長い雨 (9) 災厄 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最初にミーと出合ったのは、ミーが1匹の第8世代ペット実装ククリ(括り)の腹から生まれた時だった。 元々、第8世代自体は教授のものでもなければ、今や誰も手を付けるものの無い、そう、”放棄”された過去の遺物… 俺がこの研究施設でその存在を知った頃には、”第8世代”の文句を付けて売る店は無い。 もう商品として出産石から産み落とされることも無く、その仔達の血族も、 ただの高級ペットとして、実装石当人も、買う人間も、売る人間すらそれがそうだとは思えないほど埋もれてしまった。 ククリは教授が信頼できる筋から高いお金を出して自費で購入した物で、 研究所で飼われているとはいえ、待遇は他の実験用に飼われている実装石とは比較にならない安全な環境で生活をし、 博士の身の回りの世話もこなしている良い実装石だった。 ただ1つ違うところがあるとすれば、ククリは何度も仔を産み、その度にその仔を1匹ずつ里子に出されていた。 待遇が良い分、休むまもなく拘束され機械的に仔を産まされる出産石とは区別されている程度の差でしかない。 妊娠に関わること以外は、妊娠期間中も出産も出産後も待遇は良い。 それだけにククリも嫌がる事は無かった。 ただ、里子に出される我が仔との別れがとても寂しそうであった。 それでも、ククリは博士のために何度も仔を産む。 そして、我が仔と過ごせる短い期間を大切に過ごした。 「きっと幸せになれるデス…私のご主人様はとても優しいニンゲンさんデス。 お前達もきっと優しいニンゲンさんの所にいけるデス」 「新しいご主人様に迷惑を掛けてはいけないデスよ…ワタシ達は微力でもご主人様を助けることが幸せなのデス」 そんなある日、研究所の若手だけが集められて言われた。 『君たちに、この仔達を1人1匹ずつ育ててもらいたい。 何、特別な躾けは必要ないし君たちの生活の負担にはならない…第8世代の仔だからね…犬猫よりは楽だ。 育てている間の最低限の飼育機材や餌は提供するし、その間は特別手当てを上乗せする。 仔が生まれたら、多めに餌も提供するし、どうしても負担になるなら別に仔の方はこちらで引き取る。 途中でやめるのも自由だ。 ただし、ソレは君たちに与えたものではない。時間が来れば返してもらうがね』 その時、一介の二流大学卒で就職したてだった俺は、気軽にそれを引き受けた。 ただ、普通に生活して育てるだけでよい。 それで、他人よりは給料が良くなる。 第8世代ペット実装の仔で加虐や精神的贅沢病さえ無ければ、特別に扱いが難しいという事も無いし、 むしろ貧乏な男寡の生活では助けになる。 全ての仔の名前をミーで統一する事、ミー同士は決して飼っている間出合わせ無いこと。 これが教授の条件だった。 この事から、ミーが実験の道具になることは予想していた。 おそらく、先の仔達も、何かの実験のためにミーと名づけられて育てられている。 その協力者が足りなくなっただけのことだ。 それでも、特別な事をしようとか肩肘を張る必要は無い。 どうせ、実験に使われるまで飼うだけなのだと…。 そうして始まったのが、ミーとの生活であった。 そして、ペットとしては優れたミーと生活するうちに、実験のことは頭から消えていた。 そうしているうちにミーは仔を産んだ…最初の仔は偶然生まれた。 下着を付けていても、花粉妊娠を完全に防げる事は無いのだ。 もう、ミーと出会って1年近く過ぎていた。 それだけに普通ならバンバン産み落としてもおかしくない仔を、ずっと我慢し続けていたことになる。 ただ、幾ら特別手当が付いて仔の分の餌もくれるとはいえ、 教授はミーの仔自体には興味が無いらしく、手当ての割り増しはない。 流石に仔の数が増えれば、提供される餌では足りなくなるし、知育の玩具もまったく無い訳には行かなくなる。 その頃には、すっかり情が移っていたのだろう…俺は何とか自力で里親を探し、見つからない分は仕方なく手元に置いた。 なにせ、研究所で引き取ると言う事は、良くて実験実装として飼われつづけ、 悪ければ実験実装として即座に、どちらにしろ酷い実験により苦痛で死に至るだけなのだ。 教授にとって、ミー以外は、そんな価値しかないのだ。 そうして3回目の仔を孕んだ頃、俺は教授から忘れかけていた実験のための回収の話をされた。 『どうかね?過酷ではあるが酷い実験ではないと思うよ… 君の近くのあの公園には愛護派率も高いしマラの生息率も少ない。 コミュニティーは無いが、それなりに秩序ある実装石集団が形成されている。 最初さえうまくやれば、すぐに取って食われる心配は無い。 君がちゃんと普通に育ててさえいれば心配は無いと思うよ…6ヶ月、見守ればいい。 それに実験が成功した暁には、成功者として”昇進”を約束しよう…6ヶ月過ぎれば自動的に昇進だ』 俺には断る事は出来なかったし、断る理由は無かった。 もともと、ミーたちは期限付きで預けられただけの事… 貧乏研究員が、少しマシな生活をするためのアルバイト…それだけの関係だったはずなのだ。 だからこそ、俺はむしろ乗り気で最後の夜に贅沢をさせた。 何の実験かは知らないが、知る必要も無いと思った。 野良に堕とされ、そうとは知らずにドタバタをする様子を、他の者と笑って見てさえいた。 ”なんと愚かな生き物だろう”…と。 所詮、上辺の知識を得ても、実装石は、所詮は実装石なのだ…と。 だが、俺は、ここに来てミーの懸命な生活への足掻き、その泥にまみれる生活。 それでもなお、毎日、俺との写真に挨拶をし、カレンダーに印をつけるミーの姿に後悔を感じていた。 ”何故そんなに頑張れる!さっさと野良にでもなってしまえ…それか死んで楽になってくれ” そう思いつつも、同時に、 ”こいつは…ミーは、今の俺と何が違うんだ…貧困し妥協し…我が仔すら約束を果たす為の道具の扱い…” ”俺が、ミーを自分の昇進のために差し出したのと何も変わらない…” ”それなのに、何故、この雨の中を生きるんだ…諦めてしまえ…自分の為に…”と思った。 完全に情が移っていたのを実感した…ただの主従関係ではない情があるのを身を持って知った。 そして、今、実験の目的を知った。 俺はさらに後悔した…。 前にあの賢いミーを助けにいった同僚…彼も同じ苦しみを味わったのだろう。 俺のミーが、第9世代への試金石になるのは確かに名誉な事だろう…。 第8世代がいかに従順で忠誠心が高いとはいえ、それは人と生活して、それに従う事を続けている間のことだ。 飼う人間の力量次第では糞蟲になるのは、今までのものと何も変わらない。 受動的立場での思考しか出来ない為なのだ。 彼らが糞蟲化するのは実装石より人間個々の問題でしかないが、それを言えば、今のペット実装でも同じことなのだ。 第9世代…それは、どんな人間に飼われても、自己の思考でマナーを守り対応する能動的ペットになるという事。 犬の中に居る飼い主を求めて何百キロと彷徨い戻る忠義心や、 猫の中に居る寿命が近づくと人間の下を去る能動的判断力… 実装石には、たとえ、どんなに理不尽な事で野良の世界に堕ちても、人間への忠誠心に揺るぎが無い様に… 『もし、飼い主とはぐれて家に戻れなくなったり、飼い主から要らないといわれたら自殺しろ』 そう教えられたら、それがどんなに理不尽な状態でも従順に従うところまで行くだろう。 7つの大罪を1世代ごとに克服した”希望”のペットとよばれた第8世代…しかし、希望は人間の手で善にも悪にもなる。 第9世代は…つまるところ”生きた玩具”以上でも以下でもない存在。 ペットとして犬猫を超えられはするが、それはもはや生き物ではない…玩具だ。 果たして、それに何の意味があるのだろうか… 第8世代ですら糞蟲化させる飼い主を満足させる事に何の意義があるのだろうか? 彼らには、元から生き物を生き物として飼う資格など無いというだけの話ではないのか? それに、もう1つの実験の事を考えると…俺は今にも、この雨の中を飛び出したい気分になる。 本当に…梅雨はうっとうしくなる長い雨の季節だ…。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 公園の中は阿鼻喚起に満たされている。 マシなのは、2階と言う屋根付きの場所を持った多少は賢い者達位であろう。 屋根に逃れたものは、皆、打ち付ける雨の冷たさに身を寄せ合い、あるものはビニール袋をかぶって身を丸める。 屋根に逃れても、重みに耐えられない家もある。 濡れたダンボールの強度などその程度のものだ。 浮かんでいるゴミに身を救われている実装石も、次々と体力切れで沈んでいく。 元気なものはソレで泳いで身近な、水面に出ているものを求める。 そうして、屋根の奪い合いが始まる。 家々が密集している為に支えあって丈夫な中央部も長くは無い。 雨に弱る実装石達に対して餌の量は少ない。 ちゃんと餌まで確保して屋根に逃げる実装石は少ないのだ。 1晩を過ぎれば、餌の取り合いや共食いが生まれる。 ここにはもはや団地組みや低層の区別は存在しない…全てが、ごく普通の実装石なのだ。 ミー達も自分の家の屋根に上がっていた。 一際丈夫な我が家に、ミーは天に向かって飼い主に感謝の言葉を呟いていた。 唯一、非常時に持ち出した飼い主と自分達の写真を胸に… ミーは、肝心なところでは、結局は人間にあらゆる面で頼っている存在でしかなく、 その時には、むしろ知恵の回らない愚かさがあった。 そして、生きるために身に着けた知恵も、所詮はあの賢いミーから引き継いだものでしかなく、 優先度としては”飼い主の事の次”に大切な事である。 ただ、ミーも何も考えずに手ぶらで来たのではない。 キーが必要と思えるものを不必要なものと共に詰め込んだのを見て写真だけを持って上がったのだ。 一応、屋根に逃れても重いものがありすぎると壊れるかもしれないとの考えもあった。 だが、キーの行動や感情を考えると、ミーも役には立たなくても何かを持って上がるべきであった。 そうした、心情的なものが飼い主に向けられている限り、家族にすら十分に向けられないのが、 実装石の不器用さであり、ペットとしての性でもあった。 一方、キーは、そのミーの姿を苦々しく思っていた。 キーは、持てる限り沢山の餌袋や道具をリックに詰めて、ミーの代わりに運んできたのだ。 それに対して、ミーは、その何の役にも立たない写真だけを持って上がって来た。 キーは、一人、すっかり汚れの染み付いたタオルを沢山身体に巻き、 ビニール袋をかぶって、暖を取りつつ雨を避けた。 自分が生き残るという目的なら、知能が働くのが今のキーの良いところと悪いところである。 キーは、まだ、飼い主への忠誠がいかなるものか知る前に野良を知ったのだ。 2匹は、他の実装石達から見ればずっと環境は良い。 土台が良いから、周りの家が崩れていても、まだ、倒壊までには至らない。 この家単体で立っていられる。 2階屋根付きの家も、結局は、この水没の状況では下が緩んで余計な重量で傾きだしている。 だからといって、決してミーたちが楽をできるわけではない。 公園には、まだ、ゴミを浮きに彷徨う生き残りが沢山いた。 このしぶとさこそ、弱いくせに殺しても殺してもどこかで生き残り増える実装石の恐ろしさである。 過酷な状況にあればあるだけの体力のキャパを発生させる。 彼らは、雨の中、体力を消耗しながらもゴミに捕まって浮き、懸命に水をかいて、陸地を求める。 陸地とは…健在な家の屋根だ。 幸い、排水溝つまりで水の流れは殆ど無い。 今は泳げる泳げないという状況ではなく、ひたすら足を動かして移動するだけだ。 公園を囲む普段は届かない塀の上、ジャングルジムの足場…まともに立っていることの困難な場所でもお構いなし… とにかく近くで水から上がれる沈まない場所を求めた。 それだけに、近くにミーの家のような休める場所を備えた陸地は、まさに目の色を変えて殺到するべき場所なのだ。 ミーの近くの家にも殺到してきた。 ミーの家にも何匹かが迫っている。 実装石同士で判る、その表情は、まるで飢えを癒さんとする餓鬼のもがく様のようである。 ある1つの無事な家の屋根…この家の主は、自分と生き残った我が仔以外に2匹を助けた。 「やめるデス!ここは4人で限界デス!これ以上乗ると倒れるデスゥ!!」 幾ら制止してもドンドン這い上がってくる。 「まだ上がっているデス!ワタシも上がれるデス!」 「ママより軽いワタチなら上がれるテチュー!」 「もう上がるなこのオカチメンタイコデスゥー!!」 「デッジァァァァァァ!!」パシャン… コッソリと脇から上がろうとした仔実装を家主が肩を噛み千切って、水に投げ落とす。 「偉そうにデスゥ!偉そうに言うオマエが降りればワタシは助かるデスゥ!」 その近くにいた実装石が、家主のスカートを片手で掴む。 すると回りもドンドンと空いた手を伸ばして家主を引き摺り下ろす。 「テェェェェェ!ママがいなくなったテスゥ!!」 その家主の仔が泣き叫ぶと、助けられていた先客が、その仔を背後から蹴り落とす。 「テスァァァァァ…(ポチャ)」 「グラグラ揺れるデスゥ!軽くするデス!捕まっているヤツラを離れさせるデスゥ!」 「近寄らせるなデス!こんなクズどもは蹴り捨てるデス!このこの!デェッ!掴まれ…(パシャーン…)」 這い上がり蹴り落とされ、蹴り落とし掴み降ろされ、入れ替わりながら群がるのを止めない… 一旦落ちれば、泳げない実装石は、手近に浮くゴミが無い限り、10秒待たずに水面下に沈む。 そんなゴミを持っているものに捕まっても、浮力が足らずに溺れるだけである。 既に何度持ち主が入れ替わったであろうか、家の上には、狭い足場に6匹がひしめくように立ち、 諦めきれないものが、さらに6匹、屋根の縁に捕まっていた。 彼らは、ここに上がる為に、命綱であるペットボトルや発泡スチロールを手放しているだけに後が無い。 「ヘフッ…ヘフッ…ここはワタシのものデスゥ!」 1匹が暴れ出した瞬間…ベチャ… 瞬きする間も無く、屋根が横にスライドして崩れ去った。 「デギャァァァァァァァ…デッ!?デデェ?」 沈んだと思い騒ぎ出す者達。 だが、既に下は大量の溺死体が沈んでいて、彼らは、水面から顔を出せるようになっていた。 水深は今や60cm…だが、死体2つほどを踏み潰せば、安定した2、30cmの肉の足場となりっている。 生き残った10匹は、その倍の仲間の死体の上で、文字通り屍の上に立って成り立っていた。 身動きも取れない場所で、身動きを取る術も無く、顔だけを水面から出したまま…。 そんな光景がミーの周りで繰り広げられながら、 ミーたちも迫り来る仲間の上陸を阻止しなければならなかった。 例え、この家の強さに余裕があっても、僅かでも招き入れれば蟻の如く群がってくる。 そして、助けたものに後ろから襲われることになる。 只でさえ餌が無いだけに、見ず知らずのものが数がいれば共食いの元凶でもあるのだ…。 吹き付ける雨と夜の寒さ…それに耐えながら、よってくる者を時には蹴って追い返す。 状況が状況とはいえ、ミーにはつらい行為だった。 だが、そこで感情に流されない強さをミーは持っていた。 ミーは寄ってくる漂流実装が増えると、キーが持って上がった物の中から園芸用デスゥコップを逆手に掴み、、 容赦なく彼らを打ち据え、突き刺して追い返し…いや、意図的に傷つけだしたのだ。 その行動の兆候は2ヶ月の間にあった。 我が仔、キーが使えないと判断したときに、連れ歩く仔をピーポーに変えたと言う事自体がそれだ。 この時点で、ピーポーが優れているかは判らない。 それなのに、一番教育したキーを切って、2匹を試したこと自体が”愛情”より”計算”が優先されたときであった。 だからと言って、決してミーの愛情が低いわけではない。 ただ、家族への愛情と、”計算”で計算を取るべき”目的”がミーにはあった。 それは、ミーにとって最優先の事…飼い主が来るまで生きているという”忠誠心”だった。 この前では、愛する我が仔すら、約束を守る為の”条件”でしかない。 だから、過保護に守ろうとした…。 それに比べれば、家族関係以下の公園の有象無象など、ミーにはただの障害物に等しい。 傷つけて追い返す。 それで、その後、その同族が溺れようが関知しない。 それを選ぶ事を…緊急時の判断をミーは身に着けていたのだ。 ペットとして飼われた者は、こうしたときに不意に優しさを見せる。 ミーにはそれが無かった。 この生活で、それを学び、”進化”していたのだ。 家の縁に捕まろうとするものは、容赦なく手に突き刺した。 助けを求めたり上がろうとするものは、ソレで叩き、また、蹴り落とした。 「このお家は絶対に壊させないデス!殺してでも守り抜くデス!」 そう、ミーには”家族と共に待つ”約束を守る術は、キーと自分しか残っていない。 その追い詰められた状態がミーを鬼にしていた。 キーも懸命に追い払っていた。 なにより、キーの場合は自身のためではあるが、 ミーの気迫に押されて追い払っていた。 一度、襲撃を払いのければ、最初に付近にいた遭難実装は居なくなる。 強い流れでも無い限り、泳げない実装石が、浮くゴミを手に入れて遠くまで泳いでくる事は無い。 一戦が終わると、2匹は、ゴミ餌を食べ、再びビニール袋をかぶって短く浅い眠りに落ちる。 だが、2匹は考え方は違えど実感していた。 こうした事で、自分達は他者より遥かに恵まれた環境に居るのだと。 木やジャングルジム、公園の塀に逃げたものは、眠りに落ちることすら許されない雨曝し。 僅かでも足元がフラ付いたり手を緩めれば、容赦なく水面に落ちる。 僅かに残った土地や団地の中心部だった広い屋根スペースでは、いつ果てるか判らない共食いが続いていた。 腹を満たすのではなく、先に殺さないといつ狙われるか不安な為だ。 そうして浸水から2日が経過した朝…雲間からは久しぶりの太陽が顔を覗かせていた。 ミーの家は、何とか崩壊も浸水も免れていた。 水深は公園最深部で約80cm…ミーの家の屋根ギリギリに来ていた。 公園の外ですら道路が30cm浸水している。 公園の中は静かである。 もう、阿鼻喚起を上げる漂流者は居ない。 あらゆる場所で、この2日耐えられたものだけが、僅かに生き残っている。 堀や水中で眠る事無く食べる事無く身動きすらとれずに立ち続けたもの… 木やジャングルジムや崩れ掛けの家にしがみ付き続けたもの… 共食いを生き抜いたもの… それらは、人形の様に身動きをとらずに、両目の周りを腫れ上がらせながらも生きていた。 一時は小さな公園に何百と住んでいた実装石も、今は数十を数える程度。 その中でも、僅かでも眠り、食事の取れるものは少ない。 2階付きも、壁に支柱となる木材や不燃ごみを置いてあるような本当に丈夫な家しか残っては居ない。 ミーは、朝から生き残れた事に感謝の祈りを捧げた。 パンツに挟んで腹に抱えて守っていたぐしゃぐしゃの写真を取り出して胸に抱き、跪いて天を仰ぐ。 「ご主人様…ありがとうデス…ミーはきっとここでお迎えを待つデス」 そのミーの姿を苦々しく見るのがキーであった。 キーは狂ったようにナカマを傷つけたミーの姿に畏怖して抑えていた不満があるが、 この時ばかりは我慢できずに口を滑らせてしまった。 「何が楽しくて、ワタシ達を捨てたニンゲンを崇めるデス…ちゃんちゃらおかしいデス」 「何を言うデス!!ご主人様のくれた道具のお陰で、ワタシ達は助かっているデス!」 「フン…それがちゃんちゃらおかしいデス…ご主人様がワタシ達を思うデス!? 馬鹿な事を言うなら寝言で言うデス! ワタシ達がそんなに可愛ければ、こんな場所に捨てないデス!」 「す!捨てられてなど居ないデスゥ!!」 「捨てられたデス!ワタシ達はあのクズなニンゲンに捨てられたデス!! 本当に心配なら、こんなことがあったら飛んでやってくるものデスゥ! ニンゲンはワタシ達の価値などわからないクズデスゥ!」 ミーの腕に怪しくデスゥコップが光る。 だが、キーも、もう引くことは出来ない。 本能が押さえ込んでいた人間への反逆心を、その表面的本能を覆してまで、キーの中に眠っていた本能が堰を切ったのだ。 8世代、数万の犠牲の上に作られた人間の作品が、呆気も無く崩れた瞬間である。 「デェェェェェェッ…」「ママー!ママー!」「テェェェェェ…ママ…疲れたテチィ」 一触即発の空気を消したのは、漂流する実装家族であった。 彼らは、割れた発泡スチロールの箱にしがみ付いて泳いでいた。 板はそれほど大きくなく、親を真ん中に両脇の小さな仔実装も、半身を水に浸してバタ足をしていた。 「あそこデス…あそこに上げてもらうデス…きっと助かるデス」 親の言うあそこが、この近辺でもっとも近いミーの家を指しているのが判った。 親の足は止まる事が多い。 もう、すでに水に浸かっている部分が真っ白になりブヨブヨに膨らみだしている。 その為、仔も自ら水に浸かって漕いでいるのだ。 しかし、その親仔の前に、ミーが立ちはだかる。 「残念デスが、よそへ行ってもらいたいデス」 「デェッ…そこを何とかお願いしますデス…この仔達だけでも何とかお願いしますデス」 親は懸命に溺れかけている頭を水につけてまで何度も頭を上げ下げして懇願した。 「この仔達はとても良い子デス…迷惑はおかけしません…この仔達だけでも助けてください。 今すぐワタシがアナタの奴隷になっても構わないデス…ワタシを食べてもいいデス。 せめて、この仔達だけでも、安全な場所に置いてくださいデスゥゥゥゥ」 「ママ!ママァ!ママも一緒テチィ!」 「イヤテチィー!!ママァー」 親は、懸命に片手でしがみ付きながら、1匹を何とか浮きから引き剥がし、ダンボールの屋根に乗せようと差し出す。 仔は懸命にその手にしがみ付いてはなれない。 「デェェェ…我儘を言わないで欲しいデス…仲良く生きるデス…」 しかし、ミーは、それを蹴り返そうと構える。 非情ではあるが、ミーにとっての生きる目的にとって邪魔なものである。 しかし、その時にキーがその間に割って入ると、その仔実装を受け止める。 「メーちゃん…メーチャァァァン」 「デヂィッ!デェェェェェェッテチィィィィィッ!」 母親から引き剥がされ、泣き叫ぶ仔を胸に抱え、その頭に激しく頬擦りをする。 仔の方は、見ず知らずの実装石に窒息するほど抱きしめられ、首が折れんばかりに頬を摺り寄せられ、必死の抵抗を見せる。 それでも構わずに、頬を寄せ付けたまま泣き崩れて跪く。 ミーにとって何物にも増して強いのが飼い主への忠誠なら、 キーにとって、大切なのは人間より”家族”である。 生まれたときからソレが大切な物だと教えられ育てられ、それが歪んだ今も、そして、全て失った今だからこそ、 失ったものへの愛情の深さがキーに幻覚を見せているのだ。 覆水盆に帰らずを理解できないのが実装石だ。 ミーは、その眼中には入っていない。 キーにその家族の大切さを教えておきながら、自分は家族より飼い主優先だと言うのを示したから… 少なくとも、キーにはミーの全ての行動が、あの飼い主への信仰にも似た態度によってそういう姿に見えた。 そして、家族優先で育ったキーは、人間から受けたたった数日の贅沢により、 ”常に愛されていた”より、むしろ”あんなに毎日贅沢に可愛がってくれたのに捨てた”という感情が増幅され支配していた。 その人間に祈りを捧げるミーは、キーには完全に侮蔑するべき存在でしかない。 キーは自分の責任も全て、親であるミーに押し付けて敵視していたのだ。 それは、深層では一種の親に対する甘えの行動であるが、そうと理解できないキーは心底ミーを憎しみ、 目の前に現れた仔実装をメーとすることで、失われたものを取り戻そうとした。 「メーちゃん帰ってきたデスゥ!!」 その姿に、その親実装は安心する。 そして、もう1匹を震える手で掲げてキーに差し出す。 「あ…ありがとうデスゥ…おまえも、おまえも、迷惑をかけずに強く生きるデス… ゴハンは1日5食で我慢するデス…寝ウンコも早く直すデス…いつも歯軋りがうるさくてママは寝られなかったデス… でも、お前達はママの仔デス…沢山可愛がってもらって生きるデス。 その人をママだと思ってイッパイ甘えるデスゥ〜… 最後に、いつもコンペイトウと言って渡していたのは、丸めて乾かしたワタシのウンチデス…ゴメンデス…」 「テェェェェェッ!ママァ!!」 「デェェェェッ!メーちゃんが2人に増えたデス…いや、ピーちゃんデスゥ〜…心配しなくても立派に育て…」 キーが、もう1匹を受け取ろうとした瞬間… サクッ! 「デヂェビァ!!」 ミーのデスゥコップが仔実装の脳天から突き刺さって半分に引き裂いた。 「ピーちぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」 「デェェェェェェ!!ワタシの仔ぉぉぉぉぉぉぉ!!」 ブン! ミーが、親の手にしがみ付いた姿勢の仔からスコップを引き抜くと、 仔は舌を出した顔のまま、開きになって水中に沈んだ。 「ミー!!ピーちゃんを殺したデス!」 キーが横のミーに向き直った瞬間、ミーは、キーの抱く仔をサッと取り上げると、 その脳天にザクッとスコップを貫通させる。 「チベァ!!」仔実装は、胴体をヒクヒク痙攣させるだけとなった。 「デスゥゥゥゥゥ!!メーチャァァァァァン!!」 「デェェェェェェッ!!殺されるぅぅぅぅワタシも殺されるデスゥ!ワタシだけは死にたくないデスゥ!!」 親実装は、その光景に思わず浮きから手を離す。 幸い、下は今までミー達が追い払って沈んだ水死体があり足が付いた。 親実装はパニックとなり、疲れて沈みそうだったのも忘れて、水面から顔だけを出して駆け回りだした。 そして、ミーの家から離れようとして、足場の無いところに行って溺れだした。 ミーが顔に穴を空けた仔実装をポイッと水中に投げ捨てると、 「何を幻覚を見ているデス!メーもピーも死んでしまったデス!死んだものは生き返らないデス」と言い放った。 確かにメーは助かりようが無い。 ピーも再生不能な死を迎えた。 言っている事は正論だが、実装石がその文句を言うのは可笑しな話である。 「メーもピーもオマエが殺したデス!」 案の定、キーとミーの関係は、確率が低かったとはいえ、この事で完全に修復不能になった。 キーは、そそくさと屋根の中央にあるリュックの元に行く、そして、中からアヒルさん浮き輪を取り出すと、 ブォォォォォォブォォォォォ…と膨らませだす。 「何をしているデス!あいつらは邪魔なだけデス!赤の他人デス! 例え仔でも、今の状態ではいつ寝首を掻かれてもおかしくないデス! あんな赤の他人の仔を育てたら、ご主人様に迷惑デス…ご主人様にワタシが野良になったと思われるデス」 その声はキーには伝わらない。 「あれはメーデス!ピーデス!オマエがワタシの目の前で殺したデス! オマエは好き勝手に捨てたニンゲンを待ってここでおっ死ねばイイデスゥー!! 大切な妹ちゃん達を殺したオマエなんかと一緒には生きてなんか行けないデスゥ!!」 ミーが覚醒したように、キーにはキーの覚醒があった。 人間への逆恨み、それに傾倒するミーへの憎しみ… ミーは、実に全ての責任を押し付けるに相応しい存在だった。 意見の相違が、親離れ仔離れを引き起こすのが普通の事である。 それが、生存権競争から生まれるのが正しいのか、こうした確執から生まれるのが正しいのか人間には決められない。 ただ、いえることは、本来ならもっと遥かに早くに訪れる親離れが起きなかったところが、 ミーの飼い実装としての性格と、キーの甘えによるものであるのは確かだった。 たが、それも全て終焉した。 キーは、膨らませた浮き輪を履き、リュックを背負うとドポンと水に飛び込んだ。 ポチャポチャ… キーは死体を踏みしめて歩き出す。 やがて、足場がなくなると、不器用に重い身体を動かして泳ぎだす。 しかし… 「デ!ゴポァ…ゲバァ!デズゥゥゥゥ!デベゴボゴボゴボゴボ…」 無理も無い。 只でさえ並の実装石よりは体重が重い。 さらに、そのリュックには重いガラクタや、捨てるために入れてあった乾電池ゴミすらそのままだったのだ。 浮き輪があって浮かべる重さなどキーには計算できなかった。 浮き輪がありさえすれば何でも浮かぶと… ゴポゴポ… ミーは、ただ、唖然と何も無くなった屋根の上で、その水面に出続ける泡を見つめるしかなかった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 時間は戻り、朝… 公園に1隻のゴムボートを曳く2人の男の姿があった。 胸元までの釣り用ゴム長を身に着けた2人は、公園の一角でモゾモゾと下を探り出した。 「おお、ここだここ…まったく、クソ実装石どものせいでこんなことになるとはな!!」 男が鋭い眼光で、木に捕まり続ける実装石を睨みつける。 男は、市の衛生局に属する実装駆除課の人間だった。 たが、この雨による浸水で、こうして市内を回り、排水溝から”ゴミ”を取り除く役割に駆り出されていた。 非常事態な上に、実装石が原因と判っている為、そのツメ腹を切らされての無給不眠の労働が化せられた。 彼らの責任ではない。 それは誰もがわかっていることだ。 愛護派が強権を発動し駆除をさせにくくした。 強健に屈した市の上役は、自分達の責任逃れに躍起で、彼らに責任をなすりつけた。 その愛護派は、今はこの浸水の被害者ヅラで市への抗議に余念が無い。 あまつさえ、”ウチの仔が居なくなったのは、この浸水のせいだ保障しろ”と彼らに食って掛かる者まで居る。 男がイラだって睨み付けている間にも、木からは1匹1匹と水面に落ちる。 「ちっ!勝手に落ちやがって!また、つまるじゃねーか!!」 そういいながら、ダンボールとゴミと死体に埋まった排水口からそれらを取り除く、 水圧に引かれるそれを取り除くのは重労働であった。 「そらよ!」 いくつかを引き上げて、ボートに乗せても、すぐに流れに乗ってゴミが引き寄せられ詰まらせる。 それを根気良く取り除く。 町中のいたるところで、同時に何人ものとばっちりを受けた人間達が重労働に従事する。 最初は気の遠くなる作業… ゴムボートなど、すぐに一杯になる。 それでも、その様子を見た町の人々がすぐに手をかしてくれた。 すぐに、救援要請で病人の搬送や食料配布をしていた地元の屈強な自衛隊員も、手の空いたものから駆けつけて手伝う。 そうして、徐々に水に流れが生まれ、僅かずつでも水が引き出す。 この時に生まれた流れに乗って、あの親仔はミーの家に流れ着いたようなものである。 そして、キーが水中に沈んだ頃…ようやく、何箇所かの作業が日の目を見て水が流れ出す。 詰まらせては取り除き…。 それでも、ゴミの類が片付けば後は早い。 水に沈んでいたふやけた実装石の半腐乱死体など、水流さえあれば排水溝の格子と水圧・水流で自然に破砕され流される。 ゴゴゴゴ… ”おおおおおぉぉぉぉぉ…”市民から歓声が上がった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− キーが溺れているときにソレは起こった。 強い流れが発生したのだ。 ものすごい勢いで水位が下がりだし流れが生まれる。 キーは溺れながらに流された。 ミーは、家が揺れるのに恐れ伏せ頭を抱えた。 洪水の天変地異さりし後、ミーは自らの頼る家という大地が揺れる恐怖に糞を漏らし祈った。 「ご主人様ァァァ…」 揺れは何時間も続く…水位も下がっていたが、ミーには、その様子を頭をあげてみる余裕も無い。 ただ、水の流れの音と揺れを感じ続ける時間が過ぎた。 キーは、溺れながらも、まだ死に至る状態ではないままに流れに吸い寄せられた。 生命の本能だろうか…沈み、水底を転がるゴミや仲間の死体にまぎれて転がるさなかに、 柵に浮き輪に付いたアヒルを模した頭が引っかかった。 それは、本来は芝生と石畳の境界を示す柵であった。 広場には、渦のような流れが生まれ、キーは円を描くように翻弄されて流されていたのだ。 すぐにアヒルの首が千切れかかったが、キーは引っかかった柵に死ぬ気でしがみ付いた。 流された先に何が待っているかは知る由も無く、 ただ、溺れたくないという一心が、手に触れたものを意思に反して捕まらせていた。 その証拠に、キーは確かに意識を失い完全に溺死しながらも、手は硬直した物体の様に柵を掴んだままだった。 グラグラ…バシャ! 「デスゥラァァァァァァ…デギィ!デギァ!」 ついに、ミーと飼い主の絆である家が折りたたまれるように倒壊した。 ミーは、その衝撃で投げ出され、水面に落ち、地面に全身を打った。 溺れた! そう、もがいた時、水が突っ伏した自分の半分にも来ていない事に気が付いた。 水は…ヨロヨロと立ち上がったミーの膨らんだパンツの中身を洗い流す高さを川の流れの様に強く流れていた。 後に残ったのは、ミーの家の残骸と、同じような残骸が広場に僅かに残る程度である。 立っている家など何処にも無い。 雨が、公園を完璧ではないにしろ、実装石が居ない頃に限りなく近い世界に洗い流していた。 僅かに数十匹…だが、確かにそれだけは、この災害を生き延びたのであった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 長い雨 つづく…
1 Re: Name:匿名石 2016/12/05-12:04:10 No:00003058[申告] |
愛誤派はどんな世界でも最低最悪の糞蟲なんだな
人の姿と権利を持った糞蟲マジ害悪 ミーとキーの相克が神話じみてるだけに余計にそう感じる |
2 Re: Name:匿名石 2019/02/28-20:40:30 No:00005773[申告] |
流れてきた親仔を抹殺したのが骨肉の争いの最後の引き金だったとか完全に忘れてたな
そして、愛誤派こそ水に沈められて水流に引きちぎられて惨死すべき糞蟲だな |
3 Re: Name:匿名石 2021/09/13-09:15:25 No:00006419[申告] |
実に雑に愛護派をフックに使ってるな。別に水が溜まる理由はなんでもよかったのに。 |
4 Re: Name:匿名石 2021/09/18-19:01:53 No:00006421[申告] |
何でもいいなら作者が書きたいように、物語で描く主題に沿うように書けば良い
実際、世の中には何らかの生物や器物、他の人間集団に異様な愛誤精神を持つことで災害や社会問題を誘発する人間や集団なんていくらもいるし |