タイトル:【ホラー】 シザー・ナイト
ファイル:【ホラー】シザーナイト.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1841 レス数:0
初投稿日時:2008/07/13-05:09:59修正日時:2008/07/13-05:09:59
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その夜、ジェニファーは必死に夜の道を走って逃げていた。

後ろを振り向くことも無く走る。走る。走り続ける。

振り向くまでもない。奴は、後ろにいて此方を追い掛けてくるのだから。





事の始まりは、数日前だった。



数日前。
自分の恋人と共に、彼女は電車で二葉市を訪れた。
最近折り合いが悪く衝突が絶えない彼氏との旅行。
近頃の待遇に不満を募らせて喧嘩が多かったジェニファーにとって、今回の旅行は格別の意味を持っていた。

これで仲直り出来るといいな。
最近の彼氏と来たら、自分を蔑ろにしてばかりだもの。
自分というものがありながら変な女を2人の家に連れて来たりして、大喧嘩した事もあった。
あんなに相思相愛だったのに、暴力を振るわれた事もあった。
でも、もうそれも終わり。
彼はあの女では無く自分を選んだのだ。
だからこそ、自分と2人きりで旅行に来たのだ。

市内を2人で数時間見廻った後で彼が言った。

「ちょっと忘れ物があったから、ホテルまで取りに行く。お前は暫く1人で観光していてくれ」

ジェニファーが寂しいから離れないでくれと言うと、彼は優しくこういった。

「直ぐに戻るから」

ジェニファーは彼の言葉に従い、数日の間1人で二葉市を観光した。
それなりに楽しかったが、やはり彼が居ないと寂しいと思った。


そして観光を始めて数日経ったその夜、『それ』はやって来たのだ。






戻ってくるのが遅い彼氏の愚痴を呟きながら、住宅地の夜道を歩くジェニファー。

ふと、視線を感じたような気がして、ジェニファーは後ろを振り向いた。

……誰も居ない。
先程横断した交差点の中央で、信号機が黄色い点滅を繰り替えているだけ。

気のせいか。
ここ暫く、普通のご飯を食べそびれている所為かもしれない。
この街の食事は拙いものばかりだ。
ああ、早く『彼』が戻ってきてくれないかしら。







シャキン




再度愚痴り始めたジェニファーの耳に、鋭い音が聞こえた。

何だ、この音は?

辺りを見渡すジェニファーの耳に、再びその音が聞こえた。

シャキン!

不意に、後ろで点滅していた信号の色が変わる。
ジェニファーを背後から照らしていた黄色の信号の点滅が止まり、違う色が照らされた。


青。青信号に。

ようやく異常を察知したジェニファーが振り向く。
青色に染まった交差点に、自分の身体を向けた。


『それ』が居た。


丁度交差点の真ん中。
通る車の無い交差点の真ん中に立つ1つの影。

夜間の間は、決して灯るはずの無い青信号に照らされた『それ』は確かに立っていた。




身長は80cm位だろうか。

黒い筒のようなモノで頭部をすっぽり覆っている。

真夏が間近だと言うのに蒼黒い外套を着込んでいる。

小柄な身体からは、異常な程の殺気が放たれていた。

そして何より目を引き付けるもの。それは。

両手に握られた、刃渡りが100cmを超える歪な形の黒光りする大鋏。


「———」


真っ黒い筒のようなものを被った小柄な『それ』は、大振りな鋏の刃先を高々と抱え上げた。


シャキン、シャキン、ジャキン!!


威嚇するように鳴らされる鋏の蝶番の音色。
青い信号灯に2本の刃が反射しギラリと光った。


ジェニファーは悲鳴を上げる。
悲鳴を上げ、必死に逃げる。
あれを前にして、説得や抵抗などという選択肢に何の意味があるだろうか。
必死に悲鳴を上げながら走る。走るのは速くない方だが、それでも全速力で走る。

腰が抜けなかったのは幸いだろう。
腰が抜けて走れなかったら、遭遇地点で彼女は終わっていただろうから。


誰か、誰か、助けて! あいつが、あいつが襲ってくる!!

シャキン、シャキン、シャキン!!

最悪な事に、真夏の夜な為か人影が無い。
助けを求めようにも、助けを求める相手が居ないのでは意味がない。

シャキン、シャキン、シャキン!!

強い湿気を含んだ夏の夜風は、彼女の身体に纏い付くように流れる。
まるで、湿気が逃走を邪魔しているようにすら感じられた。

シャキン、シャキン、シャキン!!

叫びながら走る。
誰か助けてくれと、叫びながら走った。

シャキン、シャキン、シャキン!!

だが、誰も助けようとしてくれない。


近くを自転車に乗った若者が通り過ぎたので声をかけた。
一瞥しただけで直ぐに遠離ってしまった。

シャキン、シャキン、シャキン!!

車が通りかかったので声をかけた。
全く無視されて通り過ぎていってしまった。

シャキン、シャキン、シャキン!!

コンビニの窓を叩いて助けを求めた。
店員は迷惑げに此方を見た後、作業に戻った。
雑誌を立ち読みしていた青年は酷薄な目線でジェニファーを一瞥した後、手にした週刊誌の熟読を再開した。

シャキン、シャキン、シャキン!!


異常だ。
異常過ぎる。
なんで、誰も相手にしないのだろうか。
自分は、あんな凶悪な獲物を持った存在に追われているのに。
何で誰も助けてくれない? 中には何に追われているのか、はっきり目にした人も居たのに。
助けてくれるどころか、鼻で嗤っていた人すら居た。


……この街は、異常だ。
ジェニファーの思考を、絶望が染め上げていく。

この街は、危険すぎる。
早く、『彼氏』と合流して逃げ出さないと危ない!

いや、違う。
ジェニファーの思考はそこに至って飛躍した。

何で彼は助けに来てくれないのだ。
自分の最愛の存在がこんな危険な目に遭っていると言うのに。

何で助けに来てくれない。
あなたは私の恋人なのに。
恋人というのは、恋する人の為に全てを尽くすのが当然なのに!!
何で助けに来ない!? 今すぐ来て私を助けろ!!
後ろから来るあいつを倒して追い払え!!
早くしないとお前の大事なこの私が……あれ?

気が付くと、息が切れて走れなくなっていた。
思考は走るように身体を急かすが、身体の方はもう限界に達していた。

つまり、相手を引き離すどころか、とっくに追い着かれてもおかしくはない速度。

なのに、『それ』が追い着いた気配はない。
それどころか、逃げている間ずっと響いていた鋏の蝶番を打ち鳴らす音が途絶えている。

辺りを見回して見る。
近くに公園と黄色い点滅を繰り返している信号機付きの交差点、その脇に灯りが漏れている小さな交番があった。


ジェニファーは、乱れる息を整えながら周りを見る。

公園の梢が夜風で鳴り響く音と、遠くで鳴り響く車と都市の鼓動しか聞こえない。
寝静まった住宅地の只中にあるこの地は、静寂そのものであった。

追い掛けて、来ない?

ジェニファーは逃げれば良いのにその場に留まり、暫くの間様子を伺った。
何も起きない。何も聞こえない。梢が時折鳴るのと、路面が闇色と黄色と交互に染まるのを繰り返しているだけ。

ジェニファーの肩が揺れる。
安心したのか。それとも緊張の糸が切れて泣き出したのだろうか。



いや、違った。

ジェニファーは、その場で高々と笑い出したのだ。
有り得ない仕草だ。さっきまで、死にそうな表情で凶器を持った輩に追われていたのに。

何故にそんな勝ち誇ったような、自分が相手を撃退したような哄笑を上げるのだろうか。
それはジェニファー以外の誰にも解らない。理解できない。

哄笑は直ぐに収まった。
ジェニファーが満足したからではない。単に息切れしたからだ。
急な運動で疲れ切った躰は、無理に高笑いしたのと空腹の為疲弊の極みにある。

ジェニファーはブツブツとその場で毒づいた後、交番に向かって歩き出した。
取り敢えずあそこに行こう。お腹も空いたので何か食べ物を貰おう。『彼氏』に連絡をして貰おう。
ジェニファーは『彼氏』とはぐれた際に何度か交番のお世話になっている。
あそこなら自分を保護してくれるに違いない。そう信じて。


と、信号機の点滅が不意に途絶えた。

そして、直ぐにまた信号機が点いた。




点いた信号機の色は、


ジャキン!


———蒼い色だった。




ボォ、ボォッボッボッボォォ……。


『それ』は笑っているのだろうか。
顔が黒い筒で覆われているので解らなかった。
青い点滅を繰り返す交差点の中心に現れた『それ』は先程の交差点でそうしたように、鋏を振り上げた。

シャキン、シャキン、シャキン!!

ジェニファーは恐怖のあまり、下を思いっきり緩ませてしまった。
たちまち糞尿の臭いが辺りに立ち籠めるが、それを誰が責められるだろうか。

シャキン、シャキン、シャキン!!

責める者などいない。
そして、唯一彼女の目の前に居る存在にとってはどうでも良い事のようだ。

シャキン、シャキン、シャキン!!

『それ』が青い光で照らされた鋏を振り上げ、そして振り下ろす。
寸前にジェニファーの口から出た命乞いは無視された。

断絶音。ジェニファーの右手が宙を舞った。
激痛よりも先に、疑問符の付いた間抜けな声が口から漏れる。

切断音。ジェニファーの両膝から下が横薙に切り下ろされた。
ようやく現状を認識したジェニファーがあらん限りの絶叫を上げた。

刺突音。両足を切り落とされて仰向けに倒れたジェニファーの腹に、黒光りする二枚刃が深々と突き刺さる。
悲鳴に水音が混じり始める。そのままこじ開けられた腹から臓物が圧力で吹き出て来た。

遮断音。ジェニファーの躰が上下に泣き別れになった。
吹き出る血が路面を染め上げ、臓物と糞が湯気を立てて夏の夜風を更に生温くした。
最早、ジェニファーは口から逆流した血と臓物を吐き出しながら痙攣するしかない。


ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!
ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!
ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!
ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!
ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!ザクリ!

ジェニファーの形が消えていく。
ざく切りにされ、顔の、肩の、腕の、胴の、腰の、股の、脚の形が刻まれていく。
やがて、ジェニファーと称された存在の形は完全に刻み込まれてしまった。

残るのは、路面に広がる血の池と刻まれた肉と臓物。
それを照らす信号機は、透き通るように青かった。

——————ボ。

『それ』の肩が揺れた。
瞬く間に揺れは肩から全身へと伝染し、狂気が音声となって発露する。
ジェニファーの返り血を全身に浴びた状態で、歓喜の震えを戦慄かせながら。

ボォ、ボォッボッボッボォ———!!

『それ』は愉悦を含んだ高笑いを夜空に向かって放つ。
奇しくも、先程ジェニファーが高笑いをした場所で。
『それ』の高笑いは、何時までも、何時までも続くかと思われ———、


「さっきから五月蝿いぞ。夜中なんだから静かにしろ!」

交番から顔を出した巡査の一喝で、『それ』の高笑いはピタリと止んだ。





苦々しげに交差点を睨み付ける年若い交番勤務の巡査。
彼の目の前に広がるのは、バラバラに刻まれた実装石の死体。
派手な色遣いの実装服と散らばっている装飾品からして、恐らくは飼い実装崩れだろう。
この街に住む極少数の愛護派は、夜間に飼い実装を外出させる事は絶対にしない。
何せ、この街では実装条例により原則飼い実装の放し飼いは堅く禁止されている。
idタグが有ろうとも発見された時点で多額の罰金を取られるだけでなく、放し飼いの間に殺されたりしても文句が言えないのだ。
だから恐らくは、他の街から来た人間に棄てられた飼い実装崩れだろうと、巡査は推理しただけである。
側に佇む実蒼石っぽい鋏を持った存在はどうでもいい。
この街には変わり者の虐待派が大勢居て、彼ら彼女らが実蒼石を飼っている事が多いからだ。
どうせその変わり者が飼っている変わった実蒼石だ。そう考えただけである。

「どうした?」
「いいえ、何でもありません巡査部長。表で飼い実装崩れと覆面した実蒼石が騒いでただけです」
「そうか……全く、近頃は夜な夜な五月蠅いな。うちのカミさんが怒っていたよ」
「ええ、全くです。最近実装石が殺される事が多いみたいですが、五月蝿い事を除けばどうでもいい事ですしね」

奥で同じく書類仕事していた部長に対し、返事をする巡査の声音は苦みを伴っていた。
巡査にとって実装石とはトラブルメーカーの権化である。
二葉市に新米巡査として任官してからこの方、受け持ったトラブルの過半が実装絡みだ。
愛護ブーム全盛期には、警察官の過労死や精神疾患が社会問題化した位である。
故に警察官達にとって実装石が死のうがどうでもいい。
寧ろ、面倒臭い事極まりないトラブルの種が死滅してくれるのなら大歓迎である。
特に虐待派の力が極めて強い二葉市では、事件や問題さえ表面化しなければ実装石絡みで警察が動く事が無い位だ。

「……ったく、そいつは俺が片づけておくからお前も早く家に帰れよ。これ以上騒ぐなら、飼い主と一緒に説教を受けて貰うからな!」

黄色の信号機が点滅する交差点の真ん中で、肉塊の前で佇む鋏を持った小人に対して声をかけた後。
巡査はぶつくさ言いながら書類の記入を再開した。
巡査にとって、飼い実装崩れが死のうとも虐待派が躾けた実蒼石が暴れようとも事件にならなければどうでもいい事なのだ。
どうでも良いことに関わっている暇は無い。実装石をかたづけるのは手慣れているので、休憩時間の時にやればいいだろう。
巡査は机の上にある書類の枠に報告事項を記入するのに集中し始めた。




その為だろう。
交番務めの巡査がそれを見なかったのは。

ジェニファーを切り刻んだ『それ』の姿が、信号機の灯りが消えている間にすっと音もなく闇に融け込んでいったのを。
視覚的な問題で融け込んだのではない。


本当に、その場から『消え去った』のだ。


しかし、それを驚くものは深夜の公園前交差点には居なかった。





あれは、果たして何だったのか。


それを知る者は誰も居ない。


夜な夜な狩られるのは実装石だけ。


だから、誰1人として気にしない。


得体の知れない存在が、この街を徘徊している事に———。































完





————————————

感想を何時もありがとうございます。
『それ』の正体については明確化を避けました。正体を不明確にするのはホラーの定番ですよね。
最初のジェニファーの記述についてですが、飼い主との関係を幸せ回路で翻訳するとああなる、と言った感じです。
飼い実装の悲哀については現在執筆中です。ご期待ください。

過去スク

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【託児】託児オムニバス
【託虐】託児対応マニュアルのススメ
【虐】夏を送る日(前編)
【虐】急転直下(微修正)
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