冬————それは公園で暮らす実装石たちにとって、とても厳しい季節である。 秋のうちに蓄えておいた木の実などの食料を少しずつ消費しながら、枯葉やボロ布に包まり、親仔で身を寄せ合って、ひたすら飢えと寒さに耐えつつ春を待つのだ。 それらの準備ができなかった要領の悪い個体、物資を備蓄するという発想そのものができない愚かな個体は、自然の厳しさの前に容赦なくその命を奪われる。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ とある公園に、一組の実装石の家族がいた。 親実装をはじめとして、一匹の仔実装と三匹の蛆実装の家族である。 親実装は特に賢い個体というわけでもなかったが、自分の親から冬を越えるための基本的な教育を受けていたため、ちゃんと食料その他の準備を遺漏なく済ませていた。 「デェー……今日も寒いデスゥ」 ダンボールハウスから親実装が這い出してきた親実装が、あたりを見回して呟いた。 確かに雪こそ積もっていないが、昨夜パラパラと降った雨によってできた水溜りには、薄く氷が張っている。 このぶんでは水を汲みに行っても、水場となっている噴水まで凍ってしまっているかもしれない。 もしそうなら、水を汲みに行くこと自体が徒労に終わる可能性が高い。 幸い昨日雨が降る前に汲んでおいた水はまだ残っている。 親実装は外出するのを取りやめ、今日は一日中ダンボールハウスの中で娘たちと身を寄せ合って過ごすことに決めた。 「ママ、今日はどこにもいかないテチ?」 ダンボールハウスの中に戻った親実装に、目を覚ました長女が問いかける。 「今日はニンゲンさんがゴミを捨てる日じゃないから、ゴハンを探しに行っても無駄デス。無駄に動き回って体力を消耗するより、保存してあるものを食べてじっとしていたほうが賢いデスゥ」 親実装はそう言いながら、長女たちが勝手に漁れないようダンボールを敷いて隠してある、食料の保管庫となっている穴を覗き込む。 大丈夫、まだ数週間分の食料は残っている。 とはいえ、まだ春は遠い。 親から聞かされている冬の長さを考えると、これ以上餌の手に入らない日が続いた場合、長女を食べさせていくことが困難になるかもしれない。 「デェ……」 親実装は悩んでいた。 食料を節約するため、すでに数日の間あまり食べていないのだ。 蛆実装には自分たちや蛆自身の糞を食べさせているので問題はないが、育ち盛りの長女には少々辛いかもしれない。 一日ぐらいはたらふく食べて、たっぷりと栄養を補給しておくべきだろうか? 実装石の乏しい頭脳と知識を総動員して、親実装は食料のやりくりを思案する。 「デスッ!」 やがて、親実装は何かを決意したように気合を入れて立ち上がった。 ダンボールハウスから二メートルほど離れたところに、親実装は佇んでいた。 丸々と太った蛆実装が一匹、その両腕に抱かれている。 「レ? ママ、どうしてウジチャンだけおでかけレフ?」 蛆実装が腕の中でピコピコと尻尾を振って訊ねるが、親実装は答えない。 親実装は何も言わずに蛆実装を地面に寝かせると、蛆が着ている『おくるみ』と呼ばれる服をするりと剥ぎ取った。 「レッ? ママ、なにするんレフ? ウジチャンさむいレフ。オフクかえしてレフ」 「丸〜々太ったウ〜ジちゃ〜んは〜♪ オ〜イシ〜イ♪ オ〜イシ〜イ♪ お〜ニク〜デス〜♪ み〜んな〜の♪ み〜んな〜の♪ お〜ニク〜デス〜♪」 親実装が蛆実装をあやすように、調子外れな声で歌いだす。 だがその歌詞は、蛆実装にとってとても心安らぐものではない。 それどころか、明らかに自らの命に危険が迫っていることを示しているものだ。 蛆実装はこの歌を知っていた。 自分が母の胎内にいるとき、何度も聞かされていた歌だ。 ずっと忘れていたが、母は自分を非常食にするために産んだのだ! 母が今まで自分を育ててきたのは、自分を食べるためだったのだ! 「レ、レェェ……」 蛆実装が震える声で何かを言おうとするが、恐怖と悲しさが入り混じった感情が胸を締め付け、言葉が出てこない。 「マm————」 蛆実装がやっと「ママ」と言いいかけたところで、親実装は蛆実装の尻尾を掴み、その体を思い切り、公園の茂みと砂地の境目にある縁石に向かって振り下ろした。 ———— ベギャ! ———— 「レブッ!」 縁石の角に鼻を叩きつけられ、蛆実装の顔面が『く』の字に凹む。 親実装はさらに蛆実装の体を持ち上げ、もう一度縁石に向かって振り下ろした。 ———— ゴッ! ———— 「ブゲッ……」 今度は後頭部を叩きつけられ、蛆実装の頭蓋骨が粉々に砕けた。 この蛆実装は最初から非常食にするために産まれたので、親実装に母乳を与えられておらず、仔実装へと成長するのに必要な栄養嚢を持っていないため、頭部はほぼ空っぽで、偽石が未熟な脳の機能を一部代行している。 そのため、頭部がグシャグシャに破壊されたにもかかわらず、文字通り虫の息だがまだ生きていた。 「レ……レビ……」 「デププwww 今夜のゴハンは久しぶりにウジちゃんのおニクにするデスゥ。長女もきっと喜ぶデスゥ♪」 親実装はわが仔を殺すことに何の感慨を抱くでもなく、心底嬉しそうに今夜の晩餐に思いを馳せている。 親実装は死にかけた蛆実装の体にそのまま齧り付き、その頭部をぐちゃりと噛み潰して飲み込んだ。 頭部を消失させたのは、そうすれば長女が目の前の物体を『つい今朝まで自分の妹だったウジちゃん』ではなく、ただの『おニク』としか認識できなくなるからだ。 自分は最初から三匹の蛆実装たちを非常食としか見ていなかったので問題ないが、優しい性格の長女がショックを受けないようにとの配慮だった。 その日の夕飯は久しぶりに豪勢だった。 長女は最初のうちこそ姿の見えなくなった妹の行方を気にしていたが、所詮は単純な仔実装である。 久々の肉にありつくとすぐにそのことで頭がいっぱいになり、消えた妹のことなどすっかり忘れてはしゃぎ回っていた。 それから数日後。 その日は久々にいい天気で、まるで一足先に春がやってきたかのような陽気だった。 「ママ! ママ! 今日はとってもあったかいテチ! ひさしぶりにおソトで遊んできてもいいテチ?」 確かにここ一ヶ月ほど、長女は全くといっていいほど外に出ていない。 「おソト! おソト出たいテチィ!」 目にいれても痛くないほど可愛がっている長女の懇願に、ついに親実装も折れることにした。 「そんなに言うなら構わないデス。でもあまり遠くに行ってはダメデスゥ」 「わかったテチ。チイサイウジちゃんもいっしょにつれて行ってもいいテチ?」 「ちゃんと面倒見れるデスゥ?」 「だいじょうぶテチ!」 そう言って、長女は末娘の蛆実装を抱いて外へ遊びに行った。 そしてその日の夕方。 「デェェ……遅いデスゥ。あの仔、いったいどこまで遊びに行ったデスゥ?」 いつまでも帰ってこない長女のことが心配になった親実装は長女を捜しに行くことにしたが、ダンボールの家から出てわずか数メートルのところで、すぐに長女は見つかった。 「デッ!? 長女! どうしたデスゥ!?」 長女の服はボロボロで、あちこち怪我もしている。 そして何より、腕に抱いている蛆実装がそれ以上にボロボロで、両目が白く濁り、口から舌をだらしなく垂らして、すでにこと切れている。 「テェ………マ、ママ………ママァーーーッ!!! ウジちゃんが! ウジちゃんがぁぁーーーっ!」 数時間後、ようやく泣き止んだ長女が語った顛末はこうだ。 長女と蛆が公園の砂場で仲良く遊んでいるところに人間の子供がやってきて、いきなり自分を小突き回し、弄び始めた。 長女はなんとか妹である蛆実装を守ろうと、その体に覆い被さるようにして庇っていたのだが、それが人間の子供には気に食わなかったらしい。 人間の子供はターゲットを蛆実装のほうに変更し、執拗に弄び始めた。 弄ぶといっても、肉体が脆弱な実装石、しかも蛆実装にとっては、加減を知らない子供に弄くり回されるのは暴力的なリンチを受けているのにも等しい。 蛆実装はさんざん小突かれ、転がされ、振り回された挙句に、砂場の地面に叩きつけられた拍子に偽石を砕いて死んだ。 次は自分の番———— 仔実装は死を覚悟したが、そこに人間の子供の母親が呼ぶ声が聞こえた。 蛆実装を殺したことで満足していたのか、人間の子供は長女を放置して、母親の呼ぶ声のほうへと走って行った。 そして長女は死骸となった蛆を抱え、命からがら家に帰ってきたのだ。 「………テェック………ママ……ゴメンナサイテチ……ワタチのせいでウジちゃんが………テェェン………テェェン………」 泣きじゃくる長女の頭を撫でながら、親実装は言った。 「デェェ………大変だったデスゥ。ウジちゃんのことは残念だったデスが、お前だけでも無事でよかったデスゥ」 実際のところ、末娘の蛆実装は食料にするにも微妙なサイズだったので、その死に関して親実装は気にも留めていない。 親実装にとって何より大事なのは長女である。 始めての出産で、唯一ちゃんとした仔実装として産まれたわが仔。 他の仔は全て、非常時の食料にするぐらいしか使い道のない、出来損ないの蛆実装だった。 この長女さえ無事でいてくれれば、他の蛆などはどうなってもいいのだ。 親実装にとっては、蛆が死んだことなど『どうせ今日も蛆が死んでおニクになったのなら、数日前に蛆を潰す必要はなかったかな? 勿体無いことをした』ぐらいの認識であった。 その日の夜、親実装は長女に見えないところで死んだ蛆実装の頭を齧り取ると、その肉を細かく千切って長女の前に並べた。 「今日のゴハンはまたおニクにしたデスゥ。これを食べて元気を出すデスゥ」 「テチュ〜ン♪ おいしいオニクテチィ♪ ……カナシイことになったウジちゃんにも食べさせてあげたかったテチ……」 自分が今まさに口に入れているのが、その蛆の肉だということに長女は全く気づいていない。 「デェェ……本当にお前は優しい仔に育ったデスゥ」 親実装は自慢の長女の成長ぶりに、思わず涙をホロリと零して喜んだ。 さらにそれから二ヶ月後のある朝。 春は着々と近づいている。 仔実装だった長女はもはや中実装といっていいほどに成長し、あと少し————春を迎える頃には成体実装になるだろう。 だが春を迎えるためには、今一度の試練を乗り越えなければならなかった。 蓄えた食糧が底を尽きかけていたのだ。 親実装は考えた。 こうなったら、最後に残った蛆実装も潰して食料にしてしまうしかない。 思い立ったら即実行だ。 親実装は最後に残った蛆実装を抱き上げると、眠っている長女を起こさないようにそっとダンボールハウスを出た。 前にそうしたときのように、蛆実装の服を脱がせ、尻尾のほうを掴んで振り回しやすくする。 蛆実装もまだ眠っているので、騒がれないのが幸いだ。 長女は寒さで目が覚めた。 周囲を見渡してみるが、母親も、最後に残った妹もいない。 一体どこへ行ったのだろうか? 心配になった長女は、慌ててダンボールハウスから飛び出した。 母親はすぐに見つかった。 ダンボールハウスのすぐ目と鼻の先にいたのだ。 しかも妹の蛆実装も一緒だ。 しかし、母親の様子がなんだかおかしい。 それに妹のウジちゃんは、服を脱がされて裸になっている。 「ママ、なにを————」 長女が声をかけようとしたその瞬間、母親は蛆実装の尻尾を掴んだ腕を振りかぶり———— ———— べしゃん! ———— 「レビュア!」 蛆実装の顔が縁石に叩きつけられ、扁平に潰れてぺしゃんこになった。 「レ……ァ………」 まだ息のある蛆実装の頭に齧り付こうと、親実装ががぱりと口を開ける。 長女はそれをガタガタと震えながら見ていた。 『ママ、ウジちゃんに何するテス? やめてテス!』 『ワタシの大事なイモウトチャをカナシイことにしないでテス!』 言いたかった言葉は何一つ口から吐き出されることはなく———— ———— ぞぶり ———— 蛆実装の頭部は、母親によって跡形もなく齧り取られた。 「デププwww これでまたしばらくはゴハンに困らないデス。もうすぐ春になったらあの仔も一人前デス……楽しみデスゥ♪」 そのとき、長女は知った。 自分が今まで何を食べて生きてきたのか、自分が今まで何を犠牲にして成長してきたのかを。 そして、母親いわくとても優しい長女は———— 「テ……………テッスァァーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(パキン!) ショックのあまり偽石を自壊させて死んだ。 「デッ!? ちょ、長女? どうしたデスゥゥ!?」 母親が仔の姿に気づいたとき、長女は両手で頭を抱えて(といっても頬までしか手が届いていないが)両目から黒い涙を流し、立ったままの姿勢で死んでいた。 「デ……デェェ…………デシャァァァッ!!! 長女ぉぉぉっ!!!!!?」 先ほどの長女の叫びに勝るとも劣らない、親実装の悲痛な叫びが公園にこだました。 花粉で妊娠することができる実装石は春に仔を生すことが多いが、秋口に出産することもそれと同じぐらい多い。 春に産まれた仔は純粋に、自分の遺伝子を次代に伝えるために育てる仔であるが、秋口に産まれる仔というのは、そもそも最初から越冬用の非常食にするためという意味合いのほうが強いのだ。 それを考えれば、蛆実装を出来損ないの非常食としてしか扱わなかったことも、そしてその肉を食わせて仔実装を育てたことも、全ては野良実装として当然のことであり、何一つ間違ってはいない。 親実装が特に糞蟲というわけではないのだ。 親実装が致命的な失敗を犯したとすれば、それはただ一つだけ。 長女を優しい実装石に育ててしまったこと。 他の実装石など、全て高貴で可愛い自分の実装生の礎でしかないと、当然のように思い込んでいる糞蟲に育てなかったことである。 もしも愛護派に拾われて飼い実装になろうとするならば、そちらのほうが正しいといえるかもしれない。 しかし、ただ野良実装として生き抜いていくためならば、糞蟲であるほうが生存率を高める場合もあるのだ。 「………オロローン………オロローン………」 立ったまま硬直してオブジェと化した長女の亡骸を前に、親実装はいつまでも咽び泣き続けた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ とある公園に、一組の実装石の家族がいた。 親実装をはじめとして、二匹の仔実装と一匹の親指実装、そして無数の蛆実装の家族である。 この家族の親実装はダンボールハウスの裏に自分でもやっと這い上がれるほどの深い穴を掘り、拾ってきたトタン板で蓋をして、そこをトイレ及び糞溜めとしていた。 親実装がそんなものを作ったのは、無論キレイ好きな個体だからではない。 この親実装はとても頭の回る個体で、秋口に産まれた仔のうち、蛆実装や親指実装に関してはあっさりと見切りをつけ、最初から冬篭りのための非常食とするつもりで糞溜めの中に放り込み、糞を食わせて育てていたのだ。 親指実装の身長では穴をよじ登って出てくることは不可能だし、糞が発する熱のおかげで、中の蛆や親指が凍えて死ぬこともない。 実際に蛆実装たちはそこの生活がお気に入りで、親実装や仔実装たちがトタン板をずらして糞をするときも、中からは 「ゴハンおいちいレフー」 「ウンチだいすきレッフン♪」 「ここはテンゴクレフ?」 といった嬌声が聞こえていた。 だが、親指実装はそうではなかった。 「レチャァァ! ママ! オネチャ! ここから出してレチィィ!!! ここはクサいレチ! キタナイレチ! もうウンチ食べるのイヤレチャァァ!!!」 トタン板がずらされ、母親や姉の姿が見えるたびに、親指実装は声の限りに助けを求める。 しかし、親実装は決して親指実装を引き上げたりはしない。 親指が穴に放り込まれているのは、蛆たちの世話(主にプニプニ)をするためだからだ。 親実装にとって親指実装はそのためだけに生かしてあるような存在なので、穴に落とす前の段階ですでに禿裸にしてあるほどだった。 姉の仔実装たちも、糞溜めに放り込まれている妹の姿を見て、容赦なく嘲りの言葉を投げかける。 「チププwww 今日も高貴でカワイイワタチのウンチを食らうといいテチィ♪」 「レチャァァァ!」 「ブザマな姿テチィ♪ ワタチだったら生きていられないテチィ♪」 「……レェェン! ……レェェーン!」 いつもこんな調子である。 二匹の仔実装は、自分たちだけが特別な存在であると勘違いしている、典型的な糞蟲であった。 それから二ヵ月後。 知能の高い親実装がちゃんと冬篭りの支度をしていたおかげで、この一家は特に数を減らすこともなく、あと少しで冬を乗り切れそうなところまできていた。 蓄えてあった食料も十分で、非常食として糞溜めの中で養殖していた蛆実装たちも、結局は一匹も消費していない。 というよりも、親実装や仔実装たちは、自分たちが毎日糞をひり出している糞溜めの中に蛆実装たちがいることをほとんど忘れかけていた。 最近、糞溜めの中から聞こえる声がめっきりおとなしくなったからである。 ある日、すでにもう中実装と呼べるほどの大きさになりつつある一家の次女は、糞をするためにダンボールハウスの外に出た。 いつものようにトタン板をずらし、パンツを下ろして後ろを向き、尻を穴のほうへと向けていきむ。 すると、穴の中からドスの効いた低い声が聞こえた。 「デッスゥゥゥァ…………………………」 「テェ?」 次女が何事かと穴の中を覗き込もうとすると、いきなりその顔が左右両側から、何者かの手によってわし掴みにされた。 「テシャァァッ!?」 次女はそのまま穴の中へと引きずり込まれる。 「テェェッ!? テシャァァァッ!? テ……や、やめテシャ………やめ……………」 穴の中からはなおも悲鳴と、バキバキ、ペキリという、骨を砕くような音が聞こえていたが、やがて静かになった。 その日の夕方。 「デェ……次女はどうしたデスゥ?」 餌探しから帰った親実装が、ダンボールハウスの中を見渡して呟く。 「次女チャンはさっきウンチしたいっておソトに行ったテス」 「??? 帰ってくるときにウチの裏も見えたデスが、次女の姿は見えなかったデス。一体どこに行ったデスゥ?」 親実装は慌ててダンボールハウスを飛び出し、あたりをキョロキョロと見回すが、どこにも次女の姿はない。 「デェェ……何があったデスゥ……も、もしかして飢えた禿裸に襲われたデスゥ? それともギャクタイハのニンゲンに捕まったデスゥゥ!?」 親実装の焦り方は尋常ではない。 「デスッ! 長女、ワタシは次女を探しに行ってくるデス! お前はゼッタイにここから出ちゃ駄目デス! わかったデスゥ?」 「わ、わかったテス」 親実装は長女にそう告げると、次女を探すためにダンボールハウスを出て行った。 それから二時間が経過したが、親実装はまだ帰ってこない。 長女は言われたとおりにダンボールハウスの中でじっとしていたが、そのうち便意を催してきた。 「テェェ……お、オナカが苦しいテスゥ。でもママにおウチから出ちゃダメって言われたテス……で、でも……オナカイタイテスゥゥ……!」 長女は腹部を押さえ、なんとか便意に耐えようとするが、さすがに数時間も待たされたうえでは我慢にも限界がある。 「も、もうガマンできないテスゥゥ………トイレに行くのはおウチから離れてないから大丈夫……ノーカンテスゥ!」 ついに長女は勝手な自分ルールを作り、ダンボールハウスから飛び出した。 そしてすぐさま家の裏手へ回る。 そこで、長女は不思議なことに気づいた。 「テェ? フタが開いたままテス……次女ちゃん、ちゃんと閉めていかなかったテスゥ?」 長女は訝ったが、とりあえずはそれどころではない。 パンツを膝まで下ろし、穴のほうに尻を向けてしゃがみ込む。 次の瞬間————何者かに腰を捕まれ、長女は糞を漏らしながら穴の底へと引きずり込まれた。 「テヒャァァーーーッ!!!!!」 そして、それを目撃しているものがいた。 ちょうど次女の捜索から帰ってきた親実装である。 「デェェッ!? ちょ、長女ぉぉぉっ!?」 親実装は「デェッス、デェッス」と息を切らしながら必死で走るが、穴までは二十メートル近い距離があった。 目に見えている距離とはいえ、足の遅い実装石にとっては人間の二百メートルにも相当する。 「テァァァーーーー! ママ! ママァー! テ……テヒャ………テヒィィィーーーー!!!!!」 穴から長女の叫び声と、ボリボリ、ボキボキという、骨を齧り、へし折るような音が聞こえてくる。 だが、親実装が穴まで辿り着いたときには、穴からはもはや何の音も聞こえなくなっていた。 「デ、デェェ……」 親実装が恐る恐る穴へと近づいていく。 すでにあたりは暗くなっており、穴の中は完全な漆黒の闇になっていて何も見えない。 そして親実装が穴のすぐ傍まで近づいた瞬間、中から実装石のものらしき緑色の手が、べちゃりという音とともに出てきた。 「デヒャァァァッ!?」 緑色の手がトタンの蓋をずらし、穴の中から巨大な何かが這い出してくる。 それは、全身が緑色の糞にまみれた実装石だった。 「デスゥゥゥゥゥ……………」 成体実装である親実装よりもさらに一回り大きく、糞まみれでよく判らないが、髪も服もない禿裸のように見える。 そのあまりの異様な姿に、親実装は腰を抜かしてパンコンした。 「デェェェッ!? こ、こっちに来るなデスゥゥッ!」 親実装はパンツの中にぶち撒けられた糞を手にして相手に投げつけるが、すでに糞まみれの体に多少の糞がかかったところで何の効果もない。 糞まみれの実装石は、ゆっくりと親実装に近づいていく。 そして、腰を抜かした親実装の前に立つと、糞まみれの顔から赤と緑の目をぎらりと光らせて口を開いた。 「ママ……」 「デ、デェッ!?」 「ママ……どうしてデス? どうしてワタシの髪と服をとったデス? ………どうして………どうしてワタシをトイレに落としたデッスァァァ!!!!!?」 「デヒィィーーー!?」 そう、穴の中から出てきたこの実装石は、かつて親実装が蛆実装の世話役として糞溜めの底に落とした親指実装の成れの果てだったのだ。 実装石という生物は自分や同属の糞を食うことでも生きられる。 兎やチンチラなど、一部のげっ歯類も糞食をすることで知られているが、それは腸内の消化力や吸収力が弱いため、排泄したものをもう一度摂取することで栄養を無駄なく吸収するための行動である。 それに対して実装石は、摂取した食物をほぼノータイムで糞へと消化できるにもかかわらず、糞食をすることで何度でもその栄養をローテーションすることができるのだ。 通常であれば、糞は消化されるたびにその栄養素やカロリーを失っていき、そのうち口に入れたところで何の意味もない、ただの屑と化してしまうのだが 実装石という生物は何の栄養素もなくなった、ほぼ無機物と化した糞を食っても生きていられるばかりか、それで成長することすら可能である。 それどころか、なぜか食べたものの質量以上の糞を出すという、質量保存の法則すら無視した特性も持っている。 それゆえ飼育する場合においても、実は餌を一切与えなくてもいいという永久機関生物、それが実装石なのだ。 親指実装は糞溜めの底に落とされてからというもの、ずっと自分や家族の糞を食って生きていた。 糞を食らい、食らった以上の量の糞を出し、さらにその糞を食らう。 そのうち親実装や姉実装が蛆実装を取りに来ることもないと分かると、周囲にいた蛆実装たちも全て食らった。 そうやって栄養の凝縮された蛆実装や糞を食べ続けたことで、栄養の乏しい木の実や乾燥した植物のみを食っていた姉実装たちよりも早く成長し、親実装よりも大きな成体実装となることができたのだ。 そうなれば、もはや糞溜めから脱出することもそう難しくない。 だが、元・親指実装の三女は、脱出するよりも前に復讐することを考えた。 自分を禿裸にして糞溜めの底へ落とした親実装、そして助けを求める自分を嘲笑い、さらに糞を浴びせた姉実装たち。 親指実装は暗い穴の底で、ずっとそいつらへの恨みを晴らすことを考えていたのだ。 「ワタシはもうママよりも大きいデス……だからママよりも強いデス。ママもオネエチャンたちと同じように、ワタシに食べられてウンチになるがいいデスゥゥァ!!!!!」 「デ、デデ……デェァァァーーー!!! ゆ、許すデスゥゥゥ!!!」 数秒後、夜の公園に親実装の断末魔の悲鳴が響き渡った。 元・親指実装の三女は親実装を骨まで食い尽くすと、つい先ほどまで自分が閉じ込められていた穴に、かつて姉と母親だったものをぶりぶりとひり出し、その穴にトタン板で蓋をした。 「デプ……デプププププwww これからはママたちがウンチの中で暮らすがいいデス。これでワタシは自由デス! 世界はワタシのためにあるデッシャァァァ!!!!!」 糞に塗れた禿裸は天に向かって叫ぶと、ドスドスと力強い足取りで何処かへと立ち去っていった。 三女に食われた親実装は、特に愚かな実装石というわけではなかった。 秋口に産まれた仔のうち、出来損ないの親指実装や蛆実装を非常食として糞溜めの中で養殖するというのは、実装石の世界においては実はそれほど珍しいことではないのだ。 そのための設備をちゃんと整える知能を持っているあたり、この親実装は愚かな個体というよりは、むしろ賢い個体に分類されるぐらいだった。 親実装が致命的な失敗を犯したとすれば、それは三つ。 一つは親指実装に早々に見切りをつけ、禿裸にしてしまったこと。 二つ目は長女や次女を、妹を嘲笑い、恨みを買うような糞蟲に育ててしまったこと。 そして結果として必要なかったとはいえ、食料として用意していたはずの蛆実装をちゃんと処分しなかったどころか、親指実装の様子を窺うことすらせず、その存在を完全に失念していたことである。 もしも親実装が親指実装の髪と服を奪わず、姉実装たちの罵詈雑言や陰湿な行動をたしなめていたら、そしてちょくちょく穴の中の様子を窺っていたなら、結果はまた変わっていたかもしれない。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 実装石という生物が厳しい冬を越えるのは大変なことである。 賢い個体であろうと愚かな個体であろうと、そして家族思いの個体であろうと、家族を省みない糞蟲であろうと、運命は容赦なく実装石を弄び続ける。 生き残れるのは、ほんの僅かな幸運に恵まれた個体のみ。 ここはとある公園。 「デェェ……仔がみんなカナシイことになってしまったデスゥ………でもワタシはめげないデス! 幸いもうすぐ花が咲くデス! そうなったらまた新しい仔をつくるデスゥ!」 うな垂れてトボトボと歩いてきたかと思ったら、急に胸を張って拳を天に突き上げる成体実装がいた。 「デヒャヒャヒャヒャ! 自由デスゥ! わが世の春がやってきたデスゥゥ!」 スケート選手のようにくるくるとスピンしながらやってきて、ハイテンションではしゃぎ回る薄汚い禿裸の成体実装がいた。 そこに———— 「お? さっそく糞蟲はっけぇ〜ん」 モヒカン頭にトゲつきの肩パットという、世紀末風のファッションに身を固めた一人の男がやってきた。 「デヒィッ!?」 「デ? このニンゲンはなんデス? もしかしてワタシのゲボクになりたいデスゥ?」 「お、なかなかの糞蟲ぶりだなあ。いいぞいいぞ、やっぱ冬篭り明けの希望に満ちた糞蟲が一番ブッ殺し甲斐があるから………なっと!」 男は持ってきたバールのようなものを禿裸の頭に振り下ろす。 「デペピュァ!」 禿裸の成体実装は頭がU字型に凹み、両目が飛び出し、頭部が半分以上胴体にめり込むという、バー(ry による一撃の見本のような姿で絶命した。 「デヒャァァーッ!!! ギャ、ギャクタイハのニンゲンデスゥゥーッ!?」 もう一匹の成体実装が慌てて逃げ出す。 だが、実装石の鈍重な動きでは人間の歩みからでさえ逃げ切ることはできない。 「逃がすかよぉっ!」 男がバー(ry をゴルフクラブのように、下から掬い上げるようにスイングする。 「ペゲァ!」 成体実装の頭が千切れ、弾丸のようなライナーで公園の木に向かって飛んでいく。 「デガッ……!」 千切れ飛んだ頭は百舌の早贄のように木の枝に突き刺さり、だらしなく舌を垂らして両目を白く濁らせていった。 体のほうは鮮血を吹き上げながらしばらく棒立ちになっていたが、やがてばったりと倒れて動かなくなった。 「ヒャッハー! やっぱり実装石殺しは最っっ高だぜぇぇ!!!」 モヒカン男の心底嬉しそうな叫びが響き渡り、冬を生き延びた実装石たちの新たな地獄が幕を開けた。 一つだけ訂正しよう。 冬の飢えと寒さから生き残れた個体が、必ずしも幸運であったとは言い切れない。 -END- ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ あとがき 今回は実装石だけで話を進め、実装石同士だけでも勝手に不幸になっていくというお話にしてみました。 最後のモヒカンを除けば、人間が出てこない話はこれが初めてだったりします。 今回のお話は掲示板のほうにある画像からインスパイアされて思いついたものなのですが、実は二つのプロットを同時に消費してしまったため また次のお話を思いつくまで、次回作を投稿するにはしばらく時間がかかるかもしれません。 ……また何にインスパイアされるか分からないので、意外と早いかもしれませんが……
1 Re: Name:匿名石 2016/05/14-22:50:20 No:00002378[申告] |
GJ!
前々から良蟲なんて野良の世界じゃ奇形だろ生存に不利だろと思っていたので前半に納得し、後半に進んで肥溜め養殖にロマンを感じ、最後で結局登場実物全員不幸になってスカッとした 自分が家族扱いになって居ないことを理解できず、肥溜めの中から親姉妹に助けを求めて見捨てられる親指がそそるそそる |
2 Re: Name:匿名石 2016/05/16-09:14:40 No:00002384[申告] |
自作自演のアゲ落としってなんか自慰っぽくて好きじゃないんだけど
天然のアゲである『春先を狙う』ってのは素晴らしい業だと思う |
3 Re: Name:匿名石 2016/05/16-20:51:13 No:00002385[申告] |
観察派なんかな俺は
中途半端な知恵があるが故に自滅して勝手に苦しんで死んでいく系のスクが好きだわ このスクは2パターンがテンポよく進んでって一気見しちまった |
4 Re: Name:匿名石 2016/05/19-21:37:41 No:00002392[申告] |
実装比で善良?な蟲も糞蟲もみな自然と人間様と自分たち自身には勝てない
なんたるマッポー、ショギョウムジョウ |
5 Re: Name:匿名石 2016/05/21-11:28:30 No:00002396[申告] |
実装石への殺意を思い出させてくれる良いスクでした。
【管理者】実装およびスク等に関係のない画像を削除しました |
6 Re: Name:匿名石 2019/03/07-22:22:58 No:00005785[申告] |
ウジちゃんの服をおくるみって表現し始めた人は天才だと思う
殺意がグンと高まる |