+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ タイトル:シアワセ ご注意 ・このテキストには虐待行為や、その他読者の気分を害する可能性のある記述が含まれています。 ・このテキストの内容は全て創作です。登場する名称などは全て架空のものであり実在しません。 +−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ 1 キィと聞き慣れた玄関の扉が開く音。 そして「ただいま」と言う声。 続いてパタパタと廊下を歩く音。 「おかえり」と言う声。 そんなやり取りが階下から聞こえてくる。 俺は無言でディスプレイに向かっていた。 しばらく経った後、「敏君、夕飯ができたわよ」。 俺を呼ぶカーチャンの声が聞こえる。 軽く自分の心拍数が上がるのが分かる。 俺はのそのそと立ち上がり部屋を出て階下に向かう。 憂鬱な時間の始まりだ。 2 リビングに行くと、カーチャンは湯気の立つ皿をテーブルに運んでいた。 椅子には妹の明子が座っており、所在なくテレビを眺めていた。 テレビにはふたば☆ちゃんねるニュースが映っており、 アナウンサーが双葉市のローカルニュースを読み上げていた。 カーチャン(以下、母)「夕飯は敏君の好きなオムライスとハンバーグよ」 俺はああと軽く返答して椅子に座る。 途端に明子の表情が険しくなるのが見て取れた。 明子(以下、明)「働かずに食う飯はうまいだろうね」 俺「・・・」 母「明子、敏君は病気なんだから止めてあげて」 明「ふん」 カーチャンが全ての料理をテーブルに載せた。 そして椅子に座っておのおのが食事をとり始めた。 カーチャンと明子は時折会話をしていて、ああとかそうねとか言っている。 俺は居心地の悪い思いをしながらも、自分のペースで食べ進める。 終始無言のままでだ。 3 この家は俺とカーチャンと明子の3人住まい。 父親は俺が学生の頃に離婚しておりとっくに居ない。 カーチャンは、今は近所の料理店でパートをしている。 昔から料理好きなので食事はいつも美味い。 明子は双葉市役所の職員をしている。 俺は仕事で色々あって今は休職中。 加えて病気療養中の身でもある。 なので今はカーチャンと明子の収入でこの家の生計を立てている。 俺はそこで厄介になっていると言うことになる。 俺は子供がいてもおかしくない年なので、家では肩身が狭い思いをしている。 4 ある日の夜。俺たちはリビングで遅い夕飯をとっていた。 もうすぐテレビで明子の好きなドラマが始まる頃だ。 俺は部屋に戻るタイミングを計っていた。 この間食事をする音がうるさいと明子に言われたからだ。 カーチャンと明子は他愛もない会話をしている。 明「お母さん、最近双葉公園に行ったことある?」 母「最近は行ってないわねえ。ほらあの緑のなんとかって言う生物が悪さをするとかで」 明「実装石」 明子は卵焼きを箸でつまむとひょいと口の中に入れた。 母「それそれ」 明「最近実装石が増え過ぎて役所への苦情が凄いの」 そう言えば明子は公園課の所属になったって言ってたな。 母「駆除すればいいんじゃない?」 明「駆除しようにも増え過ぎて予算が足りないのよ。   それに最近は愛護派団体がうるさいの。人と実装石の共存とか言って」 母「それは困ったわねえ」 明「住民の苦情と愛護派の板ばさみにあって頭が痛いわ」 明子はもぐもぐと口を動かしながら渋い表情をして見せた。 俺「ご馳走さま」 母「あらもういいの?」 俺「うん、ちょっと調べたいことがあって」 明「調べもの? あんたハロワのURLは知ってるよね?」 俺「・・・」 母「明子」 明「ふん」 俺は椅子から立ち上がると、妹の視線から逃れるようにリビングを出た。 5 それから数週間後、俺は双葉公園に来ていた。 公園の柵のそばから中を覗いてみると、今の双葉公園の環境が劣悪なのは容易に分かった。 遊具や噴水などは大量の実装石に占領され、 デスデステステスと耳障りな鳴き声がひっきりなしに聞こえる。 生ゴミや糞尿が散乱しており臭いもひどい。 これではとても公園内に入り込もうと言う気は起きないだろう。 俺は入り口から公園の中に入り散策した。 道すがら実装石が奇異なものでも見る視線と、デププと言う嘲笑を俺に送るが気にしない。 俺は公園の隅の方へと歩いていく。 この公園は高台にあり、公園の端は一部が崖になっている。 もっとも崖の手前に柵が設置してあるので、人が崖まで行くことはできない。 ただ柵の下部にはすき間があるので、猫程度なら出入りできそうだった。 周囲を見回すとたまたま成体の実装石が一匹いた。 俺はリンガルのスイッチをオンにすると、その実装石に話し掛けた。 俺「やあ」 実装石(以下、実)「なんデス?」 俺「元気そうだな」 実「そうデス。ワタシは元気デス」 俺は実装石をじっと見つめる。 実「どうしたデス?」 俺「君を見つめたくてね」 実「ワタシの魅力を理解できるとは感心なニンゲンデス」 そう言うと実装石は俺との距離をつめた。 俺「うむ」 俺はさらに実装石を見つめた。 目前まで来た実装石は、デスーンと言いながら服の裾をピラピラさせたり、 ポーズをつけたりしていた。 そしてしばらく経った後。 俺「うん? もう終わりかい」 実「何だか疲れたので終わりデス。また今度付き合ってやるデス」 そう言うと実装石は俺に背を向けて、茂みの方へフラフラと歩いて行った。 それから俺はしばらく他の実装石たちとも同様にスキンシップをしてから帰宅した。 6 数か月後。 俺たち一家は夕飯を食べながらテレビを見ていた。 テレビにはふたば☆ちゃんねるニュースが映っており、 相も変わらずアナウンサーが双葉市のローカルニュースを読み上げていた。 アナウンサー「双葉公園から実装石が居なくなりました」 明「お母さんこれ見てよ」 母「双葉公園から実装石が居なくなったって言ってるわね」 明「そうなの。なんか最近公園課への苦情が減ったと思っていたんだけど、   そう言うことだったのね」 母「引越しでもしたのかしらね」 明「さあ? 案外共食いでもしているんじゃない」 母「共食いなんて・・・嫌なこと言うわねえ」 明子はケラケラと笑っている。 そんな明子を俺は見やった。 明子は俺の視線に気づくと笑うのを止めた。 明「誰かさんも、実装石を食べて食費を浮かしてくれると良いのだけど」 俺「・・・」 母「もう、気持ち悪いこと言わないでよ」 明「・・・ふん」 俺は静かにご馳走さまと言い椅子を立った。 7 ある週末。 今日カーチャンは婦人会の旅行で夜まで居ないので、家には俺と明子だけだ。 俺は明子の部屋の前に移動すると扉を開けて明子に声を掛けた。 俺「明子」 明「なに?」 明子はベッドの上に寝そべってスマホをいじっていた。 そして汚いものでも見るような眼差しを俺に向けた。 俺「明子と話がしたいと思ってな」 明「私は話すことなんてないわよ」 きつい言葉を俺にかける明子。 多少気圧された俺は喉の奥から絞り出すように声を出す。 俺「双葉公園の実装石」 明「・・・それが?」 俺「居なくなっただろ」 明「ニュースで言ってたから知ってる」 俺「俺がやったんだ」 明「は?」 俺「俺がやったんだよ」 明「・・・冗談だよね?」 俺「本当だよ」 明子はスマホをいじるのを止めた。 そしてベッドの上で半身を起こして俺の方を向いた。 明子の顔つきはいくぶん神妙になっていた。 今度は明子が続ける。 明「何のために?」 俺「お前いま公園課の所属だろ。だから喜ぶと思って」 明「仮にそうだとしてもどうやって駆除したのよ?」 俺「暗示を使ったんだよ」 明「暗示?」 俺「催眠術みたいなものだよ」 明「なにそれ」 明子が眉間にしわを寄せる。 俺は続ける。 俺「公園脇の崖に飛び込むことでシアワセになれるって暗示」 明「・・・」 俺「俺は公園の実装石に毎日暗示をかけ続けた。   そして暗示のかかった実装石と接触した実装石にも暗示がかかっていった」 明「・・・」 俺「やがて最後の一匹まで暗示が広まった」 明「それで全ての実装石が崖に飛び込んだってこと?」 俺「そうだ」 明子はしばらく黙りこんでいた。 明子はふっと軽く笑うと、再び侮蔑するような眼差しで俺を見て言葉を続ける。 明「とても信じられないんだけどー」 明子は髪をかきあげた。いつもの癖だ。 俺「うん、だから証拠を見せようと思って」 明「証拠って何よ?」 俺は明子の眼を見ながら心に念じた。 俺「・・・」 明「な・・・に・・・?」 俺「俺の眼を見て、俺の言葉をよく聞いて」 明「う、嘘。か、からだ・・・が!?」 俺「これが暗示だよ」 明「!!!」 数分後、明子の顔から笑みが消え、今は視点の定まらない視線を俺に向けている。 身体は小刻みに震えていた。 8 俺「これで信じて貰えたかな」 明「いや・・・や・・・め・・・て・・・」 明子は俺に向かって来ることも逃げることも出来ずに、ベッドの上で静止している。 まるで蛇に睨まれたカエルのようだ。 これで落ち着いて話せる。 俺は明子に改めて話しかける。 俺「明子、昔俺とお前は仲が良かったのにどうしてこうなってしまったんだい」 明「え?」 俺「明子は俺のことをいつも慕っていてくれたじゃないか。なのにどうして今は」 明「だ・・・だって・・・」 俺「そんなに俺のことが嫌いなのかい?」 明「違う・・・そうじゃ・・・ない・・・の」 明子は力なく言った。 明「お兄ちゃん・・・大学受験・・・に・・・失敗・・・して・・・。   やっと入った・・・会社・・・も・・・辞めちゃって・・・。   周りの・・・人は・・・陰で・・・私たちの・・・   こと・・・母子家庭・・・だと・・・か・・・、   穀つぶし・・・だとか・・・言って・・・馬鹿に・・・する・・・し・・・。   家には・・・借金が・・・あって・・・生活が・・・苦しい・・・し・・・」 暗示のせいで頭が回らないのか、明子はたどたどしく喋っている。 明「せめて・・・お兄ちゃん・・・が・・・しっかり・・・して・・・   くれればって・・・思って・・・た・・・。   でも・・・お兄ちゃん・・・は・・・いつまで・・・経って・・・も・・・   何も・・・して・・・くれな・・・い・・・。   そうしたら・・・お兄ちゃん・・・の・・・こと・・・見る・・・たび・・・に・・・   私・・・感情的に・・・なっちゃって・・・た・・・」 ここまで言って明子は言葉をつぐんだ。 喋り辛いのか肩で息をしている。 俺は明子の言葉を反すうした。 そう。明子の言うことは何一つ間違っていない。 俺は第一志望の双葉大学に合格できなかった。 そこで大きな敗北感を味わった。 結局2浪後に第三志望にも満たない大学に滑り込んだが、入学後に1年で辞めた。 退学後は挫折感のためしばらく何も出来なかったが、 遊び金やら何やら要りようだったので、飲食店のバイトを始めた。 そして2年後に社員になったが、客からのクレームがたびたびあったり、 バイトどもから仕事のミスを本部にチクられたりしたため、会社に居辛くなり辞めた。 その後は部屋でネットを見るだけの毎日が続いている。 9 こんなクズの俺に笑顔で気持ち良く接するなんてどだい無理な相談だ。 てかそんなことを明子に強要する資格なんて、クズ野郎の俺にあるわけがない。 俺は明子の言葉を聞き、明子に謝罪したい気持ちで胸が一杯になった。 そんな俺に明子は続けた。 明「私は・・・ね・・・私の・・・好きだった・・・頃・・・の・・・   お兄ちゃん・・・に・・・戻って・・・欲しかったんだ・・・よ」 明子を見ると、明子の眼からはスーっと一筋の涙が流れていた。 ああ明子・・・俺はそこまでお前を追い詰めてしまっていたのか。 悪いお兄ちゃんで本当に申し訳なかった。 もうお前を苦しめるようなことは絶対しないからな。 俺はこれからの自分の一生をもってでも明子に償おうと決心した。 俺「良く分かったよ」 明「え? 本当・・・に?」 明子の表情がぱあっと明るくなる。 俺「明子の涙を見て分かったんだ」 明「そう・・・なの?   じゃあ・・・もう・・・こんなこと・・・止めに・・・しよ?」 俺「綺麗な透明の涙を流したね。本心からの涙なら血涙が出るはずなんだ」 明「な、なに・・・言ってる・・・の? 意味・・・分かんない・・・よ・・・」 俺「いま楽にしてやるからな」 そう言って俺は明子に最大限の暗示をかけた。 明「く、く、くそがあああああーーーーーーーーー!!!!!!」 10 きぃと聞き慣れた玄関の扉が開く音。 そして「ただいま」と言う声。 続いてパタパタと廊下を歩く音。 「おかえり」と言う声。 そんなやり取りが階下から聞こえてくる。 俺はディスプレイから顔を上げた。 トントンと階段を上ってくる音がして、俺の部屋の扉が開け放たれた。 明「お兄ちゃん!」 俺が扉の方へ椅子を向けると、明子が俺の胸に飛び込んできた。 明「お兄ちゃん、ただいま!」 明子が俺に顔をすり寄せてくる。 明子の髪が俺にかかり、フローラルな香りが鼻腔をつく。 俺は明子の頭を撫でてやった。 扉の外ではカーチャンが困ったような笑顔を浮かべてこちらを見ている。 母「もう明子は甘ったれなのね。お兄ちゃんお兄ちゃんって、子供の頃みたいに」 明「明子はお兄ちゃんのこと好きなんだからいいの!」 母「まあ!」 カーチャンは呆れ顔で階段を下りていった。 明「お兄ちゃん、今日職場でね・・・」 笑顔で俺に語りかける明子。 明子、いつまでもシアワセでいてくれよ。 終