タイトル:【哀】 影の棲む家 伍(了)
ファイル:影の棲む家 伍.txt
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初投稿日時:2007/10/19-19:33:22修正日時:2007/10/19-19:33:22
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     (●A○) 筆者より (●A○)


 このスクは実装石スクですが、人間がメインの内容です。
 ちょっと変わった「探検」スクとして読んでいただければ幸いです。
 一応実装石虐待ネタはありますが、比率は少なめなので過剰な期待は
 しないでください。

 尚、一部本文中に、情報把握力を求められる部分が存在します。
 前2編の重要情報は冒頭部(下記)にまとめさせていただきましたので、
ご参照ください。

 また、本文中に方向の表記として「東西南北」という表現が出てきますが、
ピンと来ない人は

 「北=前、南=後、西=左、東=右」

 と置き換えて読んでみてください。
 (但し主人公主観の方向ではなく、絶対位置です)

 以上、予めご理解願います。



【 前回のあらすじ 】

 自転車で旅行をしている廃墟マニアの男と、実装石ルミは、雨の夜にある和風の屋敷を発見する。
 早速探索を始めるが、その中には不気味な「何か」が蠢いていた。

 屋敷内で次々に起こる怪異の原因が土蔵にあるのではないかと考えた男は、苦労の末土蔵の中に
侵入する事に成功する。
 四十年間封印され続けていた土蔵の中から、次々に発見される実装石虐待の痕跡。
 ここは、先代の主人が使用していた狂気の施設だった。

 土蔵内で、ミイラ化した実装石の死体が発見される。
 それは、壁の中に塗り込められた仔実装にすがるような、悲しい姿をしていた。


●ここまでの情報整理:

・屋敷は、約24年半以上前から廃墟になっているらしい

・屋敷には、昔「主人」「妻」「娘」が住んでいたが、「主人」以外全員死亡した
※「娘」が死亡した記録が、12年もの差を置いて2つ存在している 

・屋敷の中では、居る筈のない不気味な実装石が見かけられる

・屋敷の西側に古い土蔵があるが、正面入り口は閉じられている(但し隠し扉あり)

・二階書斎に、主人の書き記した日記やアルバムがある(以下発見順)

1.書斎の日記(76年)→
 娘が戻ってきた / 妻が体調悪化 / 妻の容態悪化

2.書斎の日記(80年)→
 虚無感を味わう / 「アレ」を屋敷内でまた見かける / 娘が死亡 / 主人が独り残される

3.書斎の日記(82年)→
 特に何の特徴もない事が記されているが、2/3以上ページを残して不自然に途切れている

4.書斎の日記(77-78年)→
 妻の闘病生活の様子 / 「影」「身体に欠損のある実装石」などを屋敷内で目撃 /
 主人、土蔵への侵入を図るが失敗(土蔵への隠し扉の情報) / 妻の死去
 
5.書斎に古いアルバム(1957年日付)あり。
 しかし、娘の写真が途中からなくなっている。

6.書斎の日記(64年)→
 「娘」が七歳の若さで病死した事が記されている

・二階タンス部屋に、土蔵への隠し扉を発見。
 ただし無数の紙札で封印されている。

・土蔵内部は、中二階と一階の二層構成。
 一階にはパーティションで仕切られた畳敷きの小部屋あり。

・小部屋からは、ミイラ化した蛆実装を閉じ込めた試験管をはじめとした、凄惨な虐待の記録が
 数多く残されている。

・小部屋内の日記から、先代の主人が大正末期から昭和初期にかけて、ここで実装石を虐待し
 続けていた事が判明。

・1936年(昭和11年)、村と家族の反対を受け、先代主人は遺憾ながら土蔵を封印する。

・土蔵内の壁の各所には、仔実装が塗り込められているらしい。







 【影の棲む家】 伍


 
 ガッ、ガッ、ガッ……

「デェェ…ご主人様…」

「向こうに行ってろよ。あまり見せたくないんだ」

「デ、デデ…ルミ、我慢するデスゥ。見ておくデスゥ」

「じゃあ、何が出てきても、絶対泣くなよ」

「デスゥ」

 男は、ひたすらナイフを壁に突き立て続ける。
 度重なるルール逸脱に対するためらいはあったが、それよりも強い気持ちに突き動かされていた。
 男は、壁の中の仔実装を、なんとしても解放してやりたいと考えていた。

 ある程度穴を開けた後、指を差し込んで無理矢理壁を引き剥がす。
 古い漆喰の表面は、男が多少力を込めたら意外にあっさり砕け落ちた。

「デヒ…!!」

 穴の中を見て、ルミが悲鳴を上げる。
 男は、ためらう事なく壁の穴に手を差し入れ、脆く儚い死体を出来るだけ丁寧に取り出し、静かに
ミイラ実装の脇に置いた。

「大丈夫か、ルミ?」

「デェェ……大丈夫デスゥ」

 落ち着きを取り戻したルミは、悲しそうな目をしながら、二匹の実装石の死体に近付いた。
 膝を付き、そっと顔を寄せている。
 まるで、二匹の表情を窺っているようだ。

「やっと、逢えたデスゥ」

「ん?」

「この二人は、やっと逢えたデスゥ。ずうっと、ずうっと引き離されていて、逢いたくて逢いたくて、
 それでおうちの中を彷徨っていたんデスゥ」

「……」

「でも、ご主人様のおかげで、やっと逢えたデスゥ。きっと、喜んでいると思うデスゥ。
 ご主人様、ありがとうございますデスゥ」

「こんなの、礼を言われるようなことじゃない。……さて」


 土蔵の中の様子は、だいたい理解できた。
 だが問題は、ここからどうやって脱出するかという事と、どうすれば屋敷全体の問題を解決できるか、
という事。
 実は、まだ何一つまともに解決などしてはいないのだ。
 一瞬途方に暮れた男は、さらに明るくなっていく土蔵内を見回しているうちに、奇妙な変化に気付いた。


「あ、あれ?」

「どうしましたデスゥ?」

「あれ…なんだ?」

「デスゥ? ———デ、デェェッ?!?!」


 東側の小部屋。
 そこから、次々にあの「影」が姿を現した。
 十や二十などという、生易しい数ではない。
 数え切れない程多数の、影…

 それは、あの小箱から、漆喰の壁の染みから、棚の中から、液体のようにどんどん溢れてくる。
 中には、何も置かれていない床下からせり出してくる者まで居る。
 中二階からも、どんどん影が出現する。
 それらはすべて一階へふわりと降り立ち、じわりじわりと男達との距離を詰めていく。

 影の中に見える、緑と赤の光。
 それが、一斉に男を睨みつけていた。



 ——デスーデスー


 ——クワセロデスー


 ソイツバッカリ、ズルイデスー


 ワタシタチニモ、子供ヲクワセルデスー


 腹ガ減ッタデスー


 オナカプニプニシテレフー


 ウジチャン、ウジチャアァン


 
 ——— ワ タ シ の 子 供 も 助 け て 欲 し い デ ス ウ ゥ ゥ ゥ 



 無数の声が、やがて叫びになり、絶叫へと変化する。
 西側の壁一杯に追い詰められた男とルミは、死霊の影となった実装石の怨念達に、包囲されていた。

 そして、壁の中からも伸び始める、半透明の腕、腕、腕……
 それは太くて短い実装石の腕というよりは、まるで巨大なイソギンチャクの触手のようだ。


「うわ………!!」

「デ、デギャアッ?!」


 そのいくつかが、男とルミの服を、信じられない強さで掴み始めた。

 西側の壁に追い詰められ、壁から生えてきた実装石の沢山の腕に服を掴まれた男とルミは、完全に
取り囲まれる形になった。

「こいつら、まさか、みんな…」

「仲間デスゥ! みんなここで殺された仲間デスゥ! デェェェン!!」

「マジかよ」

 膝上くらいまでの大きさしかない、小さな影。
 だが、それが数百もの単位で迫ってくる光景は、並大抵の恐怖ではない。
 さらに緑と赤の目だけを輝かせ、一斉にこちらを見ている。
 たとえ相手が実装石という小動物でも、幽霊となるとまるで別の存在だ。
 否定のしようのない、心霊現象。
 顔を動かすと、なんと漆喰の壁の中からも、沢山の赤と緑の目が浮き出ている。
 床や壁だけではない、上にも、影が沢山浮いている。

 コドモ、コドモ…

 腹減ッタデス…シンデシマウデス…

 埋メナイデテチュ、蛆チャンダケハタスケテテチュ

 オ腹ニ子供ヲモドスデスゥ…デフフフ…


 実装石達の声が、思いが、怨念が、男の頭の中に直接響いてくる。
 男は、そこで初めて気がついた。
 今まで声だとばかり思っていたものは、すべて実装石達の思念だったのだ。
 それが今、凄まじく濃縮されて男に叩きつけられているのだ。
 その圧迫感に、男は抵抗力を失ってしまう。
 否、正しくは抗う事に無意味さを覚えてしまっている。
 男の体が、バランス感覚を失い、倒れかける。

 男は思った。
 虐待派に捕らわれ、抵抗も出来ずに殺されていく実装石は、こんな気持ちを味わわされているのか、
と。

「くそ…!」

 苦悶と悔恨が入り混じった呟きが漏れる。
 それが、自分が影達の手にかかってしまう事に対してなのか、それとも虐待死していった実装石達に
対して抱いた感情なのか、男にも良くわからなかった。

「ご主人様ぁ——っ!! ご主人様ぁ——っ!!」

 ルミは遠く引き離されてしまったようで、既に男の視界に居ない。
 次の瞬間、男の身体は左に強く引かれ、物凄い勢いで転倒した。


 ドカッ、バキィッ!!


 ——ドサァッ! 

「うぉ、痛てェッ!!」


 ガラ……ドシャアッ!
 ガラン、ガラン、ガラン…

「?!」

 倒れた拍子に、即頭部を何かにぶつけたらしく、妙に派手な音が鳴り響く。
 男はこめかみを押さえうずくまったが、幸い出血はしていなかった。
 顔を向けると、大きな行李とその中身とおぼしき物品が散らばり、埃が舞い上がる。
 どうやら、脇に積まれていた行李に激突してしまったようだ。

 ふと、影の動きが止まっている事に気付いた。
 だが、しばらくすると思い出したように拘束が再開される。
 男の身体は、僅かずつではあったが、ずるずると土蔵の中央部に引きずられ始めた。

「ぅお? んな、な?! なんだぁ?!」

「ご、ご主人様ぁ! ダメデスゥ、行っちゃダメデスゥ!!」

 ルミの声が、頭に響く。
 視界外で見えないが、なにやら物凄く必死で叫んでいるようだ。
 痛む頭を動かして足の方を見ると、そこでは、無数の影が男の来訪を待ち構えていた。
 一斉に向けられる、緑と赤の目。
 身体を引っ張っている影達の囁きが、男の心に伝わってきた。


 カタキヲトルデス、シカエシヲスルデス

 ニンゲン、ニクイデス、報イヲアタエルデス

 腕ヲ折ルデス、目ヲ潰スデス

 オ腹ノナカカラ、マガイシヲトリダシテヤルデス

 ミンナデオナカイッパイニナルデス

 デプププ…


 ——こいつら、マジで俺を殺る気なのか!?

 男は、今度ばかりは生命の危機を覚えた。
 今までは、「所詮実装石、隙を突けばなんとか逃げられるのではないか」という、甘い考えを心の端に
持っていたのだ。
 だが、それは大きな間違いだと心底理解した。
 土蔵内で怨念を残して死んでいった実装石達は、個々の弱い力を結合させ、今では男の力を遥かに
凌ぐ程強力になっている。
 本来復讐には無関係な筈の男も、もはや狂気の霊格に支配された彼女達にとっては、最適の「贄」
でしかない。

 それを悟った男は、生まれて初めて、死への恐怖に満ちた叫び声を上げた。


「やめろぉぉぉぉ!! やめてくれぇぇぇ!! た、助けてくれぇぇぇぇ!!」

「俺は違う! 俺は違うんだぁ!! 許してくれぇっ!!」

「ルミ、ルミぃぃぃぃぃぃっっ!!」


 チプププ、ニンゲンナイテイルテチ

 ワタシモ皆モ、ソウヤッテ泣キナガラ殺サレタデス

 オマエモ、泣キナガラ 死 ぬ が い い デス——


「いやだぁぁぁぁ!! 離せぇ! 離せェェェ!!!」

「ご主人様ぁ——っ!!」


 四肢を振り回して逃れようとするが、男の身体は全く動かせない。
 それほど多くの実装石達に捕らえられているのだろうか。
 引きずられる速度が、だんだん早まっているように感じられる。

 邪悪な気配を漂わせた実装石の影の集団が、不気味なほど静かに、男を見つめていた。





 とその時、


 ——ずり、ずり……


 どこからか、何かを引きずるような鈍い音が聞こえて来た。
 その途端、影達の動きが止まり、視線が一斉に北西側へ向く。


 ——ずり、ずり……ずり、ずり……


 それは、何か硬い物で床を擦るような音だった。
 空耳ではなく、はっきりと男の耳に届いている。

 少しだけ冷静さを取り戻した男は、音のする方向へ顔を向ける。
 
 影が一つ、こちら向かってやってくる。
 最初はルミかと思ったが、そうではない。
 男の身体を捕らえているのと同じ、あの影の一つだ。
 それが、よたよたと頼りなげに身体を揺すりながら、懸命に何かを引きずり運んでいる。


 ——ずり、ずり……ずり、ずり……


 やがて、ぼんやりと輪郭や細部が見えてくる。
 見覚えのある姿だった。
 それは、母屋で見かけたあの“おぞましい姿の実装石”だった。
 片足に突き刺さった何本もの釘、身体に巻き付けられた鉄条網、ケロイドで半分を覆われた醜い
いびつな顔、ぐしゃぐしゃに折られた両腕。
 だがその実装石は、「ある物」を折れた腕で必死で押さえながら、釘を義足のように動かし、やって来る。
 額の方にズレた緑の目が、男の顔を睨んでいる。

 次の瞬間、男は実装石が手に持っている物が何かを理解して、再び恐怖に駆られた。

「!!」

 ——バール。

 おぞましい実装石が運んできたそれは、一本のバールだった。
 全体がドス黒く変色した、1メートルほどの長さの凶器。
 それを、崩れた身体で必死に運んでいる。
 あんなもので殴打などされしまったら、男は間違いなく一撃で殺されてしまうだろう。
 

 ——ずり、ずり……ずり、ずり……

「や、やめ……許……!!」

 もはや、なりふり構わず命乞いするしかない。
 男は、まるで苛められている子供のような態度で、おぞましい姿の実装石に懇願した。
 だが、もはや恐怖のせいでまともな声もでない。


 ヤメルデス…
 ナニヲ、カンガエテルデス
 ソレハダメデス、ソレハダメデス!!

 突然、影達が動揺し始める。
 影達の注意は完全にバールへと向いてしまい、男の身体の拘束が弱まり始めた。


 ——ずり、ずり……ずり、ずり……ゴトン

 おぞましい姿の実装石は、引きずってきたバールを——男の手の近くに落とした。

 ヒィィィィィッッ!!!

 と同時に、影達が一斉にその場から後ずさる。
 おぞましい実装石は、何もせず、何も言わずに、ただ男の顔を見下ろしている。
 なぜか、先程のような憎悪は感じられない。
 よく事態を理解出来なかったが、恐怖から解放された男は素早く身を起こすと、迷わずバールを手に
取った。
 冷たくゴツゴツした嫌な感触が、手の中に広がる。
 影が、男から距離を取り始めた。

 ——こいつら、まさかコレを恐れてるのか? 


 ヒィィィィィィィ!!!

 身の毛もよだつような、恐ろしい叫び声が、まとめて叩きつけられる。
 影は次々と、まるで空気に溶けるように消滅していく。
 ものの数分もしないうちに、あれだけ沢山出現していた影のほとんどはいなくなってしまった。
 だが、完全にではない。
 中二階に陣取っている者や、階段の周辺辺りに居た者達は、牽制するような態度でこちらを窺って
いる。

 気が付くと、いつの間にかあのおぞましい実装石はいなくなっていた。
 ルミの気配が、近付いてくる。

「デェェェン!! ご主人様ぁ!」

「ルミ、大丈夫か?」

「デェ! ご、ご主人様……それは?」

 手の中の異物を見て、ルミが顔色を変える。

「ああ、あいつらなんかこれを怖がってるみたいでさ。——なんでだろう?」

「血が…付いてるデスゥ」

「え?」

「仲間の血がいっぱい付いてるデスゥ! 染み込んでいるデスゥ!!」
 
「え?!」

 ルミに言われて、ライトでバールを照らす。
 すると、先端部から中程くらいまで、黒く変色した何かがべっとり付着し、硬化しているのがわかった。
 これが、全部実装石の血だというのか?

 土蔵の日記の中に、息子と遊んでいた実装石を殴打したという記録があったのを思い返す。
 その時使われたのが、これだというのだろうか?
 男は咄嗟に放り投げたい気持ちに駆られたが、これが影を牽制する役に立っている現実も思い返す。
 ルミが、辛そうな声で話しかけて来た。

「それを捨てて欲しいデスゥ! ルミも凄く怖いデスゥ! ご主人様に殺されちゃうような気がする
 デスゥ!」

「そんな事、するわけないだろう!」

「でも、でも! 本当に怖いデスゥ!! ご主人様が怖くて、近寄れないデスゥ!」

「そんな…」

 ルミの怯えは本当のようで、どんどん後退していく。
 やがて、周囲の空気がまた変わり始めた事に気付く。
 見ると、また少し影の数が増え、土蔵一階の北側を覆い尽くさんとしている。
 あの中を突っ切って、隠し扉に戻るのは危険すぎる。
 仮に自分だけ突破出来ても、ルミは……


「ご主人様、聞いて欲しいデスゥ」

 悩んでいる男に、ルミが話しかける。
 その声は、僅かに震えていた。

「許してあげて欲しいデスゥ、みんなを、ここに居る皆さんを許してあげて欲しいデスゥ」

「…ルミ?」

「ここに居る仔達は、みんなニンゲンさんに酷い目に遭わされたデスゥ、そして悔しい気持ちと怖い
 気持ちに捕まって、このおうちから出られなくなったデスゥ」

「それは判ってる。だけど……」

「みんな、ニンゲンさんを憎んでるデスゥ。だけど、それは仕方ないデスゥ」

「…」

「そっとしておいてあげて欲しいデスゥ。ルミ、ここに来てやっとそれがわかったデスゥ」

「うん、でも…」

「皆さんには、ルミからお願いしてみるデスゥ! だから、もうこれ以上誰も傷つけたりしないで欲しい
 デスゥ! お願いデスゥ!!」

 血涙を流しながら、ルミは男に土下座し、頭を床に擦りつけ続ける。
 それを止めさせようとするが、手の中の重い物体に気付き、接近を躊躇う。
 今のルミや影達にとって、血塗られたバールを掲げた自分は、悪鬼のような虐待派そのものに見える
のかもしれない。
 そう考えると、言葉が出なかった。
 男は、ルミが顔を上げるのを、ただ待つしかなかった。


「ご主人様は、ここから早く出るデスゥ。そうしないと、怯えた皆さんが……」

「う、うん」

 北側に陣取っている影達を一瞥すると、男は、土蔵の南側…正面入り口に目を向ける。
 ここは、内側から施錠されていた。
 ならば、こちら側からなら脱出できる筈だ。

「ルミ、こっち来い!」

「デ、デェッ?!」

 強引にルミを片手で抱き上げ、入り口に向かって走る。
 それに合わせて、影達が一斉に動き始めた気配がする。
 背後に大量の殺気を感じながら、男は入り口に辿り着き、鍵を確認する。
 鉄製の扉は、横長の大きな金具で中央部分からロックされていた。
 金具をずらすか、支えから取り外せば、扉は開く筈だ。
 早速手を掛け、力一杯動かしてみる。

 ——錠は、ぴくりとも動かなかった。


「嘘っ! またかよ?!」

「ど、どうしたデスゥ?!」

「鍵が……げぇっ、サビ付いてる! 扉にくっ付いてるっ!!」

「デ、デェェェッ?!?!」

 ライトで扉周辺を照らし、男は全てを理解した。
 土蔵の前面部は破損が酷かったが、どうもそのせいで雨などが浸水し、錠金具の辺りに滴り落ちて
いたらしい。
 扉の上面の段差辺りから、雨漏りしてきた水滴が零れ落ちてくる。
 これのせいで赤錆に覆われ、すっかり扉と癒着してしまったようだ。

 最悪の事態に愕然とする男に反応するように、影達が、じわりじわりと距離を縮めてきた。

 ニクイニクイ、ニククテシヌデス

 ニンゲン、ユルサナイデス。子供達ヲカエスデス

 壁ノ中ハサムカッタテチュ、暗クテコワクテ、一杯泣イタノニユルシテクレナカッタテチュ


 ニ ン ゲ ン ノ 方 ガ 糞 蟲 デ ス ゥ ゥ ゥ !!
 

「ひぇ……っっ!!」

「デェェッ! みんな、みんなやめてデスゥ! この人は関係ないデスゥッ!!」

 再び、強い憎悪が向けられる。
 バールの脅威が通じなくなったのだろうか?
 気が付くと、床や扉の横の壁からも、無数の手が生えている。
 半透明でゆらゆらと揺れる不気味な腕が、少しずつ男に接近する。

 男は、思わずバールを持ち上げたが、その瞬間ひらめいた。
 振り下ろす先は、こいつらじゃなくて……


「くっそぉ!! もうこうなったらヤケだあっ!!」

 影達に背を向けると、男は一杯に振り上げたバールを、扉の錠金具に向かって振り下ろした。


 ガァァ…ン——!!


「痛てっ!!」

「デシャッ?!」

 デ、デ、デ……!!

 バールを振った男自身も含め、その場の全員がたじろく。
 鉄の塊に、同じく鉄の塊を力一杯叩き付けたのだ。
 その衝撃は男の腕を直に襲い、耳障りな衝撃音は実装石達に降りかかる。
 だが男は、気を取り直して第二撃を繰り出した。
 
 ガァァ…ン——!!


「つ…っ!!」

「デシャァァッ!!!」

 デ、デ、デ……!!

 デギャァァァァ!!

 再び襲い掛かる衝撃。
 バールが、途中から大きくひん曲がってしまった。
 それでも、男は構わずに殴打を続ける。

 
 ガァァ…ン——!!
 
 ガァァ…ン——!!
 
 ガァァ…ン——!!
 
 ガァァ…ン——!!


 どんどん折れ曲がるバール。
 腕に染みる痛み。

 そして、叫びながらも確実に男との距離を縮めようとする影達。

 
 ガァァ…ン——!!

 ボキッ!!

「!!」

 腕が痺れて感覚がなくなろうとする直前、最高の一打が炸裂し、錠金具が真っ二つに折れた。
 と同時に、バールが真ん中からポッキリ折れてしまった。
 クルクル回転しながら、どこかへ飛んでいく先端部。
 ゴトッ、という落下音と同時に、影達が、一斉に男とルミに飛びかかってきた。

 鉄挺ガナクナッタデス

 モウオソレルコトハナイデス

 コロシテシマエデス、食ラッテシマエデス!!

 オナカブニブニレフ!!


 あいつごと食ってしまえデスゥ!!


「くそおっ! 開けぇッ!!」

 錠金具が壊れたが、長年閉ざされていた鉄扉はまだ開く兆しを見せない。
 体当たりを繰り返し、脱出しようとする男のすぐ傍に、影は容赦なく迫って来た。

「デ、デギャアァァッ!! みんな、違うデスゥッ! この人は違うデスゥッ!! 話を聞いて欲しいデスゥゥッッ!!!」

 ルミは男と影の間に立ち、懸命に呼びかけていた。
 だが、影はその声に耳を貸そうともしない。
 まずはルミから、といわんがばかりの勢いで、影達が急接近する。

「デギャアァァッッ!! ご主人さまぁぁっ!!」

「ルミ?! ルミ——っっ!!」

 ついに、影はルミを飲み込んでしまった。
 悲鳴を上げながら、どんどん黒い影の中に埋もれていくルミ。
 伸ばした男の手は、虚しく宙を切った。

「ルミィィィィッッ!!」

 一体どうなってしまったのか、ルミは返事を返して来ない。
 だが皮肉にも、ルミが飲み込まれた事で、影の進行が僅かだが停滞した。
 その瞬間、男は覚悟を決めて、最後の賭けに出た。


 ど っ せ ぇ ぇ ぇ ぇ ぃ っ !!


 いちかばちかで、短距離助走のショルダータックルをぶちかます。
 
 衝撃を受けた鉄扉は、今度は驚くほどあっさりと開き、男は横倒しの姿勢のまま表へ飛び出し
大転倒した。
 そして、そのまま気を失った——


     ※          ※             ※
 

 気が付くと、周囲はもうすっかり明るくなっていた。
 雨も上がっており、小鳥の鳴き声が聞こえる。
 男は、少し湿った地面に横倒しになった形で倒れていた。
 痛む身体を起こし、後ろを見て吃驚する。
 土蔵の扉を開きっ放しにした状態で、男は気絶していたようだ。
 
 開け放たれた入り口から、何かが出て来た様子も、出てくる兆しもない。
 外から中を覗き込んでみるが、先程の大騒ぎがまるで嘘のように静まり返っている。
 だが、叩き壊された錠金具と、南東の角辺りに落ちているバールの先端部が、現実であった事を
明確に語っている。
 男の足許にも、バールの残り半分が転がっていた。

 ルミの気配は、まったくない。

 男は、バールの半分を拾い、これを土蔵の鉄扉の下に噛ませて閉じられないようにすると、もう一度
中に入り込んだ。

 外から入り込む光は、先程より遥かにくっきりと内部を照らしている。
 もうLEDライトに頼る必要は、ほとんどなかった。
 男は、影を警戒しながら内部を再調査する。
 くまなく周囲を捜すが、ルミはおろか、影の姿もどこにも見当たらない。

「ルミ、ルミ———っ!!」

 呼びかけてみても、相変わらず返答はない。
 それどころか、生きている者が居る気配すら、まったく感じない。
 ここに居るのは、男ただ一人だけ。
 不気味なほどの静寂は、そんな残酷な事実をはっきりと告げていた。

「ルミ……」

 男は、もうルミが手の届かない所へ行ってしまったような気がしてならなかった。
 もう一度、ルミとの思い出を振り返ろうとしてみる。
 だが、夕べより前の記憶が、どうしても蘇らなかった。
 

     ※          ※             ※
 


 先程土蔵内で発見した様々な物は、あの時のままの形でしっかり残されている。
 ナイフで開けた壁の穴も、崩れた行李もそのままだ。
 よく見ると、落下した行李から何か細いものが引きずられたような傷跡が付いている。
 男は、あのおぞましい姿の実装石がバールを運んだ跡だという事を理解した。

 見ると、ミイラ実装の死体も、そのまま残されていた。
 おぞましい姿の実装石がバールを運んでくれたおかげで、男は窮地を脱する事が出来た。
 ひょっとしたら、子供と引き合わせた礼をしたつもりなのだろうか?
 男は手を合わせ、厚く感謝の気持ちを述べると、親子のミイラ実装を持ち上げ、土蔵の外へ運び出した。

 せめて彼女達だけでも、ちゃんと土に埋めてやりたいと思ったのだ。

 ミイラ実装の身体から五寸釘や鉄条網を丁寧に剥がし、折れたバールの先端を拾う。
 こんなもので穴を掘るなんて、恐らくとんでもない重労働になるんだろうなぁ、などと考え、男は少し
ブルーな気持ちになった。


 数十分後。
 異物を剥がす際に少し形が崩れてはしまったが、おぞましい実装石のミイラは、きちんと子供と一緒に
葬られた。

 

     ※          ※             ※



 荷物を回収しに母屋へ戻り、再度着替えを済ませた男は、いつでも屋敷を出られるように荷物を整えて
から、もう一度二階へ向かう事にした。

 片付けている最中、ある可能性に気付いたのだ。
 影が消えてしまったのなら、ルミは土蔵内部の階段を昇って、またあの隠し扉から母屋に戻ったかも
しれない。
 可能性は低かったが、確認しておく必要はある。
 やるべき事をすべて済ませ、もう一度、居間を通過して階段を目指す。

 ふと、居間の角に置かれていた子供のおもちゃ籠に目が止まる。
 ルミが積み木を出して、勝手に遊んでいたアレだ。
 なぜかとても気になり、積み木を手に取る。
 木で作られた暖かい手触りの積み木は、どことなく懐かしさを覚えさせる。
 男は、積み木をしばらく見つめていたが、突然手の中から落としてしまった。
 籠の中で、軽やかな音を立てる。

 その積み木の端には、持ち主の名前が小さく記されていた。










 ■□■ 終 焉 ■□■

 

 階段を昇り、裁縫道具と人形を部屋を通過する。
 タンス部屋は、さっき男が隠し扉を露出させた時のままになっていた。
 木扉を手で弄ると、キィキィと音を立てて開閉出来る。
 カーペットの上には、取り出されたタンスの中身が放り出されたままだ。
 
「約束だし、な」

 独り言を呟くと、男は木扉をしっかり閉じ、またあの重いタンスを押し戻し、出来るだけ丁寧に和服を
元に戻した。

 一通りの作業が終わる頃には、着替えたばかりなのに身体が汗ばんでいた。
 ふう、と息を吐き、タンスに寄りかかって少し休もうとすると、何かが隣の部屋で動いているのに気付く。
 それは、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 ——ルミだった。

 ルミはタンス部屋を覗き込み、すべて元通りになっている事を知ると、男にニッコリと微笑みかけた。


「すごいデスゥ、ちゃんと元に戻してくれたデスゥ♪」

「そういう約束だったからな」

「ご主人様はエライデスゥ! ルミ、約束を守ってもらえて嬉しいデスゥ♪」

「ああ、そうだな」


 ルミの無事な姿を確かめられて、男は、とても嬉しかった。
 だが同時に、とても悲しかった。
 でもその気持ちを、出来るだけ顔に出さないようにした。

 色々と言いたい事、聞きたい事があった。
 再会出来たら、追求したい事が山ほどあった。

 どうやって、その小さな身体で階段を何度も自由に昇り降り出来たのか?
 どうして、脱いだ筈の実装服をいつの間にか着直す事が出来たのか?
 どうして、タンスの主を「ママさん」などと呼んだのか?
 どうやって、あの土蔵から脱出できたのか?

 どうして、時速20キロ近い速度で走っていた俺の背中に、何の支えもなくひっついていられたのか?
 
 だが、もう言葉が出ない。
 しばしの間を置いて、ルミがそっと告げた。
 男の心の中に、声が響く。
 
「最後に、もう一つだけお願いを聞いて欲しいデスゥ」

 目線が、ちらちらと横に動いている。
 その意味を、男はなんとなく理解した。
 
「ああ、何でも言ってくれよ」  

「ショサイの本棚に、ご主人様に見て欲しいものがあるデスゥ」

「本棚? もうかなり調べつくしたよ?」

「もう一つの本棚デスゥ。こっち側に近い方デスゥ」

 一度も入っていない筈の部屋の様子を語るルミに、男は、複雑な気持ちを抱かされた。

「わかった、見てみるよ。……ちゃんと片付けてから——行くから」


「ありがとうございますデスゥ。ご主人様」


「いや、俺は……ご主人様じゃ……」


 言葉が、自然に止まる。
 これ以上、続ける意味は感じられなかった。
 男は立ち上がり、ルミの脇を通り過ぎると、布団部屋を通り過ぎ書斎の襖を開ける。
 入る直前に振り返ると、ルミがこちらを覗きこむようにして、とても愛らしい笑顔を浮かべていた。


 男は、そのままルミが姿を消すまで、ずっと見守り続けていた。



     ※          ※             ※
 

 北側の本棚は、さらっと背表紙やごく一部の中身を確認しただけで、西側の本棚ほど深く確認して
いない。
 すっかり明るくなった室内で、じっくりと背表紙を確かめていく。
 すると、下段の辺りにアルバムらしきものを発見する。
 夕べ中身を拾い集めたアレと、同じ装丁だ。
 男は、それを取り出して文机へと運ぶ。

 開いてみると、それは77年頃の日付が記されたもので、セピア色に変色した古いカラー写真が
並べられている。

 セルフタイマー撮影だろうか、主人が妻と一緒に笑顔で写っている写真がある。
 場所は、どうやら一階の廊下のようだ。
 よく見ると、妻が両手の中に、とても小さな人形を抱えている。


 ——人形ではない。
    それは、とてもちっちゃな仔実装だった。
 

“昭和52年——

 妻と共に、新しい娘を迎える。

 あの子の名前を取り、「留美」と命名した。”


 細い字で記された走り書きを確認し、ため息を漏らす。
 男の中で、日記の謎がようやく氷解した。

 アルバムの中には、二人と一匹の…いや、三人の幸せそうな生活の様子が、一杯に散りばめられて
いた。
 どんどん成長していく留美、それを優しく抱く主人と妻。

 やがて、病床の妻の写真も出て来た。
 留美は、布団の脇で笑顔を浮かべているが、どこか不安そうな微妙な表情になっている。
 また別な写真では、妻の食事を手伝おうと頑張っている様子が見られた。
 とても心優しく、そして賢い実装石だという事が、よく伝わってきた。

 否、これを見るまでもなく、男はそれを充分理解していた。

 色々な思いに駆られながら、ゆっくりとアルバムを眺めていく。
 最後のページに差し掛かった時、そこに何枚かの束ねられた藁半紙が挟まれている事に気付いた。
 それは、小説の概要をまとめたもの……いわゆる「プロット」だ。

 「実装石の娘」という素朴なタイトルから書き出されているそれは、男にとって大変理解しやすい内容
だった。
 それは、この家の主人を主役にした、優しく暖かな物語。
 かつて実の娘を失った夫婦が、庭に紛れ込んできたみなし子の実装石を引き取り、自分達の子供と
して育てていく。
 やがて種族を超えた家族愛を知りながらも、仔実装の死という悲しい別れを経験するという内容だった。
 過剰に思えるほどの愛護に満ち溢れたもので、俗に言う「糞蟲」的な展開や、虐待・駆除に関するような
展開は一切盛り込まれていないようだ。
 人によっては一笑に付してしまいそうな、ごくありふれた構成内容。
 多分この廃墟に来ていなかったとしたら、男も読みたいとは思わなかっただろう。
 だが今の彼には、このプロットに主人の悲痛なまでの想いと願い、そして夢が詰め込まれているように
感じられ、大きな関心を抱かずにはいられなかった。



 一階に降り、男は最後に仏間へ寄って、一晩の宿を借りた礼をしに行こうと考えた。

 再び訪れた仏間には、最初の時のような不気味な雰囲気は漂っていなかった。
 それどころか、まるで旅人を送り出してくれる宿場のような、どこか暖かなイメージを感じ取る。
 仏壇の前に正座し、しばし手を合わせる。

 顔を上げた時、仏壇に置かれていた二つの写真立てに目が止まる。
 男は、少し申し訳ない気持ちになりながらも、それを手に取り眺めてみた。
 二つの写真立ての中には、この家の娘・美幸と、妻の腕に抱かれるルミの姿があった。

 二枚の写真に写った妻と二人の娘は、とても、とても幸せそうに微笑んでいた。


     ※          ※             ※


 もうすぐ昼になろうという頃、男は、運び出した荷物を自転車に固定し、出発の準備を終えた。
 あれから、誰もここを通った様子はない。
 本当に、うち寂れた林道だという事がわかる。

 男は屋敷と土蔵を見返して、一晩の探索を回想した。
 そして、それに付き合ってくれた、優秀な助手の事も。


 男は、実装石を飼った経験はない。
 それどころか、今までほとんど興味すら持っていなかった。
 だがここに近付いた時、なぜか留美の存在を自然に受け入れ、まるで長年の付き合いであるかの
ように錯覚していた。
 この屋敷の近くに辿り着いた瞬間から、男は、知らぬうちに留美に惹き込まれていたのかもしれない。

 だが。
 留美が居てくれたおかげで、この屋敷の中を隅々まで調べる事が出来た。
 そして、その中に眠り続けていた、ある一家の記憶に触れる事が出来た。

 色々と危険な目に遭いはしたものの、恐らくもう、これ以上劇的な経験が出来る廃墟には二度とお目
にかかれないだろう。
 男は、そう実感していた。




 屋敷を出てから、数時間——

 夕方に差し掛かる頃、ようやく目的の街に辿り着いた男は、その日の宿を確保した後、街中を適当に
散策していた。
 勿論、そこに新発見の廃墟がないかと期待しているというのもあったが、本目的は古本屋だった。
 この周辺の古い地図を手に入れ、今後の探索の材料とするのだ。
 一般書店で手に入る地図では、既に使われていない廃墟施設などは記されていない。
 だからこそ、古本屋で見つかる古地図が役に立つ。
 男は今日の予算を確認すると、駅前で発見した小さな書店に立ち入った。

 十分ほど店内を確認し、お目当てのものが見当たらなかった男は、本能の赴くまま、店内奥のエロ本
コーナーを物色した。
 なかなかマニアックなものが揃っているな、とリビドーを煽り立てながら、別な棚に目を移していく。

 その時、視界の端に「実装石」という単語が引っかかった。

 エロ本コーナーのすぐ上、古い小説単行本が並べられた棚。
 十何年もそのまま放置されていたかのような、紙魚臭い段の中央辺りに、それはあった。

 タイトルは、「実装石の娘」。

 既に倒産して久しい出版社から発行された、古い単行本。
 男は、迷わずそれを手に取った。
 ぱらぱらとめくり、内容を確認する。
 それは、明らかにあのプロットを煮詰め、完成させたものだとわかった。
 ページ数こそ多くはなかったが、表現力豊かな高い文章力で、実装石を迎え入れた家族の幸福な
生活が記されていた。
 あの家の主人が、ずっと夢見続けていた、理想の生活が。

 本の初版発行日が84年である事、著者の没年等が記されていない事に、僅かな期待を抱く。
 男は、購入候補として取り出していた数冊のエロ本をすべて棚に戻し、その小説だけをカウンターへ
運んだ。


「これ、ください!」

「——1,200円」

「うわ高っ!」

 男の夕食代は、その瞬間消滅した。
 だが代わりに、かけがえのない物を手に入れた充実感を得た。


     ※          ※             ※


 ——翌日の朝。

 男は自転車に乗り、もう一度、あの屋敷を目指していた。
 夕べ眠る直前、肝心な事を忘れていた事に気付いたのだ。


『うっかりしてた。留美との約束、まだ果たしてなかったんだよな……』

 通りすがりの駄菓子屋で金平糖を買った男は、全速力で自転車を漕いだ。




 (了)


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 この舞台となった屋敷のモデルは、劇中の表現とは全然違いますが、関東の某所に
今もなお現存しています。

 今回は、以前Mayで見かけた「廃墟をテーマにしたスク」というものに興味を得て、書かせて
いただきました。
 筆者が過去にとある廃墟探索で実際に発見・経験した事のいくつかをベースにして、そこに
実在する怪談(※内容が実際のもの、という意味ではない)の注目ポイントを加えてアレンジ
してみました。
 結果、虐待でも観察でも愛護でもない、なんとも奇妙な方向性にまとまってしまいましたが、
どうかご容赦ください。

 おつき合いありがとうございました。
























































 ——そして「虐待がなくってつまんねーじゃんかよぉ!」とお感じになった方々へ。


 「陸」にご期待ください(笑)。


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1 Re: Name:匿名石 2019/03/06-19:16:57 No:00005779[申告]
廃墟・心霊ものとしてはすごく好き
ただし糞虫どもへの憐れみは一切無い
死してなお死すべし
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