タイトル:【観察】姉と弟(中編)
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作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1535 レス数:0
初投稿日時:2019/09/02-01:14:44修正日時:2019/09/02-01:14:44
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『姉と弟(中編)』
 
 
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 一匹の値段がカブトムシに負けなかった頃は、実装石を買った客には大抵の店がサービス品のキャリーケージに入れて連れ帰らせたものである。
 いまは仔実装一匹なら持ち帰りのハンバーガーのように四角い紙袋に入れて、ビニールのレジ袋と二重にして客に渡すだけだ。
 垂れ流しが当たり前の蛆実装は、紙袋に糞が染みないよう内側にもビニール袋を入れて三重にする。ビニール一枚分余計にコストがかかるが、蛆は肉食ペットの生き餌としてよく売れるから店の側もモトがとれている。
 トシオとアキコが飼うことになった仔実装も紙袋に入れられ、外が見えない状態で連れて来られたので、ゴシュジンサマのおウチがどのようなものか、コドモニンゲンさんのお部屋以外は目にしていなかった。
 そこは二階建ての一軒家だった。両隣にも同じような家が並んだ建て売りだが、それぞれ車庫と小さな庭を備えて見栄えは悪くない。
 マイカーは3・5リッターのミニバンで、仔実装を買ったショッピングセンターへも車で出かけた。
 一家の父親にとって、家と車はステータスだった。
 それを維持するため日常の出費は抑え、家族に負担を強いているが、父親自身も都心の勤め先まで毎日往復四時間かけて通勤しており犠牲は払っている。
 都心からそこまで離れなければ庭付きの一戸建てなど手に入らないからだが、周囲に緑が多い郊外での暮らしは子供たちのためにもなっていると父親は自負していた。
 とはいえ親の心、子知らず。子の心もまた親知らず。
 子供たちは父親のケチさ加減に不満が募るばかりだった。
 
 
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「…テェェェ…テチュン…」
 
 泣き疲れた仔実装が水槽の中で座り込んでいると、バン! と荒っぽく部屋のドアが開いた。
 
「…テェ…?」
 
 顔を上げると、コドモニンゲンさんだった。
 ふくれ面をしながら早足で仔実装に近づき、水槽を抱え上げて、すたすたと部屋を出る。
 短い廊下を進み、階段を下りて一階へと運ばれて行く。
 仔実装は知る由もないが、二階には子供部屋のほかに客間が一つとトイレがあった。
 客間と呼んでいるが本来はアキコに与えられるはずの部屋だった。四年生になったらトシオと部屋を別にしてもらう約束が守られないまま一年以上過ぎていた。
 
 どこに行くテチ? お引っ越しテチ?
 
 コドモニンゲンさんに運ばれて大きく揺れる水槽の中では立ち上がることはできない。
 仔実装は座り込んだまま、きょろきょろと周囲を見回す。
 どこへ連れて行かれるにしろ、まだコドモニンゲンさんとも、このおウチの誰とも一緒に遊んでいない。
 まだ仲良しになれていない。
 
「…テチィ、テチィ、テチィィィ…」
 
 仔実装はコドモニンゲンさんの顔を見上げ、懸命に訴えた。
 
 ワタチはこのおウチの飼い実装テチ…… ニンゲンさんたちと仲良くなりたいテチ……
 一緒に遊んで下さいテチ…… 一緒に遊べばニンゲンさんたちもきっと愉しいテチ……
 ワタチももっと可愛がってもらえるはずテチ……
 
 その願いはトシオに届かなかった。
 この家に実装リンガルはなかったし、トシオは携帯電話を持っていなかった。
 アキコが与えられているのは通話とGPS機能だけの廉価なキッズケータイで、両親のスマートフォンにリンガルアプリはインストールされていない。
 子供たちが頼めば母親ならアプリをインストールしてスマホを貸してくれたかもしれないが、そもそも仔実装の言うことに耳を貸すつもりがトシオになかった。
 どうせ野良実装と同じように浅はかで我がままな要求をしているに違いないと決めつけていた。
 もっと美味しいゴハンを寄越せとか、広い水槽に住まわせろとか、オモチャもたくさん買い与えろとか、そんなところ。
 トシオから見れば野良実装もペットショップの販売用の仔実装も同属で、どちらも頭の悪いクソムシだ。
 実際、仔実装の要求は「一緒に遊んで」「もっと可愛がって」という自分本位なものだったから、トシオの想像も当たらずとも遠からずであるのだが。
 リビングに入った。
 そこは仔実装が夢見た「ニンゲンさんのおウチ」のイメージにぴったりだった。
 ペットショップのショーケースの中に置かれた「書き割り」に似ていたし、偽石に刻まれた遠い先祖の飼い実装の記憶にも重なった。
 ソファセットと、大きなテレビと、ティーセットやウイスキーグラスが並ぶガラス戸棚があった。花や観葉植物の鉢植えもあった。
 これこそ飼い実装が迎えられるのに、ふさわしいおウチだった。
 仔実装は、ついさっきまで泣いていたことも忘れて、はしゃぎだした。
 
「…テチテチテッチィ♪ テチテチテッチィ♪ テチュゥゥゥン…♪」
 
 トシオは眉をしかめて舌打ちした。仔実装が「ババア蟲」に媚び始めたように思ったのだ。
 仔実装自身はリビングの立派な調度に目を奪われて、ソファに腰掛ける「ババア蟲」──トシオとアキコの祖母など気に留めていないのだが。
 さらに言えば、実装石を飼おうと発案した大恩人であるトシオの父親が、祖母の向かいに座っていることも仔実装の目に入っていない。
 自分の注意が惹かれたモノ以外は、視界に入っても認識しないのが実装石の習性だった。
 道端に転がるコンペイトウの向こうにバールのような何かを手にしたニンゲンが立っていても、迷わずアマアマのコンペイトウに向かって野良実装が突進するのがその好例である。
 
「……それがトシオとアキコが買ってもらったジッソーセキかい?」
 
 口を開いた祖母に、初めて気づいたように仔実装は振り向いた。
 
「…テ…?」
「そうだよ。昼間、父さんが買った」
 
 トシオは祖母の前のソファテーブルに仔実装の水槽を置いた。父親が勝手に買ったのだと本音では言いたかった。
 仔実装は新しく登場したニンゲンさんの顔を見上げた。
 痩せぎすで眉が吊り上がり、険のある顔つきの女性だった。皺も目立ち、オバアサンと呼ばれる年齢のようだ。
 
 コワイお顔のニンゲンさんテチ……
 
 仔実装は思わず黙り込む。
 しかし女性は冷ややかな笑みを口元に浮かべながら、言った。
 
「お利口そうな仔だねえ。なんて名前だい?」
 
 つい先ほどまでテチテチと騒いでいた仔実装を「利口そう」と褒めたのには含みが込められていたが、人情の機微など通じないのが実装石だ。
 
「…テチィッ♪ テチィッ♪ テチュゥゥゥン…♪」
 
 はじめましテチ♪ ワタチはこのおウチの飼い実装テチ♪
 お利口と褒めてくれてありがとうテチ♪ ワタチはイイ仔テチ♪
 お名前はゴシュジンサマにつけてもらうテチ♪ 可愛いお名前をお願いしたいテチ♪
 
 許されるなら「おあいそ」もしそうな勢いで、仔実装はトシオの祖母に向けて愛嬌を振りまいた。
 トシオが言った。
 
「……ジソ」
「…テ…?」
「名前はジソ。ジッソーセキだから」
「それはわかりやすくて、いい名前だねえ」
「…テ? …テ?」
 
 仔実装は困惑する。
「ジソ」なんて語感も可愛くない投げやりな名前をつけられたのに、オバアサンは褒めてくれている。
 祖母は言った。
 
「可愛いペットを買ってもらったんだ。お父さんへの御礼に夏休みの間、家のお手伝いをしないとだねえ」
「…テッチュゥゥゥン♪ テッチュゥゥゥン…♪」
 
 可愛いという最上級の褒め言葉に仔実装は狂喜した。このオバアサンは自分の良き理解者であり一番の味方だと確信した。
 微妙すぎる名前を褒められて困惑したことは、もう忘れていた。目先のことにしか頭が働かないのが実装石なのだ。
 
「……えーっ」
 
 一方、アキコは不満の声を上げた。
 可愛くもないし飼いたくもない実装石のせいで余計な仕事をさせられるなんて。
 
「あたしはもう皿洗いを手伝ってるもん。ねえ、ママ?」
「そうね、とても助かってるわ」
 
 リビングと続き部屋のダイニングキッチンで夕食の仕度をする母親が笑って答える。
 だが祖母は首を振り、
 
「もう手伝ってるってことは、ジッソーセキを買ってもらった御礼じゃあないんだろう。だいたい女の子は一つや二つ家のお手伝いをして当たり前だ。ペットのおねだりをした分のお返しに何をするかって話だよ」
「欲しいって言ったのはトシオだもん」
「オレだけじゃないだろ、姉ちゃんだって」
 
 アキコとトシオは睨み合うが、祖母が冷ややかに笑って、パンッと手を打った。
 
「だったらアキコは毎日お風呂掃除、トシオはトイレ掃除だね。うん、決まりだ。ジッソーセキを買ってもらった御礼にお風呂とトイレを掃除しますって、いまここで宣言するんだよ」
「…………」「…………」
 
 アキコとトシオは互いを怨めしげに見るが、望みもしなかった仔実装の代償を払わずに済む妙案はない。
 二人に仔実装を押しつけた張本人の父親は、にこにこしながら見守るだけだ。
 姉と弟は仕方なく、祖母の前でお手伝いを宣言した。
 
「……ジッソーセキの御礼に、夏休みの間、お風呂を掃除します」
「……トイレを掃除します」
「うん、ばあちゃんとの約束だ。ちゃんとやるんだよ」
「…テッチュゥゥゥ♪」
 
 祖母は満足げに頷いた。
 仔実装もまた空気を読まず、はしゃいでみせた。
 
 
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 ニンゲンたちの夕食の間、仔実装の水槽はリビングのソファテーブルの上に置かれていた。
 
「…テェェェ…」
 
 仔実装は涙ぐみながら、しかしその口からは、よだれを垂らす。
 隣のダイニングにいるニンゲンたちの食事風景を眺め、仲間外れにされた不幸を嘆いているのだ。
 
 ワタチは飼い実装テチ…… 家族の一員としてお迎えされテチ……
 なのに一緒にゴハン食べられないテチ?
 ワタチもゴチソウ食べたいテチ……テチュン……
 
 だが実際に食卓に並ぶのは「ご馳走」というほどではない庶民的なメニューだった。
 炒り豆腐、小松菜と油揚げの煮物、茄子の味噌汁、カブとキュウリの浅漬け、白いごはん。
 それと、祖母の土産であるシューマイ。十五個入りのうち六つが父親の前の小皿に並べられ、祖母とトシオ、アキコには三つずつがやはり小皿で置かれている。
 とり分けたのは母親だが自分の分はとらなかった。祖母の土産にはいつも手を出さないのだ。
 
「やっぱり昔から名物のシューマイはウマいなあ。いつ食べてもウマい」
 
 シューマイを頬張り嬉しそうな父親に、祖母も満足そうに、
 
「オマエの好物だからねえ。土産はこれと決めてるんだ」
「美味しいなあ、トシオ? ばあちゃんの土産のシューマイ」
「うん……」
 
 父親に問われたトシオは気のない返事で、黙々とごはんをかき込む。
 アキコもまた黙って箸を動かす。
 祖母が味噌汁を一口すすって、言った。
 
「モモコさんは相変わらず味が濃いねえ。孫たちの舌がバカにならないか心配だよ。アキトシだってそろそろ塩分や油が気になる年頃だ、家族の健康は一家の主婦の責任だろう」
「すいませーん、相変わらずの田舎料理で。うちの祖父母はこの味で九十過ぎまで元気でしたけど、もっと薄味なら百まで生きられましたかねー」
 
 にこにこしながら母親が答える。
 祖母は、ふんっと鼻で笑い、
 
「そりゃ田んぼや畑仕事のヒトたちは鍛え方が違ったろうさ。だけどアキトシはオフィスワーカーだし孫たちだって現代っ子だ。生活に合わせて料理も考えなきゃダメだろう」
「ええ、今度から気をつけますー」
 
 母親は、にこにこして言う。
 トシオはシューマイを二つまとめて口に放り込んだ。早く食べ終えて自分の部屋に戻りたかった。祖母と一緒の食卓は、いつも居心地が悪い。
 祖母が言った。
 
「夏休みの宿題は進んでるのかい、トシオ?」
「え? あ、うん。さっきも、ばあちゃん来るまでドリルやってた」
「そうかい。それは偉いねえ。向こうのおじいさんたちの家には今年もまたお盆に一週間も泊まりに行くんだろ? 宿題が進まなくなるから、いまのうち頑張らないとねえ」
「うん……」
 
 トシオは曖昧にうなずく。
 祖母はまた、ふんっと意地悪く笑って、
 
「田舎暮らしも、たまにだったら魅力だろうね子供たちには。アタシのところみたいなマンションじゃ里帰り気分もないだろうし」
「いや、今年は母さんのところにも行こうかって言ってたんだけど……四人で泊まれる部屋はないから日帰りだけど……」
 
 父親が言いわけがましく言ったが、祖母は首を振り、
 
「気を遣わなくてもいいさ。ウチに来たって、どこも連れて行ってやれるわけじゃない。田舎の山や川みたいにタダで遊べやしないんだから」
「いやでも、赤レンガ倉庫とか大さん橋とか、外国人墓地とか、見るだけでも楽しめる場所は……なあ?」
 
 父親は母親に目配せしつつ同意を求めるが、母親は気づかぬフリで、にこにこしながら、
 
「ええ、お金をかけずに楽しむなら田舎が一番ですよ。どちらに行くにしろ、この家からだと交通費がかかるのは同じですし」
「ふん……そうかい」
 
 祖母は冷ややかに笑い、浅漬けを口に運んだ。
 
「こいつは漬かり方が足りてない。濃いか薄いかどっちかなんだねえ」
「ええ、すいませんねー」
 
 母親は悪びれた様子も見せず、にっこりとした。
 
 
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「──はぁぁぁぁ……もう、やだ。一緒の空間にいるだけで疲れる」
 
 アキコはトシオのベッドに、どすんと腰を下ろした。
 トシオも自分の机の椅子に腰掛け、がくっとうなだれて、
 
「ばあちゃんってウチに来るたび、オレたちにはお説教、母さんには料理の文句ばかりじゃん」
「そしてパパにはお土産のシューマイね。毎回パパが半分食べて、あたしたちには三個ずつで、ママは無し」
「母さんって、いつもはシューマイ食べるよね、よくスーパーで買う冷凍食品とか? あのお店のは嫌いなのかな?」
「お店がじゃなくて、おばあちゃんがね」
「ああ……」
 
 トシオは納得する。母親と祖母の間に漂う緊張感は、トシオにだって見ていればわかる。
 
「ばあちゃんの家って昔、行ったよね。遊びに連れて行くと言われたけど、お金かかるからって歩き回っただけで、ようやく中華街で肉まん一個買ってもらって姉ちゃんと半分に分けて」
「そうそう。パパに輪をかけたケチなんだもの。というか、おばあちゃんの息子だからパパもケチなんだろうけど」
 
 姉と弟は笑い合う。
 
「ケチといえば母さんも、ばあちゃんが来るときは絶対ご馳走にしようとしないよね。カレーとかコロッケは、まず出て来ない」
「そりゃ何を出してもケチつけられるんだもん。ママの炒り豆腐は、あたし好きだけど」
「オレも好き。せっかくの生姜焼きとか、ばあちゃんの文句を聞きながら食べたくないし」
「それもイヤだし、せっかくのお肉の分け前が減るのも……」
 
 言いかけたアキコが、「……しっ!」と人差し指を立てて口に当てた。
 声を潜めて、
 
「誰か階段、上って来た。おばあちゃんかも」
「えっ? 父さんとお酒を飲み始めたんじゃなかったの?」
「そのはずだけど、まだあたしたちにお説教し足りないのかも」
「えーっ……」
 
 足音が階段から廊下を経て、子供部屋の前まで近づいて来て、止まった。
 
「開けて、トシオ。手が塞がってるから」
 
 母親の声だった。
 トシオが部屋のドアを開けると、母親が仔実装の水槽を抱えていた。
 小さい水槽だが手提げの取っ手がないから持ち運ぶには両手で抱えることになるのだ。
 
「おばあちゃんが、ク……ジソを部屋に連れて行くのを忘れてるよって」
「……クソ蟲」
 
 トシオは眉をしかめ、仔実装を見下ろす。
 仔実装は泣き濡れた顔でコドモニンゲンさんを見返して、哀れっぽい声を上げた。
 
「…テェェェ…」
 
 ワタチだけゴチソウにお呼ばれしなかっテチ…… おなかペコペコテチ…… 
 水槽の中にあるのは飼い実装が食べたらダメなゴハンテチ……
 ちゃんとしたゴハンをくださいテチ……
 飼い実装をもっと可愛がっテチ……
 
 アキコが笑って、
 
「ママ、いまこいつのこと糞蟲って言おうとしたでしょ?」
「おばあちゃんも言い間違えてたから、釣られちゃったのよ」
 
 母親は、ぺろりと舌を出す。
 
「あのヒト、本当は完全に実装石嫌いね。トシオとアキコが見てないと思ったら露骨に態度が変わったもの。目を背けたまま追い払うように手を振って、水槽をトシオたちの部屋に持って行けって」
「わかりやすぅー。結局あたしたちへのお説教の口実にしたかっただけじゃん」
 
 アキコは口をとがらせる。
 
「ねえママ、どうしておばあちゃんって毎月毎月、ウチに泊まりに来るの? そのくせママの料理に文句ばかり言ってさ」
「寂しいんでしょう。子供がみんな家を出て行っちゃって」
 
 母親は笑って答えるが、アキコは不満げに、
 
「そのせいで、あたしが自分の部屋をもらう約束も守ってもらえないしさ。客間とか言って、おばあちゃん専用部屋になってるし」
「それはパパもアキコには悪いと思ってるみたいだけど」
「でも具体的にどうする気もないんでしょ? パパって、おばあちゃんには何も言えないし。ママはママで、おばあちゃんに何か言われるたび言い返してるけど、見てるこっちは毎回ハラハラしてるんだよ。ねえ?」
 
 同意を求められ、トシオは水槽を受けとりながら頷く。
 
「うん……」
「…テェェェ、テェェェ…」
 
 ゴハンくださいテチ…… このままじゃダメなゴハンを食べるしかないテチ……
 オトモダチのニオイがするゴハンはイヤテチ…… ウンチのニオイもするテチ……
 食べたらクソムシになるテチ…… クソムシはイヤイヤテチィ……
 
 仔実装は必死に訴えるが、トシオは「相変わらずうるせえ糞蟲……」とつぶやき返し、水槽をゴミ箱の隣に戻した。
 そこがこの家での仔実装の定位置になったのだった。
 
「…テェェェ…」
 
 また要らないモノを捨てる場所の隣テチ……
 飼い実装は要らない仔じゃないテチ…… ダイジダイジにしないとダメなんテチィ……
 
 母親は苦笑いで肩をすくめた。
 
「うーん、アキコとトシオにも気を遣わせちゃってたか。聞き流すのも腹が立つし、毎回言い返せばそのうちあきらめるかと思ったんだけど」
「言われた分を言い返してるだけだから向こうは痛くもないんだよ。倍返しくらいしないとさ」
 
 アキコが言って、母親は笑った。
 
「まあ、今度ちゃんとパパと話すわよ。毎度喧嘩してるところを見せるのもアキコとトシオのためにならないからって」
「そうしてよ、ホントに」
「うん。悪かったわね」
 
 母親は一階へ戻って行った。
 アキコはドアを閉めて、トシオに言った。
 
「で、どうする? そのうるさい糞蟲」
「ベランダに出しておけばカラスが連れてってくれないかな? よく公園の野良がカラスにくわえられて飛んでっちゃうじゃん?」
「ダメよ、飼ったばかりでそんなことになったら、ペットの世話ができないとパパに思われちゃう」
「糞蟲をペットにする気なんてないし」
「あたしだってそうだけど、とにかくいまは、まだダメ」
「じゃあ姉ちゃんどうにかしてくれよ、テェテェ鳴いてうるさいし」
「うーん、ベランダに掃除用のバケツ、あったよね?」
 
 アキコはベランダに出て、すぐにバケツを手にして戻った。そしてバケツをひっくり返して仔実装の水槽にかぶせた。
 
「…テェッ?! テェェェン、テェェェン…!」
 
 仔実装は泣き出して、ペシペシと水槽を叩いた。
 
 真っ暗テチィ! 何も見えないテチィ!
 お水もトイレのお砂もこぼれたままテチィ! お掃除もできないテチィ!
 だからお掃除しテチィ! 面倒見テチィ!
 こんなの飼育放棄テチィ! ギャクタイハンタイテチィ!
 まだ遊んでもらってないテチィ! ゴハンは替えてくださいテチィ……!
 
「…テヂャァァァッ、テヂャァァァッ…!」
 
 ニンゲンたちが聞く耳を持たないとわかると仔実装は癇癪を起こして、ぴょんぴょこ飛び跳ねたが、その泣き声も暴れる物音もバケツの外には、ほとんど漏れ出さない。
 
「最初からこうしておけばよかった。キモ蟲を見ないで済むし」
 
 アキコが言って、トシオが呆れたように、
 
「姉ちゃんジッソーセキ、そこまで嫌いなの?」
「こんなの好きなヒトなんているの? 昔はキモカワイイとか言われてブームになったみたいだけど、普通に見てキモいだけだし。あんたは平気?」
「べつに。公園で見慣れてるから。可愛いとは全然思わないけど。むしろ見てるとムカつくけど」
「そういえばあんた、小さい頃よく野良親指を捕まえてハゲにして遊んでたよね」
「えーっ? してないよ」
「してたわよ。チリぃからハダカにするのは面倒だからって、いつも毛を毟ってハゲにするだけ」
「覚えてないよ。野良蟲なんて触ったら手が汚れるし」
「そのままおやつ食べようとして、ちゃんと手を洗いなさいってよくママに怒られてた」
「えーっ、ガキんちょの頃のオレ、最低」
「…テヂャァァァッ! テェェェン! テェェェン…!」
 
 わめいてもダメと見た仔実装は、また哀れっぽく泣き出したが、ニンゲンたちの耳には届かない。
 カラダの大きなニンゲンたちの声はバケツの中まで聞こえてくるというのに。
 
 このニンゲンたちはギャクタイ派だっテチ? 親指チャをハゲにしたと自慢しテチ……
 ワタチもギャクタイのために連れて来られテチ? だから可愛がってもらえないテチ?
 ワタチは飼い実装テチ…… 可愛がられるための実装石テチ……
 もうイヤイヤテチ…… ワタチを売っていたお店に帰らせテチ……
 売り実装に戻らせテチ……
 
 だが仔実装の想いがニンゲンたちに通じることはないのであった。
 
 
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【後編に続く】
 
 

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