タイトル:【虐・観】 懲役五年執行猶予無し
ファイル:神社公園元幹部実装石.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:17973 レス数:2
初投稿日時:2009/12/26-22:19:41修正日時:2009/12/26-22:19:41
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  2010/2/23 1:54

 草木も眠る丑三つ時。二月終わりの夜の空気は刺すように冷たい。

 一匹の実装石が、音もなく神社公園を移動していた。
 普通の成体実装石よりも少し体格のいい実装石。この神社公園の群れの幹部三匹の一匹
である。名前はニイ。単純に二番目の幹部だからニイである。

 みんな眠っている時間だが、何かを盗み出すにはその時間の方が都合がよい。

 ニイがやってきたのは、公園の隅にある木箱だった。

 実装闇市などで引き替えたり、拾ってきた小物や食料などをしまっておく箱だった。こ
れがあるおかげで、普通の群れなら凍死者続出の冬も比較的楽に越すことができる。箱に
はダイヤルキーが付いており、その数字を知らない者には開けられないようになっている。
この数字を知っているのは、ボスであるカシラと、幹部三匹だけだ。

「1456デス……」

 ニイはダイヤルキーを回す。
 かちと鍵が外れた。

 蓋をそっと開け、中身を確認。実装フードや金平糖、お菓子などから、干し肉や木の実、
乾燥させた野草の葉っぱなどの保存食、さらにいくつかの実装用の薬が大量にしまわれて
いた。この群れは全員が越冬準備をしているが、何らかの理由で食料が足りなくなった時
や病気になどは、カシラか幹部の手によってこの食料や薬などが渡されるのだ。

「今日もちょっとだけいただくデス……」

 声に出さずに言いながら、ニイは金平糖の袋を開け、金平糖を三粒取り出す。袋を閉じ、
箱の蓋を閉め、鍵も閉める。何事もなかったかのように元に戻す。

 ニイは家へと戻ろうと踵を返し。

「デ……」

 持っていた金平糖を落とした。
 目の前に佇む二匹の実装石。この幹部石と同じ公園の群れの幹部イチとサンだった。そ
れぞれが長い木の棒を持っている。実装石を取り押さえるための簡単な武器だった。

「お前が本当に犯石だったとは、同じ群れの仲間として悲しいデス……」
「現場は押さえたデス。大人しく捕まるデス」

 悲しげなイチ、感情を殺したサンの言葉に、ニイは一歩後退った。
 金平糖を盗んでいたのがバレた。この二匹の装備からするにある程度見当を付けられて
いたらしい。そして、現場を押さえられた。もはや言い逃れはできない。

「デ、デ……」

 ニイは身体を左に向けた。
 混乱状態に陥った頭が、逃げろと命じたのである。

 しかし、逃げることもできなかった。

 ニイの正面に別の実装石が立ちはだかっている。

「もう手遅れデス。お前は罪を犯したデス……。悪あがきは自分を堕とすデス」

 そう静かに言ったのは、隻眼のマラ実装だった。腹にサラシを巻き、キッチンナイフを
一本差している。群れのボスである、カシラだった。

「終わったデスゥ……」

 ニイはその場にへたり込む。







  2010/2/23 10:17

 翌日、カシラと残りの幹部二匹、そして班長七匹によって、金平糖の着服を行っていた
ニイへの罰が議論されていた。既に、幹部の地位は取り消されている。幹部と班長たちの
議論を黙って聞いているカシラが、不気味だった。

 両腕を縛られ、木の板に乗せられているニイ。

「ワタシ、どうなってしまうデス……」

 両目から涙を流しながら、誰へとなく問いかけた。後悔しても全てが手遅れ。
 山実装並の厳しい間引きと規律によって保たれた賢い群れだが、それでも時々罪を犯す
実装石が出てくる。他の実装石への理由無き暴行、盗み、同族食い、人間に迷惑をかける
行為など。この群れには厳しい掟があった。

 軽いものならば、数日の謹慎。重いものになると、群れからの追放、禿裸での追放など
がある。ただ、殺される罰は無い。群れでは間引き以外での同族殺しは禁忌だった。

 議論が終わりに近づき、大体群れからの追放に落ち着こうとしていた時。

 今まで完全に黙していたカシラが、おもむろに口を開いた。

「こいつは、虐待派送りにするデス」
「デ!」

 その場にいた全員がカシラへと目を向ける。

 虐待派送り。この群れの実装石に科せられる罰としては最も重いものだった。間引きの
子とともに、実装闇市で虐待派に引き渡される。虐待派に突き出された実装石の未来は推
して知るべし。実質死罪よりも重い罰だった。

 さすがに、ニイも反論する。

「カシラ、ワタシそこまで酷い事はしていないデス! 金平糖盗んだだけデスッ!」
「お前の罪は金平糖を盗んだ事ではないデス……」

 カシラは隻眼でニイを睨み、断言した。

「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「デェェ……」

 問答無用の一言に、ニイは反論することもできなかった。



 その日のうちに、ニイが金平糖着服の罪で幹部の地位を剥奪された事、議論の結果虐待
派送りの刑になった事、そのふたつが群れの全員に知らされた。




   * * *




  2010/3/5 20:11

 三月の第一金曜日の夜。
 実装闇市にやって来たのは防寒服を着込んだ男女九人だった。冬場はほとんど仔が生ま
れないので、間引く仔も出ず、取引が行われることはまずない。実際、二月の第一金曜日
は闇市は開かれなかった。

 だが、今回は特別である。
 群れの最高刑である虐待派送りの実装石が出たと、話が広がっていた。

 カシラと幹部二匹の前には、紐で縛られたニイが立っている。これから起るであろう事
に、両目から涙を流していた。髪と実装服は無事である。今までの軟禁生活で汚れていた
身体も、公園にある小川で洗われていた。虐待派に渡す時は、可能な限り無欠損状態を維
持し、身体も清潔される。

「おおぉ」
「こいつが噂の……」
「おいおい、幹部じゃねーか」

 集まった人間が驚いたようにニイを見つめていた。成体や中実装が出てくる事は時々あ
ったが、班長を飛び越し、幹部が出てきたのは今回が初めてである。

 カシラが口を開いた。

「こいつを何かと交換して欲しいデス。ワシらが大事に蓄えていた備蓄の金平糖を盗んだ
元幹部デス。交換品は無くとも、こいつに罰を与えてくれれば、それでいいデス」
「うーん」

 しかし、皆驚くだけで返事は渋い。

 厳しい掟でまとめられた群れ。その厳しい掟について行けず、自ら群れを抜けるという
形で脱落する者も少なくない。その群れの幹部ともなると、たとえ犯罪石でも根性は筋金
入りである。普通の虐待では、面白い反応は得られない。

 糞蟲や単純に賢いだけの実装石は虐待がしやすが、根性のある実装石は虐待が難しいの
だ。職人レベルまで行った虐待師にとっては素晴らしい虐待素材であるが、普通の虐待派
にとってニイは難易度の高すぎる相手だった。

「いないデス……か……」

 カシラは首を振った。半ば予想していた結果ではある。

 虐待派送りにならなかったら、禿裸両腕切断の後の追放処分という二番目に重い罰にな
ることは決定されていた。禿裸両腕無しが、野良実装として生きていける確率はゼロに等
しい。実質的な死刑だった。

「その石、ワシが引き取ろう」

 一人の男が前に出る。
 黒い厚手のコートを纏った七十ほどの老人だった。どこにでもいるようなお爺さんであ
る。皺の刻まれた落ち着いた顔立ちと、しっかりと伸びた背筋。

「利蔵さん」

 誰かが呟く。

 利蔵とはこの老人の名前だった。キャリア五十年以上の虐待派——と言われることもあ
るが、虐待師というほどの手練れでもない。趣味のひとつををずっと続けてきただけであ
るが、それでも並の虐待派よりも十分に腕は高かった。

「冥土の土産にちょっと長く遊びたくてな、こいつなら適材かもしれん。さて、カシラさ
んや、対価は金平糖一袋。それでいいかな?」

 持っていた紙袋から取り出されたのは、ビニール袋にぎっしりと詰められた金平糖だっ
た。軽く一キロはあるだろう、大量の金平糖。

「デェ……」

 カシラも幹部二匹も、ニイも思わず戦く。これほど大量の金平糖を見るのは、カシラも
含めて初めてだった。普通はこれほど大量に用意してくることはない。

 利蔵はカシラの前に金平糖の入った袋を置く。

 呆然とするカシラたちと、他の虐待派たちには構わず、ポケットから取り出した金平糖
をニイの口に放り込んだ。ごくりとそれを呑み込んでしまう。

「ネムリだ。騒がれると困るからな……」

 その言葉を聞きながら、ニイの意識は落ちていった。




   * * *




  2010/3/6 11:47

 パァン!

「デギャ!」

 強烈な痛みに、ニイは悲鳴を上げて跳ね起きる。
 打たれた顔を手で撫でながら、その眩しさに目蓋を下ろした。晩冬の青空と微かに見え
る白い雲。冷たい風と、明るい太陽の光。

「ようやく起きたか……。ネムリが効きすぎたかな?」

 傍らにいたのは、利蔵だった。
 左手にリンガルを持ち、右手に五十センチの古びた竹定規を持っている。ゆらゆらとリ
ズムを取るように揺れる先端。ニイを叩いたのは、その定規だった。適度な長さとしなり
を持つ竹定規は、手軽な虐待道具として有名である。

「囚実装石一号。それが、ここでのお前の名前だ。今後ワシが一号と呼んだら返事をしろ。
分かったか?」
「囚実装石一号デスか……?」

 パァン!

「デッ!」

 頬を竹定規で一撃され、ニイは倒れた。

「返事は一言だ。実装石の声はうるさいのでな。返事をしなかったり、余計な事を言った
りしたら、罰を与える。無論、お前に拒否権というものは無い。分かったかな?」
「はいデス」

 言われた通り、ニイは一言だけ答える。
 ルールを理解するには賢い野良でも数回叩かれる必要がある。しかし、ニイは一発叩か
れただけで、十分に利蔵の科したルールを理解していた。

「次に、これがこれからお前が着る服だ」

 利蔵が取り出したのは、頑丈な麻布製の頭巾と実装服、ついでに靴である。飼い実装石
が野良仕事などをするときに着る作業用実装服だった。

 ニイはふと自分の身体を見た。
 髪も服も取られてはいない。しかし、胸にあった偽石は抜き取られているようだった。
胸の奥にぽっかりと喪失感がある。

「早く脱いで、これを着ろ」
「はいデス」

 一言返事をしてから、一号は素早く頭巾と実装服と実装靴を脱ぎ、目の前に放られた作
業用実装服を身につけた。多少サイズが大きくごわごわしているものの、それ以外に変わっ
たところはない。

 利蔵はすっと竹定規を持ち上げた。

「一号。あれが、お前がこれから住む小屋だ」

 示した先にあったのは、古びた犬小屋だった。大型犬用の犬小屋で、特に改造されてい
るなどということはない。ただ、壊れかけているようだった。

「来い」
「はいデス」

 犬小屋に向かう利蔵に、素直に付いていく。

 犬小屋に近づいても特に変わったところは無かった。壁や床の板が何枚か外れてはいる
ものの、住めないこともない。中には一枚古ぼけたバスタオルが置かれている。

 かちりと、ニイの首に首輪が嵌められた。そして、首輪から伸びた二メートルほどの紐
を地面に打ち込まれた杭に留める。犬小屋の出入りと多少その周囲を移動できるだけの長
さはあるが、それだけだった。

「糞がしたくなったら、その箱にしろ」

 利蔵が示したのは、蓋の付いた大きめの金属の箱である。それがトイレ代わりのようだ
った。溜まったらどこかへ捨てるのだろう。

「はいデス」

 頷くニイ。

 無茶苦茶な環境に放り込まれることを予想していたのだが、用意された環境は想ったよ
りもよいものだった。破格と言っても過言ではない。神社公園の幹部として生活よりはか
なり劣るが、最底辺の野良実装石よりも格段にいい環境だろう。

 利蔵はふっと息を付き、

「囚実装石一号。お前には懲役五年を与える」
「どういう意味デス……?」

 思わず訊き返してから、慌てて両手で口を塞ぐ。
 が、予想に反して利蔵は何もしなかった。

「これからお前はここで五年間働いて貰う。それがお前の償いだ。五年経ったらさっきの
実装服も返してやろう。あのカシラにも、お前が刑期を終えたら神社公園に戻れるように
と掛け合っておいた」
「デェ……」

 驚いたように、利蔵を見上げるニイ。

 五年頑張って働いていれば、神社公園へと戻ることができる。終わったと思っていた実
装生に、少しだけ希望の光が見えてきた。

「お爺ちゃーん、お昼だよー」
「おぉ、もうそんな時間か。今行くよー」

 家の方から聞こえてきた子供の声に、利蔵が返事をする。

「お前にも飯をやる。ちょっと待ってろ」

 そう言い残して、利蔵は家へと戻っていった。







  2010/3/6 12:23

「少ないデス……」

 犬用の餌皿に置かれた、実装フード。
 五円玉ほどの大きさの、中心に穴の開いた白いクッキーのような餌。それが十枚。その
傍らにある沢庵の尻尾部分。成体実装石の食事としては少なかった。餓死するほどではな
いものの、空腹を満たすほどの量では無い。

 フードをひとつ掴み、口に入れる。

「……味も無いデス」

 この実装フードは、実装ショップで売っているシンプルフードと呼ばれるものだった。
栄養は普通であるものの、ほとんど味が付いていない。本来なら、別売りの香味料を掛け
て食べるものだった。敢えて無味にし、多種の香味料を用いて、色々な味を飽きずに食べ
られる実装フードである。本来は。

 しかし、香味料が無ければ、無味乾燥な実装フードだった。その安さと何もしないと無
味乾燥という性質から、虐待用としてフードだけを買っていく者もいる。

「こうすれば、何とかなるデス……」

 ニイは沢庵の尻尾を舐めて塩味を加え、一緒に出された水で水分を加え、無味乾燥な実
装フードを何とか食べられるように工夫していた。

 この工夫がすぐにできるのは、賢い個体だからだろう。

 満腹感を得るために普段よりもじっくりと時間を掛けて食事を終わらせ、ニイは一息つ
いた。満腹には程遠いが、食事ができるだけ十分だろう。

「刑期は五年デス……。辛いデスけど、頑張るデス……」

 そう決意を胸に刻む。



 しかし、ニイは気づいていなかった。もしかしたら群れの規律から離れて微かに動き出
した幸せ回路が、認識を鈍らせたのかもしれない。
 人間にとっても想像以上に重い五年という時間。それが人間よりも短命な実装石にとっ
て、どれほど重い時間であるのかを。
 乱暴な計算であるが、成体実装石にとっての一年は人間の十年に相当する。
 ニイの服役は五年。人間換算でおよそ五十年だった。




   * * *




  2010/3/6 13:24

「さて、一号。午後の仕事は穴掘りだ」

 利蔵は竹定規で犬小屋の横を示した。

「お前の糞を捨てる穴を掘ってもらう。こいつを使え」

 目の前に落とされたデスゥコップ。実装石が使うために作られた穴掘り用の三角スコッ
プだった。全体がプラスチック製で、刃先にだけステンレスが仕込まれている。軽量で実
装石にも扱えるような構造だった。

「時間は五時までだ。休憩は途中で五分取る。休憩時間以外にサボったりしたら、明日の
食事は抜きだ。あと、深く掘っておいた方が後々楽だぞ」
「はいデス」

 ニイは頷いてから、デスゥコップを手に取った。デスゥコップは公園にも置いてあり、
何度も使っているので、使い方に戸惑うことはない。
 首輪はそのままだが、繋いでいた紐は外されている。

「やはり賢いヤツは扱いやすいな」

 利蔵は一言唸ってから、

「分かっているとは思うが、わしが目を放している隙に逃げようとすれば逃げられる。だ
が、一号、お前の偽石はワシが預かっていることを忘れるなよ? 今は酒を混ぜた栄養剤
に浸けてあるが、お前が逃げ出したら、塩水に浸ける」

 にっと不気味に笑う。

「?」

 その意味が分からず、ニイは首を捻った。
 身体から取り出された偽石を酒の入った栄養剤に浸けておくと、再生力を維持したまま
半不死化し、発狂の可能性も激減する。さすがに専用の薬ほどではないが、肉体や精神を
激しく傷つける虐待をしない分にはこれで十分だ。

 しかし、塩水に浸けておくという意味が分からない。
 利蔵は定規を持った右手で口元を隠しつつ、

「やはり、知らんか……。偽石を濃い塩水に浸けておくと、再生力が落ちたまま死ねなく
なる。塩分の加減が難しいから使う輩は少ないがな。何にしろかなり長い間苦しむことに
なるだろう。ま、逃げなければ何もしない」
「はいデス」

 その言葉を理解し、ニイは頷いた。

 逃げれば、想像を絶する酷い死に方が待っている。頭の悪い実装石なら、それを忘れて
逃げ出し、地獄を味わうことになるだろう。しかし、ニイはその恐ろしさを理解するだけ
の知能を持っていた。

 利蔵が指示を出す。

「分かったら、仕事を始めろ」
「はいデス」

 頷いてから、ニイは穴掘りを始めた。



 その後一回の休憩を挟み、ニイは五時に仕事を終わらせた。
 犬小屋の横に掘られた大きな穴。元々標準以上に体力もあり、仕事もできる幹部であっ
たため、半日で十分な大きさの穴を掘っていた。

 それから味の無く少ない食事をゆっくりと食べ、壊れかけの犬小屋に潜り込んだ。
 壁や床下から冷たい空気が流れ込んでくる。それでも、用意されていたバスタオルを巻
き付けていれば、辛うじてその寒さを防ぐことができた。防寒処置を施した自分の段ボー
ルハウスとは比べられないが、最低限生きるのに問題は無い環境である。

 精神的疲労と肉体的疲労により、ニイは六時前に眠りについていた。




   * * *


 

  2015/3/6 10:30 ?

 ふわふわとした空気が辺りを包んでいる。

「ただいまデスー」

 ニイは見慣れた神社公園に戻っていた。水彩絵のような風景。
 緑色の実装服を纏い、五年の刑期を終え、懐かしの故郷へと。その顔には、晴れ晴れと
した笑顔が浮かんでいた。とことこと歩いて、公園の正面の門をくぐる。

「デ、何者デス?」

 近くの茂みの影にいた見張り係の若い実装石二匹が、素早くニイの前へと駆け寄ってき
た。両手に持った丸い木の棒を槍のように突き出してくる。

「この公園の群れには、余所の野良実装石は入れないデス。そういう掟デス。渡りで来た
というのなら、悪いデスが別の場所を探すデス」

 厳しい口調で言ってくる、若い実装石。

 公園の群れには余所者は入れない。そういう掟がある。見知らぬ余所者を入れて、群れ
の秩序が乱れるのを防ぐためだった。ごく稀に賢い個体を受け入れることはあるが、基本
余所者は追い払うように言われている。

 ニイは宥めるように両手を動かし、

「ワタシは元々この群れの実装石デス。事情があって人間の所に預けられていたデス。五
年経ったら、戻っていいとカシラと約束してたデス」
「デェ?」

 見張りの二匹は顔を見合わせた。
 見た感じ生まれて二年は経っていない実装石のようなので、ニイのことも知らないのだ
ろう。もう少し上の実装石に事情を話す必要があった。

「できれば、カシラか幹部に会わせて欲しいデス」
「カシラ……デスか?」

 戸惑う見張り実装石。

「ワシのこと、呼んだデスか?」

 背後から聞こえてくる聞き慣れた声。

「お久しぶりデス、カシ……ラ……?」

 振り返ってから、思わず動きを止める。

 そこに立っていたのは見知らぬ実装石だった。大柄な体格で、腹にサラシを巻き、キッ
チンナイフを差している。だが、マラ実装ではなかった。頭巾が無く、半袖の実装服を纏
った獣装石である。ついでに隻眼ではなく、左腕の無い隻腕だった。

「ワシが神社公園のボスのカシラデス。お前サン、ワシに何の用デス?」
「デデデ……。ワタシの知っているカシラは、隻眼のマラ実装石デス……」

 ニイはそう言い返した。神社公園のボス。隻眼のマラ実装石のカシラ。仁義を大事にし、
強く優しく賢く、時に厳しい決断をも躊躇無く下す実装石。かつて、神社に侵入した人間
の泥棒とも戦った猛者である。
 カシラと名乗った獣装石は、どこか寂しげに息を吐いた。

「お前サンの言っているのは、多分先代のカシラのことデス」
「先代、デス……?」

 先代という単語に、心の中で何かがひび割れる。

「そうデス。隻眼のマラ実装石は先代のカシラデス。一昨年の暮れに老衰で逝ったデス。
大往生だったデス……群れのみんなも、神社の他実装たちも泣いていたデス。それからワ
シがボスを引き継いだデス。ワシもあんな立派なボスになれるように頑張るデス」

 獣装石は自分の右腕を見つめた。

「カシラ……。死んでしまったデス……か……」

 ニイは蹌踉めくように後退る。大事なモノが、心の中で音を立てて崩壊していった。今
まで自分を支えていた世界が砕けたような虚脱感。
 獣装石が心配そうに見つめてくる。

「それより、お前サンこそ大丈夫デス……? お迎えが来そうな顔してるデス」
「デッ……。カシラさん、何妙なことを言ってるデスー?」

 無理に笑いながら言い返したニイに。
 獣装石が無言のまま、腹に差していたステンレスナイフを抜いた。その銀色の腹を、目
の前に差し出してきた。本来ならただの鈍い銀色の金属なのだが、そのナイフは何故か鏡
のようにニイの顔を映していた。

 顔全体に刻まれた皺と、頬に見える茶色い染み。茶色だった髪の毛も色が抜けて、白髪
になっている。自分の両手を見つめると、かさかさに乾燥して皺の走った肌。所々に小さ
な染みが浮かんでいる。

 いつの間にか獣装石は消え、目の前に一枚の鏡が立っていた。

 そこに映っていたのは、一匹の老衰した実装石。

「デデデ……デッシャアアァァァ!」

 年老いた自分の姿に、ニイは絶叫した。




   * * *




  2010/3/7 3:02

「デ……?」

 ニイは眼を覚まし、冷たい空気に身震いした。
 隙間だらけの犬小屋の中。内容は覚えていないものの、酷く怖ろしい夢を見ていたよう
な気がする。氷点下に近い気温のはずなのに、全身に脂汗をかいていた。

「ワタシはどんな夢を見ていたんデス?」

 壁の隙間から見える月明かりに照らされた庭。
 夢の内容を思い出そうと頭を捻るが、思い出してはいけないと本能が告げている。
 その後しばらく悩んだが、ニイは夢を思い出すことはできなかった。







  2010/3/7 8:33

 利蔵に出された朝食を取り、用を足して少しの休憩時間。
 朝八時半から仕事は始まっていた。

「今日の仕事は、石ころ拾いだ」

 利蔵は竹定規で庭を示した。
 首輪から紐を外されたニイは、ぐるりと庭を見回す。標準よりも二回りほど大きな一戸
建ての庭。小さな公園並の広さがあった。硬く踏みしめられた土が剥き出し。あちこちに
小石が落ちている。庭の隅には盆栽の置かれた棚が置いてあった。

「内容は簡単だ。庭に落ちている石を全部拾って一ヶ所に集めておけ。こっちだけじゃな
くて裏庭もあるから、そっちの石拾いもやっておくように」
「はいデス」

 一言だけ頷く。

「今日一日で終わらなかったら、明日もこの仕事だ。一通り家の石ころを拾い終わるまで
続ける予定だ。時間はたっぷりある。念入りにやるように」
「はいデス」

 ニイは頷いた。余計なことは口にせず、淡々と仕事をしていればいい。そうすれば、い
ずれここから解放されるのだ。

「そういえば、神社の群れは随分荒れてるようだな……」

 ぼそりと呟かれた利蔵の台詞。
 ニイは無言のまま、それを聞いていた。

 自分の犯した罪の重さに胸を痛めつつも、ニイは心の隅で安心もしていた。自分がちゃ
んと群れの一員として機能していたこと。そして、群れの幹部として戻るような位置があ
ることも。







  2010/3/7 18:09

 しとしとと雨が降り始めている。三時頃から降り始めた小雨だった。夜中から明日午後
にかけて本格的な雨が降り、明後日には晴れるらしい。

「明日は仕事は休みだ。そこの犬小屋でじっとしてて構わない」

 ニイは利蔵の言った言葉を思い出していた。犬小屋の入り口から顔を出し、明かりのつ
いた家を見つめる。利蔵には妻と息子夫婦と、孫がいる。

 家族には自分が虐待派と知らせていない利蔵は、ニイのことは庭の雑用係と説明してい
た。金平糖着服とのことは適当に誤魔化しつつ、群れで悪いことをしてその償いを頼まれ
て家に置いていると説明してあった。家族にはあまり構わないようにとも言っている。

 その辺りは、ニイには聞かされていない。

「デス……」

 明かりの奥にある家族の団欒を思い浮かべながら、ニイは犬小屋へと潜り込んだ。身体
にバスタオルを巻き付け、眠ろうと目を閉じる。
 だが、昨日のように眠ることはできなかった。




   * * *




  2009/11/3 16:43

 頭に浮かぶのは、昔のこと。

「今日は疲れたデスー」

 隻眼のマラ実装石のカシラが、腕で額を拭う仕草をする。

「さすがに重かったデス」
「公園にゴミを捨てる人間は迷惑デス」
「でも、これでゆっくり休めるデス」

 イチ、ニイ、サンの幹部たち。ニイがまだ普通の幹部として働いていた時の思い出。
 夜のうちにどこかの人間が枯れ木を公園に捨てていったのだ。普通のゴミ類なら実装石
の日用品として再利用できるが、枯れ枝ではどうしようもない。
 体力のある実装石とともに、カシラと幹部三匹で枯れ枝を片付けたのだった。

 神社公園の群れは、公園の管理役としてその存在を許されている。神社公園に定期的な
駆除が入らないのも、実装石が公園の手入れなどの仕事をしているからだった。
 なお、地域実装石の見本として真似する所もあるが、成功例は非常に少ない。

 カシラがぽんと手を打つ。

「そうデス。疲れているなら、ワシがマッサージしてやるデス」
「デッスー」

 喜ぶ手伝い実装石たち。カシラがマッサージが得意であることは群れでも有名だった。
疲れていても、カシラに身体を揉んで貰えれば、それでぐっすりと休むことができ、翌日
は疲れの一片も無く動くことができる。

「疲れているヤツから出てくるデス」
「お言葉に甘えてお願いするデス」

 カシラの言葉に一匹の成体実装石が出てきた。全身土と枯れた木の破片がくっついてい
る。今回の枯れ枝片付けで一番張り切っていた実装石だった。

「じゃ、そこに寝転がるデス」
「分かったデス」

 カシラに言われた通り、実装石は芝生に寝転がった。
 カシラが腕まくりをしながら、

「今日は頑張ったお前達のために、ワシも気合い入れてマッサージするデッス!」



 五分後。

「デェェン……」

 カシラにマッサージされた実装石は両目から涙を流していた。

「カシラ、ワタシの身体へなへなデスゥ……」

 持ち上げた右手が、へなりと力なく曲がる。関節でない部分がこんにゃくのように曲が
っていた。骨があるはずの実装石が、文字通り骨抜きになっている。マッサージだけで実
装石を柔らかくする。虐待派や実験派が欲しがるような、謎の過剰技術だった。

「すまんデス。ちょっと気合い入れすぎてしまったデス」

 カシラが困ったように頭をかいていた。気合いを入れてマッサージをすると、そのまま
効きすぎてしまうのは、カシラのマッサージの欠点である。

 その場にいる実装石たちは、呆れと驚きの混じった眼差しで、へなへなになった実装石
を見つめていた。時々あることなので、今更慌てたり焦ったりはしない。最初の頃はカシ
ラ含めてかなり焦ったりしていたが。

「相変わらず凄い効果デス……」
「担架持ってくるデス。明日になれば治ってるデス」

 荷物置き場へと走っていく、イチとサン。担架と言っても、二本の棒と布で作った簡単
なものだった。実装石レベルでは十分立派なものであるが。

「カシラ、気合い入れすぎデス」

 ニイはジト眼でカシラを見つめた。


 骨抜き実装石は、一晩眠った翌日には元に戻っていた。







  2010/3/7 18:17

 辛いながらも楽しかった記憶が、否応なく思い出される。

「デェェ……」

 湿った冷たい空気と、隙間から入ってくる雨粒。空腹感。身体にのしかかる疲労。どれ
も辛いものであるが、耐えられないものではなかった。三月とはいえ寒い雨の中で、凍え
る野良というのも知っている。

 ニイの眼から流れる涙は、それとは別のものだった。







  2010/3/8 9:37

 本降りの雨が、壊れかけの犬小屋を叩いている。

「強い雨デス……」

 努めて何も考えないようにしながら、ニイは雨を見ていた。







  2010/3/9 10:00

 さらに翌日。

「石ころいっぱいデス……」

 ニイはひたすら庭の石拾いに励んでいた。地面に落ちている小石を拾い、適当にひとま
とめにしておく。小石の小山をデスゥコップですくい、庭の隅っこに掘った小さな穴にそ
の小石を埋めておく。

 利蔵の話では孫が庭で遊んだ時に転んでケガしないようにするためらしい。



 神社公園を眺めながら考え込むように顎に手を当てていたカシラが、口を開いた。

『いつの間にか随分石が増えたデス……。子供が転んでケガすると危ないデス。今日は神
社公園の石拾いをするデス。手の空いている連中を集めてきて欲しいデス』
『分かったデス』

 その提案に、ニイは頷いた。



「カシラ……」

 頭に浮かぶ公園での会話。
 ニイは石を拾いながら、眼から涙を流していた。

「ごめんなさいデス……」







  2010/3/14 8:33

 それからしばらくして。
 利蔵は竹定規で庭を示した。

「一号。今日は草むしりをしてもらう。庭に生えてる草を引っこ抜いて、集めてお前の糞
穴に放り込んでおくだけでいい。抜けないヤツは葉だけむしっておけ。食べられる草があ
れば、食べても構わない。分かったか?」
「はいデス」

 内容は簡単なものである。

 まだ三月も半ば、生えている雑草は多くない。大半は地面に広がるように生えるタンポ
ポやぺんぺん草、オオバコ。ただ、地下深くまで根を張る抜きにくい草ではあった。
 綿雲の浮かぶ空を見上げ、利蔵は独り言のように口を動かす。

「そういえば、神社公園の群れじゃ、お前の後任が決まったようだ。四班の班長らしい。
新しく『ニイ』と呼ばれていたな」
「………」

 ニイは何も言わない。

 だが、利蔵の言葉はニイの心を深く抉っていた。自分の居場所が群れから完全に無くなっ
たという事実。ニイという自分の名前が本物から偽物に変わる。微かに残っていた淡い希
望が砕かれた瞬間でもあった。
 利蔵はニイに背中を向け、家の方へと歩き出す。

「じゃ、頑張れよ」
「……。はいデス」

 一言頷いてから、ニイは庭の草むしりを始めた。

 地面に広がっている葉っぱを掴み、引っ張って抜く。食べられる草はそのまま口へと放
り込んだ。お世辞にも美味しいものではないが、野草は貴重な食料だ。

 四班の班長の姿が頭に浮かぶ。

「ワタシの後任は、あいつデスか……。あいつはちょっとのんびりしてるデスけど、頭の
いい働き者デス。数ヶ月もすれば、ちゃんとワタシの代わりを務められるデス……」

 草を毟りながら、ニイは無理に明るい声でそう自分に言い聞かせていた。無論、利蔵に
は聞こえないほど小さな声で。だが、その声は震えている。
 神社の群れで幹部を務めていただけあり、ニイは賢く根性もあった。それだけに、自分
の犯した罪の重さも理解している。







  2010/3/14 10:29

 利蔵老人。一応隠れ虐待派を名乗っているが、その実観察派に近い。そこそこ賢い実装
石を庭で外飼いし、基本的な躾を施し、いくつかルールを決めて雑用をさせつつ、その様
子を暇潰でただ眺める。
 元々人間観察が趣味で、実装石観察はその延長だった。

「こいつは、本当に珍しいヤツだな。予想通りの——いや、予想以上の反応をしてくれる
よ。まったくもって実装石とは面白い連中だ」

 縁側に座ってお茶を飲みながら、利蔵は静かな笑みを浮かべ、黙々と草むしりをする実
装石を見ていた。傍目には頑張って働いているように見えるだろう。

 しかし、利蔵はニイの心の痛みを見抜いていた。

「辛いだろうな」

 ニイが糞蟲であったなら、とうにどこかで死んでいただろう。
 普通の実装石だったら、罪の意識に苛まれることはなかっただろう。
 賢い実装石だったら、過去を諦めることもできただろう。

 しかし、ニイは賢く、なおかつ根性のある実装石である。自分の置かれた状況を理解し
つつも、『全てを諦める』という最も楽な手段が取れない。困難な現状を乗り越えようと
努力してまうのだ。群れの一員でいたならば、その特徴は有効に働いただろう。

 しかし、今となっては、全くの逆効果。

「本物の虐待派なら、ヌルいとか言うかもしれんが」

 湯飲みのお茶をすする。
 利蔵が行う虐待は、時折神社公園の群れの状態を伝えることのみ。
 それで十分だった。

 服や髪を奪われるわけでもなく、苛烈な苦痛を与えられるわけでもない。最低限の衣食
住が整えられた環境で、淡々と無給に等しい仕事を与えられる。
 いわゆる刑務所の囚人と同じ立場になった実装石。

 強い責任感と高い知能、冷静な判断力。過去現在未来を考えられる想像力。そして、神
社公園の群れの幹部だったという自負心。それらが全て、ニイを縛める重い鎖となってい
る。ニイは自分で自分を追い詰める、自虐状態に陥っていた。

「一号、休憩の時間だ」

 利蔵はそう声を上げた。





 その夜、ニイはまた夢を見ていた。



  2015/3/6 10:35 ?

 霞がかかったような、不明瞭な神社公園。

「確かに、先代にはそんな石がいると言われていたデス。そいつが戻ってきたら、群れに
受け入れるようにも言われていたデス」

 カシラと名乗る隻腕の獣装石は、何度か頷いた。視線を持ち上げ、難しい表情を見せて
いる。これから、ニイをどうするか考えているのだろう。

「それがワタシ……デス」

 老実装石となったニイは、静かに頷いた。以前のように身体は自由に動かない。重いも
のを持ち上げるのも無理だろう。ケガや病気の治りも並の実装石よりかなり劣っている。

 三十秒ほどだろう。

「分かったデス」

 黙考を終えた獣装石は、ニイに目を戻した。 

「お前を群れに戻すデス。ただし、一度群れを出た身デス。群れの掟に従い、お前は見習
いからやり直しになるデス。それが嫌なら、おとなしくどこかに行くデス」
「それで構わないデス……」

 ニイはそう答える。

 見習いとは、主に中実装による群れの雑用係を示す。稀に余所から群れに組み込まれた
者は、その成長度に関わらず約二ヶ月、見習いとして過ごす必要があった。一度群れを抜
けた者も同じ。その間に群れに馴染めないと分かれば追い出される。
 ただ、ニイのような老いぼれ実装石の見習いは、前代未聞だろう。

「群れのみんなに伝えるデス。お前はしばらく待っているデス」
「カシラさん」

 立ち去ろうとする獣装石に、ニイは声を掛けた。

「ワタシにはニイという名前があるんデスが……」

 実装石にとって名前は大切なもの。自分から言い出した名前や、住処の位置などから何
となく付けられる名前——『小川の横さん』や『ベンチの裏側さん』などではなく、他人
に与えられた名前。それは自分が他者に認められたという証明でもあった。

「ニイ……。幹部に与えられる名前デスか……。かつてワシもそう呼ばれていたデス。だ
が、お前がその名を名乗ることは禁止するデス。たとえお前が自分で名前を言っても、他
の実装石にはお前を『ニイ』とは呼ばせないデス」

 獣装石の瞳に、刃物の光が映る。それは群れの秩序を乱そうとする実装石に向ける、殺
意の混じった本気の威嚇。優しく温厚に見える先代のカシラも時折見せる、群れのボスと
しての顔でもあった。

 ニイは無言のまま右足を後ろに引く。

「大昔にこの群れの幹部だったお前も、今はただの新入りデス。もし、『ニイ』という名
を名乗りたかったら、幹部になるデス。それまで、お前は名無しの実装石デス。それが不
服というのなら、出て行ってもらうデス」
「デェェ……。分かったデス」

 厳しい掟に、ニイはうな垂れることしかできなかった。

 群れに生まれた仔実装が、色々と勉強して幹部に上り詰めるには最低でも二年かかる。
そもそも幹部になれるほど賢い個体は少ないのだ。加えて、新入りが群れの幹部になれる
可能性はまず無い。余所者はどうしても出世が遅い。班長にはなれても、幹部になるのは
非常に難しい。

 顔を上げると、獣装石はいなくなっていた。

「ワタシが再び幹部になるまで、何年かかるデス……?」

 自問する。

 ニイの知る限り、余所者で幹部になったのは、たった一匹。ニイの生まれる前のこと。
飼い主の死によって野良となった、ビリジアという名の元一級飼い実装石だけだ。その元
飼い実装石も、幹部になれたのは群れに入ってから五年後である。ビリジアは非常に賢い
実装石で、もし群れに生まれていたら、一年半で幹部になり、二年でボスになっていただ
ろう。そう聞かされていた。

 ニイが生きている間に、再び『ニイ』の名で呼ばれるのは、絶望的である。







  2010/3/15 03:54


 じっとりと実装服に染み付いている脂汗。
 夢の内容は全て覚えていた。前回の夢の内容も思い出している。

「デッ……」

 目を覚ましたニイの目に入ったのは、壊れた犬小屋だった。自分の今の家であり、監獄
でもある。金平糖着服という罪の代償だった。

「五年は……さすがに長いデス……」

 涙をこぼし、ニイは独りごちる。
 今更ながら、五年という時間の重さを痛感していた。微かに動いていた幸せ回路が、現
実をせき止められなくなったのかもしれない。



 実装石の寿命。
 仔実装の間の死を除いても、野良の平均寿命は二年程度と言われている。外敵や病気、
飢餓や寒さ暑さ、虐待派の襲撃や保健所の駆除などで、本来の寿命を迎える個体はまずい
ない。賢い個体でも、五年生きられれば長生きな方だ。

 飼い実装石となると、その寿命は一気に延びる。
 途中で捨てられたりしなければ、安定した環境下で生きられるのだ。

 しかし、生後六年ほどから老衰による身体機能の低下が起り、十年ほどで老衰死する。
栄養や環境に気をつけていれば、十数年は生きるらしいが、十年以上生きるのは稀だった。
無論、デタラメ生物だけあり、例外も多々ある。

 ちなみに、実装研究所には、特殊な延命処置の施された生後三十年を越える個体が数十
匹いるといわれている。それは特異な例だろう。

 ニイの年齢は三歳半。
 刑期を終えて解放される頃には八歳半となっている。

 もはや普通の実装石として動くことはできない年齢だった。




「ワタシは、どうなるデス?」

 ニイの問いかけに答える者は、どこにもいない。


 それからニイは努めて何も考えないように暮らし始めた。







  2010/4/27 9:03

 だが、何も考えずに過ごすというのは無理に等しい。

「おじいちゃん、書道の宿題出されたんだけど、手伝ってくれない?」
「ふむ、分かった。ちょっと待っていなさい」

 孫娘に声を掛けられ、縁側に座っていた利蔵が家の奥へと向かう。
 ニイはデスゥコップで花壇を耕しながら、その光景を見ていた。



   * * *




  2006/9/27 14:24

「その二匹を間引くデス」

 カシラは一匹の実装石を見つめ、そう告げた。

 夏の終わりに仔を生んだ実装石。七匹の仔が生まれ、生後すぐに糞蟲と普通の仔実装四
匹は間引かれた。その四匹は、別の場所で他の間引かれた仔と一緒に飼育され、月初めの
闇市へと送られる。
 そして、その母実装石の元に残ったのは、まだ『次女ちゃん』と呼ばれていた名前の無
い仔実装のニイと、それなりに賢い妹たちだった。

 普通の群れならば、それなりに賢い妹たちは生き残っただろう。
 だが、神社公園の群れでの合格ラインは越えていなかった。

 先代のカシラ——大柄な実装石は、母実装石を凝視していた。

「その二匹を残しておくわけにはいかないデス。確かに賢い仔デスが、この群れの秩序を
保つには少し頭が足りないデス。お前の気持ちは分かるデス……。だけど、甘えは許され
ないデス。お前も、厳しい間引きを生き残った身デス。理解して欲しいデス」
「でも、ワタシはこの仔たちを見捨てるわけにはいかないデス」

 二匹の仔を守るように立った母実装石。そこそこ賢いこの二匹は、虐待派送りにはされ
ず、カシラと幹部の手によって殺され、神社の隅に埋葬される。群れの実装石たちも、賢
い仔を虐待派に渡すほど冷酷に徹することはできなかった。
 いや、そこまで実利に徹したら、危険と考えている。

 仔実装のニイは、少し離れた場所から親たちのやりとりを眺めていた。

「だから、ワタシはこの群れを抜けるデス」
「……。そうデスか。分かったデス」

 カシラは反論することもなく、静かに頷く。

 仔を間引くことができず、群れから抜ける実装石は時々出てくる。それは仕方の無いこ
とだった。実装石というデタラメな生き物にとって、この群れの掟は厳しすぎるのだ。神
社公園で育った実装石は非常に賢い。群れを抜けても、十分生きていけるだろう。

「ただ、この仔は置いていって欲しいデス」

 カシラは仔実装のニイを示した。

「この仔は強くて賢いデス。将来群れを担う立場になれる逸材デス。里子に出して育てた
いデス。お前が連れて行くというのなら、諦めるデスが……」
「次女ちゃん、あなたが決めるデス」

 そう訊いてきた母実装に。
 五秒ほど考えてから、ニイは答える。

「ワタチはここに残るテチ。ママ、ごめんなさいテチ……」
「そうデスか……。次女ちゃん、ワタシたちの代わりに立派に育って欲しいデス。ママは
お前が立派になることを信じているデス」

 母実装はそう笑ってみせた。


 それからニイは、里子に出され、順調に成長し、成体実装石になった。それからほどな
く班長になり、三年ほどで幹部になった。
 それは母の望んだ仔の未来だったのだろう。




   * * *




  2010/4/27 16:09

 しかし今、自分は群れから放り出され、実質的雑用実装石として、デスゥコップで花壇
を耕している。それは母の望んだ姿とは、かけ離れたものだった。

「ごめんなさいデス、ママ……」

 どこにいるとも知れぬ、生きているかも分からぬ母に。
 ニイはただ謝罪の言葉を口にすることしかできなかった。







  2010/4/27 21:12

 五月も近づき、気温も上がって夜も暖かく、寝やすくなっていた。

 身体にボロバスタオルを巻き付けたニイは、犬小屋の中で何度も寝返りを打つ。不安に
胸を苛まれて、眠れないのだ。苛烈な虐待を受けるわけでもなく、最低ラインであるが衣
食住を保証された生活。それが、ニイを縛めていた。

 過去を諦めることもできず、糞蟲に堕ちることもできない。

「苦しいデス……」

 胸を押さえながら、呻いていた。

「カシラ……。助けて下さいデス」




   * * *




  2008/8/26 20:45

 夜の神社の境内。

「ヒャッハァァァ!」

 若い男がバールを振り上げる。
 赤と黒で塗装された75センチのL字型バールだ。実装石をヒャッハーする際によく振
り回される鈍器であるが、本来は解体作業に使われるもので、24センチ以上のものを理
由無く所持していた場合、捕まってしまうので注意が必要である。

「デッシャアアァァァ!」

 カシラの股間から一気に膨れあがったマラ。その先端から水鉄砲のごとく吐き出される
白い粘液。普段他実装を襲うこともなく、自慰をすることもなく、大量に溜められた濃ゆ
い精液が男の顔面を直撃した。

「うがぁああ!」

 顔を押さえ、男はバールを取り落とした。健全な男が、顔面にジョッキ一杯ほどの精液
を叩き付けらたのである。当然の反応だった。

 マラを納め、カシラが振り返ってくる。

「お前は逃げるデス……。ここはワシに任せるデス」
「か、カシラ……。ワタシも戦うデス」

 失った左腕の傷口を押さえながら、ニイは答えた。

 ボスになったばかりのカシラと、まだ班長だった頃のニイ。
 どこかの虐待派が見回りをしていたニイを見つけて襲いかかり、偶然近くにいたカシラ
が助けに入ったのである。
 バールの一撃でニイの左腕は根元から千切れ飛んでいた。

「泥棒が来たデエェェェスッ!」
「神主サアアアアン、助けてデェエェェスゥゥゥ!」
「デギャアアァァァ、デエエェェエエェ!」

 社務所の方で幹部たちを含む数匹の実装石が騒いでいる。神社や公園に人間の虐待派が
侵入した場合は、神社の人間を呼ぶ。それが群れの掟だった。下手に策を弄して、公園の
実装石が人間を攻撃すれば、駆除の口実を作ってしまうことになる。

「チクショウが!」

 顔にこびり付いた精液を払い退け、男が地面に落ちていたバールを拾い上げた。その目
には、狂気めいた怒りの炎が灯っている。

「ぶっ殺してやる! この糞蟲がアアアアア!」
「お前は逃げるデス!」

 カシラの言葉に、ニイは無言のまま逃げ出していた。
 怒りに任せて思い切り振り回されるバール。
 それを、ぎりぎり見切って躱していくカシラ。覚醒獣装石並の運動能力を持つカシラだ
からこそ可能なことだった。普通の野良実装では、こんな事はできない。

「死ねえええ! ヒャッハァアアアア!」

 しかし、限界がある。結局のところ、いくら鍛えられた実装石でも、その身体能力は人
間には届かないのだ。無茶苦茶に振り回されるバールは、カシラの身体を何度も抉ってい
た。腕に足に身体に、深い傷を付けていく。

「さすがに……ちょっとマズいデス」
「ちょこまかするな、この糞虫がアアアッ!」

 その瞬間。

 バールがすっぽ抜けた。両手に付いていたカシラの精液で滑ったのだ。それは男もカシ
ラも予期していなかった不意打ちとなり、カシラへと襲いかかる。
 一回転したバールが、カシラの顔面へと叩き付けられていた。

「デズッ!」

 悲鳴を呑み込むカシラ。
 バールの長手部が、その右顔面を縦に斬っていた。右目ごと。

 予想外の一撃に、カシラは顔を押さえ、膝を突く。

「へっ、へへへへ」

 予期せぬ幸運に、男は笑いながら地面に落ちたバールを拾い上げた。
 興奮しているせいだろう、近づいてくる明かりには気づかない。
 長手を右手で握り、具合を確かめるように何度か動かしてから、L字に曲がった外側で
カシラの身体を力任せになぎ払う。

「デギャッ!」

 右腕と肩と肋骨が砕け、カシラは二メートルほど飛んで地面に倒れた。落下の衝撃で左
足も折れ、もうまともに立つこともできない。
 だがそれでも、カシラは折れた足で立ち上がってみせた。

「まだまだデシャアアッ!」
「ったく、手こずらせやがって、このマラ糞蟲が……。俺の顔に臭ェ糞蟲液なんてかけや
がってよォ? 分かってるんだろうな? じわじわと嬲り殺しにしてくれるわ」

 殺意に満ちた笑みで、カシラを見つめる男。

「カシラ、大丈夫デスか! 人を呼んできたデス!」

 大声を上げる幹部のサン。泣きながら、カシラの方へと駆け寄っていく。
 だが、カシラは叫び返す。

「お前は来るなデェェス!」
「糞蟲が、泣ける友情だねぇ。安心しろ、一緒に地獄に送ってやるから」

 男がバールを振り上げる。
 その合間へと割り込むように、声がかけられた。

「君が泥棒かい?」

 懐中電灯の明かりが顔に向けられる。

「ん? 何だ、おっさん」

 バールを下ろしてからサンを蹴り飛ばし、男は懐中電灯の持ち主を睨んだ。
 左手に懐中電灯を持ち、右手に竹刀を持った壮年の男だった。

「私はこの神社の神主です。実装石たちが泥棒が来たと騒いでいたので、様子を見に来た
んですけど……どうやら本当だったみたいですね。これからは、もう少し警備にお金かけ
ないといけないみたいです。はぁ、痛い出費だなぁ」
「はァッ? 何言ってんの?」

 男は芝居がかった仕草で両腕を広げて見せた。

「俺はただ、ここの糞蟲たちを駆除しに来ただけですよ、神主さん。ボランティア。ただ
のボランティアですって。はっはっ」

 白々しく笑ってから、バールの先端をサンの頭へと振り下ろす。
 辛うじて無事な右足で地面を蹴って、カシラがサンを突き飛ばした。同時に、カシラの
背中と左腕を、バールの先端が抉る。削られた肉片と、血が地面に散った。

「デガァッ!」

 口から血を吐き出し、カシラが痙攣する。
 満身創痍、無事な部分が無いという有様だが、それでもカシラは倒れない。折れた足で
無理矢理立ったまま、片目で男を睨み付けている。

「チッ。本当にしぶとい糞蟲だな」

 男はカシラを睨み、露骨に舌打ちをした。

「さて、あなた。私と一緒に警察に来てもらえませんか? 最近神社仏閣狙いの窃盗増え
ていますから。木材解体用のバール持ったまま何を言っても説得力ありませんよ? 不法
侵入と窃盗未遂、あとは危険物所持。来ないなら、無理矢理連れて行きますけど?」

 神主は近くにいた実装石——当時の幹部のニイに懐中電灯を渡してから、両手で持った
竹刀を正眼に構えてみせた。一般的な剣道の構えである。

「うっせぇ、俺はただ糞蟲を殺しに来ただけだ! さっさと帰れ、おっさん」

 男が持っていたバールを神主に向ける。
 次の瞬間。

 ドッ!

 男の胴に竹刀が打ち込まれた。強烈な踏み込みから、腹へと叩き付けられる竹刀。木刀
よりは威力は劣るものの、竹刀の材質は硬い竹である。剣の技術を以て繰り出された一撃
は、男一人を行動不能にするのに十分な威力だった。



 その後やって来た警察に、男は逮捕された。
 男は何度も実装石を殺しに来ただけと反論したが、解体作業用のバールを持って由緒あ
る神社に侵入したという事実は覆せなかった。
 どのみち、神社や公園でバール持って暴れるのも、立派な犯罪である。




  2008/9/9 9:38

 虐待派襲撃からおよそ二週間が経った。
 石に立てかけられた古い鏡の前に座っているカシラ。

「あのバールには、薄めたコロリが塗ってあったみたいデス」

 顔の右側に残った傷跡を撫でている。右目は再生していない。
 虐待派の男に付けられた傷は大体塞がったが、その傷跡は消えずに残っていた。本来実
装石は、生物離れした回復力で火傷以外の外傷は、数日から数週間で完治してしまう。普
通は傷跡が残ることはない。

 しかし、カシラが受けた傷は、回復しても傷跡が消えなかった。

 傷が治っても、傷跡の残った実装石は、仲間から迫害される。それを狙ってあの男は、
バールに薄めたコロリを塗っていたのだ。

「ごめんなさいデス。カシラ……。ワタシのせいで」

 その姿に、ニイは土下座して謝っていた。神主に渡された針と糸で、千切れた腕を縫い
合わせたおかげで、腕はもう完治していた。腕はバールの背で折り斬られたものなので、
希釈コロリの効果は現れていない。

 切れた実装服の袖も縫い合わせてあるので、しばらくすれば元に戻るだろう。

「顔を上げるデス」
「デ……」

 優しげなカシラの言葉に、ニイは顔を上げた。

「ワシは危険を承知でお前を助けに行ったデス。人間を相手にした時には、死ぬ覚悟は決
めていたデス。お前が元気に生き残って、ワシもまあ傷跡は残ったデスが元気になったデ
ス。お互い元気で、よかったじゃあないデスか。デッハハハハハ!」

 元気よく笑うカシラを見ながら、

「ありがとうございますデスッ!」

 ニイは再び土下座していた。




   * * *




  2010/4/27 22:04

「ワタシは、カシラを裏切ってしまったデス……」

 ニイは自責の念に押し潰されそうになっていた。

 並の実装石ならば、偽石が砕けていたかもしれない。しかし、ニイの偽石は利蔵の部屋
で酒入り栄養剤に浸けられていて、砕けることはない。もっとも、ニイ本来の精神的強さ
があれば、体内に偽石があっても、自壊することは無いだろう。

「もう一度カシラに会って、謝りたいデス……」

 泣きながら、ニイは何度目かの寝返りを打っていた。
 そうして、一時間ほどして、ようやく眠りにつくことができた。







 ニイは毎日がむしゃらに働いていた。
 働いている間は、考える余裕がなくなるからだ。自責の念と後悔から働くことへと逃げ
ていたと表現する方が正しい。
 仕事の無い時は、自ら犬小屋の回りを掃除したりしていた。
 掃除するほどのゴミも何も無いのに。
 そして、夜は自責と不安に押し潰されそうになりながらも、何とか眠っていた。

 今のニイにとって生きる目的はただひとつ。
 カシラに直接謝ることだけだった。




   * * *




  2010/9/25 22:04


 いつものように眠れない夜。
 ふと顔を上げたニイの視界に、見慣れた姿があった。
 腹にサラシを巻き、キッチンナイフを差した大柄な隻眼のマラ実装。公園のボスである
カシラである。
 久しぶりに見る姿に、ニイは両目から涙を流していた。

「カシラぁ……。お久しぶりデス」
「面会に来たデス。お前はちゃんと罪を償っているデスか? 群れのみんなも心配してい
るデス。ちゃんと罪を償って戻ってくるデス」
「はいデス」

 ニイは即座に頷いた。

「ワタシは本当に愚か者だったデス。ほんの少しだけなら、そんな誘惑に負けた駄目な実
装石デス。今まで、群れのみんなにもカシラにも、色々世話になっていたデス。だという
のに、それを忘れたワタシは大馬鹿者の糞蟲デス。本当にごめんなさいデス。群れに戻っ
たら、一からやり直すデス」

 本気で涙を流しながら、ニイは何度も土下座を繰り返した。それで罪が晴れるわけでは
ない。だが、そうせずにはいられなかった。

 ふと顔を上げると。

「デェ?」

 ニイは公園にいた。
 両腕を縛られ、木の板の上に座らされている。

 幹部のイチとサン。そして、七匹の班長が色々と話し合っている。その内容は、ニイの
犯した金平糖横領についての刑罰だった。それは、おおむね公園からの追放で話がまとま
ろうとしている所だった。
 無言のままその話し合いを聞いているカシラ。

「またデス……。また、この夢デス……!」

 怯えた声音でニイは叫んだ。だが、声は出ない。ニイは自分が夢の中にいることを自覚
した。さきほどのカシラも夢の産物である。これは何度となく見ている夢だった。これか
ら起る展開に、心が恐怖に震えている。

 今まで黙していたカシラが、おもむろに口を開いた。

「こいつは、虐待派送りにするデス」
「デ!」

 その場にいた全員がカシラへと目を向ける。

 虐待派送り。この群れの実装石に科せられる罰としては最も重いものだった。間引きの
子とともに、実装闇市で虐待派に引き渡される。虐待派に突き出された実装石の未来は推
して知るべし。実質死罪よりも重い罰だった。

 さすがに、ニイも反論する。夢の中で何度も繰り返された会話。

「カシラ、ワタシそこまで酷い事はしていないデス! 金平糖盗んだだけデスッ!」
「お前の罪は金平糖を盗んだ事ではないデス……」

 カシラは隻眼でニイを睨み、断言した。

「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「デェェ……」

 問答無用の一言に、ニイは反論することもできなかった。

 カチッ……。

 時計のような音が響き、皆の動きが止まる。

 そして、少しだけ時間が巻き戻された。

「お前の罪は金平糖を盗んだ事ではないデス……」

 カシラは隻眼でニイを睨み、断言した。

「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「デェェ……」

 カチッ……。

 そして動きが止まり、少しだけ時間が巻き戻される。
 カシラは隻眼でニイを睨み、断言した。 

「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」

 そして、少しだけ時間が巻き戻される。

「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」
「お前の罪は——お前を信じていたみんなを裏切った事デス」

 カシラの言葉が何度となく繰り返された。





  2010/9/26 1:38

「デギャアアアアア!」

 悲鳴を上げて、ニイは跳ね起きた。

 涼しくなった秋の夜の空気。

 全身に脂汗をかきながら、ニイは涙を流していた。もう十回以上だろう。この夢を見る
のは。しかし、この悪夢は何度見ても慣れることができない。できるわけがない。

「カシラ、群れのみんな。ワタシを許して下さいデス……」

 その言葉を聞く者はいない。

 ニイは半ば理解していた。
 自分はカシラに見限られたのだと。
 そして、信じていた部下に裏切られ、それを見限ったカシラの辛さも。

「カシラ、ごめんなさいデスゥ……」

 謝罪の言葉を聞く者もいない。

 ニイが逃げようと思えば、ここからは逃げられるのだ。利蔵は敢えてそうしている。そ
の後の地獄が待っていようとも、神社公園に行きカシラに会うことは苦もない。

 それをしないのは、単純に怖いからだった。
 カシラに謝ることもできず一蹴されるのが。




   * * *




  2011/3/6 8:38

 利蔵は空を見上げた。青い空に、千切れた綿のような雲がいくつか浮かんでいる。冬の
寒い時期が過ぎ、徐々に春に近づいていた。

「さて、一号。今日は用事があるから、お前の仕事は無しだ」

 目の前に立った実装石は、表情を変えない。
 利蔵は時計を取り出し、時間を見る。まだ出発予定時間までには余裕があるものの、あ
まりのんびりもしていられない。
 手短に用件を伝えておく。

「今日でお前がここに来て一年が経つ。残りは四年だ。頑張れよ」




 家へと戻っていった利蔵を見送りながら、

「一年デス……?」

 ニイはその事実に驚愕していた。

 今まで五年は長いと思っていた。事実、実装石にとって五年という時間は自らの実装生
の半分以上を占める。短いわけがない。

「もう一年経ったデス……?」

 ニイはそれが信じられなかった。実装石にとっての一年は、非常に長い時間である。し
かし、ニイの感覚では本当にあっという間に過ぎてしまっていた。春の暖かさも、夏の暑
さも、秋の涼しさも、冬の寒さも。その記憶が曖昧だった。

 地味で変化の少ない環境で、淡々とした日々を繰り返していると、時間の感覚は非常に
希薄になっていく。それは、記憶の欠落とも表現できることだ。

「あと、四年……四年経ったら、ワタシはどうなっているデス?」

 その時、ニイは初めて時間の早さに恐怖した。




 ニイの刑期は残り四年。
 それが長いのか短いのかは、誰も分からない。
 




おまけ

ニイ
神社公園の元幹部実装石。二番目の幹部だからニイという名前。年齢は三歳半。2009年の
春頃に、班長から幹部へと昇格した。カシラに命を助けられた経験があり、他の幹部より
も強くカシラを慕い、尊敬している。
出来心から保存されていた金平糖を盗んでいたが、それが見つかり、幹部の地位を剥奪さ
れ、虐待派送りとなった。
引き取られた利蔵の元で、罪を償うという名目で雑用のようなことをやらされている。五
年経ったら群れに戻れるという約束。
そこで、自責と後悔と、過ぎていく時間に怯える生活を送る。


イチ、サン
ニイの同僚の幹部。
イチは仲間思いの優しさを持ち、サンは必要な時は私情を捨てた冷徹な態度を取る。


カシラ
神社公園の群れのボス。2008年の夏頃に幹部からボスに昇格した。
隻眼のマラ実装。実装版極道の親分という風貌で、仁義に厚く、群れの仲間を大事し、群
れの仲間を助けるには死をも厭わない勇気を見せる。全身の傷はボスになった直後、虐待
派に襲われたニイを助ける時にできたもの。

マッサージが得意であるが、気合いを入れすぎるとマッサージを受けた実装石はへなへな
の骨抜きになる。一日寝ると元に戻る。

ニイを虐待派送りにするという決断を下した。


利蔵
双葉町に住む七十歳の老人。息子夫婦と孫がいる。家は広い。
キャリア五十年の隠れ虐待派。本当の趣味は人間観察だが、そこそこ賢い実装石を庭で外
飼いしつつ、その様子をぼんやり眺めるのも趣味のひとつ。その観察が、一種の虐待に見
えるので、虐待派と呼ばれている。
一応、並の虐待派よりも知識は多い。
また、書道や盆栽、園芸など多趣味。


新しいニイ
元四班の班長で、虐待派送りになったニイの後任幹部。ニイという名前を引き継ぐ。やや
のんびりしているが、頭のいい働き者。


獣装石のカシラ
ニイの夢の中に出てきた未来の群れのボス。隻腕の獣装石。
かつてはニイと呼ばれた幹部だったらしい。
先代であるマラ実装のカシラを尊敬していて、その形見のナイフをサラシに差している。
落ち着いた性格であるが、群れを守る掟には厳しい。群れの秩序を乱そうとする相手には、
冷酷な殺意を見せる。

年老いたニイに、幹部になるまで『ニイ』と名乗ることを禁止した。


ビリジア
ニイが生まれる前にいた幹部。余所者から幹部にまでなった唯一の実装石。元一級飼い実
装石だったが、飼い主の死によって野良になり、神社公園の群れに加わる。
五年の月日を経て、幹部まで昇進した。もし群れの一員として生まれていたならば、一年
半で幹部になり、二年ほどでボスになっていたと言われる。


母実装石
ニイの母親。群れで生まれ間引きを通った実装石だが、自分の娘のうちそれなりに賢い仔実
装二匹を間引くことが出来ず、二匹の仔実装を連れニイを残して群れを抜ける。


先代のカシラ
大柄な実装石。優しく思慮深いが、必要ならば残酷な判断を下す強さも持っている。ニイ
の母実装石に、それなりに賢い仔二匹を間引くように言った。感情の起伏が少なく、実利
主義な傾向がある。
2008年夏前に、老衰を理由に引退、群れを抜けた。


虐待派
バールを持って神社にヒャッハーしにきた虐待派の若者。当時班長だったニイを見つけ、
バールの一撃で左腕を千切り飛ばす。そして、助けに入ったカシラをずたずたにするが、
駆けつけた神主に捕まり、泥棒として警察に突き出された。
バールの両端に、薄めたコロリが塗ってあり、カシラの傷跡の原因となった。




あとがき
今回は今までの話に何度か出てきた、虐待派に渡された元幹部の話を書いてみました。虐
待行為ははほとんどしていませんけど。神社公園の群れの話とも言えます。刑務所に入っ
たらこんな感じになるのかな、と想像して書いてみました。
今回は個人的に試してみたかった表現方法を使っています。

偽石を塩水に浸けておくと、回復力が消えたまま不死化するというのは、大昔のスクを参
考にしました。

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1 Re: Name:匿名石 2015/01/16-00:33:54 No:00001616[申告]
気分爽快ヒャッハーな虐待でもなければ後味悪い虐待でもない、なんとなく身につまされるようなじわじわくる虐待だね。
実時間でもニイの刑期はもうすぐ満了だけど、どんな結末迎えたんだろうか…
そして何時見てもカシラの群れのスペックすげぇよな。下手な人間より有能過ぎる
2 Re: Name:匿名石 2019/03/29-19:54:20 No:00005828[申告]
かなり賢く粘り強い個体のはずなのに金平糖横領とは
実装石の本能ってのは業だね
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