「すべての実装石が幸福なパラダイスみてえな国を作りてぇ……」  その男の名前は良富廃凛(きちとみ・はいみち)と言った。  しかし、彼を知る者はみな『博士』というあだ名で呼ぶ。  彼は生まれつきの実装狂であった。  幼い頃ならばただの「少し変わった動物好き」で済ませられただろう。  博士というあだ名も、小動物に詳しい動物博士という呼称から来たものだ。  しかし彼は十分に成長し、学問を収め、極めて優秀な成績で双葉大学理学部生物化学科を卒業しても、実装石を異常なまでに愛する気持ちを捨てられなかった。  そして付き合いから気まぐれで参加した学生運動で例の思想に触れてからは、己の歪んだ野望を実現するために全力を尽くすようになった。  とは言っても、野望は簡単に実現できるわけではない。  理想はあれど、資金はない、設備もない、基礎研究も足りない。  いずれは……と思いつつも目途すら立たない悶々とした日々を送っていた  ある日、博士は大学の先輩のツテである人物を紹介された。 「お初にお目にかかるわね」  その女性の名は村咲窈窕と言った。  若く美しい貴婦人であった。  現在……昭和四十年代のテレビスタアでもなかなか見ない美人である。  将来的にはサザエさんヘアーに三角眼鏡のザーマスBBAになるかもしれないなどとは想像もつかなかった。  博士は人間の女に興味はない。  彼女の差し出した某有名企業の社長秘書という肩書にも一瞥をくれただけで感想も湧かなかった。 「で、村咲サンは俺に何の用っスか」 「貴方は実装ちゃん研究の第一人者だと聞いているわ」 「まあね! 実装石のことならなんでも俺に聞いてくれって感じっすよ! なんせ俺ってば実装博士っすから! 何が知りたいんすか? 生態? 社会性? 類似種について? 最近は実装石の免疫機構の研究をもっぱら――」 「その熱意を見せてもらっただけで十分だわ。私が興味あるのは、アナタの『楽園計画 ―eden project―』に関してよ」 「っ!?」 「アナタが先月、学会に提出した論文は読ませてもらったわ」  半ば理想半分、半ば現在の社会に対する挑発半分で出したあの論文。  その中身はまさに夢想と言うべきもので、相手にする人間なんているわけがないと思っていた。 「すべての実装ちゃんが幸福に暮らせる理想社会。ぜひとも実現させてほしいのよ。そのために資金の援助は厭わないわ」  理想と知識を持った狂人と、情熱と資産を持った狂人が出会ってしまった。  そして博士は十分な資金を得て、幼い頃から夢想していた計画を実行に移すこととなる。    ※ 「デスッ!?」  その実装石たちは、突如として広い世界に放り出された。  彼女たちが元居た場所はさまざまである。  公園で飢え死にしそうになっていた野良実装石、ペットショップの売れ残り、飼い主の興味が薄れ捨てられた元飼い実装……  経緯はそれぞれ異なるが、最終的に保健所に引き取られ、そして一括して引き取られた『選ばれし最初の8匹』である。 「ここはどこデスゥ?」 「ワタシがいた公園……じゃない、デス?」 「ご主人様ァ! どこデスゥ!」  鳴く者、戸惑う者、興味津々であたりを見回す者など反応もそれぞれ。  しかしやがてはみな空腹に従って行動を開始する。  最後まで動きの鈍かった元飼い実装も、いくら泣き叫んでも庇護がないとわかると最低限の食糧を求めて動き始めた。  そして彼女たちは見つけた。 「いい匂い……食べ物デス?」 「これ、フードデス! 以前に愚かなアイゴハのバカニンゲンから献上されたことがあるデス!」  溢れるほどの食糧。  それが山と積まれて置いてある。  彼女たちはまだ気づかなかったが、それは地面の下から定期的に供給され続けていた。  この場にいる実装石全員の分を賄うのに十分な量がある。  しかし、激しい縄張り争いを潜り抜けてきたしたたかな半野生の公園実装は素早くそれを独占しようとした。 「このフードはワタシのデスゥ! お前らはどっか行けデスゥ!」  しばしの乱闘が起きる。  やがてそれは自然と収まって各々の食料を確保することになるが、  争いそのものを嫌う元飼い実装や、好奇心を先に刺激された個体、  警戒心の強い山実装などは争いには加わらず別の場所を散策することにした。 「デデッ!?」  そして彼女たちは別の場所でも同じようなフードの山を発見する。  少し歩いたところには明らかに人工物である小さな小屋みたいなものが立っていた。  人間が利用するほど大きくはない、成体実装のために作られたサイズの住居である。  さらに近場には水場となりうる小さな川があった。 「なんなんデス、ここは……?」  疑り深い山実装は最後まで訝しんでいたが、やがて日が暮れ始める頃には小屋の一角を仮の住処と認め、食糧配給所から持ってきたフードを齧って飢えた腹を満たすことにした。    ※   実装楽園計画 ― eden project―  その名の通り、実装石にとってのパラダイスを作り出す計画である。  儚く、か弱い実装石。  山実装、里実装、街の野良実装。  生態はさまざまなれど、誰もがほんのちょっとの自然の気まぐれで惨たらしく死んでしまうか弱き種。  飼い実装になればある程度の幸福こそ得られるが、代わりに自由を失い、躾と言う名の鎖に常に縛られる。  博士の夢はすべての実装石が苦痛や束縛から解放された楽園を作ることだった。  与えられた予算でまず彼が行ったのは自分の言うことなら何でも聞く研究員を集めること。  これは一般企業の数倍の給金と十分な余暇を与えることで簡単に確保できた。  そして楽園建設のための場所。  山一つを買い取り、一部を切り開いて『第一楽園』を建設した。  とてつもなく巨大な建物の内部には自然を模した環境が整えられている。  この楽園の中で実装石はあらゆる苦痛から解放される。  ただし、いわゆる『人間に飼育されるペットとしての環境』ではない。  極めて自然に近い形で生存の脅威が廃除されている。  これは「愛玩ペットなど人間に都合のいい奴隷に過ぎない」という博士の思想から来るものであった。  たとえ生存環境を保障しようとも、人が愛でるためだけに去勢をされたり鎖に繋がれ自由を制限されるような扱いは許容できない。  厳しい躾によって動物を人間の生活に無理やり合わせるなど虐待派と変わらない。  むしろ善人ぶってるだけより唾棄すべき存在だと思っていた。  第一楽園の広さはおよそ東京ドーム3杯分。  集めてきた実装石8匹の数を考えると無限にも思える広さだ。  その中には点在するように無限にフードが供給される食糧供給地点が存在する。  一か所だけを見ても実装石100匹近くが食えるだけの量のフードが供給される。  仮に必要十分量以上のフードを独占する個体が現れても、別の場所に移動すればいいだけだ。  食料供給地点から少し離れた場所には水場もある。  広大な楽園の中で適度な圧迫感による安心を得られるよう、実装石の大きさに合わせた小さな小屋もいくつか用意した。  小屋の材料となるようなプラ板も無造作に散らばっており、必要とあれば野生に近い感覚で巣作りにも似た増改築もできるようになっていた。  施設の屋根には無数のライト。  時間によって明るさや色が調節され、人工の空を作り出している。  水場の水量調節と楽園内洗浄のための雨こそ定期的に降らせるようになっているが、豪雪や嵐などの命に関わる悪天候には決してならない。  建設中の第二、第三楽園も合わせれば、将来的に10万匹の実装石があらゆる苦痛から逃れて暮らせるだけの超大規模施設であった。 「投入個体のうち4匹は第一餌場、残り4匹は第二餌場を拠点とした模様です」 「警戒心の強い個体あり。重点的に監視します」 「第一餌場では軽い諍いがありました。厳重注意」 「まあ、最初はこんなものだろう」  博士は納得した様子で頷いた。  野生に近い環境で育った個体に警戒心が強いのは仕方ない。  少ない餌を奪い合ってきた者が力で独占に走るのも想定済みだ。  ここではそんな欲望もすべて肯定する。  個々の個性も大事にしつつ、あらゆる生存の危険から実装石を守る。  彼女たちには管理されているという不自由さを与えずに、この楽園を謳歌してもらうのだ。 「しっかし、こんなのが上手くいくんすかねえ? そもそも何のためにやるのかもわからないですし」 「大丈夫さ。そのための予算は潤沢に貰っている」 「まあ、得られたデータは何かしらの役には立つんでしょうけど。お偉いさんの考えることはわからんっすわ」  この楽園計画が博士やパトロンである村咲の個人的なものであることを他の研究員たちは知らない。  知ったら誰もが即刻中止を求めるのは間違いないだろう。 「でも博士、知ってるでしょ? アメリカでちょっと前に似たような研究が大失敗に終わったって話」 「ああ」  それは博士が村咲と出会い、この計画を実際に始めるまでの間に行われた研究。  内容は実装楽園計画と非常によく似ている。  対象にとって外敵となりうる要因を完全に排除した楽園を用意し経過を観察する。  ただし対象となるのは実装石ではなくネズミだ。 「あらゆる外敵と脅威が廃除された結果、マウスは自然界ではありえない歪んだ社会を構築し、結果として種そのものから生殖能力が欠落し全滅。25回行った実験すべてで、最長でも4年と持たずに、だと」 「マウスと実装石じゃ違うってのはわかりますけど、同じような結果になるんじゃないっすかねえ」 「そうはならんさ」  実装石とマウスでは決定的に違う点がある。  ひとつは実装石は単性生殖が可能であるということ。  この時点でマウスが全滅したのと同じ轍を踏むことはない。  そして実装石は人間に準ずるほど高い知能を持っている  何らかの問題が起ころうと、生存さえ保障されていれば、彼女たちは解決策を模索し繁栄していくことだろう。  博士が愛した実装石にはそれだけの能力があるはずだ。 「まあ安心して観察するといい。我々の手で作ろうじゃないか、実装石のパラダイスを」 「いや、そんなのできなくていいんすけど……」                                  ――つづく。