を包もうとしていた。

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1 Re: Name:匿名石 2023/02/08-22:55:29 No:00006767[申告]
オマヌケちゃんが遺憾なく発揮されててかわいい
このイラストの仔実装かな?
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