■ 都心に大雪が降った翌日。 気温はうって変わって温暖で、アイスバーンにもならないまま雪は泥水に融けた。 敏明はスーパーからの帰り、近道として双葉公園を歩いていた。 もっと雪が残って地面はぐちゃぐちゃかと思っていたが、 温かい陽射しの下、歩道はすっかり乾いている。 これならもっと近道の細い道を選んでも大丈夫だろう。 敏明は食品やトイレットペーパーが入ったエコバッグをぶら下げて、脇道に入る。 細い砂利道は、やはりちゃんと乾いていた。 藪や草むらで日陰になっているところや、土には少し雪が残っているが。 地利道の脇、草木の影や藪の奥、樹木の傍に、倒壊した実装石の巣をいくつも見た。 昨日の大雪で、一度凍って、びしゃびしゃになって、潰れたダンボールハウスだ。 市立の広大で自然豊かな双葉公園には、実装石が住み着いていた。 たまに愛護派が餌やりをする広場では、人間に媚びる実装石を見たことがある。 過剰に人間にアピールし、媚び、餌や飼育を要求する実装石は糞蟲と呼ばれる。 あまり目立ちすぎると駆除対象なので、糞蟲の多くは冬を越せない。 そうでない実装石たちは、双葉公園の中でも目立たたないところを選んで、 草木に隠れるようにダンボールハウスを作り、ひっそりと暮らしていた。 広大な双葉公園だ。 糞蟲でない実装石まで狩り出す駆除活動が行われることは滅多にない。 週の半分はここを通る敏明も、隠れて暮らす実装石を見ることは稀だった。 一気に降ったボタン雪の重さで、草木や藪がのきなみぺしゃんこになったから、 共倒れでぺしゃんこになった実装石のダンボールハウスがあちこちに露出したのだ。 それは、敏明にとって、とても珍しい光景だった。 ■ 凍死しているたくさんの実装石の死体を見た。 大きいのも小さいのもたくさん。 泥をかぶった緑色の死体は、草木や土に混じって初めはそうと分からなかった。 しかし、歩いていると三分おきには壊れたダンボールハウスと実装石の死体がある。 こんなにいたのか。 野良の実装石が越冬することの困難さ、そんなことを思いながら歩く。 多くは、倒壊したダンボールハウスの隅で、家族ひとかたまりになって死んでいた。 自然の残酷さ。寒波や大雪に抗えない、どうにもならない悲哀を感じた。 いくつかのハウスでは争った形跡があった。 わざわざ近寄って確認したりはしないが、手足の欠損や、噛みついたままの死体など。 パニックの中で家族の意見が異なったのか。共食いのような様子もあった。悲劇だ。 穴を掘ろうとしてそのまま埋まった死体も多く見た。 土の底に逃げようとしたのか。ごく小さな、爪もない野生動物には無謀な判断だった。 けれど、とくべつ可哀想だとは思わなかった。 こういうのは自然の摂理だ。 広大な公園だし、たまに愛護派の餌やりもあるから環境的には優位かも知れないが、 それでも、どこまでも儚い命だと敏明は思った。 多くの人間がそうであるように、敏明もとくべつ実装石に思い入れを持っていないし、 ましてや愛護派でも虐待派でもなかった。 しかし。 ■ デスー。 一つの倒壊したダンボールハウスの奥で、成体実装が荒く呼吸をしているのを見た。 まだ生きていた。 敏明はふと興味にかられ、砂利道を反れて茂みの中に入る。 まだ残っていた雪や泥でズボンの裾が濡れた。 実装石は、親実装だった。 髪も服もまだカチカチに凍っていて、両手に四匹の仔実装の死体を抱いていた。 抱きしめて自分の体温で仔を守ろうとしていたのだろう。 けれど、結果的には何もかも無駄だった。仔実装はみんな目を見開いたまま死んでいる。 やがて親実装も死ぬだろう。 どうして敏明がそうしようと思ったのか、言語化は難しい。 敏明は買い物袋のエコバッグの中を探った。 買ってきたカイロを三枚ほど包装を破き、いつも持ってるフェイスタオルに貼った。 カイロがあたたかくなるのを待つ。 その間、親実装をぼんやり見下ろしていた。 親実装からの反応はない。 意識がほとんどないのか、敏明に気付ける余裕などどこにもないのか。 ただ、仔実装の死体を抱いたまま上目遣いでデヒデヒ細い息を吐き続けている。 敏明は、カイロを貼ったタオルを親実装にふんわりかけた。 デスーデスー。 親実装の冷え切った体が少しでもあたたまれば。 全てを失った絶望の黄泉路がわずかでも楽になれば。 そんなことを考えていたのかも知れない。 敏明が自ら実装石に関わったのは、これが初めてだった。 なにごとか声をかけたかも知れない。覚えていない。 敏明の言葉が届いたかも分からない。 親実装はせいぜい40センチくらいだった。 大きめのペットボトルくらい。 それが、凍えて縮こまっているのでさらに小さく感じる。 仔は10センチもない。 リンガルでコミュニケーションできるとか言われていてもにわかには信じ難い。 それは人間側の自己満足ではないのか? 敏明がしていることも、人間の自己満足だった。 カイロの熱で少し親実装の髪が乾き出したあたりで、敏明は去ろうとした。 立ち上がり、背を向けようとして、 少し体温を取り戻し始めた親実装から、猛烈な悪臭が上ってくるのを感じた。 まともに吸い込んで、思わずむせた。えづいた。 これが野良の実装臭か。 体臭と、糞便の悪臭。野生の、野良のケモノ臭。不潔臭。 敏明はかなりびっくりしたが、同時にかなり思考が混乱した。 つまり、このコビトのような、人形のようなナマモノが、生きているという実感。 それを強く、現実味を帯びて、いきなり味わわされた。 相変わらず親実装の瞳はうつろで、何も見ていない。 明らかに混乱している敏明は、カイロが貼られたタオルごと、親実装を抱き上げた。 凍死した四匹の仔実装を抱きしめて離さないので、まとめて。 しかしとても軽い。 スポンジかウレタンを抱えているかのよう。 けれど、この猛烈な悪臭から、確かにこれが生き物だということを強く感じた。 ■ デスーデスー。 家に連れ帰ってしまった。 飼うつもりはない。 それに、悪臭が煮詰まったかのような実装臭は本当に臭かった。 しかし、親実装はまだ確かに生きていたので、 関わってしまった、自ら積極的に関わった敏明は、見殺しにできなくなってしまった。 さすがに、不潔で臭い実装石を部屋に入れるつもりはない。 玄関の内側、靴脱ぎのスペースで、 ちょうどあったAmazonの空き箱、その中に親実装をそっと下ろした。 玄関とは言え、断熱された家屋の中だ。 リビングは暖房が効いていて、加湿器もしゅーしゅー言ってて、湿度もかなり快適。 屋外とは比べ物にならないくらいあたたかいはずだった。 デスーデスー? さっきまで極寒の双葉公園いた実装石にとってはわけがわからないようだった。 ぶるぶると身を震わせるたびに、凍った髪や服が融けていく。 細かい氷のかけらが床に落ちる。 あたたかい、春のような環境に戸惑い、Amazon箱の中をきょろきょろずっと見回している。 凍死した仔実装たちの体までじんわりとあたたかくなっていく。 デッスゥ…。 敏明は、レンジであたためたホットミルクのマグカップを持って戻って来る。 親実装に見えるように自分でも一口飲むと、箱の中に置いた紙皿に注いだ。 デスゥ…? 毒ではないと判断したのか、実装石も飲んだ。 デッス! あたたかい、栄養の味に実装石が声を上げた。 デス。デスデスデスッ。 実装石が這いつくばってホットミルクを舐めている。 おいしいみたいだ。良かった、と敏明は思った。 デスッ。 七割ほど飲んで、立ち上がる。 デスデス言って、仔実装の死体を引きずってミルクの紙皿に並べている。 四匹の死体を皿の前に集めている。 デスデスデス! 首根っこを捕まえて皿の寸前までぶら下げたり。 凍死状態から融けた仔実装の死体は、ぐんにゃりしている。 飲むように促しているのだろう。 無駄なことだった。 仔実装四匹は、とっくにもう死んでいるのだ。 氷が融けて多少あたたかくなったと言っても、それは体温でも、蘇生したわけでもない。 黙って見下す敏明に、親実装はデッと言って、何度も敏明と仔実装とミルク皿を見た。 その作業を何往復もした。 デェエ…。 すごく時間をかけて、やっと理解したのか、親実装は血涙をはらはら流した。 ■ 残念だった、可哀想だった。 もう寒くないように、あたたかくしてから埋めてやろう。 敏明はそんなことを親実装に話しかけて、新しい真っ白なバスタオルを出した。 驚いたことに、親実装には伝わっているのか、血涙を流しながらぺこりとあたまを下げた。 思った以上に賢いのかもしれない。仔への愛情もかなり感じられる。 糞蟲の知識と経験しかなかった敏明には、衝撃だった。 こんな、赤子のように小さな人形のようなコビトに、感情や知性、心を感じたのだ。 デッス! 敏明が、バスタオルに四匹の仔実装を包もうとする。 と、実装石は突然跳ねて、ホットミルクの紙皿を指のない腕で不器用に持ち上げた。 バスタオルの中央によちよちそれを持っていく。 一緒に入れたいのか。 おいしかった、それを死んだ仔にも共有させたいのか。 まるで人の真似事のよう。 犬や猫どころかそれ以上、霊長に近い生き物に感じられた。 糞蟲と呼ばれ、その習性や不潔さから嫌われ、駆除され、 そして、直接人間が手を下さなくても餓死や共食い、凍死で日々消えていく生命が。 驚きだったし、感銘を受けた。 デッス! 敏明は親実装に応え、ミルクの入った紙皿ごと仔実装たちをバスタオルで包んでいく。 親実装は仔たちの死と別れを理解していた。 そして、弔おうとしている。 もともと敏明は実装石に詳しくない。 けれど、これはかなりレアなケースだろうとは思っていた。 だから、そこまでハマらずに、深入りせずに済めそうだと思った。 何しろ、日々感じていた実装石の印象と違いすぎる。 それに、知性や愛情を目の当たりにしても、この親実装も実際めちゃくちゃ臭いのだ。 ■ 敏明は親実装を連れて庭に出た。 はしっこの土に穴を掘って、仔実装をバスタオルごと埋めた。 墓標みたいなものは用意してなかったので、とりあえず割り箸を四本立てた。 デッスゥ…。 墓や埋葬の意味を理解しているのだろう。 実装石が神妙な面持ちで敏明に深くあたまを下げた。 これからも生きていかないとな。 敏明はつい、そんなことを呟いて親実装を撫でていた。 ■ デスデスデスデスデス。 デスデスデッスーン。 デッス。デスデスデスデスデス。 埋葬が終わり、敏明は親実装を玄関内のAmazon箱に戻す。 親実装が興奮した様子でハイテンションで、敏明を見上げ鳴いていた。 まるで何か喋っているかのようだが、リンガルがない敏明には分からない。 自然の暴力や理不尽の中で、これだけ仔を想いがんばった。生きた。 だから、少しくらいご褒美があってもいいかもと思う。 敏明はリビングでごそごそして、 キャットフードや水のペットボトル、そしてタオルを何枚も抱えて戻る。 公園に戻る親実装への餞別のつもりだった。 デスデスデスデスデス。 デスデスデッスーン。 デッス。デスデスデスデスデス。 なんかハイテンションで見上げる親実装のデスデス言語に敏明は曖昧に笑った。 お前を公園に帰すよ。 自分勝手に連れて来て悪かったな。 デスデスデッスーン。 今日はあたたかい。 これからしばらくあったかいみたいだ。 もしかしたら、このまますんなり春になるかもな。 仔たちは残念だったけど、冬を越したぞ。 偉かったな。 デスッ。 親実装の入ったAmazonのダンボール箱を敏明は持ち上げた。 玄関のドアを開ける。 家の中よりは寒いが、今日の陽射しは強く、 気温も冬にしては12℃を越えている。 親実装のやり直しの門出には悪くない日和だ。 しかし、 デッ? デ。デスデスデス。デスー!! 箱ごと抱えられ、外に出た親実装は困惑し、怒っているようだった。 大きな声で鳴き、箱の中を走り回り、手足をバタバタ動かした。 まるで敏明に抗議しているかのよう。 デスデスデスデス!! ダンボール箱の中で足を踏み鳴らす親実装。 ついうっかり、敏明はダンボール箱を取り落した。 あ。 ■ デジャアーーー!!!! 落下の衝撃で箱の中で三角飛びのように転がった親実装は、ついに威嚇した。 眉間に深く皺を刻み、攻撃性をあらわにする。 さっきまでの親実装とはまるで違う。別人のようだ。わけがわからないよ。 なあ。 敏明は一応、詫びる。 落としたのは悪かったよ。 怪我はないみたいだな。実装石に慣れてないんだ。許せ。 そうだ、実装石って金平糖が好きなんだろ。 おわびにやろう。 公園までの途中に売ってる店があったはずだ。 デジャア!! デジャア!! デジャアーーー!! 親実装には、敏明の言葉が分かっているかのようだ。 コンペイトウ、と言うワードを聞いた瞬間は明らかに喜んでいた。 しかしその後、何かが意にそぐわなかったのか、さらに激しく怒ったのだ。 四つん這いで歯を剥き出しにして、敏明に威嚇している。 あー。 何がなんだか分からない敏明は、かなり長い間立ち尽くした。 一時は、この小さく儚い生命に確かに敬意を感じて、 敏明なりに丁重に扱っていたつもりだったから。 デジャ! デジャ! デジャアーーー!! 憤怒の表情の親実装は、ついに激しく脱糞する。 そしてあろうことか、糞をつかんで投げ始めたのだ。 親実装が投げる糞は、敏明のところまで届かなかったが、 ダンボール箱の壁に当たって一面に跳ね返る。 あっという間にダンボール箱の中は、親実装は、糞まみれになった。 敏明が餞別にと入れた餌も水もタオルも、全部台無しにぐちゃぐちゃになった。 なんでや。 ■ どうしたのこれ、実装石じゃない。 うっわ汚っ。 ちょうど帰ってきた敏明の妻はかなり驚いていた。 無理もないと思う。敏明がその立場だったらもっと驚く。 敏明夫婦の家は、猫を四匹も飼っている。 もともと実装石の入りこむ余裕などどこにもないのだ。 敏明は簡単に説明した。 実装石に詳しくないので、一部要領を得ないところはあっただろうが、 ダンボール箱の中で糞まみれで威嚇をしている親実装の姿は分かりやすかった。 糞蟲だねー。 妻がそれを見て言う。 そうか。敏明は少し納得した。 糞蟲の実装石がいるのではない。 実装石が、糞蟲なのだ。 驚いたことに、敏明の妻は実装石にそこそこ詳しいようだった。 敏明を責めることもせず、話を聞き、 そして敏明の行動にも一定の理解を示してくれた。 まさか敏明さんが実装石を助けるとはねー。 敏明はいくつか言い訳をした。が、筋が通っていたかどうかは自分でも分からない。 敏明の妻は、 実装石はとても不潔で臭いから、その前提で愛護?的なことは玄関内だけでして、 部屋にも上げずに、公園にリリースするつもりだったことは正しいです、と言ってくれた。 褒められている気がする。 妻の機嫌はむしろ良い。 ただ、敏明には本当にわけが分からないことで一杯だった。 じゃあ、答え合わせをしよっか。 妻はそう言って、猫のために設置しているペットカメラの録画を見始めた。 ■ 玄関は猫の脱走防止にベビーゲートを設置しているから、ペットカメラの観測位置にない。 (猫はベビーゲートなんて一息に飛び越えますがあるとないのでは感覚的に違うのです) 敏明は訝しんだ。 音声が入っていればいいんです。 リンガルで翻訳できるでしょ。 妻が言う。 リンガルで? 実装石の鳴き声を? あのアプリは人間の自己満足のオモチャのようなものだと思っている。 「にゃんトーク」みたいなほら。 まさかアレが本当に、言語だとでも言うのだろうか。 敏明さん、実装石は鳴いてるんじゃなくて、喋ってるよ。 これは本当のことで、実際の研究結果に基づいてて…、 まあ。でもそんなにメジャーにならないのはつまりね。 不快だからなんです。 どこか楽しそうに敏明の妻はそう言って、ペットカメラの録画を再生している。 リビングには猫たちの姿はない。 日中はみんなもっとあたたかく日当たりのいい二階でスヤスヤ昼寝をしている。 だから幸運なことに、猫が親実装を弄りに来ることはなかったのだ。 音声録れてるね。リンガルで翻訳してみるよ。 確かにデスデス言う親実装の鳴き声と、敏明の呟きが録音されていた。 慣れてない身では、自分の声の録音を聞かされることは少し恥ずかしい。 敏明の妻は、録音とリンガルアプリの翻訳を見ながら説明してくれた。 ほら。こんなこと言ってた。 ■ ありがとうございますデス。 確かにワタシは絶望して、もう仔たちと一緒に死のうと思ってたデス。 でも、アナタみたいな良いニンゲンさんもいるって知って、がんばる気が起きたデス。 へえー。 お礼が言えるし、そもそも仔のことを大切に想ってたみたいだし、 死んじゃってもずっと抱きしめてたんだよね? 賢くて愛情もある親実装だったみたい。 敏明さんが思わず助けちゃったのも分かります。 妻が楽しそうに言う。敏明は恥ずかしい。 見てこれ! すごい! 続いたリンガルのログを見せてくる。 ワタシは公園に帰るデス。 そこでまた、仔を産んで、家族をつくるデス。 こう思えるようになったのも、全部アナタのおかげデス。感謝してもしきれないデス。 アナタのことが好きデス。 産まれた仔にはきっとアナタへの感謝を教え続けるデス。 敏明さんどうせいつもみたいにぶっきらぼうに不器用に接したんでしょ? なのにこんなに感謝されてるなんて! 糞蟲の実装石がこんなこと言ってるんだよ!? すごい! これきっと本心だし、敏明さんの想いが伝わってたんだよ。 過大な評価に少し嬉しくはあるが、妻の言葉は過去形なのだ。 どこかで何か間違ったんだろう、敏明はそう思った。 妻の説明の続きを聞いた。 でも、もし、仔たちに、この冬みたいなどうにもならない怖い怖いが来たら、 ログを読む敏明の妻が嬉しそうにうんうん頷いている。 もう一度だけ、アナタを頼ること、許して貰えるデス…? え。すごい。告白みたい! そこで敏明さんは何て答えたの? ねえ。ねえねえ! テンション高い妻。 答えたも何も、敏明には実装語は分からないのだ。 このログがどのあたりなのかもよく分かっていない。 ■ あー。 妻が嘆息した。 何かがっかり要素があったみたいだ。 どうしたの? 尋ねる。 この愛情深い、とても賢い親実装ね、 玄関の外に出されたとたん、寒いって思ったみたい。 うん。 今日って充分あったかいのにね。 うちから外に出されたら、凍るように寒かったって。 うん。 まあ、家の中はあったかいもんね。 隙間風のマンションから一軒家買って、わたしたち最高だったもんね。 それは、確かに。 そういうの一気に実装石は感じちゃったみたい。 敏明の妻は、以降のログの翻訳をそのまま伝えることはせず、意訳につとめた。 敏明のことを想いやってのことだった。 えーとね。 うん。 この寒さは虐待デスって。 こんなとこに放り出されたらワタシは死ぬデスって。酷いデスとか言ってて。 え? いや、だってさっき本人も公園に戻って仔を成すデスとか言ってたんだよね? 敏明の妻は深くため息をついた。 それは、本人のがっかりではなく、敏明を想いやっての反応だった。 ごめんね。わたしが謝るのは変だけど、実装石って、糞蟲って、そうなんだ。 あとの説明は簡単にするね。 ええと。 ワタシを保護したなら責任があるとか、まあ、飼うべきだって言ってて。 いや飼わないよ。そういう流れになかったし。 会わせてないけど、猫いるしね。 うんうん。そう。 そうなんだけど、親実装ね、そのあと、ええと、要約すると敏明さんを責めてた。 責めてた? 遅かったって。 もっと早く敏明さんが来てれば仔は死ななかったって。 今さら優しくしたとか責めてて、何で飼わないか、ワタシを飼えデスって叫び出して。 ええ、 ええーーーーー。 敏明の妻は、本当に本人全然悪くないのに、すごく申し訳なさそうに。 そもそも寒くなる前に敏明さんは一家をぜんぶ家に迎えて、 なに不自由なく扱うべきだったって、それをなに今さら、って。 元に戻せ。 ぜんぶ元通りにしろって。責任取れ? すごいなあ。 いや、 実装石に慣れていたらしい敏明の妻も、さすがに暗い顔になる。 こんなに敏明さんに感謝してて。 ものごとの道理も分かってるように見えたのに。 短時間でこれ、すごいなあ……。 ウンコ喰えデス、ウンコ喰って死ねデス、そしてワタシの奴隷になるデス。 もうむちゃくちゃだね。 死んだら奴隷になれないじゃん…。 敏明さん、可哀想。 いや、これさすがにすごいありえない外れクジだからね! よく分からないけど、懸命に慰めてくれる妻。 敏明は、理解のある妻君に恵まれた幸福を感じながら。 ダンボール箱の中のデジャデジャ叫ぶ糞蟲を改めて見た。 がっかりと、悲しさと、少しの憎しみが湧いてくる。 ■ だめだよ。 敏明さんには、これはさすがに。 かなりの上級者向けだったね。 わたし、敏明さんよりはけっこう実装に詳しいから。 後は任せて。 敏明の妻はめいっぱいの笑顔を作ってそう言った。 うんうん頷くしかなかった。 しかし、妻の表情に強い怒りと憎しみが浮かんでいることにも気付いていた。 妻はこの親実装を殺すだろう。 はっきりと分かっていた。 それを止めることは敏明にはできない。 妻は、 親実装が、敏明を傷つけ、裏切ったということに怒っているのだから。 敏明さんは先にお風呂入ってきてよ。 気付いてる? 実装石に関わっちゃうと、臭くなっちゃうんだよ。 敏明は素直に頷いた。 デス。 デッスーン♪ 奥に去ろうとする敏明に、さすがに不穏な空気を感じたのか、 親実装は糞まみれの姿で満面の笑みを浮かべ、腕を頬にあて、媚びた。 妻が本当に怒っていることを、敏明は感じた。 @ijuksystem