タイトル:【養】 行方
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作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:3478 レス数:9
初投稿日時:2012/06/26-20:12:18修正日時:2012/06/26-20:12:18
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『行方』


ローゼン牧場は、日本海に面した本州某県の山間部にある。
日本有数の循環型牧場として知られており、観光や研修に訪れる人も少なくないが、
牧場を訪れた人たちが最初に目を引かれるのは、一面に緑をたたえた美しい台地である。
広葉樹を豊かに茂らせ隆々と連なる山岳帯。そのふもとに広がる台地は、
ゆるやかな起伏を見せながら縦横に果てしなく続き、所々にまばらな
雑木の茂みが見られるものの、大部分は若々しい野しばに覆われた草地になっている。
面積にして三百ヘクタールをゆうに超えるこの台地が、養牛のための牧草地である。

牧草地では、茶毛や黒毛の牛たちが、あちこちで大小の群れを作っている。
牧場の経営が軌道に乗った現在は、およそ二百五十頭の牛たちが暮らしているが、
雪が深く積もる冬場を除いて、すべての牛たちは、昼夜を問わず放牧に出されている。
牛たちは、思い思いに牧草地を歩き回り、草を食み、寝そべってくつろいでいる。

ローゼン牧場では、牛たちに大麦やとうもろこしのような穀物飼料を与えていない。
牛たちは、牧草地に生えている草や、その草を原料にした乾草だけを食べて大きくなる。
したがって、牛の数は牧草地の草だけで養える頭数に抑えられているのだが、
おかげで牛たちが出す排泄物も、牧草地で分解処理ができる程度の量にとどまっている。

牧場に自生する草を牛が食べ、その排泄物は、土壌の微生物に分解されて牧草の養分になる。
こうして、資源を無駄なく循環させていくやり方で、ローゼン牧場は営まれている。

牧草地の低地側の端近く、牛舎が立ち並ぶ施設区域との境目に近いところに、
縦幅六、七メートル、横幅およそ十メートルにわたって、低い木べりの柵で囲まれた場所がある。
柵の内側の敷地には、ともに五メートルほどの背丈をもった二本のコナラの木が立っており、
地面に広い木陰を作っている。また、柵の内側の地面には、野シバなどの草があまり生えておらず、
ほぼ全面において、土の肌がむき出しになっている。
実はこの場所も、家畜の養殖場である。家畜といっても、鶏や豚のことではない。
ここを利用しているのは、二本足で立ち、人間との言語コミュニケーション能力を持った、
世にもまれな高知能動物こと、実装石である。




◇




ローゼン牧場で営まれている実装石の養殖、いわゆる養石について、
まずはその大まかな仕組みを説明しておこう。

牧場では現在、五頭の成体実装石を種親にして、仔実装の生産を行っている。
この五頭は、三年前の春に牧場で生まれた個体だが、彼女らの母は山実装である。

世間一般でいう実装石は、人間の生活圏に暮らし、空き家や公園などに
ねぐらを持ちながら、ゴミ捨て場を荒らしたり、民家や商店の食べ物を盗みとったり、
町のあちこちで悪臭極まる糞をしたりする迷惑な動物として知られているが、
一方で、人里離れた野山の奥にこもり、険しい自然の中に身を置きながら、
土中に穴ぐらを掘って雨露をしのぎ、木の実やサワガニなどをとって暮らしている
一派がいることも知られている。山実装と呼ばれるのは、後者のような実装石である。
野山の厳しい環境にもめげず、したたかに生きぬき、子孫を残している事実が示すように、
山実装の体質や知能は、町で暮らす実装石よりも、いくぶん秀でているようだ。

ローゼン牧場の事業主は、山実装の、その優秀さに目をつけたのである。
養石を始めるにあたって、牧場の職員らは、まず近隣の野山を探索し、
二十頭あまりの山実装を連れ出してきた。さらに、その山実装らを牧場で管理しながら、
半年ほどの間に、合わせて三百頭以上の仔を生ませた。そして、その大勢の仔の中から、
きわ立って強健な体質および優れた知能を有する五頭の仔を選り抜き、
養殖の種親として、牧場で所有することになった。


生まれてから最初の半年の間、五頭の仔実装は、日中は牛舎の中やその周辺で遊び、
日が沈みだすころに夕食をとって、あとはただ眠るだけ、という簡単な日々を過ごしていたが、
秋の終わりごろ、牧場の暮らしにすっかり慣れ、身の丈も三十センチを超えた仔実装らは、
牛舎の寝わらの取り換えや、床の掃除といった、牧場仕事の手伝いを任されるようになった。
また、やがて母実装となる上での、仔実装の世話の仕方や、鳥や獣の監視や対処における
諸々の注意点について、飼育員から指導を受けるようになった。
そして翌年の春、身の丈五十センチ近くになり、ローゼン牧場の母実装に求められる数々の
知識や技術を習得したかつての仔実装らは、晴れて母実装となったのである。

牧場では、春期と夏期の二度にわたって仔実装の生産が行われている。
五頭の種親は、牧場の雄牛から採取された精液を使って人工的に受胎し、
その後、十日から二週間ばかりの妊娠期間を経て、仔実装を出産する。
仔は、四つんばいで尻尾の生えた蛆実装の状態で生まれるが、ローゼン牧場で生まれる
実装石は、町に住む実装石に比べて、蛆実装の姿で過ごす期間が短い傾向があり、
たいていの個体は、四、五日のうちに尾が縮み、二本足で立ちあがれるようになる。


実装石の家族は、牛舎の一部を間借りして暮らしている。
牧草地の下手の平地に五棟並んで建っている大型の牛舎のうち、
最も養石場に近い一棟の、入り口から入ってすぐの一区画が、実装石の寝床として使われており、
そこでは、コンクリート床の上にたくさんのウッドパネルが敷き詰められている。
その板張りの床の上で、実装石たちは、飼育員から支給されたタオルにくるまって休んでいる。
トイレは、牛舎内の壁際を通っている排水用の浅い溝を利用している。

実装石らには、小型のペットボトルやフィルムケースがいくつも与えられている。
これらは食器や水筒として使うものだ。牛舎内には、実装石の背丈に合わせて低い場所に
設置されたレバーハンドル式の水道があり、実装石らは必要に応じて、水筒に水を詰めている。


実装石たちの一日が始まるのも、この牛舎からである。
日が昇って、牛舎に明るい光が差し込むようになると、実装石たちも次第に目を覚まし始める。
全員が目を覚まし、牛舎から仔実装らのにぎやかな声が聞こえだすころになると、
飼育員が朝の食事を配りにやってくる。
食事の内容は、季節や朝夕を問わず、いつもほぼ同じで、豆腐屋から貰い受けた大量のおからに、
近隣の農場から出る野菜くずを混ぜて、魚の出汁やコンソメスープで煮たものである。
直径40センチほどのアルミ鍋に入れて出されるこのおから汁を、母実装らはフィルムケースで
すくい取って仔に配っている。これに加え、体の大きさに合わせて、一尾から三尾の煮干しが
与えられている。

牧場の実装石らには、肉やお菓子は与えられていない。
その理由は、なるだけ健康な体質の仔実装を育てなければならないのと、
自制心が十分に養われていない仔実装のうちに贅沢を覚えさせてしまうと、
その後の育成に差し支えるからである。


食事をすませた実装石らは、牛舎を出て、養石場へと移動する。
移動にあたって、実装石らには、運搬用の荷車が一台与えられている。
この荷車は、床面が長辺三十センチ、短辺二十センチほどの浅い木箱の、
前後左右の側面に車輪を取り付けたもので、前方の左右両端の二か所には、
持ち手として、それぞれ長さ三十センチ程度のロープがつながれている。
実装石らは、水を詰めた大小の水筒を、この荷車に積みこむ。
荷車に加えて、およそ二十五センチ四方の浅いプラスチックトレーが
三枚支給されており、これらは養石場でトイレとして使うものだ。
こうした道具を全員で運びながら、実装石の一団は養石場へと向かうのである。

養石場は、実装石らが暮らす牛舎から二十メートルほど離れた場所にある。
そこは牧草地の端に作られた、縦幅六、七メートル、横幅およそ十メートルの
実装石専用の敷地で、牧草地と区分するため、周囲は低い木の柵で囲まれている。
養石場の中には、仔実装の大きさに合わせて作られたシーソーや平均台が設置され、
ほかにも輪投げや手押し車、人間の子供用のゴムまりといった玩具が用意されている。
これらの遊具を利用しながら、仔実装らは自由気ままに遊びながら日中を過ごす。
母実装のほうは、事前に話し合って決めた分担にしたがって、
養石場の周辺を歩き回りながら、鳥や獣が近づいていないかどうかを見張ったり、
牛舎に戻ってトレーにたまった排泄物の処理をしたり、
仔実装らに給水の世話をしたりといった仕事を、各自でこなしていく。
また、鳥や獣が養石場に接近した際に飼育員に危機を知らせるため、
母実装らには、無線式のポケベルが渡されている。
こうして、母と仔がそれぞれの役割を務めながら、夕方まで過ごすのである。


空が夕暮れの色に染まり始めるころ、仔実装らは遊具の片づけを行う。
そして、荷車や排泄用のトレーを運びながら、実装石らは牛舎へと戻っていく。

実装石らが牛舎へ戻ってしばらく経つと、飼育員が夕食を運んでくる。
夕食のメニューは、先述の通り、たいてい朝食と同じものが出されている。
夕食をすませた後は、シャワーの時間である。
実装石らは着ている服を脱いで、排泄場所の溝に面したコンクリート床の上に集まる。
そして飼育員が、シャワーノズルを使って実装石らに温水を浴びせ、体の汚れを洗い落とすのだ。
ただし、小さな仔実装らにとって、シャワーの強い水圧は危険なため、
直径五十センチほどのプラスチックのたらいに浅く湯を張って、仔実装用の風呂を作っている。
タオルで髪と体を拭き、再び服を着れば、その日の実装石の仕事はすべて終わりである。
あとは寝具にくるまって、翌朝まで眠るだけだ。

以上が、養石の成り立ちと、おおまかな一日の流れである。
すでにある土地や設備を利用し、実装石の自主性を利用できるおかげで、
予算や人手があまりかからない養石事業は、畜産を営む人々に新たな可能性を示すものだろう。
ローゼン牧場では現在、年間で六十頭から七十頭の仔実装を市場に出しており、
おおむね良好な評価を得ているようだ。牧場では、種親の数をもっと増やして、
生産規模を拡大する計画を立てている。





◇





八月半ばのある日。
早朝のローゼン牧場の牛舎で、ちょうど新たな命が世に生まれ出るところだった。
ウッドパネルのフロアの端に腰を下ろした一頭の母実装が、ウッドパネルの端に隣接して
置かれたプラスチックトレーの中に、蛆実装の姿をした仔を次々と産み落していく。
生まれた仔の数は、全部で六頭になった。

牧場の母実装らは、互いに協力しながら出産を行っている。
今回も、サポート役の母実装らが、まだ身重な体を駆りだして、ペットボトルに汲んで
おいた水をトレーの中に注ぎ、仔の体にまとわりついたぬめりを洗い落としてやった。

仔の体長は、頭のてっぺんから尻尾の先までで、およそ五センチ弱といったところ。
実装石の仔は、生まれた時点から明瞭な自我と豊かな言語力を持っており、
トレーの中の仔らも、早速周りにいる母実装らに話しかけている。
中には、仰向けに寝転んで手足や尻尾をじたばた動かしながら、腹部を撫でてほしいと
ねだっている者もいた。

これが牧場での今期初めての出産である。
他の四頭の母たちも、今日か明日のうちに、出産を迎えることになるだろう。 





八月下旬。
牧場では、母と仔で合わせて三十五頭の実装石が暮らしている。
三十頭の仔実装は、すでに全員が、まさしく成体のミニチュアといったふうな、
直立歩行型の姿になっている。
五頭の母実装のうち、少ない者で四頭、多い者で八頭の仔を産んだが、
平均すれば、一頭の母から六頭の仔が産まれたことになる。

実装石の一団は、一日のほとんどの時間を牛舎の中で過ごしている。
仔実装の背丈が十センチにも満たないこの時期には、養石場はまだ利用されない。
これぐらいの大きさの仔実装では、荷車や排泄トレーの運搬に手間がかかりすぎてしまうし、
養石場に行ったところで、輪投げやシーソーのような高等な遊具をうまく扱えないからだ。

まだ厳しい暑さの続くこの時期、牛舎では空調を用いて舎内の気温を低く抑えている。
これは、暑さにやられて体調を崩した牛たちを牛舎の中で静養させるためだが、
この空調の分け前にあずかることで、実装石らも夏場をやり過ごすことができるのである。

いかに暑いとはいえ、一日を牛舎の中だけで過ごすのは育成の面でよろしくないので、
比較的日差しの穏やかな午前中、実装石の一団は牛舎のそばの砂地に出て過ごしている。
その際、仔実装らには人間用のゴムまりが遊具として与えられている。
仔実装らは、身の丈を少々上回るほどの大きなゴムまりを、押し転がして数頭で競争したり、
二頭でボールを挟んで、双方から押し合ったりして遊んでいる。
そうした遊びの中で、ゴムまりに跳ね飛ばされたり押しつぶされたりした仔実装が、
便を漏らしながら泣きじゃくることが度々あったが、これも生育に必要な過程だろう。

正午を過ぎたあたりから、実装石の一団は牛舎の中で過ごすことになる。
牛舎の中ではゴムまりを使った遊びは禁じられている。コンクリート床の上では、
ゴムまりが速く転がりすぎて危険だからだ。その代わり、実装石用のスペース内には、
人間が使わなくなった綿カバーのクッション座椅子が、背もたれを倒して平らにした状態で
置かれており、仔実装らはその上で、飛んだり跳ねたり寝転がったりして遊んでいる。
また、仔実装らは日に一度、母に率いられながら、牛舎の中央を通る長い通路を、端から端まで
徒歩で往復している。これは運動を目的として行われていることだが、ただ歩くだけでは
退屈なので、歌を歌ったり、道中で出会う牛たちに声をかけたりしている。

日暮れ時に夕食とシャワーを済ませた実装石らは、日没に合わせて眠りにつくのだが、
夜の間は、母実装らが一頭ずつ交代制でトイレの番をすることになっている。
暗がりの中、寝ぼけまなこで用を足す仔実装が、誤って排水口に落ちたりしないように
見張るのである。





九月半ば。
養石場では、元気に過ごしている実装石らを見ることができる。
輪投げで点数を競って遊ぶ者、仲間を乗せた手押し車を押しながら敷地内を遊覧する者、
シーソーに乗って遊ぶ者、敷地内に迷い込んだバッタを追いかけまわす者。
身の丈十五センチほどになった仔実装らは、養石場の遊具を使いながら楽しく遊んでいる。
母実装のほうは、二頭が柵の外に出て辺りを警らし、一頭は仔実装らと相撲を取っている。
そして残りの二頭は、コナラの木の根元に腰を下ろして体を休めながら、
仔実装らの水分補給の世話をしている。

この時期の仔実装らは、わんぱく盛りなだけあって、時おり平均台やシーソーから転落して、
頭や体を地面に打ちつけてしまうことがあった。だが仔実装らは、もはや泣き出すことも無ければ、
ショックで便を漏らしてしまうことも無い。山実装の血を引く仔実装らの、自律や忍耐といった
内面における成長の早さは、町に棲むありきたりの実装石に比べて、やはり秀でているようだ。
養石場を生活の場に組み入れたことで、鳥や獣の襲撃という新たな危険に配慮する必要が出てきたが、
仔実装ら自身が引き起こすトラブルへの対処については、母実装らの負担もずいぶん軽くなった。


母実装らが飼育員から聞いた話では、この牧場で生まれ育った仔実装らは、
ペット市場を通じて人間たちに引き取られ、簡易な労働や心の癒しを提供する
良きパートナーとして暮らすそうだ。俗にいう飼い実装である。
安価で売られている並みの愛玩用実装石とは比較にならないほど
強健で賢いローゼン牧場産の実装石は、国内の愛玩用実装石の市場において、
今や人気ブランドの一つとして定着しつつあり、その希少さゆえの高価格もあいまって、
裕福な人に買われることが多い。おかげで比較的良い暮らしができるそうだ。

母実装らは、生まれてから今にいたるまで、一度も牧場の外に出たことが無いため、
娘たちが暮らしている人間の家を実際に訪ねたことも無いのだが、
ともあれ彼女らは、飼育員の話を、その通りに信じていた。
母実装らは、親元を離れていった娘たちが、みな幸せに暮らせているよう強く願っているが、
その一方で、牧場の外の世界を知り、変化と刺激に富んだ日々を楽しんでいるであろう
娘たちのことを、うらやましく思う気持ちもあった。


牛舎だけでなく、この養石場においても、牛たちとの関わりがある。
養石場の外に広がる牧草地では、二百頭を超える牛たちがあちこちに群れを作っており、
牛たちが養石場のすぐそばまでやってくることも度々あった。
牛が柵に近づいた時には、仔実装らも親しみをこめて牛に挨拶をする。
その言葉こそ通じないものの、牛のほうでも、自分の目の前に立って話しかけてくる
仔実装らを、興味深げに眺めるのだった。

時おり、養石場の柵のすぐそばに、牛が大きな糞を落とすことがあった。
それを見た仔実装らは、たまらず牛のもとへと駆け寄って、
柵越しに口々に抗議を申し立てる。そこで母実装らが仔をなだめに入るのだが、
その際に、仔実装らに対して、ある話を聞かせてやっている。いわく、
“養石場の遠くに見える山なみの森の中には、キツネやアナグマといった、
恐ろしい獣がたくさん棲んでいて、自分たちのことを捕って食おうと狙っている。
だが大勢の牛たちが、ふもとの牧草地を絶えず歩き回っているおかげで、
獣たちも、そう簡単には養石場までやって来れなくなる———”
この話を聞かされた仔実装らは、牛の粗相に対しても、次第に寛容な態度を見せるように
なっていくのである。

牛たちが実装石を獣から守っているという話は、
養石が始まって間もないころに飼育員から聞かされたものだが、
牧場暮らしの長い母実装らは、牛たちについて、もう一つ教わっていることがあった。
それは、彼らがいわゆる肉牛だという事実である。
牛たちは、広大な牧草地に放たれ、毎日を自由気ままに過ごしているが、
生後三年ほどが経ち、十分に成長すると、食用牛として出荷されてしまうのだ。

母実装らは、長い牧場暮らしの中で、牛たちの顔ぶれが次第に入れ替わっていくのを見てきた。
彼女らがまだ仔実装だった時代を共に過ごした牛たちは、今ではすっかり見かけなくなっている。
“同じ牧場に生まれ育ちながら、自分の娘たちは人間に愛され、充実した一生を
過ごすのに対して、牛たちのほうは、人間の食べ物になるために殺されてしまう———”
その無情なさだめに思いを巡らせながら、母実装らは、時おりセンチメンタルな気分になった。





十月上旬。
残暑の名残りもあらかた消えて、過ごしやすい季節になった。
この時期になると、養石場から仔実装らのにぎやかな歌声が聞かれるようになる。
これは、仔実装らが全員で歌と踊りの練習をしているからである。
三十頭の仔実装らが一か所に集まり、その中の十頭前後が歌唱を担当して、
残りの者が歌に合わせて踊るのだ。

仔実装らの歌には、二曲のレパートリーがあることが確認されている。
一曲は、四拍子でややテンポの速い、ゴスペル調の明るいポップス。
もう一曲は、三拍子でゆったりとしたテンポのバラードである。
歌詞については判然としない部分も多少あるが、ポップスのほうは、食事の風景や
輪投げ遊びの面白さ、温水風呂の気持ち良さといった、日常の楽しみのことを歌っており、
バラードのほうは、夕焼けや星空の情緒を慈しむ気持ちとともに、一日の疲れをねぎらう言葉を
つづった子守唄のようだ。二曲とも、母実装らによって作られたものらしい。

踊りのほうは、人間のそれに比べれば、単調に見えるかもしれない。
右へ左へと足を踏み出しながら、体をひねったり、両腕を様々な方向へと伸ばしたり。
そして時おり、両腕を左右に伸ばしながら、右足を軸にしてくるりと一回りする。
ポップスとバラード、それぞれのテンポに応じて、手足を動かす速さが若干変わり、
ポップスのほうでは、手足を縦方向に動かす振り付けが、より多く混ざるようだ。
踊り手は、ただ踊るだけでなく、バックコーラスとして歌唱にも参加している。

歌唱は頭数に関わらず斉唱の形をとっているが、踊りのほうは特に統率を求められなかった。
数頭で一緒に同じ踊りを踊る者もいれば、独自の振り付けで踊る者もいる。
歌と踊りは、技能の修練ではあるものの、遊具を用いた自由気ままな遊びと同じく、
仔実装らにとって、楽しく過ごすひとときのようだ。

歌と踊りの練習は、母実装らの指導にそって行われているが、
これは飼育員が定めた育成要綱に則る行動ではなく、母実装ら独自の裁量である。
近い将来、人間と生活を共にする娘たちのために、なるだけ質の高い歌と踊りを
身につけさせておこうという、母なりの気づかいのようだ。
実装石が、人間の機嫌をとるために歌や踊りを披露する事実はよく知られているが、
おもしろいのは、人間の生活圏を離れ、代々野山で暮らしている山実装にさえも、
こうした性質が備わっていることだ。人間から愛されることに大いなる喜びを感じるのは、
実装石という生き物の、ごく深いところに根を張った本能なのだろう。





十月下旬。
養石場では相変わらず、仔実装らによる歌と踊りの練習風景が見られる。
ただし、今は以前と違って、母実装らに促されるのではなく、仔実装らだけで申し合わせて
練習を始めるようになっている。仔実装なりに、やがて訪れる飼い実装としての
生活を見据えて、自主的な行動を習慣づけておきたいという気持ちがあるのかもしれない。

歌と踊りは、練習を始めた当初よりも、ずっと上手くなっている。
仔実装らは、清澄で伸びのよい声に、うまく抑揚をきかせて、歌詞の感情を表現している。
踊りのほうも、体の軸をしっかりと安定させながら、可憐で柔らかい手足のさばきで、
歌の持つイメージを豊かに膨らませている。
仔実装らは、各自で洗練された技能を見せながら、合唱においても、踊りにおいても、
とてもきれいにまとまった、見応えのあるパフォーマンスを見せるようになっていた。
そんな娘たちの姿を、母実装らが感慨深げに見つめていた。

生後二か月以上経って、仔実装らの背丈は二十センチを超えるほどになった。
山実装の血を引き、健全な環境と飼料で育てられた仔実装の優秀さは、
知力や自制心といった内面はもちろん、その肉体においても、はっきりと表れている。
背筋はきれいに伸び、四肢は実装石ならではの柔らかみを帯びながらも
きちんと引き締まり、皮膚の下にしっかりと筋肉がついていることがわかる。
また、端正にまとまり、つやつやと黄金色に輝く髪や、濁りなくぱっちりと開かれた眼、
早朝に収穫された桃のように瑞々しい肌が、健康状態の良さを物語っている。
町に住むありきたりな実装石のだらしない体つきとは、もはや雲泥の差だろう。
今回で六期目となる養石事業だが、今期に育成された三十頭の仔実装らも、
ローゼン牧場の実装石として、申し分のない個体に仕上がったようだ。


夕方。
仔実装らは、いつも通りに遊具の片づけを始めたが、養石場には物寂しい風情があった。
なぜなら、仔実装らがこの場所で過ごすのは、今日が最後なのである。
仔実装らにとって、養石場はたくさんの思い出をくれた大切な場所だった。
荷物をまとめ牛舎へと帰る道すがら、仔実装らは、たびたび養石場のほうを振り返っていた。
仔実装らは養石場を去ってしまったが、来年の春になれば、新しい仔実装がやって来て、
再びにぎやかになるだろう。その時が来るまで、養石場もしばしの休息である。

牛舎に戻り、夕食とシャワーを済ませたころ、外では日がほとんど暮れかけていた。
仔実装らは、床に座り込んだ母の膝元にしっかりと寄り添いながら一夜を過ごすことにした。

二か月半におよぶ牧場暮らしの中で、仔実装らは、血のつながった親と行動する時間のほうが
若干長かったのは事実である。だが仔実装らは、産みの親ではない母実装らのことも、
実の母と同じように慕っていたし、母実装らも、どの仔に対しても分け隔てなく愛情を注いできた。
三十五頭の実装石は、まさしく一つの家族だったのである。





翌朝。
少々肌寒いが、秋晴れの青空の清々しい、よい日和である。
牧場では、牛舎の入り口の前に荷台のついた軽トラックがとまり、二名の飼育員と、
三十五頭の実装石が、車の後ろに集まっている。仔実装らが、いよいよ出荷のときを迎えたのである。

飼育員の話では、仔実装らはひとまず中間業者のもとへ送られ、そこで飼い実装としての
簡単な訓練を受ける。それからペット市場を通じて、様々な家に迎えられるそうだ。
元から決められている事とはいえ、離れ離れになってしまう実装石らの悲しみは察するに余りある。
飼育員らは出発を急かさなかった。実装石らには、別れを惜しむ時間が与えられた。

母実装らにとっては六度目となる辛い別れのときだったが、今回は、以前までとは様子が違う。
仔実装らが、互いに何やら示し合わせながら、その場で隊列を組み始めたのである。
まず、横向きに三つの列ができた。先頭の列に五頭、真ん中に六頭、後ろに七頭。
前後の列で、互いの体が重ならないように並んでいる。その後ろで、四頭ずつで組んだ
三つのグループが、前の三列の背後を囲むように、左右と中央に並び立った。
どうやら、前の十八頭は踊り手で、後ろの十二頭が歌唱を担当するようである。

門出の歌に選ばれたのは、明るいポップスだった。
仔実装らの見せるパフォーマンスは、いつにも増して素晴らしいものだった。
指揮者がいないにも関わらず、歌も踊りも見事に統率がとれていた。
合唱は清澄かつ力強く響き渡り、踊り手たちは、躍動的で、優雅で、美しかった。
仔実装らの表情も、凛としてきらめき、ある種の威厳さえ感じさせるものだった。
“自分たちのことは心配しなくていい。どこへ行っても、幸せに暮らしていける”
今までに見せた中でも最高の歌と踊りは、もはや仔とは呼べぬほど頼もしく育った娘らによる、
母に向けてのメッセージだった。

歌と踊りを終えた仔実装らは、目の前で泣き崩れている母のもとへと一斉に駆け寄った。
仔実装らは、次々と母の胸に飛び込んだ。仔実装らの目にも大粒の涙があふれていた。
母は娘たちを力いっぱい抱きしめてやった。娘たちのことを心から誇りに思った。
強く、賢く、美しい。どこへ出しても恥ずかしくない、自慢の娘たち———
“大丈夫。この仔たちなら、きっとどんな人間さんにも気に入っていただける”
やはり、人間に愛されてこその実装石なのである。
辛く悲しい別れは、しかしながら、祝福に満ちた輝かしい旅立ちでもあった。


仔実装らを乗せた軽トラックが牧場をあとにした。
残された母実装らは、牧場仕事の手伝いをしながら冬を過ごすことになる。
これから当分の間は静かで落ち着いた日々が続くが、
翌年の春には新しい娘たちが生まれて、再びにぎやかになるだろう。
牧場を巣立っていった娘たちの思い出話を、後に生まれた娘たちに語り聞かせてやるのが、
彼女らの楽しみの一つである。





◇





十一月に入って最初の土曜日。
日暮れ時を迎えた桜田町では、あちこちの家で夕食の支度が始まっている。
桜田町は、今から十五年ほど前に、郊外の高台に開発された新興の住宅地である。
きれいな網目状に区画された道路に沿って、新しく見栄えの良い家々が立ち並んでいる。
町から少し離れたところには広葉樹の茂みが広がり、清潔で気持ちのよい空気を町に運んでいる。
高台で見晴らしが良く、緑豊かな落ち着いた町並みでありながら、ビジネス街へのアクセスが
比較的容易な桜田町は、住民も、収入の安定したホワイトカラー層の世帯が多くを占めているようだ。

桜田町と隣町を隔てている、イチョウ並木の二車線道路に面して立ち並ぶ住宅のうちの一軒が、
双葉邸である。この家でも、ちょうど夕食の準備をしているところだった。


双葉俊明氏は、六人掛けのキッチンテーブルの端に座って新聞を広げている。
かおる夫人はキッチンに立って、よく熟れたトマトを短冊切りにしている。
今年でちょうど40歳を迎える俊明氏は、市街地にビルを構える出版社の広報部に勤めている。
二つ年下のかおる夫人とは、大学時代の先輩と後輩の間柄である。

キッチンとつながったリビングには、あかりとみのりがいる。
リビングのテーブルは壁際に寄せられ、部屋の中ほどで、あかりたちがテレビと
向き合ってダンスをしている。テレビの中では、人気の女性アイドルグループが、
ステージで歌とダンスを披露している。
あかりはダンスが得意な子で、バランスのとれた身のこなしできれいに踊っている。
みのりのほうは、あかりほど上手くは踊れないが、それでも懸命に手足を動かして、
振り付けを表現しようとしている。
食卓のそばで騒々しくダンスをするのは少し行儀が悪く見えるが、
それについて、両親が娘を注意することはあまりなかった。とくに今は、
あかりがそわそわした気持ちをダンスで落ち着かせようとしているのが、両親にも分かっていた。
本日の主役は、あかりである。


炊飯器は二十分ほど前に炊き上がった。今は蓋を開けて、おひつの上に布巾をかぶせている。
コンロで火にかけられている深手の鍋からは、メインディッシュの肉料理の
とても良い香りが出ていて、その香りが、キッチンとリビングをくまなく包み込んでいる。
今日のメインディッシュはあかりがリクエストしたものだが、ほかの家族にとっても楽しみだった。
それもそのはず、今回用意した肉は、ローゼン牧場産の高級品である。

「あっちゃん、みいちゃん、ご飯ができますよ」
かおる夫人の声を聞いたあかりは踊るのをやめて、リモコンでテレビを消した。
キッチンテーブルのほうへ来たあかりは、みのりを両手で抱き上げ、配膳台のついた専用の
椅子に座らせた。また、みのりの前掛けがよれているのを、まっすぐに直してやった。
そうやって、小さなみのりの世話をそつなくこなしているあかりから、
姉っぽい頼もしさを感じとった俊明氏は、改めて娘の成長の道のりを思い返してみた。

あかりは甘えん坊だった。思い通りにならないことがあると、すぐに泣き出してしまう子だった。
五歳のときにピアノ教室に通い始めたが、次第に行くのを嫌がりだして、
結局半年ほどでやめてしまった。先生の指導の厳しさに耐えられなかったようだ。
あかりは人見知りをする子で、家の中では元気にはしゃいでいるが、よく知らない人に会うと、
とたんに押し黙り、その場から離れたがることが多かった。

あかりが変わり始めたのは、小学校一年生のころだった。
テレビに出ているアイドルグループを好きになり、歌や踊りを真似するようになった。
はじめのうちは、そのアイドルグループのCDやポスターを両親にねだる程度だったが、
やがて、ダンス教室に通いたいと言い出した。両親のすすめで始めたピアノと違い、
自分のほうから、やりたいと言い出したのである。

ダンス教室に通わせたのは正解だった。
あかりは熱心にダンスの練習を続け、着々と実力を伸ばしていった。
ダンスを通じて、努力が結果につながる喜びを知ったことや、学校以外の人と関わり、
多様な物の見方と考え方を学んだことは、彼女の中に良い変化をもたらしたようだ。
あかりは、ダンス以外の方面でも次第に積極性を見せるようになった。
宿題を早めに片づけるようになったし、たくさん本を読むようになった。
それに伴って、学校や塾のテストの点数も、ずいぶん良くなった。
初めて会う人に対しても、きちんと挨拶ができるようになったし、みのりの面倒もよく見ている。
ダンスだけでなく歌うことも好きなあかりのために、双葉家はしばしば一家でカラオケを
楽しむようにもなった。おかげで、家族で過ごす時間や、共通の話題が増えた。
 
あかりは、とても良い方向に進んでいる。それでも色々と心配事は尽きないものだが、
とにかく今は、日々新しい一面を見せてくれるあかりの存在が、家族の大きな支えになっている。
本当にかけがえのない、自慢の娘である———


「スプーンとフォークでいい?」
そう尋ねながら、あかりは引き出しから人数分のスプーンとフォークを取り出した。
サラダ用の小鉢も出してほしいと、かおる夫人が頼んだ。
スプーンとフォークをみんなの席に配り終えたあかりは、食器棚に戻り、
今度は人数分の小鉢を取り出して、それぞれの席に配った。

あかりが席について間もなく、かおる夫人がサラダの大皿をテーブルの中央に置いた。
手でちぎったレタスに、薄切りのキュウリと短冊切りのトマト、ゆでたブロッコリーを合わせて、
フードプロセッサーでみじん切りにしたゆで卵をふりかけた、ミモザサラダである。
マヨネーズ味のドレッシングを入れたカップが、サラダの隣に置かれた。
サラダに次いでテーブルに登場したのは、あかりがリクエストした本日のメインディッシュ、
ビーフストロガノフである。双葉家では、この料理はライスとともに供されているが、
今回はレストラン風の食事を気取って、料理とライスが別々の皿に盛られている。
冷蔵庫の中には、白い大きなデコレーションケーキも控えている。
今日は、あかりの十回目の誕生日である。





あかりが10歳になったあくる日の日曜日。
正午を過ぎたローゼン牧場に、双葉家の自家用車が到着した。
高速道路を使いながら、片道およそ二時間半のドライブだった。
運転手の俊明氏、助手席のかおる夫人が車を降り、後部座席からは、みのりを抱いたあかりが出てきた。
事務所の窓越しに来客を確認した職員が、駐車場までやって来て、双葉家を出迎えた。
俊明氏が事情を伝えると、職員は一家を牛舎のほうへと案内した。

みのりを抱いて牛舎へ向かう道すがら、あかりの胸は高鳴っていた。
昨夜は両親から、欲しかったミッキーマウスの腕時計が贈られたが、
もう一つの誕生日プレゼントが、この牧場見学である。
あかりとみのりは、以前からローゼン牧場に行きたがっていた。
その願いが、あかりの誕生日を機に、ようやく叶ったのだ。
初めのうちは両親の後ろを歩いていたあかりも、牛舎に着くころには先頭に立っていた。

開け放たれた入り口のドアから、あかりとみのりは牛舎の中を覗きこんだ。
入り口から七メートルほど先のところで、五頭の実装石が、牛の寝わらを取り替えていた。
あかりがみのりを床に降ろしてやると、みのりは甲高い声をあげながら牛舎の中へ駆け出した。
それを聞いて振り返った五頭の実装石らも、いっせいにみのりのもとへと駆け寄った。

「ママ!ママ!会いたかったデス!すごく会いたかったデス!
嬉しいデス!元気そうで何よりデス!私も元気デス!
あかりママから、みのりという名前を付けてもらったデス!
幸せデス!毎日、とっても楽しいデス!」

あかりの九歳の誕生日に、双葉家に迎えられたのがみのりである。
昨年秋に巣立って以来、およそ一年ぶりに故郷へと帰ってきたみのりは、
今では母親たちと、ほとんど変わらない背格好になっている。
みのりの産みの親が誰であるかは、さして重要ではない。
五頭の母たちは、立派に育った娘との再会を心から喜んだ。

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1 Re: Name:匿名石 2016/08/18-16:54:51 No:00002480[申告]
「養殖モノ」でバットエンドじゃない珍しい話
2 Re: Name:匿名石 2016/08/19-21:36:22 No:00002482[申告]
丹念な描写で虐食オチへの期待を高められるだけ高めておいて
最後にいい話で落とす
まさに虐待派への上げ落とし
3 Re: Name:匿名石 2016/10/30-07:40:57 No:00002656[申告]
ほのぼのとしてて良いな
普通にペットとして愛される実装物も清々しい
4 Re: Name:匿名石 2016/10/30-19:48:44 No:00002658[申告]
ほのぼのいい話だし
牧場の描写も季節感や仔の成長が詳細でいいと思う

他人の感想に文句つけるなとはいうけど
こんな純粋に観察系、ほのぼの系のいい話を捕まえて虐食オチへの期待だとか虐待派への上げ落としだとか言うのは何だかなあ……
5 Re: Name:匿名石 2016/10/30-20:54:56 No:00002659[申告]
実装の性格や過去で扱いに差をつけるものじゃないかもしれないけど
やっぱりちゃんと教育された性格のいい実装が幸せになるのは良いことだな
6 Re: Name:匿名石 2019/03/13-01:43:14 No:00005798[申告]
純粋に仔実装を食べる話かと思ったわ
7 Re: Name:匿名石 2020/01/27-08:50:13 No:00006176[申告]
でも、この後親の前でみのりをバーベキューにするんでしょ?
8 Re: Name:匿名石 2021/03/12-20:38:57 No:00006320[申告]
丁寧な描写がとても良かった。ハッピーエンドも。
9 Re: Name:匿名石 2023/08/27-10:22:28 No:00007861[申告]
実際にあったらマジで見るだけで心が癒やされるような牧場なんだろうな
それに比べて公園の連中は…
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